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11月15日の密勅(要約) |
奉答書の関連部分(要約) |
1
前文 |
戊午(安政5年)の公卿落飾以来、とかく幕府に「疑念偏執」の処置が多いのは痛心であった。その後、時勢が変って「過激之儀相起」り、「忠誠乍浪士之輩」に惑わされ、前後を弁えず、「予(の)存意(を)矯候事」が盛んとなった。「関白モ失権」し、「朕座前と退後」とでは全く違い、二枚舌にも似て、重職に不相応であった。両役(=議奏・伝奏)もた「只々時宜ヲ見之勤方」であり、「深心痛」する所であった。、「従来股肱之連枝」である尹宮(=中川宮)に内談し、「会藩(ヲ)頼」み、「八月十八日之一件」となったのは「深喜悦」する所である。「先月(ママ)十八日前之憂患」はほぼ払ったものの、今後の事がまた「一大事」であり、「其方」に「深(く)所頼」である。宜しく聞き取り、他聞は秘すよう願いたい。 |
(略) |
2 |
「攘夷之一件」はいまさら申すまでもないが、「武備不充実」では「無理之戦争」に成り、「真実皇国之為」とも思われない。今後は、「真実之策略」をもって「皇国永代」穢れなく、「安慮之攘夷」が「迅速」に行われるよう、方策の建白を望む。 |
「攘夷之一件」は、将軍上京後、「一橋初諸大名会合」によって、「武備充実」が実現するようにしたい。自分は「急速之攘夷」に反対である。今、戦争となれば全ての人民が「塗炭之苦ヲ受」け、「神州醜夷之戎馬」に「穢」されるだけだが、「武備充実」すれば外国も「不戦して畏服」するだろう。また、鎖港については、当方は「武備乏」く、「開鎖之権」は外国に掌握されているので、当方から「鎖港相達」ても実現困難である。主導権を握るためには「武備充実之外ニ策略」はない。 |
3 |
(大政を)「関東へ委任」するか「王政復古」かの「両説」があり、「暴論之輩」は復古を主張して種々「計略」をめぐらすが、朕はこれを「不好」、当初から「不承知」だと言っており、(大政は)「大樹(=将軍)へ委任之所存」である。「何処迄も公武手を引、和熟之治国」に致したい。この事は「深心得」よ。 |
「大政大樹エ御委任」は「至当」である。武将が「天下ノ権ヲ執」って以降、万民皆その勢いに従っており、「方今俄ニ王政ニ御復古は迚も六カ敷御義」である。特に、「外夷軽蔑之時世」に「内政」が「混乱」してはならない。しかし、大政委任しても、「武備充実之指揮」が不十分であったり、「朝廷尊崇之道」が欠如した場合は、「顕然と罪ヲ」正すべきである。 |
4 |
前文の通り「八月十八日前之勅諚」は「真偽不分明」であるので、不審があれば一々尋ねよ。「十八日之一件」は実に「会藩(の)忠勤(を)深(く)感悦」する所である。 |
(特になし)
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5 |
「堂上(が)暴論過激之説」になったのも全く「諸有志・浮浪」の入説による。今後は、「堂上家並地下官人」のもとに「兵馬之権之輩」をに猥りに入り込ませぬようにしたい。 |
「堂上暴論過激之説ニ成候」以下の「趣意」は「至当」である。さらに、今後、「御取締向厳重行届」くよう、堂上・武臣にも談判する。 |
6 |
「公武和熟」を望むことは前文の通りである。関東も戊午以来の処置を改め、今後は朕が深く幕府を頼み、幕府は深く「勤王尊奉之道」を立てれば、万民自ら幕府を尊ぶだろう。 |
(特になし) |
7 |
大樹が上洛すれば種々依頼することもあろう。そのときはその方も「出格之助勢」をせよ。 |
(特になし) |
8 |
八月十八日以後は、全て「朕之座前ニ之評決」となり、「深(く)安心」する所である。自然に「中途之計策」もないものと思うが、とかく「次の評議」になりやすく、「心痛」している。朕の不在の場での評議になれば、十八日以前に引き戻される恐れもある。尹宮にも相談しているが、その方の意見も建白せよ。 |
八月十八日以後の「御評議」の件については、尹宮・前関白等にも決して異議はないと思われるが、時々談判しておくので、安心してほしい。 |
9 |
十八日の改革は実に朕の心より発した。真の叡慮ではなく、尹宮、会津又は右府(=右大臣)以下の所為のように風説すると聞く。これによって疑念を生じ、無益の怪我人などがあては深く心痛するところである。以来、どんな風説があっても決して信用せぬように。万一疑わしき儀があれば、密書にて直接尹宮・前関白(=近衛忠熙)に尋ねよ。虚説流伝の禁圧方法を勘考せよ。 |
十八日に関する虚説は、「長州且浮浪暴論輩」による「人心ヲ疑惑セシムル造意」である。自分は、風説を疑う「心底」が寸分もないので安心してほしい。
(虚説流伝の禁圧方法については特になし) |
10 |
堂上のうち、「十八日之一件」を「信用」せず、三条以下を惜しむ色があり、深く将来が案ぜられる。その方の策で説得せよ。 |
(特になし) |
11 |
先年来、「虚談(=偽勅)」が「布告」され、朕は「深(く)迷惑」している。将来如何様の儀があるとも、「真偽相正」し、「風説信用無之様」、列藩にも聞かせ置きたい。 |
先年来の虚談布告の件に関する列藩への布告は「至当」である。これについては、将軍上洛・諸大名会合の上、一同に参内を命じ、御前にて直接達せば、拝承せぬ者はない筈である。 |
12 |
正親町少将(=公菫)は今差し控えを命じているが、中山忠光(公菫弟)と同じく何事をしだすとも測り難いので、辞表を出させ、辞官位・除席の上、実父中山家にて堅固に篭居然るべきである。この事を熟考し、父大納言(=中山忠能)に説得せよ。 |
正親町少々の件は、熟考の上、中川宮・前関白らとも相談したい。諸候へも評議を命じてほしい。 |
13 |
関白(=鷹司輔熙)は辞職して然るべきだと思うが、意見を建白せよ。 |
関白辞表は「至当」である。退職せねば、「列藩之疑惑」を生じるだろう。 |
14 |
「実美以下七人」は実に「暴激私情のみ之人体」で、「従来苦心」してきた。脱走後も「種々之姦策ヲ巡」らし、実に「害(の)基」であり、「急度厳重之処置」をすべきである。よって、帰京させた上で「厳重ニ後禍ニ」成らぬような手段を講じるよう依頼する。 |
実美以下七人の件は、「朝議之御定策」もあるだろうが、「実以不忠無限」であるので、なお熟考し、諸藩で談合したい。 |
15 |
(実美らの)「元同輩ニ而不脱走之輩」は差控え・他人面会を禁じている。脱走せぬだけ罪は軽いが、どのような「密計」を企てるやも測り難い。彼らはその方の智略で改心するよう説得できぬか。それが成しがたければ決して宥免せず、厳重に篭居させよ。 |
「元同輩ニ而不脱走之輩」に関する「趣意」は「至当」である。中には「随分改心」した者もあると思われるので、なお熟考し、中川宮等と相談して「説得之手段」を講じたい。 |
16 |
姉小路(公知)一件(こちら)で其藩(=薩摩藩)に嫌疑が及んだのは「気之毒」である。これは決して朕の真意ではない。 |
姉小路の一件云々については恐縮の至りである。疑いを受け、「只々苦心」していたところ、十八日後に宥免の沙汰があったこと、また上京の勅命が一時差し止めになった次第(こちら)も、恐縮の至りである。 |
17 |
列藩に布告した浮浪取扱の事(こちら)は、後禍をなさぬよう尚勘考せよ。 |
列藩に布告した浮浪取扱の事は尤もである。なお勘考し、取り締まりが行き届くよう談合する。 |
18 |
堂上の事は追々聞きたい事もあるので、また内密に諮問しよう。 |
(特になし) |
19 |
大樹が上京すれば依頼すべき儀もあるだろう。(幕府側と)右の箇条を内々に申し合わせて置いてほしい。 |
(特になし) |
20 |
その方の「勤王誠忠」にも「感悦」させられる。今後、朕が申し出さん所の周旋を深く頼み置く(「猶朕乍愚昧申出処周旋深頼置候」)。 |
(特になし) |
21 |
これまで、「兎角疑念偏執を申触」らし、「虚談カ真実ニ相成」り、無益に疑いを掛け、堂上のうち予の腹心と思う人は兎角退去となり、その後は内儀までへも疑いを掛けるに至る。誠に心痛しており、今後、このような事が決してないよう、(朝廷内で)万一のことがあれば、「其方(の)取抑方(=鎮撫)」を「深頼入」所である。 |
「兎角疑念偏執」云々については「深心配」している。腹心をよくよく観察し、小人と賢臣を取り違えることのないよう、熟考されたい。 |
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右の条々、早々に返答せよ。
「会藩モ守護職之事周旋モ候へハ」、この書状を遣わすべきか、内密に相談したい。
「外ニ従来朕一心ニ深苦心之事」がある。これは篤と熟考の上、また伝えるかもしれないが、未定である。「万一申出シ依頼」があるときは、「程克」聞き取り、「周旋成功頼置」たい。依頼内容が「不顕」では「答モ六カ敷」だろうが、(依頼を請けるかどうか)「先」ず「可否(を)尋置」く。 |
肥後守に同様の宸翰を下す件については、「先御猶予被遊度奉存候」。自分へも度々密勅の拝戴を命じられると、中川宮・前関白らに対して恐れ入るので、以後は、両人にだけは相談の上、拝戴を命じてほしい。
外に従来御苦心の事があり、依頼があれば周旋するよう、予め命じられた件については、「御趣意承知仕候ハヾ、其節何分可奉申上」たい。 |