幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件開国開城(マクロな歴史) HP内検索  HPトップ

★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
★折々の草莽たちの詩歌をご紹介(このページを開くたびににランダムに表示されます)

「10月の幕末京都&折々の詩歌」

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大和五條の乱&周布政之助の詩歌 (参考『維新志士勤王詩歌評伝』・『志士詩歌集』等)

10月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

文久2(1862) 文久3(1863) 元治1(1864) 慶応1(1865) 慶応2(1866)  慶応3(1867)
文久2年
◆閏8/8(10.1)【江】宇都宮藩、幕府に山陵修復の建白/宇都宮藩家老間瀬和三郎、越前藩邸訪問
◆閏8/9(10.2)【京】孝明天皇、久光に御剣下賜。(この日?)久光、公武合体意見書を議伝両役に/伝奏、幕府に責問書/【水】清河八郎、水戸に入る。武市半平太の時務策を青蓮院宮(中川宮)へ/
◆閏8/10(10.3)【江】幕府、宇都宮藩の山陵修復の建白を採用
◆閏8/11(10.4)【江】幕府、横井小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(将軍上洛問題背景
◇閏8/12(10.5)清河八郎、水戸藩激派の住谷寅之助・山口徳之進らに京都の情勢を説き、尊攘を議論
◆閏8/13(10.6)長州藩桂小五郎、宍戸宛書簡で会津藩上洛の上は、京都をすべて統括する「全大所司代」となると記す。(『木戸孝允文書』)
◆◇閏8/14(10.7)【京】天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる/長州藩、近衛関白に破約攘夷の朝議の確定を迫る建白書提出/【江】前京都所司代酒井忠義に隠居の幕命/宇都宮藩主戸田忠恕、山陵修補御用掛に/清河、幕府に上書を書くために水戸を発つ
◆閏8/15(10.8)【江】後見職一橋慶喜・大目付岡部長常、老中らの因循に憤慨して登城中止/幕府、参勤交代制度の改革を達す
◆閏8/16(10.9)【江】慶喜、春嶽に幕政改革の意見書を送り、辞意を示唆
◆閏8/17(10.10)【江】幕府、献上物全廃を議決。/住谷、清河に再合流
◆閏8/18(10.11)【京】天皇、朝臣に攘夷の意思を示す/【江】勝海舟、軍艦奉行並に登用
◆閏8/19(10.12)【京】武家伝奏坊城大納言、守護職の職掌を問う書簡を幕府に発す。
◆◇閏8/20(10.13)【江】彦根藩の京都守護を免ず/海軍制度改革の御前会議/【京】本間精一郎暗殺/【水】清河、住谷と別れて河原子村へ。春嶽への大赦の建白を起草
◆◇閏8/21(10.14)【京】久光、攘夷は無謀、幕府の改革・武備充実が先、などの建白書を近衛関白に提出
◆閏8/22(10.15)【江】幕府、改革令を布告(参勤交代の緩和・大名妻子帰国許可・服制改革等)→文久の幕政改革の本格化/【京】九条家諸太夫宇郷重国暗殺
◆閏8/23(10.16)【京】久光、帰国のため京都出立/【江】幕政改革の失業者の生計方法を議論、大奥改革の議論
◆◇閏8/24(10.17)【江】一橋慶喜登城再開/【他】清河、春嶽への上書を水戸藩士住谷に託し、間崎哲馬・山岡鉄舟に周旋するよう依頼
◆閏8/25(10.18)【京】前関白九条尚忠、落飾・重慎/【江】春嶽、容堂を訪問
◇閏8/26(10.19)清河、水長盟約当事者・西丸帯刀と会う
◆閏8/27(10.20)【京】長州藩主に攘夷決定周旋の沙汰
◆閏8/28(10.21)【京】長州藩と土佐藩の連携が決まる
◆閏8/29(10.22)【京】安政大獄関係者・目明し文吉暗殺/【江】守護職の職掌を問う書簡が届く
◆9/1(10.23)【京】「ニ嬪」堀河紀子辞職・隠居/【江】反改革(1)芳野金陵、改革の失業者によるテロを警戒し、春嶽に登城中止を忠告
◆9/4(10.26)【江】長州藩世子毛利定広、春嶽に三事を説く/反改革(2)桂小五郎、横井小楠の他出中止を忠告
◆9/5(10.27)【江】慶喜、将軍に先立つ上洛を断る
◆9/6(10.28)【江】慶喜・春嶽・老中連署で守護職の職掌を説明する書を朝廷に提出
◆9/7(10.29)【江】幕府、明年2月の将軍家茂上洛を布告
◆9/8(10.30)【京】中山忠光、武市半平太に「四奸ニ嬪」天誅の助力を依頼
◆9/9(10.31)【江】春嶽・板倉老中、水戸藩主徳川慶篤に武田耕雲斎・大場一真斎の家老復職を勧告

関連■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革「生麦事件」 ■テーマ別文久2「将軍徳川家茂上洛問題 「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下(生麦事件&勅諚改竄も)」 「幕政改革問題」「国是決定破約攘夷奉勅VS開国上奏」 「長州藩と越前藩の連携」■長州藩の国事周旋  「横井小楠」■公武合体派排斥・「天誅」 ■違勅条約&安政の大獄関係者の大赦と処罰 ■幕末日誌文久2 ■守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2 ■徳川慶喜日誌文久2 ■清河/浪士組日誌文久2@衛士館 ■守護職事件簿「文久の幕政改革と京都守護職拝命


文久3年(1863年)】
◆8/19(10.1)【京】政変(10)七卿の都落ち/朝廷、幕府&諸大名に攘夷督促の沙汰/九門中、中立売・今出川・清和院の三門が開かれる/久光召命(13)近衛前関白父子、久光上京を促す書簡を認める/【長】中根一之丞暗殺(6)激派、中根一行を旅宿に襲撃。小人目付鈴木八五郎をきょう首
◆8/20(10.2)【京】久光召命(14)薩摩藩奈良原幸五郎、京都を出立して鹿児島へ春嶽再上京(1)朝廷、春嶽の逼塞処分を理由に越前藩主父子上京見合わせを指示/【長】家老根来上総、山口到着。大和行幸&藩主父子上京の勅を伝える。
◆◇8/21(10.3)【長】中根一之丞暗殺(7)激派、帰路の中根一之丞を海上に殺害/【兵】政変(11)七卿、兵庫到着。因幡藩・有栖川宮、使者を益田右衛門介に派遣。益田・桂小五郎・久坂玄瑞ら、京阪残留決意/【京】壬生浪士、市中見廻りに任ぜられる/会桑・壬生浪士、桂小五郎追放に出動?
◆8/22(10.4)【京】政変(12)朝廷、政変の顛末を諸藩に告知/関白鷹司輔熙、辞表提出/薩摩藩村山斎助、久光の出兵を促す書簡を認める【長】長州藩、世子の上京決定
◆8/23(10.5)【京】政変(14)因備両藩主の長州擁護の上書/横浜鎖港(5)幕議、鎖港決定/慶喜、監察使(のち攘夷別勅使)東下を内請/【長】政変の報、山口に達する
◆8/24(10.6)【京】政変(15)七卿の官位停止/政変顛末(修正版)再布告/六門開放・九門往返の許可/【江】将軍家茂、政変の功を賞し、容保に差料下賜
◆◇8/25(10.7)【京】政変(16)薩摩・土佐、親兵解散を建議/長州間者4名、壬生浪士入隊?
◆8/26(10.8)【京】政変(17)在京諸大名の召集。「18日以降の勅が真」と伝宣。/
◆8/27(10.9)【京】政変(18)京都守護職より市民安堵の町触れ【長】七卿・一行、三田尻到着/中川宮元服。朝彦親王を名乗る。
◆8/28(10.10)【京】政変(19)&久光召命(14)島津久光・前土佐藩主山内容堂・前佐賀藩主鍋島斉正に勅召/横浜鎖港(6)因幡・備前・阿波・米沢藩、攘夷監察の勅使東下を建議/朝廷、紀州・津・彦根・郡山に天誅組追討令
◆8/29(10.11)【京】政変(20)朝廷、長州藩主父子への沙汰伝達(長州退京の朝命)/【江】幕府、容保の領地増加/【鹿】奈良原、鹿児島到着/【長】長州の嘆願(1)家老根来上総嘆願書を携え、山口出立/長州内訌(1)穏健派椋梨藤太ら藩要路を弾劾
◆8/30(10.12)【京】京都守護職に天誅組追討の達し/政変(21)諸藩士・浪人取締の朝命/前尾張藩主徳川慶勝、勅召によって入京/大原重徳蟄居を許される/【江】横浜鎖港(7)老中首座酒井忠績(雅楽守)上京の途へ/【長】長州内訌(2)穏健派、直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助罷免を要求/【越前】三岡八郎(由利公正)譴責処分
◆9/1(10.13)【京】横浜鎖港(8)攘夷別勅使有栖川宮・副使大原重徳の東下決定。容保・攘夷別勅使に随行の命、後見職一橋慶喜に鎖港督促の沙汰/春嶽再上京(2)越前藩に上京無用の沙汰/【鹿】大久保利通、春嶽に久光上京決定を報せる/【長】長州内訌(3)直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助罷免
◆9/2(10.14)【京】朝廷、堂上へ武家との交際禁止の回達/
◆9/4(10.16)【京】横浜鎖港問題(9)容保、攘夷別勅使随行を辞す/朝廷、守護職に天誅組追討督促
◆9/5(10.17)【京】親兵解散/朝廷、十津川郷士に天誅組追討令
◆9/7(10/19)【江】将軍家茂、川越藩主松平直克にしばしば登城するよう命じる
◆9/8(10.20)【京】攘夷強硬派大名退京(1)因幡藩主池田慶徳帰国の暇を請う/【江】横浜鎖港(10)慶喜、鎖港実行を奉答
◆9/9(10.21)【坂】老中酒井忠績・軍艦奉行並勝海舟ら着坂【長】長州内訌(4)直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助ら復職
◆9/10(10.22)【京】春嶽再上京(3)軍艦奉行並勝海舟、春嶽に上京を促す書簡を認める
◆9/12(10.24)【鹿】久光召命(14)島津久光、鹿児島出発/【京】潜伏の長州藩士久坂玄瑞・来島又兵衛ら相次いで退京・帰国へ
◇9/13(10.25)【江】牧野忠恭、老中に【坂】長州の嘆願(2)長州家老根来、嘆願書を携えて着坂/壬生浪士田中伊織(新見錦と同一?)暗殺
◆9/14(10.26)【京】横浜鎖港(11)老中酒井忠績参内。攘夷督促の沙汰/長州の嘆願(3)朝廷、根来の滞坂を命じる【江】幕府、米蘭公使に横浜鎖港談判開始 
◆9/15(10.27)【越】横浜鎖港(12)幕府、上京中の老中酒井忠績に、(1)鎖港談判は穏やかにとの朝命及び(2)過激派鎮撫に役立つような朝命を求めるように指示/【坂】春嶽再上京(5)勝海舟の使者近藤長次郎、福井到着。春嶽の上京を促す【長】藩主敬親、三田尻の七卿訪問
◆9/16(10.28)【長】進発(1)長州藩、世子定広の上京を決定
◆9/17(10.29)【京】嘆願(4)根来家老入京不可の朝命
◇9/18(10.30)【京】壬生浪士芹沢鴨・平山五郎暗殺
◆9/19(10.31)【坂】嘆願(5)藩邸、朝命に従うと決める【京】桂小五郎退京・帰国へ/二条右大臣に内覧宣下【長】進発(2)七卿、上京の意思を藩主敬親に告げ、奇兵隊の応援を要請【江】横浜鎖港(13)米英仏蘭の四国公使、幕府との会見に応ぜず/

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元治元年(1864年)】
◆9/1(10.1)参勤交代の復旧/幕府、松平頼徳の官位剥奪、切腹を命じる/長州藩主、恭順を諭す。
◇8月下旬〜9月上旬?(9月下旬〜10月初旬?)近藤、将軍上洛要請と隊士募集に東下を決意。藤堂、近藤に先だって東下し、伊東に会う
◆◇9/6(10.6)近藤・永倉ら京都を出立(推定) 近藤批判の葛山切腹/四国公使が条約破棄に関する警告/越前藩主(征長軍副将)率兵入京
◆9/8(10.8)吉川監物、山口入りして暴発を非難
◇9/12(10.12) 佐久間象山の息子、新選組入隊を知らせる
◆9/14(10.14)前尾張藩主徳川慶勝、上洛の途に
◆9/21(10.21)前尾張藩主徳川慶勝、率兵入京
◆9/22(10.22)下関償金条約
◆9/23(10.23)前尾張藩主徳川慶勝、西郷隆盛の入説を受け、征長総督就任を決意
◆9/24(10.24)老中阿部正外参内し、将軍進発遅延を報告。
◆9/25(10.25)井上聞多、暗殺未遂事件
◆9/26(10.26)周布政之助、自刃
◆9/28(10.28)老中、征長軍進発を促す
◇9月頃(10〜11月初旬まで)伊東、近藤に会って新選組加盟について話合う

慶応2年(1866年)
◇9/12(10.20) 三条制札事件
◇9/19(10.27)土佐藩と新選組、三条制札事件で手打ち


慶応3年(1867年)】
◇9/20(10.17)新選組近藤、永井尚志に土佐藩後藤象二郎を紹介される
◇9/22(10.19)近藤、後藤象二郎に再会を乞う書簡を送る
◇9/27(10.24)近藤、備前岡山藩家老と長州処分に関する議論。後藤象二郎に再会を乞う書簡を送る

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