「今日」トップ 元治1年5月
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☆京都のお天気: ■長州処分/長使入京問題 【京】元治元年5月25日、朝廷は、長州藩に対し、末家・家老の上坂停止・幕命を待つようと命じました 要点はこんな感じ。
○長使(末家・家老)入京問題おさらい 長州・七卿処分については、元治1年2月8日に、幕閣・参豫諸侯・朝廷の主だった者との協議を経て、@長州支藩及び家老の大坂召喚及び訊問、A三条実美らの京都還送、B違背すれば征討を決定、の3点が決まり(こちら)、11日には、征長部署の決定・関連諸藩への内達がありました(こちら)。さらに、2月24日の朝議(朝廷参豫会議)での結論(こちら)を受けて、25日には朝廷から長州藩末家・家老の大坂召命が出されていました(こちら)。 ところが、2月28日に筑前福岡藩世子黒田慶賛から、朝廷の沙汰による召喚なら長使を入京させるべきとの建議がありました(こちら)。大坂までときけば、長州藩が憤激し、悔悟が覚束なくなるだろうという理由でした。(←長州藩の入説があったそうです)。この建議を受けて朝義が動揺したため、大坂召命の沙汰を撤回して長使を入京させるかどうかという手続き問題が、大きな政治的議題になりました。 朝廷は、長使入京の可否について、参豫諸侯に内々に下問しますが、24日の会議に参加していた春嶽・宗城・久光(+容保)は、長使入京には反対でした。大人数を率いての入京になれば朝議が動揺し、禁門の政変以前の形勢に戻る恐れがあるとみていたからです。しかし、久光らの入京不可の内答を聞いても朝廷は決断できず、29日、大坂召喚の沙汰を一時見合わせた上で、改めて朝議を開いて「衆議」をきくことを決めました(こちら)。久光・宗城は、朝廷の優柔不断さに失望し、それぞれ、29日の日記に嘆きの言葉を記しています。3月2日には参豫が召集されて朝議が開かれましたが、久光は病を理由に欠席しました。朝議では、宗城が久光と申し合わせた入京不可論を述べましたが、慶喜が、召喚場所を決める前に「寛猛」の処置を決めるべきだと主張して意見が分かれました。孝明天皇の裁断は大坂召命でしたが、その後も議論は「粉々」とし、決定にいたりませんでした(こちら)。翌3月4日の朝議でも入京可否の結論は出ず、長州が入京しても禁門の政変以前のような状態にならないよう、幕府が「保証」しなければ入京は不可であり、幕府の返答次第で可否を決めようということになりました(こちら)。5日、幕府は入京不可を決定したので、朝議も、長州藩末家ら3名の大坂召喚を再決定し、長州藩に通達しました(こちら)。 しかし、長州藩は、大坂召命に従わず、3月18日、敬親は、藩士に対し、父子どちらかによる率兵・大挙上京を告げるとともに、吉川監物に召命を断らせました。さらに、3月28日、末家家老の入京を朝幕に請うとともに、三条実美らの復職・藩主父子いずれかの上京を朝廷に願い出ました。 朝廷は、4月3日、帰国の挨拶に参内した筑前藩世子黒田慶賛(長知)対し、帰国途上、長州藩主父子の恭順を説くようにとの沙汰を下しました。同月9日には、禁裏守衛総督・摂海防御指揮の一橋慶喜は、長州藩主毛利敬親父子に、朝命に従って使者を東上させるよう勧告しました。さらに、翌10日には、近衛前関白邸に集まった松平春嶽・伊達宗城・島津久光・長岡良之助(肥後藩主弟)・有馬慶頼(久留米藩主)が話し合った結果、長岡良之助が参内して、長州入京・七卿復職論の議奏正親町三条実愛に対し、未だに朝命を奉じて末家・家老が上坂していないので藩主父子の上京は「不可然」であり、七卿の復職も無理である理由を説明することを決めました(こちら)。 その後、朝廷は、4月20日、幕府に対し庶政委任の勅書及び重要事項四条の勅書を与えました(こちら)。将軍家茂は、29日、請書を提出し(こちら)、東帰の許可を得ると5月7日に退京、同16日に江戸に向けて大坂を出港しました。 関連■テーマ別元治1「長州・七卿処分問題(元治1)」 参考:『維新史』三 (2011/4/4) ■天狗・諸生の争乱 【水戸】元治元年5月25日、反天狗の水戸藩家老朝比奈弥太郎・佐藤図書・市川三左衛門らは、文武師範・諸生500余人を率いて江戸に向かいました(南発勢) 参考:5月20日〜26日の動き(綱要五) ◆5/21【京】四国艦隊:一橋慶喜、長州藩京都留守居乃美織江に対し、不日の外国艦下関襲撃の風聞を告げる【江】蘭国総領事、幕府に対し、7月1日期限の謝罪・賠償を要求。【坂】天神橋に島津久光批判の張紙/内山彦次郎の斬奸状掲示 ◆5/22【京】横浜鎖港:幕府、水藩に鎖港断行に尽力を求める朝命を慶篤に伝達/浪士、会津藩士松田鼎を殺害・梟首 ◆5/23【水】水戸藩使者美濃部・山国、再び田丸を説諭。 ◆5/24【京】幕府、軍艦奉行勝海舟を神奈川に派遣/【天狗・諸生】慶篤、弘道館総裁青山延光らに親書付与 |
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