9月の「今日」 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索  HPトップ


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文久3年7月25日(1863.9.7):
【京】挙藩上京:村田巳三郎(氏寿)退京

■越前藩挙藩上京計画(政変計画)
【京】文久3年7月25日、越前藩監察村田氏寿(巳三郎)が退京し、福井に向かいました。

同月23日に、挙藩上京(参府延期)の藩論は逆転し、上京派(参府延期派)の本多飛騨・松平主馬・長谷部甚平・千本藤左衛門が解職されました(こちら)。これに関連して帰国命令が出たのでしょうか。帰国した村田は8月1日、監察を罷免され、御側物頭を命じられました。

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実は、村田は、島津久光召命という新展開に、久光上京前に朝廷改革(急進派追放)をすべきだの判断をしており(こちら)、在京薩摩藩の同意を得ると、公武合体派の近衛忠煕前関白に周旋していました(こちら)。越前藩の藩論が一転したこと、さらに、薩摩藩と密接に連絡をとっていた村田が帰国したことにより、越前藩と薩摩藩の連携による朝廷改革は頓挫してしまいました。

8.18政変は、薩摩藩と会津藩の提携によって緊急避難的に起こされますが、こういう組み合わせになったのも越前藩の方針転換が大きく影響しているのだと思います。在京薩摩藩・会津藩ともに禁門の政変後どうするかのビジョンがなかったため、政局は混乱していきますが、明確な方針のあった越前藩が政変の当事者であったら・・・と思わずにはいられません。(越前藩の方針には会津藩が猛反発しそうですが^^;)

参考:『続再夢紀事ニ』(2004.9.25)
関連:■「開国開城」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変」■テーマ別文久3年:「越前藩の挙藩上京(政変)計画」「大和行幸と禁門の政変」■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」

その他の主な動き

【京】馬揃:因幡に当日警護の朝命/慶喜再上京:鷹司関白に対し、水戸・因幡・備前・阿波連署で慶喜召喚を建議(『御伝記』)p410-421
【京】真木和泉、徳大寺内大臣を訪ねるが、病を理由に断られる(『遺文』)p603

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