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幕臣(政治家) 大久保一翁

名前 大久保忠寛一翁(おおくぼ・ただひろ・いちおう) (称)右近将監・志摩守・伊勢守・越中守など。
 *一翁は慶応元年の隠居後に名乗った名前。
身分 旗本(500石)
生没 生:文化14(1817)。父、大久保忠尚。(小姓組番頭格・西丸留守居などを務める)
没:明治21(1888)。享年72歳。
小史 一翁は三河以来の旗本の家柄に生まれ、将軍家斉の小姓などを務めた。ペリー来航翌年の安政元年(1854)、首席老中阿部正弘に登用されて目付兼海防掛となる。この時期、勝海舟が提出した海防意見書に興味をもった一翁は海舟を抜擢し、3ヶ月にわたる大坂の海岸検分にも同行させている。その後、蕃書調所頭取、駿府奉行、京都町奉行などを務めたが、将軍後継問題で一橋派だとみなされ、安政の大獄で大老井伊直弼に罷免された。文久元年(1861)再び登用され、蕃書調所頭取、外国奉行を経て、文久2年(1862)5月に大目付、7月に側用取次となり、政治の中枢にあった。この頃、政事総裁職松平春嶽・越前藩顧問横井小楠らと交わり、攘夷奉勅問題から起った国是決定の議論では大開国論&大政奉還を主張した。実際に大政が奉還される5年も前のことである。政治は天下公共のものであるという考えをもつ春嶽や前土佐藩主山内容堂らには感銘を与えたが、幕閣・幕臣には一笑に付されたという。同年11月、講武所奉行に左遷され、その直後に安政の大獄の追罰によって罷免・差控えに。元治元年(1864)7月に勘定奉行として復帰したが、すぐに免職。慶応元年(1865)2月に隠居した。隠居中も、公議政体・非戦論の立場で大小会議や第二次征長の反対を主張し、薩摩藩士大久保利通に<幕府の人材は大久保一翁と勝海舟以外にいない>といわしめた。慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦を経て東征を決めた朝廷から和宮の身の安全を託され、幕府からは会計総裁ついで若年寄に任じられるなど、朝幕双方から頼みにされた。一翁は和平恭順路線にたって徳川家臣の取りまとめに尽力し、勝海舟とともに江戸城の無血開城実現に寄与。維新後は静岡県知事、東京府知事、元老院議官等を歴任した。

<ヒロ>大開国論・公議政体論・非戦論・・・一翁は、横井小楠とならんで管理人のツボにはまる人物です^^。特に、慶応4年の政局では「敗戦処理の政治家」一翁・海舟コンビに焦点をあてていく予定です。
評判 ・「人となり峻厳忠摯。およそ事に臨んで侃々、豪も屈従するところなし」by木村芥介
・「性、直諒方正、ややもすれば厳格に失し、往々群小のために忌まれ、永く一職を奉ずる能わず。また倹勤みずから奉じ、閑室にあるもさらに惰容なし」by勝海舟
・「越中は当世第一等の人物なり・・・此節かかる人物を四五人得たらば天下の事は憂うるに足らず」by 山内容堂
・「この徳川氏危難の時にあたり、徳川家の壊滅に至らざりしは、全く西郷隆盛の好意はもちろん、第一、安藤(=勝海舟)、第二、大久保一翁、莫大の大功労者なり」「徳川家には勝安房あり、大久保一翁あり。・・・・・・故に徳川家の一旦の瓦解は一時なり、今日の繁盛を現わせり」by松平春嶽
学問 漢学・国学。また、蘭学を津田真道に学ぶ。趣味は和歌。


年表

できごと
文化14 1 誕生
天保元 14 将軍家斉の小納戸
天保4 17 6月将軍家斉の小姓、12月諸大夫に。(「志摩守」)
天保8 21 4月将軍家斉が江戸城西丸に移り、大御所となるに伴い、西丸小姓に。 2月米商船モリソン号事件、大塩平八郎の乱8月徳川家慶12代将軍。
天保12 25 新将軍家慶の小納戸。 5-首席老中水野忠邦、天保の改革に着手
天保13 26 12月家督を継ぐ。 7-天保薪水給与令
<南京条約締結>
嘉永3 34 鎌倉における大砲発射試験を検閲
嘉永6
(1853)
37 7月-首席老中阿部正弘、諸大名の意見を諮問。勝海舟「海防意見書」提出。一翁、海舟の意見書に関心を持ち、海舟訪問。 6ペリー浦賀来航・開国要求の大統領書簡を渡す(★)。将軍家慶没。
安政1
(1854)
38 2月-徒頭。5月-首席老中阿部正弘に登用されて目付・海防掛に。 3-日米和親条約。下田・箱館開港(★)
安政2
(1855)
39 1月-命により、大坂・伊勢検分。海舟を海岸検分役として随行させる。4月 帰府  10月-安政の大地震
安政3
(1856)
40 10月-貿易取調御用、蕃書調所総裁兼務 11月-購武所設置事務の功績によって章を受ける 7-米国総領事ハリス着任(★)
安政4
(1857)
41 1月-長崎奉行に任命されるが辞退。赴任せず。4月-駿府奉行に左遷。 この頃、将軍後継・条約勅許問題が起る(★)
安政5
(1858)
42 5月-命により帰府。禁裏付。7月-京都着(伊勢守) 4-井伊直弼大老に就任。5-将軍後継に家茂決定(一橋派敗北)6-日米修好通商条約(無断調印7-将軍家定没。家茂、14代将軍就任。幕府、斉昭らに隠居・謹慎を命ず。(★)8-孝明天皇、戊午の密勅を水戸藩に。⇒安政の大獄(★)
安政6
(1859)
43 2月-京都町奉行 6月「一橋派」として井伊直弼ににらまれ、西丸留守居に左遷。8月罷免されて寄合に 6-神奈川(横浜)・長崎・箱館開港
万延1
(1860)
44 3-桜田門外の変★) 10-和宮降嫁勅許。(★)
文久1
(1861)
45 8月-蕃書調所頭取として幕政復帰 10月-外国奉行(越中守) 11月-「伊豆諸島・小笠原島開拓事務江戸取扱」兼任 12−長州藩「航海遠略策」を正式に建白
文久2
(1862)
46 5/4-外国奉行兼大目付 *大目付は側用取次と並んで旗本の最高職位
◆5/9【江】松平春嶽、一翁(忠寛)らに国是確立の必要性を説く。 
◆5/14【江】春嶽、中根雪江を一翁に派遣し、自身の上京問題をめぐる登城停止を相談。(春嶽、老中板倉勝静と上京をめぐり激論)。 
◆5/15【江】一翁・駒井朝温、春嶽に老中上京中止を説く
◆6/16【江一翁、老中の使者として登城停止中の春嶽訪問
◆6/17【江】一翁、春嶽に対し、幕府の「因循」を歎く
◆6/23【江】 一翁、春嶽の辞任内願を知らされ、翻意を諭す
◆6/24:【江】一翁・浅野、越前藩邸に勅使への回答書を持参。越前藩、一翁に春嶽辞任内願の真意は、幕府が私政を改めないことにあると説明
◆6/25【江】一翁、越前藩士と議論の結果、幕私を去ることに同意。越前藩は幕私を去るため春嶽の登城再開を内定
7/3-側用取次に就任。加増は辞退。(以後、春嶽・越前藩顧問横井小楠・前土佐藩主山内容堂らと頻繁に交わり、攘夷奉勅問題に関し、大開国論&大政奉還論を主張。)
7/8(8.3)【江】横井小楠・雪江、一翁訪問。一翁、小楠の三策に感服」
◆7/10【江】春嶽、大赦を主張。慶喜・一翁は同意せず 
◆8/28【江】一翁、小楠と会見して、春嶽の登城再開を求める 
◆9/29【江】小楠、一翁に破約攘夷を論じる 
◆10/1【江】慶喜、開国論は板倉・一翁のみに相談と述べる 
◆10/6【江】長州藩桂小五郎、越前藩に一翁の紹介を依頼 
◆10/13【江】
小楠、一翁の「幕府の私論」打破の決意に認識を改める。
◆10/14【江】長藩周布政之助、越藩に一翁との面会の仲介を依頼。
◆10/20【江】一翁、春嶽に大政奉還論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張 
◆10/23【江】容堂、一翁の「大開国論」に感服/左遷(1)一翁・岡部長常・小栗忠順に「天誅」の風聞
◆10/25【江】左遷(2)老中格小笠原長行、老中板倉に「君側の奸」一翁・長常の罷免と久世らの追罰を迫る
◆11/3【江】左遷(3)春嶽、慶喜の一翁転出意見に反対
◆11/4【江】左遷(4)幕府、春嶽の反対を押し切り、一翁の講武所奉行転出を決定 
◆11/23【江】一翁罷免・差控え(安政の大獄関係諸有司に追罰)
1/15【江】坂下門外の変(★)
2/11【江】将軍家茂、皇女和宮と結婚(★)
4/23【京】寺田屋事件(★)
4/25【江】幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定
6/7【江】勅使大原重徳&島津久光の率兵東下★)
7/6【江】慶喜、将軍後見職に
7/9【江】春嶽、政事総裁職に
8/21生麦事件(★)
閏8.1【江】松平容保、京都守護職に(★)
11/27【江】勅使三条実美、破約攘夷と親兵設置の勅伝達
12/5【江】幕府、破約攘夷を奉答・親兵設置は拒否。
12.12【江】品川御殿山の英国公使館焼討ち。
12/13【江】諸藩に破約攘夷を布告


開国開城:「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題
文久3
(1863)
47 準備中(松平春嶽と書簡を通じて国政に関する意見交換)
元治1
(1864)
48 ◆7/21【江】勘定奉行勝手方として復活
◆7/26【江】罷免、寄合となる。
*10月には海舟が、軍艦奉行罷免。
元治2/
慶応元
(1865)
49 ◆2/11【江】隠居、一翁を名乗る。
◆9/30【江】出仕命令を断る。
◆10/1【江】上坂の命。
◆10/8【江】出発見合わせの達し。
◆12/1【江】再度の出仕命令
◆12/12【江】江戸発
◆12/22【坂】大坂着
◆12/24【坂】大坂城に登城。家茂に謁見。 第二次征長に関し、老中に反対意見を述べる。
◆12/28【坂】将軍家茂に召しだされ、内談。
慶応2
(1866)
50 ◆1/3【坂】家茂に召しだされる。
◆1/23【京】薩摩藩大久保利通、越前藩中根雪江に<大久保一翁と勝海舟のほかに幕府に人材はなく、二人の起用は天下の人心の向背に関係する>と発言。
◆1/25【坂】家茂に召しだされ、内談。
◆2/12【坂】同上。家茂、一翁に羽織地と金百両を下賜。
◆2/13【坂】大坂を離れる。
◆2月下旬【江】帰府
◆3/12 一翁、家茂に「万国公法」を献上
慶応3
(1867)
51
慶応4
(1868)
52 ◆1/14【江】朝廷、静寛宮(和宮)に使者を派遣し、勝海舟・一翁に頼るよう言上させる。
◆1/23【江】勝海舟、陸軍奉行並から陸軍総裁に転任/一翁(忠寛)、会計総裁に任命

◆2/3:【京】親征の詔
◆2/8:【江】大久保一翁、若年寄に転任
◆2/12:【江】慶喜、江戸城退城。寛永寺に謹慎。後事は田安慶頼に。
◆2/15:【京】東征大総督軍、京都を出立
◆2/16:【京】徳川家存続の内旨

◆3/14【江】勝海舟・大久保一翁、西郷隆盛と会談。明日の江戸城総攻撃中止が決定/
◆3/20【京】無血開城(9)江戸処分の朝議、寛大に決まる
◆4/4【江】)勅使入城・11日の引渡しの朝命を伝達。一翁が応接。
◆4/9【江】海舟・一翁、先鋒軍参謀の海江田武次・木梨精一郎と会談。
◆4/10【江】海舟・一翁、再び先鋒軍を訪ねて会談。
◆4/11【江】江戸開城。一翁、明渡しの責任者。
◆閏4/2【江】海舟・一翁、総督府から江戸の治安維持を一任される。
明治
以降
明治2年:静岡藩権大参事(政務担当) 明治3年:辞任 明治5年:東京府知事 明治9年:教部少輔 明治10年:元老院議官

主な参考文献
『旧幕府』、『再夢紀事・丁卯日記』、『続再夢紀事』
『徳川慶喜公伝』、『維新史料綱要』、『大久保一翁』、『明治維新人物辞典』

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