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元治1年6月14日(1864年7月17日)
【京】西郷隆盛、国許の大久保利通に池田屋事件後の情勢を報知
【長州東上】藩主毛利慶親、池田屋事件の報を受け、家老益田右衛門介に上京を命じる
【江】浪士百数十名、幕府の弾薬を強奪 


☆京都のお天気:晴天(『幕末維新京都町人日記』)
■池田屋事件後の情勢(by西郷隆盛)

【京】元治元年6月14日、西郷隆盛は、国許の大久保利通に池田屋事件に係る風説、長州における討幕説、中川宮の辞職周旋、中村半次郎の浪士潜伏などを報じました。

主要部分を要約/意訳すると次のような感じ。
毎日、一、二人ずつの捕縛方が抜き身を構えて市中を往来し、人間違いでも苦しからずという訳で、気味が悪い。土州人を誤って負傷させ、大いに難しい自体になっているようだ(*1)。長州は早速早馬を国許に遣わし、末家・家老のうち一名を早々に上京させるよう急報したそうである。今後、差し迫った事態になれば速やかに(相手を)打ち破ろうとの決心だと聞く。畢竟どのような企てがあって(幕府側が)浪士の捕縛を始めたのか、色々探索したところ、正親町三条を通して有栖川様から(天皇に対して)前関白鷹司様の復職を計ったという説がある。また、一橋家原市之進等の説によれば、洛中に放火し、御還御(=天皇が別の場所に移動すること)の際に輿を奪う陰謀があったという。これは「実に拙策」であるので、定めて名前を替えているのではないか、(実際は)一橋その他標的とする処を焼き討ちするという意味かも知れない。
近頃、長州では頻りに「討幕の説」が起こっているとのこと。(長州への)異人襲来につき、各藩に援兵を禁ずる朝命を下すよう願い出た件をよほど深く怨んでいると聞く。禍が朝廷にも及ぶのではないかと昼夜心が休まらない。
尹宮(=中川宮)については、一橋(慶喜)との結びつきが深くなっているため、「暴客」が頻りに怨んでいる様子である。「何様の暴発」をいたすか計られずとの説があり、「大きに苦心」している。これに関し、(宮が)ご辞職になって一時難を避けるより他に道がないと、大夫(=小松帯刀)に、篤と申し上げた。(宮に)どのような悪評が立っていようと捨て置ける間柄ではないため、ご辞職の件を進めることになった。
浪士捕縛を主導するのは一橋・桑名・彦根・加賀・会津五藩とのこと。
中村半次郎と申す者が、追々「暴客」の仲間に入り込んでおり、長州屋敷内にも心置きなく入れるため、あちらの事情は詳しく分かる。その他も色々手を付けたが、それほどうまくいっていない。(外国船の)長州襲来の一件で長州の国許に踏み入りたいというので、大夫の許可を得て派遣した。本当に「暴客」になるかも知れないが、戻ってくれば詳しい事情が分かることと考えるので、お含み置きいただきたい。いずれにせよ脱藩を装って長州に入り込むよう達して置いた。
(出所:6月14日付大久保一蔵宛大島吉之助書簡より作成)
*1 6月10〜12日にかけて起こった「明保野亭事件」を指す(こちら)

参考:『西郷隆盛全集』一p314-319(2018/1/13)
関連:「池田屋事件〜禁門の変」 ■薩摩藩日誌元治1
※元治1年5月以降の一蔵宛吉之助書簡
・5/12:公家達は「例の驚怖」の病で「暴客」を恐れていること、近衛前関白父子に護衛を差し向けていること、長州・「暴客」が禁裏守衛総督・摂海防御指揮一橋慶喜の野心を疑っていること、「幕奸之隠策」により薩摩に悪評がたっていること、来月にも外国艦隊が長州を攻撃すれば長州・急進派の「暴威」も衰えるだろうこと等
・6/1:幕府・慶喜が外国の手を借りて長州を抑えようとしているという風説、それは憎むべきことであるという考え
・6/2:(8.18 政変の件で)藩士高崎佐太郎(正風)・高崎猪太郎(五六)が「暴客の徒」に憎まれているので暫く国許に引き留めるよう願い出
・6月6日:浪士間における薩摩の評判回復
・6/8:池田屋事件の黒幕が慶喜である説、幕府、(親)長州の双方から味方として期待されているが薩摩は中立の方針

【長州東上】元治元年6月14日、長州藩主毛利慶親は、池田屋事件の報を受けて、家老益田右衛門介に急遽上京を命じまし。(『維新史料綱要』五)

5月29日(or27日)には家老国司信濃に上京を、同30日には家老越後に上府を命じており、6月4日には世子定広の上京が藩内に布告されていました。益田にも上京の命が下ったことで、三家老が東上することになりました。

なお、6月5日に起こった池田屋事件の報が長州に達したのは同月9日という説もあります。(『徳川慶喜公伝』3p52-53)。

関連:5/29長州藩、進発を決定し、家老国司信濃に上京を命じる(5/27説あり)(おさらい長州東上)

【江】元治元年6月14日、浪士百数十名が幕府の弾薬を強奪しました(『維新史料綱要』五)

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