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幕末薩摩藩年表(7) 文久4/元治1年

文久3年(1863)← →慶応1年(1865)


1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
薩摩藩に関る主なできごと(中央政局中心) その他の幕末の主なできごと

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◆文久4年1/2(【京】参豫集会:2日間隔の参内を内決/久光、横浜鎖港・同使節中止と武備充実を主張。幕府の方針を[姑息」と批判/長崎丸砲撃事件糾問の薩摩使者派遣一時見合わせを決定/容堂、参豫の辞意を春嶽に伝える
◆1/3 【京】参豫(2)久光・宗城に容堂の辞意について高崎猪太郎に対応させたいと提案する。
◆1/7【京】久光、朝廷に対して、将軍家茂に「至誠の綸言」と天皇の非を認める「宸翰」を下すことを建言。宸翰草稿も提出(1月21日の宸翰とほぼ同文)【長州】長崎丸砲撃事件:藩庁、桂議助に薩摩への謝罪の使者を命ずる
◆1/8【京】朝廷参豫会議2:春嶽・宗城・容保参内-前観修寺門主の親王宣下、久光の官位問題について下問(口答)/
◆1/9【京】参豫集会:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕議参画等を議定/
◆1/13【京】島津久光(薩摩)、朝議参豫を命ぜられる。従四位下に叙される
◆1/15【京】長州処分:参豫の容堂・宗城・久光、政令帰一を急務とし、長州処分は幕府に委任するようにとの建議をすることを合意/
◆1/17【京】朝廷参豫会議5・公武一和のやり方等下問/島津久光参内し、叙任を謝す
◆1/19【京】参豫久光、春嶽・宗城と共に二条城にのぼり、家茂と初めて面会
◆1/21【京】将軍家茂参内。宸翰(内諭)を受取る最近の情勢は天皇に非があること、天皇と家茂との親睦が天下挽回に重要であること(朕汝を愛すること如子、汝朕を親むこと父の如くせよ)、無謀の攘夷は好まず、幕府で議論した結果に基づき一定不抜の国是を定めたいこと、容保・春嶽・宗城・久光との協力を望むこと)(実は草稿は薩摩藩)
◆1/22【京】将軍、朝議参豫春嶽・宗城・久光に宸翰を示し、協力依頼/幕府内に、会・越・宇・土・薩摩に対する嫌疑が起こる。
◆1/23(3.1)【京】参豫(14)朝廷参豫会議(議事なし):1月21日宸翰は内諭
◆1/24【京】二条城会議(1)参豫諸侯(春嶽・容堂・久光)、総裁職松平直克・老中水野忠精と時事を論じる(慶喜欠席)容堂激して退席
1/25【京】二条城会議(2)幕閣、参豫諸侯の長州征討案に同意
◆1/27【京】将軍家茂、在京諸侯42名の面前で、宸翰(詔書)を受取る (無謀の攘夷及び討幕を企てた三条実実らと長州藩の「暴臣」は必罰だがその責任は天皇にあること;攘夷のために旧典を改め、冗費を省き、幕府・諸藩の武備充実すること;公武一和によって天下一新をすること)(草稿は薩摩藩)
◆1/28【京】二条城会議:参豫諸侯(春嶽・容堂・宗城・久光)、老中と長州処分の方法論を議す。(容堂と久光対立)
◆1/5【京】朝廷参豫会議1(慶喜・容保・春嶽・宗城)。書付の下問のみ。
◆1/8【坂】将軍家茂、大坂上陸
◆1/9【京】参豫集会:慶喜の後見職辞任+禁裏守衛総督就任が議論される/前勧修寺門主の伏見宮家復帰・還俗を許す勅、大原重徳を許す特旨
◆1/10【京】長州処分:因幡藩主池田慶徳、攘夷の貫徹・三条実美らと長州藩主父子への寛典を建議/
◆1/11【京】朝廷参豫会議3/政事総裁職松平直克・老中水野忠精入京/
◆1/12)【京】関白二条斉敬、総裁職・守護職・老中・参豫諸侯らに対し、家茂を補佐して公武協和に尽力を命ずる
◆1/13【京】朝廷参豫会議4。議事なし
◆1/15【京】将軍家茂二度目の入京/長州藩主毛利敬親、朝幕に下関通過の外国型邦船は藩に通告後に通航すること等を諸藩に布告するよう求める

◆1/17【京】服制復旧(2):総裁職松平直克、容保に慶喜への取り成しを頼む/紀州藩主徳川茂承入京/ 英国代理公使ニール、ロンドン覚書の破棄・諸侯との直接通商開始の改善を幕府に迫る
◆1/18 【京】服制復旧(3):幕府、復旧を停止
◆1/20【京】慶喜に準将軍宣下との噂が流れ、一時二条城は騒動に
◆1/21【長州東上(1)【京】桂小五郎、藩の要路に対し、久坂玄瑞及び奇兵隊士の上京不可の書を差し出す






◆1/23(3.1)【京】武家伝奏を1名追加し、坊城俊克就任
◆1/24【京】松平春嶽、御用部屋入り
1/25【江】横浜鎖港問題:特派全権公使オールコック横浜到着
◆1/26 【江】横浜鎖港問際:老中板倉勝静・井上正直・牧野忠恭、米国公使に横浜鎖港の理由を弁明・下関償金猶予を求める

◆1/28【京】春嶽、開国鎖国の議論はせず、必戦の備えを国是とするよう老中に意見する。老中の参豫廃止論に対し、参豫の幕政参加を提案。/【長】高杉晋作、脱藩
◆1/29【京】山陵補修の功により、将軍家茂に従一位推叙の宣下/宇都宮藩主戸田忠恕に従四位下・山陵奉行戸田忠至を大名格とする
◆2/1(3.8)【京】慶喜、会津藩賞揚及び容堂抜きの参豫集会に同意。/幕議は横浜鎖港攘夷、長州藩主父子の隠居・違背すれば征討、参豫の御用部屋入り不可(慶喜詰所まで可)、/慶喜、1月27日の宸翰は「開港の意味」が含まれるとして布告延期を提案
◆2/2【京】二条城会議:参豫諸侯(容堂・容保欠席)、慶喜詰所までの出入りを許される。宸翰布告決定。横浜鎖港・長州処分についても議す。久光鎖港不可を論ずる/新選組近藤勇、容保に呼び出される
2/3【京】一橋家平岡円四郎、慶喜と老中の仲について、(1)宸翰の趣旨、(2)横浜鎖港、(3)長州処分について同論であり、懸念はないと越前藩士中根雪江らに述べる。薩越への嫌疑の投書ありと伝え
◆2/4【京】久光、横浜鎖港交渉使節帰国までの鎖港を是とすることを春嶽に相談。春嶽同意(久光の妥協)
◆2/5【京】二条城会議(容保・容堂欠席):久光、宸翰の「有のまま」の布告を主張
◆2/8【京】二条城会議(容保欠席)/長州処分:参豫諸侯、総裁職・老中と長州処分を議す/近衛前関白らとも議し、(1)長州支藩及び家老の大坂召喚及び訊問、(2)三条実美らの京都還送、(3)違背すれば征討を決定/【京】孝明天皇、容保に極秘の宸翰を下付。その「誠忠」を称え、「密事」の周旋を依頼する
◆2/11【京】幕府、征長出陣部署を決定し、諸藩に長州処分の内意通達/参豫諸侯(春嶽・容堂・宗城・久光)、連署して慶喜に朝旨(二度の宸翰)に基づく天下の耳目の一新を建言/
◆2/12【周防】長州義勇隊の薩摩藩船加徳丸焼き討ち事件(上関事件、加徳丸事件)/。
◆2/13【京】朝廷参豫会議(御前会議):長州処分について下問(慶喜・容保・容堂欠席)/春嶽、総裁職松平直克経由で、将軍家茂に参豫諸侯の幕政参加(老中の上)・人材登用の意見書提出
◆2/14)京】宸翰請書:家茂参内、宸翰(1月27日)の請書を差し出す(&横浜鎖港に関する朝廷の疑念・幕府の裏事情)【京】家茂、参豫諸侯の幕政参加を中川宮に約束
◆2/15【京】宸翰請書:幕府、1月27日の宸翰及び請書を布告/春嶽を守護職に任命&春嶽、参豫の幕政参加による「政体一新」主張/宸翰請書・朝廷参豫会議(御前):朝廷、請書に疑念を示し、急速な横浜鎖港を命じる。慶喜と開国説の春嶽・宗城・久光の意見対立(容保・容堂欠席)
◆2/16【京】幕府、参豫諸侯の御用部屋入りを命じる/参豫会議解体(2)諸侯(慶喜・久光・春嶽・宗城)、中川宮を訪問、慶喜激論し、横浜鎖港の新たな請書提出を言明・「薩摩の奸計、三人は天下の大愚物」と暴言。(参豫会議は急速に解体へ)/幕府、中根雪江・野村左兵衛・小室金吾・秋月悌次郎・高崎猪太郎に摂海防御を諮問
◆2/18【京】横浜鎖港:幕府、請書提出&春・宗・久、同意の意見書提出
2/22【京】容堂、宗城に中川宮からの「薩・南肥・会三藩一和」周旋協力の沙汰伝達/家茂、島津久光父子の多年の功を賞し、刀等を下賜
◆2/24 【京】朝廷参豫会議/長州処分:朝廷による末家・家老の大坂召命を決定【京】参豫会議解体:春嶽、慶喜と久光の仲の調停を藩士中根雪江・薩藩高崎猪太郎に協議させる
◆2/25【京】長州処分:朝幕、訊問のため長州藩支族・家老ら3名の「御用」を理由とした大坂召命を通達/【京】一橋家臣黒川慶兵衛、慶喜は薩摩を「敢えて疑」うわけではないと述べ、春嶽も交えた薩摩・一橋の会合を提案
◆2/26 【坂】長州義勇隊士に焼き打ちされた薩摩藩船船主大谷仲之進が梟首される。傍らに義勇隊水井精一・山本誠一郎の割腹した遺体(久坂玄瑞らの強要)
◆2/27【京】春嶽、薩・越・宇が鎖国論の会津をていよく退けて春嶽が守護職になって朝廷を説得するつもりだとの前尾張藩主の説を宗城に告げる、p355
◆2/28【京】宗城・久光密談。p357 芸州世子久光内談p358
◆2/29【京】長使入京問題:朝廷、長州藩支族・家老等の大坂召命一時見合わせ決定(久光・宗城嘆息猪太郎、宗城訪問
◆2/1(3.8)長州藩主、遊撃隊士に時機を待つよう諭す/亡命を禁じる/【長崎】薩摩藩、長崎で英国蒸気船ニ艘購入

◆2/4【京】幕府、布告の延期を決定
◆2/6【京】勝海舟、春嶽に幕府要路間の猜疑を廃して英断することを求める書を出す/朝廷、三条実美らの建白書の受け取り・使者退京を決定/【長】長州藩、武器を他藩に売ることを禁じる
◆2/7【京】家茂、泉涌寺御陵を参拝/老中水野忠精、春嶽邸訪問。宗城も会合し、時事を協議。







◆2/9【京】宸翰請書:春嶽、慶喜に1月27日の宸翰の請書草案中の「無謀の攘夷」を訂正するようコメント/【京】守護職更迭:)幕議、容保の加増、征長副将、守護職更迭と大老転任を決定/老中板倉勝静に上京命令/京都町奉行永井尚志、大目付に
◆2/10【京】守護職更迭:幕府、容保の大老任命を止め、陸軍総裁職任命を決定/京都市中の警衛は幕府の専管とする







◆2/15長州藩主毛利敬親、藩庁を山口に移す許可を幕府に乞う/長州藩、城代毛利出雲に率兵上京を命じる
◆2/16【京】守護職更迭:容保、軍事総裁職を請ける&孝明天皇、容保に再び宸翰(任務後の守護職復帰要請/天誅組:安積五郎ら19名斬首)/
◆2/17【京】守護職更迭:幕府、軍事総裁職に陸海軍奉行・後部所奉行・三番等以下軍職を統括させる/
◆2/18【江】守護職更迭:老中、連署して容保の軍事総裁職転任に反対/
◆2/19【京】春嶽、老中に国是一定・在京諸侯の速やかな帰国を建言
◆元治元年2/20)元治と改元。【京】幕府、在京諸侯に1月27日の宸翰の請書の趣旨を示し、意見を求める
◆2/21【京】横浜鎖港の成功及び摂海防御を急務とする朝命。/
2/22【京】会津藩邸会議:長州藩末家の召喚手続きを議論/長州処分:肥後藩主兄弟、朝廷と幕府に対し、朝旨をもって、まず長州藩主毛利敬親を説諭し、幕府が非違を糾弾するよう建議/
◆2/23【京】長州処分:筑前藩世子、穏やかな処分を建議)/三条大橋に幕府・将軍・後見職を批判・三港焼き払いの主張の張り紙 
◆2/24 【京】二条関白、慶喜に対し、容保の守護職復職の沙汰を伝える【京】備前藩主池田茂政(慶喜異母弟)入京【阪】横浜貿易商暗殺

◆2/27【京】長州処分:因幡藩主、攘夷の速やかな実行・長州処分寛大を幕府に建議/備前藩主、勅使の長州派遣・三条実美らの京都召還・寛典等を建白/京都町奉行小栗政寧、洛内外の「暴徒」捕縛を命令

◆2/28【京】長使入京問題:筑前藩世子、長州藩支族・家老らの京都召命を建議/備前藩主、長州藩主父子の処分寛大を幕府に建議/:前土佐藩主山内容堂帰国の途に

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◆3/2【京】朝廷参豫会議:長使入京問題等議論。結論が出ず、朝廷、各諸侯に意見書提出を命じる/升屋宅に将軍・中川宮・久光・春嶽批判の張り紙/
◆3/4【京】朝廷参豫会議:長使入京可否は万一の事態に関するの幕府の「保証」次第(慶喜・容保・久光欠席)/慶喜の欠席に一同不快感
◆3/5【京】幕府,、長使入京不可決定。朝議、長州藩末家大坂召喚を決定(春嶽のみ参加)。長州藩に通達/
◆3/6【京】参豫解体:島津久光、中川宮・近衛前関白に小松帯刀を遣わし、痛みを理由に参豫辞退・帰国を内請【江】幕府、在府諸侯・有司代表に横浜鎖港に関する勅旨・将軍請書を示す。/大久保一蔵(利通)、宗城訪問
◆3/8【京】中川宮邸会議:中川宮ら、慶喜に幕政一新の努力を求める/薩藩家老小松帯刀、一橋家・黒川慶兵衛に慶喜主催の諸侯集会再開を求める
◆3/9【京】参豫解体:慶喜、参豫諸侯の朝議参豫辞退を願い出る。朝廷参豫会議の廃絶へ
◆3/12【京】宗城・久光御用部屋で用談/春嶽、宗城に書を送り、幕府の越・薩・宇の忌避及び水・因の入説の影響について相談/久光の帰国願い勘考について内談。
◆3/15【京】中川宮、中根雪江に対し、薩越退京後の政情(水・因・備の勢力拡大)を危惧
◆3/16【京】慶喜の総督・指揮就任:宗城・久光、慶喜の総督内願は「姦計」と歎く
◆3/17【京】参豫の幕政参加:久光・宗城、御用部屋入り辞退を慶喜に申し出る/【京】四条橋に、1月27日の将軍への宸翰は薩藩高崎猪太郎の草案であり、高崎を斬戮との落書p383
◆3/18【京】春嶽の守護職辞任:越藩中根・酒井、平岡を介して慶喜に辞表内願書提出。二条関白・中川宮・宗城・久光にも次第を報告/二条関白、会津藩に守護職復職を速やかに請けるよう促す/慶喜の総督・指揮就任:宗城、慶喜の「京摂守衛総督」就任に関する疑惑を久光に伝える
◆3/20【京】【京】参豫の幕政参加:慶喜、宗城・久光の御用部屋入り辞退却下を伝える/薩藩大久保、宗城訪問
◆3/21【京】宗城・久光内談p389
◆3/22)【京】慶喜の総督・指揮就任:宗城、近衛家で中川宮・久光と集会。慶喜の任命熟慮を入説。/参豫の幕政参加:久光、御用部屋辞退を小松帯刀を以て慶喜に再度申し出
◆3/23【京】参豫の幕政参加:再度の御用部屋辞
◆元治元年3/26(1864.5.1)【京】総督・指揮:薩摩藩士、宗城に対し、中川宮が慶喜に事前に情報を漏らした結果、慶喜が京都・大阪両地を懇願した伝える
◆3/28【京】将軍家茂、近侍を派遣して宗城・久光に物を賜う/宗城・久光、中川宮邸集会
◆3/30【京】 慶喜、旧参豫諸侯(春嶽・宗城・久光)に呼びかけ、越藩邸で摂海砲台築造の諸侯負担について議す
◆3/1(4.6)【京】春嶽、朝廷尊奉と政体一新を幕府に建議
◆3/3【京】前尾張藩主徳川慶勝、参豫任命・固辞
◆3/5【江】仏国全権大使ドゥ・ベルクール、後任レオン・ロッシュを幕府に紹介
◆3/6【江】幕府、在府諸侯・有司代表に横浜鎖港に関する勅旨・将軍請書を示す。/




◆3/11【京】春嶽、藩議に基づき、慶喜に幕政一新を説く。慶喜、「冷淡」な対応。
◆3/12【京】慶喜の総督就任:中川宮、春嶽に幕府から慶喜の「守衛総督」就任内願fがあったこと伝える/
◆3/13【京】春嶽・宗城の参豫辞任が許可される。/越前藩、春嶽の守護職辞任・帰国を内決する。
◆3/16【京】幕府、朝旨に基づき、在京諸侯に国是を諮問/【外国】横浜鎖港交渉使節、パリ到着。
◆3/18【京】越藩慶喜に守護職辞表内願書提出。/宗城、慶喜の「京摂守衛総督」就任に関する疑惑を久光に伝える【京】東山曙亭にて、尾張・水戸・加賀・筑前・備前・因幡・津等の諸藩士ら攘夷を議す【長州】藩主毛利敬親、末家ら3名の大坂召命につき、藩士に父子どちらかによる率兵・大挙上京を告げる。また、吉川監物に召命を断らせる。
◆3/19【京】会津藩、容保の守護職再任の可能性を江戸に報知【長州】久坂玄瑞、水戸藩士山口徳之進と帰藩。大挙上京延期
◆3/20【京】宗城、山階宮に慶喜の「京摂総督」内願の「深意」について注意喚起
◆3/21【京】春嶽、守護職辞表を幕府に提出。/二条関白、慶喜に春嶽の守護職解免不可を伝える/
◆3/24【京】将軍参内/幕府に、慶喜の禁裏守衛総督・摂海防御指揮職。会津・越前両藩守護職にとの沙汰
◆3/25【京】朝命により、慶喜の後見職解任、総督・指揮職就任/【京】宗城、水野老中に慶喜の総督願望の「深意」について注意喚起【長州】久坂玄瑞に上京、遊撃隊木島又兵衛ら12名を同行させる。藩命を待たずに随従する者50余人
◆3/26(.5.1)【京】中川宮、慶喜への懸念を理由に春嶽の留任を求める/朝議、会・越両藩に守護職の結論
◆3/27【天狗党】筑波挙兵/
◆3/28【京】会津藩、幕府に対し、容保の病を理由に守護職再任辞退の願書提出(実は慶喜の総督就任にに対する不安)【長州藩】藩主毛利敬親、家老・末家の入京を朝幕に請う。また、三条実美らの復職・藩主父子いずれかの上京を朝廷に請う。
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◆4/2【京】諸侯帰国:春嶽、中川宮に諸侯帰国の際は勅諭遵奉を諭すよう上言/【京】諸侯帰国:宗城・久光・長良、5日に二条関白邸に同道・帰国願いを決定
◆4/4【京】春嶽の守護職辞任&容保の再任:久光、春嶽の辞任許容+容保の任命(軍事総裁職罷免)の情報得る
◆4/5【京】:宗城・久光・長岡良之助、朝廷に帰国許可を内請
◆4/8【京】朝廷、春嶽・久光・宗城、池田茂政、長岡良之助の帰国を許可【薩摩藩】長崎にて汽船翔鳳丸(英国船)購入
◆4/10【京】旧参豫帰国:春嶽・宗城ら、将軍に暇を告げる/宗城、従四位。【京】近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要請を議す
◆4/11【京】中川宮・久光弾劾の投書
◆4/13【京】旧参豫の帰国:春嶽、慶喜に対し、自分及び久光の退京には別に仔細なしと説明
◆4/17【京】幕府、薩摩藩士小松帯刀・高崎猪太郎・高崎左太郎を賞す
◆4/18【京】島津久光退京/浪士、中川宮の諸大夫武田相模守宅を襲撃。母・従士を殺害。
◆4/21【京】中川宮、国事扶助を辞退
◆4/25【京】前関白近衛忠煕及内大臣近衛忠房、国事用掛を辞退。/
◆4/3【京】 総督・指揮:慶喜、水戸藩執政武田耕雲斎に上京助力を依頼/
◆4/5【【長州藩】敬親、朝幕に外国艦来襲時の先制攻撃を請う。幕府、却下。
◆4/7【京】春嶽、守護職解任&容保に京都守護職復職の幕命/【天狗党】幕府、関東諸藩に天狗党警戒を命ず。
◆4/9)【京】長使入京問題:慶喜、長州藩主父子に書を送り、朝命に従い使者を東上させるよう勧告【京】朝廷、令して、非常時の参内の仕方、及び御所九門・六門の警備担当を定める
◆4/11【京】所司代稲葉正邦の老中任命&桑名藩主松平定敬の所司代任命/伊達宗城退京。【江】英国公使オルコック、老中らに横浜鎖港は承諾しがたいと回答。
◆4/16【京】庶政委任:慶喜・幕閣、連署して、庶政委任を含む尊奉18か条及び供御15万俵増貢を奏聞(&朝廷の回答)【江】横浜鎖港:老中牧野忠恭・板倉勝静ら、新任仏国公使ロッシュを引見。横浜鎖港のぬ事情を説明。
◆4/19【京】松平春嶽退京
◆4/20 【京】庶政委任:幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項四条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分・物価安定)に関する勅書(別紙)(「無謀之攘夷は不可)。同時に、朝廷尊奉18か条の奏聞への沙汰も
◆4/22【京】容保再任:容保、守護職の請書提出
◆4/25【【江】英国特派全権公使オールコック・仏国全権公使ロッシュ・米国弁理公使プリュイン・蘭国総領事ファン・ポルスブルック、協議して、下関通航及横浜鎖港に関する覚書を作成し、幕府に同文通牒を発す。 
◆4/26【【江】幕府、京都見廻役新設を通達。 
◆4/29【京】将軍参内。4月20日の勅書に奉答。禁裏守衛総督慶喜&幕閣、朝廷尊奉18か条を奉承。/将軍東帰の許可&鎖港攘夷・水戸藩主へ諸事相談の勅命
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◆5/4【京】薩摩藩士?、長州藩士潜伏の風聞を国許に報告/






◆5/9薩摩藩、幕府に対し、蒸気船運用術教授のため中浜万次郎(ジョン万次郎)の貸与を請願
◆5/12【京】西郷隆盛(吉之助)、在国の大久保利通(一蔵)に悪化する京都の悪化する事情(公家の恐怖、近衛前関白父子への護衛、慶喜野心の噂、幕府の陰謀による薩摩藩の悪評等)を報じる。/







◆5/21【坂】天神橋に島津久光批判の張紙

5/27【京】浪士、中川宮家臣を殺害・梟首


◆5/29(7.2)【京】薩摩藩家老小松帯刀、国許に情勢(長州の大兵上京、守護職が標的、長州による天皇奪取計画の風説)を報せる
◆5/2【京】将軍暇乞の参内。朝廷、慶喜に鎖港決行・滞京を、政事総裁職松平直克に水戸藩主徳川慶篤と協力しての横浜鎖港尽力、老中稲葉正邦・水野忠精に滞京・守衛を命じる。/
◆5/5(【京】長州処分:朝廷、長州藩末家入京の許否討議
◆5/7【京】将軍退京。大坂城入城
◆5/8【京】朝廷、幕府への庶政委任を諸藩に通達
◆5/9【京】朝廷、有栖川宮父子、九条道孝、鷹司輔政に国事御用掛を命じる
◆5/13【京】横浜鎖港:原市之進、江戸藩邸の同志に書を送り、将軍帰府前の鎖港断行の不首尾、板倉老中の排斥急務との慶喜の言などを知らせる

◆5/14【坂】勝海舟、軍艦奉行に昇進
◆5/17【外国】横浜鎖港交渉使節、フランス政府とパリ約定を調印(キンシャサ号砲撃賠償、下関通航、関税軽減)
◆5/18【坂】横浜鎖港:慶喜の内命により、幕府に決行を促すため、在京水戸家老鈴木重義、山口徳之進ら東下
◆5/20【江】将軍帰府/四国艦隊:幕府、蘭国総領事に下関襲撃猶予を求める
◆5/25(6.28)【京】長州処分:朝廷、長州藩に末家・家老の上坂停止・幕命を待つようと命じる
◆5/26(【京】見廻組(蒔田組)着京
◆5/27【京】因幡藩主催の親長州諸藩有志会議(宮部鼎蔵ら)。長州への援兵を議す
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◆6/1【京】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の風説と自分の考えを知らせる
◆6/2【京】】西郷、国許の大久保に中川宮(尹宮)の悪評を報知&小松帯刀の帰国見合わせを要請
◆6/4【京⇒坂】西郷隆盛、島津珍彦出迎えのため、吉井幸輔(友美)・伊地知正治と共に下阪
◆6/6【坂】西郷、国許の大久保に京都の情勢を報知(長州による変事発生の憂慮、薩摩藩の評判回復
◆6/8【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件を報知。慶喜の黒幕説、薩摩は中立を保つことを伝える。
◆6/14【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件・明保野亭事件に係る風説、長州における討幕説、中川宮の辞職周旋などを報じる
◆6/21【京】西郷、大久保に池田屋事件後の情勢を報知
◆6/22【京】小松帯刀、京都の情勢を国許の大久保利通に報ず
◆6/24(【京】薩摩藩留守居役、朝廷守衛を理由に淀への出兵の幕命を拒否/
◆6/25(【京】西郷、大久保に長州の伏見到着とこの「戦争」を「長会の私闘」ととらえ、静観・朝廷守衛に専念する方針をを報知
◆6/27【京】西郷、大久保に長州の8.18政変以前に戻す意図、公卿の過半数は長州支持であり、征討もやむなしと報じる/小松帯刀、在藩家老に京都出兵を要請 
◆6/4【長】長州藩、世子の上京を藩内布告
◆6/5【京】池田屋事件(1)
◆6/6【京】池田屋事件翌日
◆6/8【京】池田屋事件後:)五條橋に一橋慶喜を黒幕とする批判の張り紙

◆6/21【坂】長州軍(浪士真木保臣・長州藩士久坂玄瑞の率いる、忠勇・集議諸隊)着坂。/
◆6/22【坂】
 長州藩家老福原越後、兵を率いて着坂。来島又兵衛、遊撃隊を率いて着坂。
◆6/24【伏見】 福原越後と遊撃隊500名余、伏見到着。真木和泉・久坂玄瑞ら諸隊、山崎屯集
◆6/27(7.30)【京】長州兵、京都来襲の噂。守護職松平容保・会津藩兵御所内に宿陣。九門閉鎖。長州入京に関する朝議。容保即時討伐、正親町三条長州藩主父子召命、一橋慶喜、撤兵勧告を主張。慶喜の論で決着
◆6/29(8.1)【京】慶喜に(長州処分)諸事委任の朝命/慶喜に長州入京不可と会津藩主松平容保擁護の宸翰【伏見】(一度目の撤兵勧告)慶喜、目付を派遣し、朝旨を伝達・長州家老福原越後に諸隊を説得させる。諸隊、「偽の朝命」として拒否
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◆7/4【京】西郷、大久保に京師の情勢・公武の事情を詳報(慶喜への疑念)/ 
◆7/9【京】西郷隆盛、書を在藩の大久保利通に送り、一橋慶喜の「不断」、慶喜の手柄になる長州撤兵説得の拒否、追討の勅命を奉じた上での長州「駆尽」の決意、今は「会津一手」で戦うべき等の考えを報じる
◆7/12(【京】薩摩藩兵四百余人、京都守衛の為、著京。
◆7/15【京】薩摩藩吉井幸輔、土佐藩乾市郎平、久留米藩大塚敬介(御所九門警備担当藩)、朝廷要路を訪ね、従来の朝命維持を訴える。【京】薩摩藩西郷隆盛、(ようやく)在京諸藩の会合に出席。強硬論を主張
◆7/16【京】薩摩藩、諸藩会合主宰。長州征討で一致(会津抜き)【京】薩摩・土佐・久留米藩士、中川宮を訪ね、「速かな勇断」を求める。
◆7/17 【京】薩摩・土佐・越前藩等、速やかな長州「討伐」を決議。朝幕要路に討伐の勅命を周旋。薩土久留米藩士、「断然の処置」を速かに求める上書 
◆7/18 【京】夜半、中村半次郎、長州藩邸に現れ、局外中立を宣言して帰る

◆7/19【京】禁門の変。薩摩藩の動き↓)
◆7/20【京】薩摩藩、嵯峨天龍寺に出張焼き払い/小松、国許の大久保に禁門の変を報じ、慶喜の活躍に言及/西郷、大久保に「薩兵あらずんば危き次第」と報じる/【坂】勝海舟の会津・薩摩批判
◆7/23(8.24)【京】長州藩追討の朝命/幕府、慶喜、江戸に使者(目付)を派遣し、この件を報じる/幕府、諸藩に朝命を伝え、大坂・兵庫・京都周辺の警備を強化/会津藩に朝命と慶喜総督・春嶽副将・諸藩部署(薩摩は萩)を示した書付を伝達/
◆7/24(8.25)【京】慶喜、西国諸藩に長州藩追討の出兵準備を命じる(薩摩を含む)
◆7/28(8.29)【京】小松&西郷、越前藩中根雪江・酒井十之丞に書簡を送り、春嶽上京を促す/【神戸】薩摩藩士吉井幸輔・伊地知正治、勝海舟を訪ねる(勝p264)←薩摩藩神戸警衛24日から
◆7/29【越前】目このころ、薩藩海江田福井着。
◆7/3(8.4)【京】長州入京:長州撤兵の朝命/慶喜、大目付永井尚志らを伏見に派遣
◆7/8【坂】長州藩家老国司信濃着坂。
◆7/12(【京】一条家門、長州藩主父子入京を再度建白
◆7/13【京】:慶喜、長州藩留守居乃美織江を召し、家老福原越後等の大坂退去を諭す【坂】家老益田右衛門、着坂
◆7/1【京】容保を九門外に出すようにとの建議/【伏見】長州藩家老福原越後、国司信濃とともに、天皇遷幸説の出処(※会津藩想定)糾明を求める新たな嘆願書提出/【坂】長州藩家老益田右衛門、石清水神社周辺に布陣
◆7/15【京】朝議、叡慮により、勅使派遣による説諭を決定
◆7/16(【京】 一橋慶喜、17日期限の長州撤兵勧告のため、伏見に大小監察度派遣
◆7/17【京】松平容保、兄徳川慶勝に慶喜批判&上京を促す書簡/会津藩士&新選組、征討慎重派慶喜の宿舎に乱入【男山】長州軍、松平容保討伐を名義にした進軍を決定 【京】朝議(慶喜参加)。長州撤兵を命じ、拒否すれば追討、に決る 
◆7/18【京】長州に撤兵の朝命/慶喜、撤兵を最終勧告/長州、容保の告発書を当初/親長州公卿、急遽参内し、容保追放を求める/孝明天皇、関白・中川宮ら幕府協調派と慶喜を召命
◆7/19【京】長州勢討伐の勅/長州勢力、御所に発砲。禁門(蛤御門)の変勃発/長州勢敗走/どんどん焼け
◆7/21【京】京都町奉行、親長州派公卿家臣の拘禁【洛外】山崎天王山の戦【長州藩】世子毛利定広、東上を中止し、帰国の途へ 
◆7/22【京】京都町奉行、避難民の帰住及び長州残党の通報を促す制札を掲示
◆7/29(8.30)【長州】恭順謝罪を決定/
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◆8/1【神戸】薩摩藩吉井孝輔、勝海舟を訪ね、将軍上洛の建白の件を語る/
◆8/3【神戸】吉井幸輔、勝海舟に対し、坂本龍馬を同行して上京、将軍進発を周旋すると述べる
◆8/4【坂】勝海舟、続いて東帰する若年寄稲葉正巳に対し、薩摩藩士を伴うことを勧める
◆8/9【薩摩】藩主島津茂久の長州藩征討出陣を藩内に布告
◆8/12(【京】内大臣近衛忠房、久光父子に書を送り、帰国する小松帯刀への朝廷・慶喜の「厚依頼」、帯刀の早期再上京を促す/
◆8/17【京】薩摩・肥後・越前・会津・土佐・久留米・桑名の諸藩士、京都三本木の旗亭に会し、外国艦を長州領より退去させた後、長州処分を行うよう、会津藩から慶喜に建議することを決定/ 【京】薩摩藩士西郷吉之助(隆盛)、国許の大久保一蔵(利通)への書簡の中で、外国艦下関来襲の黒幕は幕府との意見を述べる/
◆8/23(【神戸】坂本龍馬、(西郷との面談)京都の事情を勝海舟に伝える(会津藩・新選組の不評)
◆8/5【長州】四国艦隊、下関を砲撃/
◆8/8【長】四国艦隊に講和を申し入れ
◆8/11【京】朝廷、征長に先立つ外艦の下関退去交渉を命じる。
◆8/13【江】幕府、征長総督徳川慶勝・副将松平茂昭に、長州征討部署を示して当月中の出陣を命ず
◆8/14【京】前関白鷹司輔煕・大納言鷹司輔政の参朝停止を解く/【姫島】勝海舟、姫島到着【長州】長州藩、四国と講和条約を結ぶ。
◆8/22【江】老中、諸藩に対し、京都の達しより江戸の達しを優先させるよう命じる。/幕府、長州藩主毛利慶親・世子定広の官位、将軍の偏諱称号をはく奪。/
◆8/25【京】将軍に急速上坂の朝命(30日説あり)
◆8/30【京】朝廷、征長総督決定の督促・慶勝の就任遷延の際は、副将以下諸藩を進撃させるよう命じる/ 【京】松平容保・松平定敬・稲葉正邦、連署して、江戸老中に朝命を伝え、征長の速やかな実行を促す

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◆9/1【京】薩摩藩士有馬新助・海江田信義、東下へ。す。
◆9/7【京】西郷吉之助、大久保一蔵に書を認め、「狡猾」な長州への厳しい処分の必要性、江戸幕閣による慶喜の疎外等の近情、越前藩主松平茂昭を利用した幕府への建議、総督未定の場合の征長副将以下出陣の周旋等の方針を知らせる
◆9/8【京】西郷吉之助、大久保一蔵に書を認め、9月1日に京を発った有馬新助・海江田信義に将軍上洛周旋を指示していたことなどを知らせる。
◆9/11【坂】勝海舟、老中阿部正外から長州処分に係る薩摩藩の強硬意見を聞く【坂】薩摩藩士西郷隆盛・吉井幸輔、越前藩士青山小三郎・堤五一郎、勝を訪ねて、将軍上洛周旋を依頼するが、断られる。勝、兵庫開港問題に関し、幕府を外した有力諸侯による国是決定を論じる/西郷、勝にほれる
◆9/16【京】西郷、国許の大久保に,書を送り、勝海舟との初対面の様子を報じ、「共和政治」を論じる/ 【京】吉井幸輔、国許の大久保利通に、11日の勝との会談を報じ、一翁・小楠・勝の議論(征長・幕吏弾劾・公議政体論)しか道はないと述べる
◆9/19【京】西郷吉之助、大久保一蔵に書を送り、征長が決まれば自ら広島へ赴き、長州藩と支藩の離間により攻め落とす計画だと告げる
◆9/24【京】筑前藩士喜多岡勇平、薩摩藩士高崎五六、長州藩恭順周旋に岩国へ出立
◆9/25【坂】筑前藩士喜多岡勇平、薩摩藩士高崎五六、長州藩恭順周旋に出港
◆9/28小松帯刀着坂
◆9/30【岩国】筑前藩士喜多岡勇平、薩摩藩士高崎五六、岩国着。高崎、長州藩支族吉川経幹の家士香川諒・横道八郎次等と会し、長州と「私怨」はなく、会津は見放した、雄藩連合による皇国挽回のため、是非恭順周旋に尽力したいと申し入れる(他藩と違って本気とアピール)。 
◆9/1(【江】参勤交代・大名妻子の在府復旧の令勤交代の復旧/【長】州藩主、恭順を諭す。
◆9/6【京】越前藩主(征長副将)率兵入京【横/江】四国公使が条約破棄に関する警告&朝廷への事情説明と条約勅許を求める書状を送る(4〜6日
◆9/9【坂】老中阿部正外、海路着坂。軍艦奉行勝海舟、阿部と面談。
◆9/12 【京】老中阿部正外、著京
◆9/13(【京】阿部老中、越前藩に征長の指図はできないと伝える【
◆9/15【京】御所九門が開かれれる。
◆9/17【京】京都守護職松平容保・征長副将松
◆9/19【京】越前藩士酒井十之丞、老中阿部正外を訪ね、開国の廟算を確立すべきを説く
◆9/21【京】前尾張藩主徳川慶勝、率兵入京/越前藩酒井十之丞・中根雪江と共に、再び正外を訪ね、対策を献ず/阿部正外、外国が摂海に来航して開国を迫るかもしれないという切迫する事情を告げ、諸侯会議を待たずに幕府で決定すべきだと述べる。
◆9/22(【横浜】幕府、四国代表に償金300万ドル支払いか、下関あるいは瀬戸内海の一港の開港を約す
◆9/24)【京】将軍進発:老中阿部正外参内し、将軍進発遅延を報告。外国の主張・横浜鎖港の困難さを説く
◆9/25【長州】武備恭順説の井上聞多、暗殺未遂/是夜、萩藩士周布政之助自刃
◆9/29【長州】奇兵隊、書を藩主毛利敬親に上り、藩内の武備を充実して割拠の勢を持し、会津・薩摩二藩排除の策を講じ、三老臣「益田右衛門介・福原越後・国司信濃」を救解せんことを請う。
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◆10/2【長州】吉川経幹、山口より親書を家士今田靱負に附して、薩摩藩士高崎五六兵部に致し、周旋依頼の意を表す
◆10/8【京】薩摩藩士西郷吉之助書を在藩の大久保一蔵に致し、長州藩征討・水戸藩党争の情勢及幕府の対外措置を報じ、所見(薩摩藩のための長州壊滅回避の計略)を告ぐ
10/12【京】西郷吉之助、国許の大久保一蔵に書を認め、幕府の長州末家への厳しい処分を拙策とし長州人に長州
◆10/15【京】/薩摩藩士西郷・吉井幸輔、下坂
◆10/21【坂】薩摩藩士高崎五六、長州藩支族・岩国領主吉川経幹の家老等に対し、長州恭順周旋に対する諸藩の好反応や西郷隆盛の芸州出張計画を報じる。
◆10/22【坂】征長総督徳川慶勝、大坂城で軍議を開き、11月11日の布陣完了・18日の攻撃開始を命令(西郷も参加)
◆10/24【坂】征長総督徳川慶勝、薩摩藩西郷吉之助を引見し、長州恭順の周旋のための芸州密行に同意する。
◆10/25【坂】薩摩藩士西郷吉之助書を小松帯刀に書を認める
◆10/26【坂】薩摩藩士西郷吉之助、吉井幸輔、尾張藩士若井鍬吉と共に、長州恭順周旋のために大坂を発し西下
◆10/1【京】朝廷、参内した禁裏守衛総督一橋慶喜・老中阿部正外に、鎖港猶予・速やかな長州征討を命じ。将軍上坂を督促する
◆10./4【江】将軍、征長総督徳川慶勝に黒印の軍事委任状交付
◆10./5【京】前名古屋藩主徳川慶勝、征長総督奉命を幕府に稟し、且軍令状を請う
◆10/6【京】征長総督府、従軍諸藩に令して、不日大坂に軍議を開くを以て、二十日を限り、藩主若くは家老の参集を命ず。
10/11【京】徳川慶勝、軍事委任状を受領/征長総督府、出征諸藩に、11月11日の布陣完了を達し、慶勝の15日の下坂・軍議開催を告げる。
◆10/15)【京】征長総督徳川慶勝、京都を発して大坂に/
◆10/18【坂】征長:副将松平茂昭・大目付永井尚志、京都を発して大坂に著陣
◆10/20【岩国】征長総督の密使、長州支族・岩国領主吉川経幹と会し、恭順謝罪すれば寛大な処分になると説く
◆10/21 【岩国】吉川経幹、征長総督徳川慶勝の密使に嘆願書を託し、家臣を上坂させる【長州】藩主毛利敬親、藩内諸隊総督に、恭順謝罪の決意を告げて解散を諭す
◆10/22【坂】征長総督徳川慶勝、大坂城で軍議を開き、11月11日の布陣完了・18日の攻撃開始を命令
◆10/25【坂】征長総督麾下の先鋒諸隊、出陣
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◆11/4(12.2)【岩国】恭順:征長総督徳川慶勝の密使(薩摩藩士西郷吉之助・吉井幸輔・税所長蔵)、長州藩支族吉川経幹に面し、三家老の処刑及激徒の処分を急速に行うよう勧める。経幹、家士を萩に遣し、藩主毛利敬親に報告
◆11/8【京】肥後藩上田久兵衛、薩之姦計を方々に探る/西郷吉之助、書を萩藩支族吉川経幹の用人香川諒・山田右門に寄せ、禁門の変に捕縛した萩藩士卒10名の送還を報ず/
◆11/13【京】薩摩藩邸潜伏中の吉川家家臣、国許に書状を送り、小松帯刀から、中川宮・二条関白に働きかけた結果、幕府が「粗暴の処置」をせぬよう薩摩藩が周旋せよとの天皇の意向があったと聞いたこと等を知らせる
◆11/17【京】薩嫌疑:中川宮、肥後藩留守居上田久兵衛を召し出し、、薩摩藩家老小松帯刀の「反復之計策」について内々に相談【小倉】恭順:薩摩藩吉井幸輔、越前藩陣営を訪問、長州降伏条件履行の確実な見込みが立てば解兵するように副将から建言するよう申し入れる
◆11/18【江】勝海舟、薩摩藩の論は遠く他藩より上だと日記に記す
◆11/19【京】肥後藩留守居役上田久兵衛、会津藩倉沢右兵衛と会談/国許への書状で薩摩藩家老小松帯刀を天下を乱す悪人と記す【芸州】長恭順:西郷吉之助、在京小松帯刀に書を送り、総督府に対して長州処分6か条を建議したこと、撤兵の条件通達は、江戸に相談せずに速やかにすべきだと主張し、その通りになったこと等を報じる【京】薩摩藩家老小松帯刀、書を在藩大久保一蔵に寄せ、中浜万次郎の遠洋航海及航海練習等に関する意見を告げ、又萩藩征討事情等を報ず。
◆11/21【芸州】西郷吉之助、小松帯刀に書を送り、征長総督府に対し、筑前藩による五卿移転周旋の指示を出すよう周旋したことを報じる
◆11/26【京】小松帯刀、国許に書を送り、一橋慶喜に対して、幕府の一会桑の江戸召喚&朝廷軽蔑回帰阻止には、老中取り換えか諸藩・朝廷と連携した政変かだと使嗾したこと、勝の海軍私塾の浪人をかくまっている事等を報じる。/ 薩摩藩海江田武次、国許の大久保一蔵に、会津藩士から、藩主松平容保の東下を相談され、反対したことを知らせる
◆11/28【京】薩嫌疑:芸州から帰京した肥後藩士、留守居役上田久兵衛に、征長総督の和議論の裏に西郷隆盛がいることを知らせる
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12/2(【京】薩嫌疑:薩摩藩に討幕の意があり、内大臣近衛忠房が同意との説、廷臣間に行われる(10日には「大島(西郷)裏表」との説も。
◆12/3【江】薩摩藩士高崎左太郎(正風)、勝海舟を訪問(老中松前崇広西上の裏の事情(慶喜の江戸召喚)等を話す)
◆12/5【大津】一橋慶喜、松平春嶽に対し、慶喜の出陣は説得のためだと「去る雄藩」が流している「反間之説」を否定し、浮説に影響されないよう注意を促す【長州】萩藩主毛利敬親、薩摩藩に、本藩士を厚遇し、護送帰国させた礼を伝えるために、藩士山田重作を派遣(下関で、筑前藩士月形洗蔵を介して礼を伝える
◆12/12【大津】/薩嫌疑:慶喜、肥後藩主弟長岡良之助(護美)に書を送り、征長の情勢、特に総督徳川慶勝が「芋に酔い、芋の銘は大島」という説の真偽を知らせてほしいと依
◆12/13(【京】小松帯刀、大久保一蔵に書を送り、幕府と慶喜の対立を「面白き事」と報じる【京】薩嫌疑:海江田武次、大久保一蔵に、薩摩への嫌疑が起っていることを知らせる
◆12/20【岩国】西郷吉之助・税所長蔵・筑前藩士建部武彦・同喜多岡勇平等、吉川経幹に面会
◆12/28(1.25)【広島】征長総督徳川慶勝、筑前藩主黒田斉溥・薩摩島藩主島津茂久・肥後藩主細川慶順・佐賀藩主鍋島茂実・久留米藩主有馬慶頼に、暫く五卿を筑前藩内に置くを告げ、協力して之を警守すべきを令す。在府鹿児島藩士柴山良助「道懿」書を在藩大久保一蔵「利済」に寄せ、幕府及水戸藩の情勢を報ず
最終更新2012/4/17

文久3年(1863)← →慶応1年(1865)

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