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文久2年5月28日(1862.6.25)
【江】所司代(3)容保、所司代の内命を断る/
【江】幕府、長州藩主毛利敬親の上洛を許可。
【京】清河八郎、長州藩浦靱負に上書提出。

■所司代人事
【江】文久2年5月28日、会津藩主松平容保は京都所司代の内命を断りました(27日の可能性あり)。

幕府は酒井忠義に代って大坂城代本庄宗秀を所司代に任命しようとしていましたが、26日、幕政参与の容保が反対したため、決定できませんでした。このため、容保に京都鎮撫を命じ、所司代の事務を兼任させてはどうかとの意見が出ていました。

容保への所司代の内命は、将軍の承認を得た上で、容保に伝えられましたが、容保はは、家臣に相談したところ「御譜代席の勤場所故一統甚不服」なので請けられないと答えました。(前日27日の可能性あり)

この日、老中は将軍に容保の回答を伝え、所司代人事を評議しましたが、適材がおらず、結論はでませんでした。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.25)
関連:■テーマ別文久2」「京都所司代人事」■「開国開城」「安政5〜6(1858〜59):戊午の密勅と安政の大獄」「文久1(1861):公武合体策と和宮降嫁「文2:勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」

■長州藩
【江】文久2年5月28日、幕府は長州藩主毛利敬親の上京を許可しました。
<ヒロ>
先に長州藩は幕府の許可を得て世子定広を西上させていました(こちら)。また、長州藩には勅使大原重徳東下の際には薩摩藩と協力して尽力するようにとの朝命も下っていました。しかし、長井雅楽の謗詞事件が起り、弁明の必要を感じた敬親は、上京の許可を願い出ており、この日その許可が下りたのでした。

関連■開国開城-文1長州の国政進出航海遠略策」 「文2長州藩論一転・破約攘夷へ」■「長井雅楽」■長州藩日誌文久2 
参考>『再夢紀事・丁卯日記』、『徳川慶喜公伝』2、『維新史』三(2003.6.25)
■清河八郎
【京】文久2年5月28日、清河八郎は薩長藩士を激励するため、長州藩浦靱負宛に書を提出しました。(「上書於毛利侯諸君。欲怒薩士激長邸而耳。則致之於長吏浦靱負。典謁容之」)

<参考>「潜中紀略」『清河八郎遺著』(2003.6.25)

清河/浪士組年表 文久2年@衛士館


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