12月の「今日  幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ

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文久3年11月19日(1863.12.29)
【京】将軍再上洛(10)松平春嶽・伊達宗城・島津久光・松平容保ら集会。
江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決。町奉行永井尚志の東下を決定。/
【京】入京嘆願(10)乃美織江、再び家老井原主計の入京許可を請う 

■家茂再上洛
【京】文久3年11月19日、前越前藩主松平春嶽・前宇和島藩主伊達宗城・薩摩藩国父島津久光・会津藩主松平容保・所司代・町奉行は、江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決しました。

この日、去る15日の江戸城火災の報が京都に届いたのを受けて、一同は容保の屋敷に集まりました。火災を理由に将軍の再上洛が万一延期されては公武合体は不可能になるとの認識で一同は一致し、近く着坂予定の後見職一橋慶喜に異存がなければ、町奉行永井尚志を軍艦順動丸に乗船させて東下させることを決めました。

関連■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3年「将軍・後見職の再上洛」 ■守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3  ■薩摩藩日誌文久3 
参考:『続再夢紀事』二p239(2005.1.1)

■長州家老井原主計の入京嘆願
【京】文久3年11月19日、長州藩京都留守居役乃美織江は朝廷に再び家老井原主計の入京許可を請いました。

井原は、毛利元純らの政変当日の行動取調書と奉勅始末を携え、同月8日に山口を出立していました(井原の上京の経緯はこちら)。京都留守居の乃美は、同15日、井原の入京許可を朝廷に願い出ていましたが、何の沙汰もなかったため、この日、再願したのでした。

これに対し、勧修寺家からは井原持参の毛利元純取調書は京都留守居の乃美が下坂して持ち帰るようにとの達しがありました。つまり、入京不許可です・・・。

関連■テーマ別文久3年「長州処分」「長州進発&家老の上京・嘆願」■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3
参考:『修訂防長回天史』(2005.1.1)

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