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文久2年5月18日(1862.6.15)
【京】近衛忠房、延期やむなきを島津久光に説明
【江】蕃書調所を洋書調所に改称

■勅使東下
【京】文久2年5月18日、近衛忠房は、勅使東下延期やむなきを島津久光に説明しました。

去る5月8日に勅使大原重徳の東下を決めた朝廷(こちら)は、11日には勅諭案を議定し(こちら)、翌12日に久光に勅使に随従するよう命じていました(こちら)。勅使東下の日取りはいったんは16日に決まりましたが、その後、予定されている首席老中久世広周【くぜ・ひろちか】の上京後に延期することになりました。久光はこの勅使東下延期に強く反対していました(こちら)。

忠房は、一度決まった朝議を覆すのは難しいので、6月4日に老中久世広周が上京して勅旨を奉じて東帰するのを待ち、その後、改めて勅使を東下させてはどうかと伝えたそうです。

<ヒロ>
この時代、情報の伝達にはずれがあり、幕府の方は、老中久世広周の上京中止を決めていました(こちら)

◆近衛家と薩摩藩
近衛忠房は前左大臣近衛忠熙の息子。母親は島津斉興の養女です、正室は前薩摩藩主で久光には兄にあたる島津斉彬の養女です。そういうわけで、薩摩藩との関りが深くなっています。

関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」■テーマ別文久2年:「将軍上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」 ■薩摩藩日誌文久2 
参考:『維新史』三(2003.6.15)

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