7月の「今日」  幕末日誌文久3 テーマ別文久3  HP内検索  HPトップ

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文久3年5月28日(1863.7.13):
【横】米軍艦ワイオミング号、長州に報復するため横浜出航
【横】老中格小笠原長行、率兵し、英国艦にて海路大坂へ

■長州藩の攘夷戦争
【横】文久3年5月28日、米軍艦ワイオミング号が、長州に報復するため横浜を出航しました。

参考:『修訂坊防長回天史』(2004.7.13)
関連:■開国開城:「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」■テーマ別:「長州藩の攘夷戦争

■老中格小笠原の率兵上京
【横】文久3年5月28日、老中格小笠原長行が、英国艦ライモン号を借り、率兵して海路大坂へ向かいました。(但し、『維新史料綱要』によれば5月25日)

5月8日に、独断で生麦事件償金を支払った小笠原は、19日、償金交付を朝廷に弁明するためとして、慶喜の命により江戸を出立しました。しかし、小笠原はすぐには京都へ向かわず、横浜に滞在し、この日にひそかに英艦を借り、歩兵と騎兵を合わせて約1600人を率いて乗船し、海路大坂へ向かいました。

その目的は、武威をもって攘夷の朝議を一変しようとしたのだという説、足止めされている将軍を迎え取るためだという説し、英仏両国の軍事援助計画に支援された打倒尊攘急進派クーデターだったという説(往年の京都武力制圧計画の実現)がありますが、確かなことはわかっていません。ただ、小笠原はのちに公卿の中に内応する人がいたので上京したがその人が不慮の禍害を受けたため蹉跌したと語ったとされており、この頃暗殺された姉小路公知「今日の幕末」「朔平門外の変」)とはかるところがあったと推側されています。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2001.7.13)
関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」 ■テーマ別:「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京

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