12月の「今日 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■政変の事情 【京】文久3年11月16日、越藩中根靱負(雪江)らが、会津藩秋月悌次郎を訪問し、8月18日の政変の状況を尋ねました。 秋月が語ったとされるところによると・・・
<ヒロ> 中根は、挙藩上京計画に関わる藩主の参府延期問題をめぐって6月14日に蟄居に処されていました(こちら)が、11月7日、約5ヶ月ぶりに蟄居を許され、藩命によって同12日に上京していました(こちら)。 秋月は政変のきっかけとなった会薩提携(こちら)の会津側当事者ですから、恰好の情報収集相手ですが、実は中根と秋月は、文久2年7月に越前藩と会津藩の会盟に努めた間柄でした(こちら)ので、顔つなぎの意味もあったのではと想像しています。言い換えれば中根が上京するまで秋月に接触した越前藩士はいなかった模様です・・・(薩摩藩とは繁く行き来しているのとは対照的です) 関連■テーマ別文久3「大和行幸と禁門の政変」■守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3(2004.12.31) ■春嶽と一翁 【京】文久3年11月16日、大久保一翁の返書が、松平春嶽のもとに届きました。 一翁の書簡、これまた非常に興味深いのですが、ほかのものとまとめて整理しますね。 関連:■テーマ別文久2「大久保一翁」 参考:『続再夢紀事』二p235-238 ■山陵奉行 【京】文久3年11月16日)、山陵奉行戸田忠至は神武天皇陵検分のため、京都を出発しました。 参考:『維新史料綱要』五(2004.1.4) |
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