6月の「今日の幕末」 幕末日誌文久2 テーマ別文久2  HP内検索 HPトップ

前へ  次へ

文久2年5月15日(1862.6.12)
【京】薩摩藩国父島津久光、勅使東下延期に反対
【江】大久保忠寛、老中久世広周の上京中止を主張
【江】長井雅楽、春嶽に長州の国事周旋への助力を請う

■久光の率兵上京と勅使東下
【京】文久2年5月15日、薩摩藩国父島津久光は勅使東下の延期に反対しました。

去る5月8日に勅使大原重徳の東下を決めた朝廷(こちら)は、11日には勅諭案を議定し(こちら)、翌12日に久光に勅使に随従するよう命じていました(こちら)。勅使東下の日取りはいったんは16日に決まりましたが、その後、予定されている首席老中久世広周【くぜ・ひろちか】の上京後に延期することになりました。驚いた久光は中山中左衛門・大久保一蔵(利通)らを従えて近衛忠房を訪ね、議奏中山忠能・正親町三条実愛や岩倉具視らと東下延期問題を話し合いました。しかし、彼らの力をもってしても一度延期と決まった朝議を覆すことは容易ではありませんでした・・・。


関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」■テーマ別文久2年:「将軍上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」 ■薩摩藩日誌文久2 
参考:『大久保利通日記』・『維新史』(2003.6.8)
■将軍上洛問題
【江】文久2年5月15日、大目付大久保忠寛・駒井朝温【こまい・ともあつ】は、幕政参与の松平春嶽に対して、老中久世広周の上京中止を訴えました。

大目付大久保忠寛(大久保一翁・越中守)と駒井朝温(山城守)が幕政参与松平春嶽に会見を申し込み、久世老中が上京しても薩摩の役となるのではと非常に不安であり、上京中止にしたいと陳述したそうです。「再夢紀事」では、久世を評して、首座の欠員によりその座に進んだだけで、「善柔にして気力なき人故に志士は大に之を睥睨せり」と追記しています。

関連:■開国開城「文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件「文2:勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「将軍徳川家茂上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「幕政改革問題」■越前藩日誌文久2
参考:『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.8)

■長井雅楽
【江】同日、長州藩の長井雅楽【ながい・うた】が越前藩邸を訪問し、越前藩公用人中根雪江と面談して、長州の国事周旋に関する春嶽の協力を請いました。(雅楽の3時間に及ぶ演説の要略の口語訳byヒロはこちら

雅楽は、「長防二州之内ニ而智弁第一」と評されるだけあって、長州藩の国政進出の事情を理路整然と流れるように陳述し、その演説は3時間ほどに及んだそうです。あいにく春嶽は留守だったので、中根は、春嶽帰邸の際に委細を申上げようと述べました。

実は春嶽赦免後、長州藩士が越前藩を訪ねたのは雅楽が最初ではありませんでした。「過日御出勤有之哉否や」桂小五郎が中根を訪ねて雅楽と同様の趣意を述べて、以後、家中が往来してじっ魂にしたいと依頼したそうです。

中根は長州藩の春嶽への期待について、「元来長州は国力頗る雄大なりと雖共君候良善に過ぎ天下に横行して薩州と軌を争うの気力に乏敷を知る故、吾老公を奇貨として其国力をんとするは彼藩有志輩の宿謀にして御雪冤の日を待」っていたのだと記しています。

関連:■テーマ別「長井雅楽」■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「開国開城-文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」長州藩日誌文久2 越前藩日誌文久2
参考:『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.8)

前へ  次へ


6月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌  開国-開城 HP内検索  HPトップ