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文久2年7月28日(1862年8月23日)
【江】春嶽、会津藩に京都守護職就任の内命を伝える。
【京】孝明天皇、岩倉具視・千種有文・富小路敬直(公武合体派公卿)の近習を免ず

■容保の守護職就任
【江】文久2年7月28日、政事総裁職松平春嶽は会津藩家老、家老横山常徳(主税)を呼び出し、前日新設された京都守護職任命の内意を伝えました。横山は、財政疲弊・国許からの距離を理由に、難色を示しました。

「再夢紀事」によれば、春嶽は会津藩邸を訪ねる予定でしたが、朝から腹痛を催し、家老横山主税を呼び出しました。参上した横山を病床で迎え、京都守護職に関する幕議について内談しました。横山は、<近年総州警備を命じられるなど軍事費がかさみ、財政が疲弊しております。また、京都守護というと二百里の遠方で国許からの応援の便宜にも欠け、にわかには職務を果たせる見込みがありませんので、会津候もどうしてお請けに及ぶことができるでしょうか>と言って退座したそうです。

なお、横山常徳(主税)について、「再夢紀事」では「六十有余の老体にて執権の老職の由。忠実堅固の人物にて持重(自重?)甚し」とコメントしています。

<おさらい:守護職任命の背景>
●京都における幕府の失権回復
政事総裁職であった松平春嶽の回想によれば、容保の守護職任命の事情は「諸藩が京都へ群集し、なかんづく薩長土人多く出で、公卿諸藩の力を借り、暴論盛んにして、とても所司代京都町奉行等の指揮を受けず、所司代も極々困却を極め候ゆえ、幕府の威厳は消滅の勢いとあいなり候ゆえ、幕府においてもいたしかたなく、京都守護職をおき、所司代の頭にすえ、会津は大身にもこれあり、兵力もあり、公家及び諸藩を圧倒するは、会津にあらざれば、とても持堪えがたしとの廟議なり」(「逸事史補」)というものでした。

また、当時後見職であった一橋慶喜は、後年、「京都の方は昔から所司代で間に合うのだ。けれども所司代は兵力が足らない。ところで浪人だの藩士だのが大勢京都へ集まり、なかにも長州だとか薩州だとか、所司代の力で押えることができない。そこで守護職というものができたんだ。その守護職ができた最初の起りというものは所司代の力が足りぬから兵力を増そう。そこで兵力のある者をあそこへ置こうというのが一番最初の起りだ。それで肥後守が守護職になった」(『昔夢会筆記』)と回想しています。

幕府は従来、所司代を京都に置いて、近畿の庶政ならび朝廷の守護(監視)を行ってきた。所司代には代々譜代大名が就任し、幕府の威勢を京都において示す存在だった。安政の大獄時も、所司代が動いて浪人・公家の処罰にあたりました。(「開国開城:安政の大獄」

しかし、所司代の威権は文久2年4月の島津久光の率兵上京時以降、大きく失墜した。所司代酒井忠義は、久光の上京に合わせて浪士が所司代襲撃を企てたこと(寺田屋事件)に狼狽して二条城に引き上げ、久光が兵を率いて御所内に入ることも阻止しえませんでした。久光が寺田屋事件での浪士鎮圧の功により、滞京(京都守護)の勅命を得たのに比べ、京都市中では幕府方の所司代・町奉行の威光は落ち、与力・同心は萎縮し、尊攘急進派浪士の天誅に手をこまねくようになりました。(「開国開城」「島津久光の率兵上京」

そこで、幕府は幕権回復のため、酒井を転任させ、大阪城代の本庄宗秀を所司代に任じましたが、宗秀も安政の大獄の弾圧側にいたため、尊攘急進派はこれを実力で阻もうとしました。朝廷も、東下中の勅使大原重徳及び島津久光に、所司代更迭を周旋させました(開国開城-勅使11か条の要請)。

●会津藩のためのポスト・京都守護職の新設
幕府は対処策として、最初、新たな所司代として、門閥と兵力を備えた会津藩を任じようとしました(こちら)が、会津藩は、所司代は譜代(=幕府の家臣)の職であり、親藩である会津藩の家格にあわないという理由で辞退しました。そこで慶喜・春嶽は老中と相談し、7月27日、所司代の上により強力な守護職を新設することにしました(こちら)

参考>『再夢紀事・丁卯日記』・『七年史』一(2002.9.22)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■「京都守護職事件簿」:「文久の幕政改革と京都守護職拝命」■テーマ別文久2年:「容保の守護職就任」「京都所司代人事

■公武合体派排斥
【京】文久2年7月28日、孝明天皇は、尊攘急進派から「四奸」と攻撃される岩倉具視・千種有文・富小路敬直(公武合体派公卿)の辞表を受理して近習を免じました。また、やはり「ニ嬪」と攻撃をされる今城重子・堀河紀子に宮中退出を命じました。(←今城・堀河退出は24日説あり)。

参考>『徳川慶喜公伝』2(2002.9.22)
関連■テーマ別文久2年:公武合体派排斥・「天誅」

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