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■公武合体派排斥・「天誅」 文久3年1月27日、朝廷は、公武合体派の議奏中山忠能・正親町三条実愛の辞職を許可しました。 関連:◆1月24日(3.13):池内「天誅」事件(2)。鷹司関白・近衛前関白・中川宮(青蓮院宮)・中山忠能・正親町三条大納言に脅迫状。 ■開国開城:「「天誅」と幕府/守護職の浪士対策」■テーマ別「天誅と公武合体派排斥2」 ■翠紅館会議 文久3年1月27日、長州藩・土佐藩・肥後藩・水戸藩などの尊攘激派が東山の翠紅館に集り、将軍上洛に対する方策を議しました。長州藩世子毛利定広も、参加しました。 主な参加者は
<ヒロ> 将軍上洛の対策というだけで、具体的に何が話されたのか、不勉強で知らないのですが、議題の一つに将軍に先発して上京してくる浪士組もあったのではないでしょうか。 実は、集会参加の水戸藩激派のうち、下野隼次郎・住谷寅之介は水長盟約に基づき老中安藤信正襲撃計画(「開国開城」「坂下門外の変」)を練った筋金入りですが、彼らや山口徳之進は、浪士組結成の黒幕たる清河八郎が文久2年夏以降、水戸に潜伏中にコンタクトのあった人物でもあります(こちら)。特に住谷は、清河が潜伏中に認めた松平春嶽への建白書を預かって江戸の山岡鉄舟に届けたこともあるくらいです(こちら)から、当然、浪士組設立の経緯・清河の目的を把握していたでしょう。 浪士組が話題になったとすれば、彼ら水戸激派は、その目的が京都の浪士弾圧ではなく、「尽忠報国」であること(こちら)、いってみれば彼らの同志であることを、一座に説明したのではないかと考えています。浪士組一員として上京してくる水戸尊攘激派の芹沢鴨についても話したかもしれません。 関連:■開国開城:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限」■清河/浪士組日誌文久2年 文久3(@衛士館) 芹沢鴨の事件簿文久3年(@衛士館) |
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