2月の「幕末京都」 幕末日誌文久3 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■朝廷参豫会議へ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【京】文久3年12月30日、朝廷(伝奏)より、一橋慶喜(将軍後見職)・松平春嶽(前越前藩主)・松平容保(京都守護職/会津藩主)・山内容堂(前土佐藩主)・伊達宗城(前宇和島藩主)の五候に「参預あるべき」の沙汰が下りました。 なお、彼らは、朝議への参豫を命ぜられたのであり、「参豫」という官職に就いたわけでありません。朝議の正式メンバーだったかどうかについて、佐々木克氏は「臨時の恣意的なものではなく、朝議の正式メンバーとして扱われたといたと考えたい」としています。(『幕末政治と薩摩藩』) <ヒロ> ●参豫会議の定義: 参豫諸侯は、文久4年/元治1年1月〜3月にかけて朝議に参豫しましたが(仮に朝廷参豫会議と呼ぶ)、それ以外にも、二条城で幕閣らと会合を行い(仮に二条城会議と呼ぶ)、中川宮邸に集まりました()。また参豫諸候だけでも会合をもち(仮に参豫集会と呼ぶ)、国政を評議しました。一般に参豫会議というと朝廷参豫会議を指すのですがが、二条城会議や参豫集会も参豫会議といわれることがあります。紛らわしいので、このサイトでは、基本的に、朝廷参豫会議、二条城会議、参豫集会とわけて使うことにしています。 ![]() ![]() 関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3年「参豫会議へ」「朝議参豫の動き」■守護職日誌文久3 ■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」■薩摩藩日誌文久3 ■徳川慶喜日誌文久3 参考:『続再夢紀事』二・『徳川慶喜公伝』2・『幕末政治と薩摩藩』(2001/2/27、2007/12/10) |
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