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管理人より フィクションどころか解説本でも疑問符のつく描写が目立つ御陵衛士。彼らの正確な姿を一人でも多くの方に知ってもらいたい・・・。その一つとして史料集を作りたいとずっと思っていました。今回、三樹三郎のひ孫にあたる鈴木様のご好意により、お宅にある肖像画・写真・文書の写真を数十点撮らせていただくことができました。サイトのスペースの関係上、すべてをUPすることはできませんし、かなり縮小したものになってしまいますが、気長にお待ちいただければ幸いです。 写真の転載・転用禁止です(URLの掲載で代用してください) 管理人自身が、所蔵者であるご子孫に、目的を説明してご理解いただき、写真を撮らせていただき、それらを掲載させていただく立場です。転載・転用の許可は一切出せませんし、生データも提供できません。ご理解ください。(不正ダウンロード防止のため、画像にノイズをいれています)。また、悪用されることが怖いので、画像への直接リンクも一切お断りします。 |
A 肖像 | (1)伊東甲子太郎肖像画、(2)三樹三郎&故鈴木巌氏(三樹三郎孫)晩年の写真 |
B 書簡・ 沙汰書等 |
(1)(文久元年)7月26日付 三木荒次郎(=三樹三郎)書簡(2004.10.24) (2)(年代不詳)1月20日付三木荒次郎年賀状(2007.5.7) (3)(元治元年10月頃) 鈴木こよ宛伊東うめ書簡(2004.10.12) (4)(慶応2年)8月4日付 鈴木こよ・関家宛伊東甲子太郎・三樹三郎連名書簡(2004.8.18) (5)(慶応4年)1月11日付 滋野井侍従・綾小路前侍従宛太政官書簡(赤報隊1:東海道鎮撫総督下に桑名進撃を命ずる書)(2007.5.6) (6)(慶応4年)1月付 滋野井・綾小路宛太政官沙汰書(赤報隊2:年貢半減令) 注:一般には(研究者の間でも)この文書の所在が確認されていないようで、年貢半減令の存在自体に疑問をもつ人もいる。 (7)(慶応4年)1月26日付 綾小路宛太政官沙汰書(赤報隊3:帰京命令)(2007.5.6) (8)慶応4年6月 鈴木三樹三郎への軍曹辞令(2007.5.7) (9)大正7年11月18日 伊東甲子太郎贈位の沙汰書 (10)大正7年12月11日 鈴木家宛関こと書簡(伊東の生い立ちについて) まだまだ整理中です。 |
C 手記・ 建白 |
(1)(慶応3年)九州行道中記(一部)←但、写真コピー (2)(慶応3年)建白書(一部)←但、写真コピー |
D 詩文稿 | (1)(慶応3年)「伊東甲子太郎揮毫の額」の和歌書付←但、写真コピー(2007.5.4) (2)慶応4年7月 「残しおく事の葉草」(悟庵の撰んだ伊東の歌集) (3)明治元年11月18日 伊東らの一周忌に(芳野)桜陰が詠んだ七言絶句(2005.2.11) (4)明治後半?鈴木三樹三郎(推定)和歌草稿 |
D その他 | (1)明治時代 三樹三郎が仏壇に貼っていた同志の名を書き付けた紙←コピー (2)年代不明 高台寺の古地図 |
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衛士関連での前例が何件かあり、まいっていますのでヨロシクお願いします。