7月の「今日」 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 HP内検索 HPトップ
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■将軍の摂海巡視 【京】文久3年5月18日、将軍家茂は参内して摂海防御策を報告しました。 ![]() なお、家茂の下坂には、朝命によって備前岡山藩主池田茂政(前水戸藩主徳川斉昭9男)が同行しており、帰京翌日の12日に巡検結果を朝廷に報告していました。 ■生麦償金&将軍東帰問題 【京】文久3年5月18日、将軍補翼徳川慶勝(前尾張藩主。守護職/会津藩主の異母兄)は、将軍家茂自らが東帰して償金拒否の交渉にあたることを許可するよう上申しました。 <ヒロ> ![]() ところが、タイミングが悪いというのか何というのか、翌19日夜には償金支払いの知らせが京都に届き、大騒ぎとなります・・・^^;。 ☆5月12日に、越前藩士中根靭負が紀州藩士伊達五郎から聞いた話によれば(『続再夢紀事』)、生麦償金支払の報(噂?)は、少なくとも11日以前に京都に届いており、朝幕ともに大騒動になっており(こちら)、翌13日には、中根は、板倉老中から、江戸から到着した武本甲斐の伝えた支払の事情をきかされています(こちら)。慶勝は老中から知らされていなかったのか、それとも知らぬふりをして朝廷に対応していたのでしょうか?正式な報告を待っていたのかもしれませんが・・・。 関連:■「開国開城」「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■テーマ別文久3年:「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京」 |
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