12月の「今日  幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ

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文久3年11月4日(1863年12月14日)
【京】伊達宗城、松平春嶽に「賢明諸侯」会同への期待を表明
【京】朝廷、諸藩に浪士捕縛の許可
【江】勝海舟、登城し、将軍上洛を上言・上洛掛の内命

■参与会議へ
【京】文久3年11月4日、前宇和島藩主伊達宗城は前越前藩主松平春嶽に書簡を認めました。

宗城は前日に入京したばかりでした(こちら)。書簡中、宗城は「明公(=春嶽)を属頼奉り、英傑諸兄御合一鼎力を以て御輔弼、皇武真合体の大基本立たせられ、随て大計決定希望奉り候外御座無く候」(『続再夢紀事』より)と「賢明諸侯」の会同に寄せる期待を表明しています。

関連:◆10/24(12.4):【京】春嶽、伊達宗城の上京を促す書簡 ■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3「参与会議へ
参考:『続再夢紀事』ニp215-216(2004.12.15)

■政変後の浪士対策
【京】文久3年11月4日、武家伝奏は、諸藩に対し浪士捕縛を許可する沙汰を達しました

<諸浪士が親王・門跡家に潜伏することのないよう既に達してあるが、万一調べ落ちて潜伏者のいる場合は、武家が召し取っても構わない。ただし濫りに踏み込み無礼をはたらかぬよう、一応、その親王に届出をしてからにすること>(『七年史』より。口語訳by管理人)

<ヒロ>
朝廷は、同年8月の禁門の政変(こちら)後も、諸藩へ直接沙汰を下すことをやめませんでした(親藩への沙汰は守護職を通じて出しています)。諸藩には幕府と朝廷二方向から指示がくることとなり、「政令二途にでる」状況は依然として続いていました。

関連:■テーマ別文久3「政変後の浪士対策
参考:『七年史』ニ(2001.12.14)

■将軍家茂再上洛
【江】文久3年11月4日、勝海舟が江戸城に登城し、御用部屋で将軍上洛を進言しました。勝は、また、「天下の大政」は是迄のようでは「御盛挙」は覚束無いとも述べ、その他、前政事総裁職松平春嶽及び京都守護職松平容保の口上(こちらこちら)を伝えました。

その夜、目付より、上洛掛を命じるとの老中牧野忠恭の内意が伝えられました。

関連:■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別文久3年:「将軍・後見職の再上洛」勝海舟@文久3
参考:『幕末日記』p105-106(2004.12.22)

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