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文久3年11月21日(1863.12.31)
【坂】後見職一橋慶喜、大坂城入城/【京】将軍再上洛(12)永井尚志東下

■慶喜再上京
【京】文久3年11月21日、将軍後見職一橋慶喜が大坂城に入城しました。

慶喜は、10月26日に軍艦蟠龍丸に乗船し、海路上京の途に着いてました。随従の講武所200名、一橋家床机廻約1,000名は前日に陸路京都に向かって先発していました(春嶽が是非とも避けたかった「下策」ですこちら)。慶喜が海路をとったのは、宿場宿場の本陣に放火するという予告状があったり、側用人中根長十郎が暗殺されたり(こちら)という事件があり、陸路を避けたかったからだと思います。

慶喜は浦賀で勝海舟の率いる軍艦順動丸が入港してくるのを待ち受け、11月1日に移乗すると、陸路をとった兵士らと同時に入京するために航海を急がず、兵庫に着港したのが同月12日、この日ようやく大坂城に入城しました。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2005.1.1)

■家茂再上洛
【坂?】文久3年11月21日、京都町奉行永井尚志が将軍家茂の上洛を促すために東下しました。守護職からは小野権之丞が東下しました。

<おさらい>
幕府は、11月5日、幕府は将軍上洛の勅書を奉承しました(こちら)が、監察(目付)ら有司中にはなお上洛反対を唱える者が多く(こちら)、上洛はすぐには実行されませんでした。

永井の東下の経緯はこちら。慶喜の了解を得て東下したと推測されます。

参考:『続再夢紀事』二(2005.1.1)

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