12月の「今日  幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ

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文久3年11月3日(1863年12月13日)
【京】前宇和島藩主伊達宗城入京/春嶽、参内/
筑前藩黒田山城、島津久光を訪問し、
薩長の間、七卿と中川宮の和解を図ることを提案

■参与会議へ
【京】文久3年11月3日、前宇和島藩主伊達宗城(むねなり)が入京しました

<ヒロ>
宗城は、松平春嶽(前越前藩主)・山内容堂(前土佐藩主)・島津久光(薩摩藩国父)と並んで幕末四賢候と称される人物で、参与会議のメンバーにも入ることになります。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2001.12.13)
関連:■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別文久3「参与会議へ

【京】文久3年11月3日、 筑前福岡藩士黒田山城が薩摩藩国父島津久光を訪問し、薩長の間、七卿と中川宮の和解を図ることを提案しました。

薩摩藩士高崎猪太郎が同月6日に前越前藩主松平春嶽に語ったところによると・・・

黒田は以下のような意見を述べたそうです。
<最近、世上では薩摩と長州は「矛盾の中」だと言いはやしております。今日、そのような事があっては非常に宜しくありません。また、三条殿始め七卿と中川宮のご関係も「御不快」だとのことです。これも和解されねば不都合です。長州人は最近「三条殿始は正議にて中川宮は奸邪」と言っているとか。この際、七卿を大坂迄でもよいのでお呼び戻しになり、中川宮との和解を図られれば、長州藩と貴藩とのご関係も自ずから和解となるはずです>
この時、同席していた高崎は次のように答えたそうです。
<七卿を呼び戻すことが急務かどうかは知りませんが、現在、朝廷では賢明諸侯を会同される事になっています。この御会同前に呼び戻されるのは如何なものでしょうか。また、薩摩藩は長州藩との間を「矛盾の中」だとは思いませんが、長州藩はどのように思っているでしょうか。しかし、それはとも角、天下の為になる事なら、どのようでも宜しい事ですので、勘考いたしましょう>

<ヒロ>
薩長の不和は、この年の8.18の政変よりずっと前、前年6月から続いていました(こちら)。長州藩邸は融和をはかろうとし周布政之助らが大久保利通らと会合を持ちますが、失敗に終っています。→「余話」「薩長の「鴻門の会

関連:■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別文久2年:「薩摩藩と長州藩」■テーマ別文久3年:「長州処分&家老の入京歎願」 ■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3 
参考:『続再夢紀事』ニp219-220(2004.12.15)

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