今回も、前回に引き続き、ゲームを中心としたお話になりますが、フリーソフトにも関係している部分ですので、ゲームに興味のない人もぜひ読んでください。
毎回、毎回、くどいくらいに書いてますので、「またか!」と思われる方も多いでしょうが、もいっかい書かせてください。現在、フリーソフト、フリーゲームはゴマンとあり、ありとあらゆるジャンルのソフトウェアがすでにフリーソフト化され、存在するという現状をまず認識してください。
|
次に競合ひしめくその中で、いかに自分のソフトを目立たせるか、ユーザーの皆さんに使ってもらうかということを考えなければなりません。
ゲームソフトの開発で、開発者は大げさに言うと「天地創造」の創造主にあたります。
ゲームの中の世界を自由に創造でき、そのルールでさえも自由に決めることができます。まさに、「オレがルールブックだ!」の存在です。
ゲームのプレイヤーは、ひたすらこの創造主たる作者の作ったルールの制約の中でプレイし続けなければなりません。
まあそれも、いたしかたないところです。ルールそのものを勝手に変更できてしまったら、それはゲームとして成り立たないのですから。
しかし、プレイヤーにも起死回生の必殺技があるんです。この創造主をはるかに上回る強大なパワー。それは、
「やーめた!」です。
プレイヤーのこの必殺技の前に、創造主の持つ力など霞がかかってしまいます。そう、プレイヤーはゲームが面白くなければ、いつでもそのゲームを中断し、他のゲームで遊ぶことができるのです。
しかも現代は、人類がかつて経験したことのないコンテンツ過剰供給の時代。遊ぶための道具はいっぱい揃っています。
DVDや動画サイト、コミックやテレビ、さらにインターネットが無限の情報を供給し続けています。ゲームだって、いくつもある家庭用のゲーム機で、毎月のように新作ゲームが大量にリリースされ続けています。
フリーソフトのゲームは、同じフリーゲームだけがライバルではなく、これらコンテンツ群の強敵を押しのけ、ユーザーにプレイしてもらわなければならないのです。
どこかのサイトで、「現代人が一日に取得する情報量は、江戸時代の人間の一生分」などと書いてあるのを読んだことがありますが、まさに現代人にとってなによりも大切なものは「情報」ではなく「時間」なんです。
ヒマつぶしのコンテンツはいくらでも供給されているんですよ。
現代のフリーゲームは、昔なら何千円で販売できたソフトウェアをタダ(無料)で配り、なおかつプレイヤーのご機嫌をとって、あの手この手でプレイしてもらわなければならないという、なんとも受難の時代に遭遇しているのです。
なんか書いてて、もううんざりしてきちゃいますが、これが現代のフリーゲームを取り巻く環境です。
それでも、フリーゲームを開発したい、みんなに感動を与えたいんだ!という、強い意志をお持ちのフリーゲーム作者の皆さんは、ぜひ今回のコンテンツの内容を心の片隅に留めておいてください。
"つまらなければ遊んですらもらえない!"、この不遇の時代に、フリーソフトのゲームを開発し続けることのなんと、強固な意志の必要なことか…。
それが、可能になるのは「新しいものを創り出したい!」「人々に感動を与えたい!」という、ゆるぎないクリエイター魂があるからに他なりません。
|