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文久3年10月20日(1863.11.30)
【京】守護職松平容保に対し、非常の際の事前許可なし参内認められる。
春嶽、慶喜に上京を促す書簡/勝海舟、春嶽訪問/

■守護職の権限強化
【京】文久3年10月20日、京都守護職松平容保に対して、非常の際の事前許可なしの参内が認められました。

■テーマ別:「守護職の権限」■「覚書」「京都守護の全権委任問題」■守護職日誌文久3
参考:『京都守護職始末』(2001.11.30)

■慶喜再上京
【京】文久3年10月20日、春嶽は後見職一橋慶喜に対し書簡を認め、自分の着京を知らせるとともに、「公武御親和の好機会」なので一日も早く上京するよう促しました。

参考:『続再夢紀事』ニp188-189(2004.12.10)
関連:■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3年:「横浜鎖港交渉「将軍・後見職の再上洛」 ■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」

【京】文久3年10月20日夕、軍艦奉行並勝海舟は、松平春嶽を訪問しました

勝は春嶽に期待し、早期上京を促していました(こちら)

『続再夢紀事』によれば、この時、勝は(1)夏以来の議論(こちら)を変えたのではないか?(2)本多飛騨・松平主馬・中根雪江らを召喚することは難しいのか?と尋ねたです。春嶽は、(1)議論は変わっていない、(2)本多らを退けたのは別の事情があり、事情はこうこうである、と説明したところ、勝は了解して帰っていったそうです。

『幕末日記』によれば、「当今形成ここに到れり、真に御奮発、天下御挽回、正大の一是に帰せざれば、割拠近きにあらん」等々述べ、神戸軍艦操練所の事や海軍創設・人材登用といった持論を主張し(「天下の海軍を立、普ねく諸藩と士民とを論ぜず人物を集め、其器に応じ、将となし、士となし、門地の旧弊を止め、学術を以て募り、皇国興起の一大海局となさんこと」)、春嶽の同意を得たそうです。

参考:『続再夢紀事』ニp190-191(2004.12.10)『勝海舟全集1 幕末日記』(2004.12.22)
関連:■テーマ別「参与会議へ」「勝海舟@文久2」「勝海舟@文久3

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