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◆6/19【京】横浜鎖港:朝廷、横浜鎖港に関する世評及び因幡・備前両藩の建白を議す ☆京都のお天気:晴天(『幕末維新京都町人日記』) ■京都の情勢(by西郷隆盛) 【京】元治元年6月21日、西郷隆盛は、国許の大久保利通に対し、一橋家の「内乱」による慶喜の「暴威」低下の見通し、会津藩と土佐藩の反目等の池田屋事件後の京都の情勢を報じ、薩摩藩の悪評を封じるための商人による外国交易取り締まりを依頼しました。 主要部分は次のような感じ。
注1:6月16日の平岡円四郎暗殺(こちら)。原市之進の暗殺は誤報。 注2:一橋家には固有の家臣がおらず、幕臣や水戸藩士(慶喜の実家)から成っている。 注3: 6月10日〜12日にかけての明保野亭事件(こちら)。事件後、土佐藩士が会津藩士を五、六人斬ったというのは誤報。 <ヒロ> 尊攘急進派の動きとは対照的に幕府方の動きに関する情報収集は、適当なネタ元がいないようで、誤りが多く、慶喜に対しては相変わらずいい印象をもっていないようです。お家一筋で、薩摩藩の悪評のみが気がかりなようです。 参考:『西郷隆盛全集』一p326-331(2018/1/20) 関連:テーマ別元治1■池田屋事件と禁門の変
■長州東上 【坂】元治元年6月21日、真木和泉・久坂玄瑞の率いる先発諸隊(忠勇・集義等)が着坂し、大坂の藩邸に入りました。 <参考>『徳川慶喜公伝』3 (2001.7.24) 関連:■テーマ別元治1「長州藩の東上(進発vs慎重論)」 【京】同日、会津藩、見廻組、新選組、彦根藩、大垣藩京都の警戒につく/海陸備向掛手付雇佐久間修理、中川宮に謁し、時務を陳ず。 【天狗・諸生】同日、田中源蔵の一隊、土浦藩真鍋宿で略奪・放火を行う。(『維新史料綱要』五) |