ソフトウェアの開発者に限らず、一般にクリエイターと呼ばれる方たち(小説家、漫画家、アーティスト、映画監督、ゲームデザイナーなど)には、大きく分けて2つのタイプがあるといわれています。
1つは、作品を定期的に大量に発表し続ける「多産タイプのクリエイター」と、もう1つは、不定期かつ少量の作品しか発表しない「少産タイプのクリエイター」です。
|
私は、おそらく「少産タイプ」にあたるのでしょう(笑)。6年間にリリースしたゲームが4つしかないのは、どう考えても少なすぎると思います(笑)。ではこの2つのタイプ、作品の傾向としてはどのような違いがあるのでしょう?
「多産タイプ」の場合、次々と作品を制作し続けることで能力をどんどんブラッシュアップし、初期の作品とは比較にならないほど完成度の高い作品を、後期には制作できるようになるケースが多いようです。漫画家で言うと、"手塚治虫"氏や"藤子不二雄"氏などが、その代表格でしょう。
「少産タイプ」の場合、めったに作品を制作しない代わりに、一つのテーマに没頭し、時間をかけて練りに練った傑作を制作するケースが多いようです。漫画家で言うと、"つげ義春"氏や"江口寿史"氏などが、それにあたるかと思います。
では、フリーソフトの作者で考えた場合、「多産タイプ」と「少産タイプ」、いったいどちらが望ましいといえるのでしょう?
まず先に明確にしておく必要があるのは、フリーソフト作者の場合、そのほとんどが"趣味"でソフトウェアを制作しているのであって、生業としてソフトウェアの開発を行っているのではない、という部分です。
たくさん作品を制作し、発表し続けるには、それなりの時間と労力が必要です。
しかし大半のフリーソフト作者は、いわゆる「サンデープログラマー」であり、フリーソフトの制作にかけられる時間と労力は、おのずと限られています。
そんな制約の中、大量の作品を発表し続けようとすると、ひとつの作品にかけられる時間と労力がどうしても少なくなってしまいます。つまり十分な時間をひとつの作品に費やすことが、困難になるということです。
まあ、単に時間をかければ良いものが作れるというわけではありませんが、やはり作品の制作に費やす時間の量は、その作品の完成度にそれなりに比例します。
よいものを作りたければ、ある程度の時間をかけるのは、やむを得ないところです。
総じて「多産タイプ」の場合、たくさんソフトを開発したけれど、そのどれもがイマイチ完成度が低く、結果的にたいした評価を得られないという、ケースになりがちです。
それなら「開発するソフトの数は年に1本!」とか数を制限し、その1本の完成度を可能な限り高めた方が、結果的には良い評価が得られるのではないでしょうか?
クリエイターとしては、「少産タイプ」はあまり有望視されません。どうしても「多産タイプ」のクリエイターの方が、将来性があると見られがちです。
しかしことフリーソフトの作者に関しては、「少産タイプ」は捨てたものではありません。
自分がこのタイプだから、擁護するわけではありませんが、時間に関して制約のある我々フリーソフト作者は、多くの作品を生み出すことよりも、ひとつの有望なアイデアに的を絞り、じっくりと時間をかけ完成度の高い作品としてリリースする方が、良い結果を生みやすいのではないかと考える次第です。
このあたり、「なんのためにフリーソフトを開発するのか?」にかかわる部分ですので、人によっては「別に俺は評価されたくてフリーソフトを開発してるわけじゃない!」という方には、あてはまらないこともあります。
あくまでひとつの考え方として、参考にしていただければと思います。
|