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慶喜に関る主なできごと |
その他の幕末の主なできごと |
1
月
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慶喜は、他人面会・文通を禁じられていた。 |
◆1/3(2.1)【江】長井雅楽に京都行きの藩命。高杉晋作、中国行きのため江戸を出立して長崎へ。
◆1/14【江】水戸藩平山平介、桂小五郎に決行を報せる書簡を認める
◆1/15老中安藤信正、水戸脱藩浪士らに襲撃される(坂下門外の変)遅参した水戸藩士川辺治左衛門、長州藩邸に桂を訪ね、自刃。
◆1/21【長】久坂、土佐勤王党武市に「尊藩も幣藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」と認める
【関連「長州藩の国政進出と航海遠略策(公武合体的開国論)」「開国開城-坂下門外の変」】 |
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慶喜は、他人面会・文通を禁じられていた。 |
◆2/7【薩】真木和泉、島津久光随従を願って薩摩に。
◆2/11【江】将軍家茂、皇女和宮と結婚(★)
◆2/15【薩】西郷隆盛、帰国。久光東上に反対/薩摩藩士柴山愛二郎・橋口壮介、清河に近々の久光の東上を報せる。 |
3
月
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慶喜は、他人面会・文通を禁じられていた。 |
◆3/11【長】脱藩の吉村寅太郎、萩着。久坂が迎える
◆3/15【江】幕府、出羽山形藩主水野忠精と備中松山藩主板倉勝静を老中登用
◆3/16【薩】島津久光、小松帯刀・中山中左衛門・大久保利通ら千余名を率兵して鹿児島出発。
◆3/20【京】長井、正親町に航海遠略説の建白書提出
◆3/21【京】正親町、長井に建白書を内奏したところ、孝明天皇が非常に喜んだと伝える。
◆3/23【長】兵庫警衛の先発隊、長州を出立(久坂・楢崎弥八郎・前原一誠ら)
◆3/24坂本龍馬・沢村惣之丞、土佐脱藩。
◆3/26【江】幕府に対し、世子定広の帰国許可を請う
◆3/27東洋、諸士階級制度改革発令。 |
4
月 |
◆4/16(5.12)【京】将軍後見職へ(1)島津久光非公式に入京・近衛忠房・中山忠能・正親町三条実愛らに幕政改革を進言。
◆4/23【江】後見職へ(2)一橋慶喜の他人面会文書往復許される
◆4/25【江】後見職へ(3)幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定
関連>>「開国開城」「薩摩の国政進出島津久光の率兵上洛と寺田屋事件」
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◆4/7(5.3)【京】孝明天皇、攘夷断行の勅旨
◆4/11【江】幕府、安藤信正の老中罷免/【京】久坂ら、長井の弾劾書を在京藩重臣に提出
◆4/13【江】世子毛利定広、江戸出立
◆4/10京】久光、大坂着。激派に三度目の諭告。
◆4/13【京】久光、伏見入り/
◆4/16【京】久光非公式に入京・近衛忠房・中山忠能・正親町三条実愛らに幕政改革を進言。久光に滞京・浪士鎮撫の勅命
◆4/17【京】久光、入京。
◆4/20【京】寺田屋事件3日前久光の命を受け、激派説得のために大久保利通下阪。
◆4/22【京】寺田屋事件前日長州藩浦靱負、藩士に暴発せぬよう訓示。
◆4/23(5.19)【京】寺田屋事件【江】一橋慶喜の他人面会文書往復許される
◆4/24【京】孝明天皇、久光の浪士鎮静を賞する内勅
◆4/25【京】伝奏、久光に浮浪鎮撫の勅命(2度目)を伝達。/
◆4/28【京】長州藩世子定広入京。
◆4/29高杉、長崎を出航して上海へ |
5
月 |
◆5/6(6.3)【江】後見職へ(4)慶喜、言動を慎むようにと家臣を諭す。
◆5/7【江】後見職へ(5)慶喜の江戸城登城。松平春嶽、幕政参与に。
◆5/9【江】後見職へ(6)田安慶頼の将軍後見職免除/
◆5/11【京】後見職へ(7)朝廷、勅諭案(1.将軍上洛による国是の議論、2.五大老の創設、3.慶喜の後見職・春嶽の大老就任)を議定
◆5/13【江】後見職へ(8)老中久世広周、松平春嶽の慶喜登用主張に反対。
◆5/16【江】後見職へ(9)勅使東下の沙汰が届く/春嶽、将軍上洛の上の陳謝・慶喜登用等を説く
◆5/19【江】後見職へ(10)慶喜を水戸藩主養子にとの議
◆5/20【京】後見職へ(11)勅使大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書が授けられる。
◆5/22【京】後見職へ(12)勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立
◆5/24【江】後見職へ(13)勅意三事、江戸に伝わる。
関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」
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◆5/1(5.29)【京】長州藩に浪士鎮撫&国事周旋の朝命。
◆5/2【江】幕府に将軍上洛の建白書。
◆5/3【江】会津藩主松平容保、幕政参与
◆5/5(6.2)【京】長井雅楽の謗詞事件。
◆5/8】春嶽、国是の決定、開国創業の決意を将軍家茂に勧告
◆5/7(6.4)【江】総裁職へ(3)春嶽、幕政参与に。
◆5/8【江】春嶽、国是の決定、開国創業の決意を将軍家茂に勧告/会津藩主松平容保と春嶽の初会見
◆5/9【江】春嶽、登城して我是を捨てること、国是確立を再び説く/春嶽、容保を同席させるよう提案/幕府使節、ロンドン覚書調印
◆5/12【京】久光に勅使随従の勅旨
◆5/14【江】春嶽、老中板倉勝静と上洛をめぐり激論。
◆5/15【江】大目付大久保一翁・駒井朝温、春嶽に老中上洛中止を説く/長井雅楽、長州藩の国事周旋に春嶽の協力を請う【京】久光、勅使東下延期反対
◆5/17【江】幕議、老中久世の上洛中止を決定/春嶽、不満をもらす
◆5/18【京】近衛忠房、延期やむなきを久光に説明蕃書調所を洋書調所に改称
◆5/19【京】久光、東下の強い決意を示す/【江】九条関白辞職し、近衛忠煕を関白にとの議
◆5/22【江】将軍、制度簡素化と武備充実を達す
◆5/23【江】前竜野藩主脇坂安宅老中に。
◆5/24【江】老中、春嶽の将軍上洛主張に同意/総裁職へ(7)勅意三事策、江戸に伝わる。
◆5/26【江】幕議、将軍上洛を決定/老中内藤罷免
◆5/28【江】幕府、藩主敬親の上京を許可。/【京】清河八郎、浦靱負に薩長激励の上書。 |
6
月 |
◆6/1(6.27)【江】上洛(9)幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告
◆6/3【江】後見職へ(14)将軍家茂、慶喜を招いて懇談/幕府、勅旨が天皇の意思でないと知る
◆6/10【江】後見職へ(15)勅使江戸城登城。一橋慶喜・松平春嶽登用の勅諚を伝える。
◆6/11【江】後見職へ(16)慶喜、幕府の評議に参加。後見職は辞退し、発言せず/
◆6/13【江】後見職へ(17)勅使大原、容保・春嶽・老中らに回答催促。老中、慶喜・春嶽の登用を拒絶
◆6/16【江】後見職へ(18)久光、老中脇坂安宅に対して勅諚尊奉を遊説
◆6/17【江】後見職へ(19)幕議・薩摩の私意説
◆6/18【江】後見職へ(20)大原、三度目の登城。老中、春嶽の総裁職就任承諾。慶喜の登用をしぶる/春嶽辞任を決意し登城とりやめ
◆6/23【江】春嶽、政務参与辞任の内願を提出
◆6/25【江】後見職へ(21)大原、老中脇坂・板倉を招いて慶喜登用を催促 容保、春嶽に参与辞任の翻意を促す
◆6/26【江】後見職へ(22)大原、老中に慶喜登用即答を迫る。薩藩大久保利通、刺客を伏せる。
◆6/27【江】後見職へ(23)薩摩藩士、老中退営をみると称し、江戸城桔梗門外を徘徊。
◆6/29【江】後見職へ(24)大原、四度目の登城。老中、慶喜登用に同意。
関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 |
◆6/1(6.27)【江】東禅寺襲撃事件/
◆6/2【江】首席老中久世広周罷免。板倉勝静、幕閣の中心に。
◆6/5(7.1)【江】薩摩藩伊地知貞馨(堀小太郎)、春嶽に助力を求める/
◆6/6【江】老中板倉、春嶽に京都からの密書を見せる/越前藩、春嶽の進退を評議/
◆6/7【江】総裁職へ(8)勅使大原、久光と薩摩兵江戸着。
◆6/8【江】「幕府の嫌疑」を心配する久光、春嶽と会談
◆6/9【江】春嶽、登城とりやめ。伊地知、越前藩邸訪問。
◆6/28土佐藩主山内豊範、2000名を率いて土佐出立。武市半平太ら随従。
◆6/30【江】所司代酒井忠義を罷免し、後任に大坂城代本庄宗秀
関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 |
7
月 |
◆7/1(7.27)【江】後見職へ(25)勅使大原、五度目の登城。将軍、慶喜・春嶽の登用を奉答。
◆7/6(8.1)【江】慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命
◆7/7【江】慶喜、春嶽に政事総裁職就任を勧告
◆7/9【江】春嶽、政事総裁職就任/勅使との会見(1)勅使大原、慶喜・春嶽を会見に招請
◆7/10【江】大赦(1)春嶽、大赦を主張。慶喜は同意せず
◆7/11【江】大赦(2)大赦問題を再び議す
◆7/12【江】大赦(3)慶喜・老中、大赦に同意
◆7/16【江】勅使との会見(2)久光陪席をめぐって会見中止
◆7/18【江】勅使との会見(3)大原、老中抜きの会見を要求
◆7/19【江】勅使との会見(4)大原、登城の上の伝宣を承諾。
◆7/20【江】勅使との会見(5)大原、帰京の申し出/大赦(4)将軍家茂、大赦を裁可
◆7/21【江】勅使との会見(6)慶喜、23日の勅使との会見(久光陪席)を了承
◆7/23【江】勅使との会見(7)久光陪席。勅使11か条の要求を伝達。慶喜、是々非々で回答
関連>>「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 |
◆7/2(7.28)【京】長州藩主一行、入京。
◆7/6(8.1)【江】【京】長州藩、破約攘夷に転換。
◆7/7【江】総裁職へ(18)慶喜、松平春嶽に政事総裁職就任を勧告/横井小楠、春嶽に登城を助言/島津久光、老中に幕政改革の建白書を提出。
◆7/8【江】横井小楠・中根雪江、大久保一翁訪問。
◆7/9【江】総裁職へ(19)春嶽、政事総裁職就任
◆7/12【江】勅使大原、春嶽に新所司代本庄の更迭を示唆/
◆7/13【京】長州藩、長井雅楽の建白書却下&国事周旋の勅許を請う。
◆7/16【京】藩主敬親、学習院に伺候。長州藩に謗詞事件氷解&国事周旋の沙汰
◆7/18【京】/越後浪士・本間精一郎、岩倉具視ら「四奸ニ嬪」排斥を主張【江】長州藩小幡彦七、越前藩に新所司代本庄就任に関する京都の不穏を伝える
◆7/20【京】薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺
◆7/21【江】会津藩の守護職就任説得(1)本庄に代え、容保に上京をとの幕議/
◆7/25【江】春嶽、老中板倉勝静に将軍上洛を説く
◆7/26【江】会津藩と越前藩の会盟
◆7/27【江】幕府、京都守護職設置決定【京】奉勅東下(1)長州藩主父子に滞京・東下周旋の朝命。
◆7/28【京】孝明天皇、岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の近習を免ず。【江】守護職(4)春嶽、会津藩家老横山主税を呼び出し、京都守護職内命を伝える
◆7/29【江】守護職(5)会津藩、内命を固辞/
関連「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ」 |
8
月 |
◆8/7【江】(慶喜・春嶽以下連署で)幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。/守護職(8)幕府、永井尚志を京都町奉行に任命。
◆8/19【江】慶喜、春嶽・久光を館に招いて会す。久光、幕政改革意見24か条を示す
◆8/21【江】生麦事件(1)島津久光一行、勅使に先立ち江戸を出立。生麦事件を起こす
◆8/22【江】生麦事件(2)勅使大原江戸出立、春嶽・小楠の生麦事件対策3案/勅諚改竄(4)毛利定広、春嶽に勅諚の周旋を依頼
◆8/23【江】生麦事件(3)英国、犯人逮捕を要求、春嶽、生麦事件処理をめぐって幕府に失望
◆8/24【江】毛利定広、登城して勅諚伝達。将軍家茂拝受/幕政改革へ(1)春嶽、大目付岡部長常に登城拒否を通告
◆8/27【江】幕政改革へ(2)大目付岡部長常、小楠の幕政改革論(将軍上洛と失政の陳謝、参勤交代廃止等)に感服
◆8/28【江】幕政改革へ(3)大久保一翁、小楠と会見して、春嶽の登城再開を求める。
◆8/29【江】幕政改革へ(4)春嶽、幕府の「私」政を去れという意見書(総裁職辞表)を岡部長常に渡す |
◆8/2(8.26)【京】奉勅東下(2)世子定広に東下周旋&幕府に安政の大獄関係者赦免の沙汰/長州藩、6か条の質疑書/久坂玄瑞の「廻瀾條議」
◆8/6【江】守護職(7)中根雪江、春嶽の使者として会藩家老横山主税宅訪問。守護職就任を説く。
◆8/3【京】奉勅東下(3)世子定広、奉勅東下の途に
◆8/7【江】守護職(8)幕府、永井尚志を京都町奉行に任命。
◆8/8(9.1)【江】守護職(9)春嶽、直々に松平容保の京都守護職就任を説得/
◆8/9【江】守護職(10)会津藩家老横山常徳(主税)、守護職就任の条件を出す
◆8/11【江】守護職(11)会津藩未決の条件は(1)諸浪士、(2)将軍上洛、(3)所司代人事
◆8/12久光叙任(1)勅使大原登城。春嶽・老中らと会して久光叙任の同意を求める/
◆8/13【江】守護職(12)会津の条件を容れ、所司代に牧野忠恭登用との幕議
◆8/15【江】守護職(13)会津藩、所司代は別途任命を要請/
◆8/16【江】叙任(2)勅使大原、春嶽・老中らに再び久光叙任の同意を求める
◆8/18【江】薩長融和の勅諚改竄(1)勅使大原、桂小五郎を呼び出し、改竄の勅諚を授けようとし、辞される。大原、改正の勅諚下賜を京都に請う背景薩長の対立/勅使登城して辞見/叙任(3)幕府、久光の叙任拒絶を伝える。
◆8/19【江】勅諚改竄(2)世子定広江戸着。桂ら議して改竄の勅諚受領を決定。/守護職(14)国許から家老田中土佐・西郷頼母が上府/
◆8/20【江】守護職(15)会津藩、守護職拝命を決める/勅諚改竄(3)長州藩、改竄の勅諚受領/岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の蟄居、辞官落飾
◆8/21【江】生麦事件(1)島津久光一行、勅使に先立ち江戸を出立。生麦事件を起こす。関連>>「開国開城」「生麦事件」
◆8/23【京】高杉、藩主敬親に中国情勢報告。
◆8/24【江】守護職(16)会津藩、内命御請を伝達/
◆8/30【江】生麦事件(4)英国側、老中板倉邸で犯人引渡しを要求/【江】容堂に国事周旋の沙汰
関連>>「開国開城」「生麦事件」 |
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◆閏8/1【江 幕政改革へ(5)老中板倉勝静、小楠に感服し、幕政改革断行を決意
◆閏8/3【江】改革へ(6)幕府、三奉行らを政治改革用係に任命/岡部、春嶽登城を申し入れる
◆閏8/4【江】改革へ(7)越前藩、春嶽の登城再開を決定 ◆閏8/6【江】改革へ(8)春嶽登城再開
◆閏8/7(9.30)【江】改革へ(9)大会議/
◆閏8/11【江】幕府、小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景)
◆閏8/15【江】幕府、参勤交代制度の改革を達す
◆閏8/16【江】慶喜、春嶽に幕政改革の意見書を送り、辞意を示唆。
◆閏8/17【江】幕府、進見物全廃を議決。
◆閏8/22【江】幕府、改革令を布告(参勤交代の緩和・大名妻子帰国許可等)→文久の幕政改革の本格化
◆閏8/23【江】幕府、改革による失業者の生計方法を議論、大奥改革の議論
◆閏8/24【江】慶喜登城再開 |
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9
月
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◆9/5【江】慶喜、将軍に先立つ上洛を断る
◆9/6【江】慶喜・春嶽・老中連署で守護職の職掌を説明する書を朝廷に提出
◆9/7【江】幕府、明年2月の将軍家茂上洛を布告。
◆9/14【江】兵庫開港を不可とする沙汰書が届く
◆9/16【江】慶喜の上京&開国上奏内定/攘夷奉勅(1)春嶽、藩内で必戦・破約攘夷(⇒自主開国)を議論させる
◆9/17【江】容保、幕府に三港外閉鎖等の破約攘夷の建白
◆9/19【江】奉勅(2)春嶽、必戦・破約攘夷を主張。
◆9/20【江】奉勅(3)町奉行小栗忠順、幕権を立てることを主張。容保、奉勅を主張。
◆9/23【江】奉勅(4)周布・桂ら、春嶽を訪れ、幕府の攘夷議決を迫る
◆9/24【江】奉勅(5)容堂、春嶽に攘夷奉勅の覚悟を促す/中根靱負、大目付岡部長常に「攘夷」の意味を説く
◆9/25【江】奉勅(6)春嶽・小楠、慶喜に破約攘夷を入説
◆9/26【江】奉勅(7)春嶽、長州藩への攘夷の沙汰を示すが、諸有司はなおも破約攘夷に異議
◆9/27【江】奉勅(8)春嶽、辞職を決意して登城中止。
◆9/29【江】奉勅(9)大久保一翁、小楠の破約攘夷の説明に納得/容堂、越前藩に慶喜の上京延期を勧告
◆9/30【江】奉勅(10)慶喜、幕府をすでになきものとする開国論を主張。/小楠、慶喜に感服/
関連>>「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 |
◆9/1(10.23)【江】反改革(1)芳野金陵、改革の失業者によるテロを警戒し、春嶽に登城中止を忠告【京】「ニ嬪」堀河紀子辞職・隠居
◆9/4【江】長州藩世子毛利定広、春嶽に三事を説く/反改革(2)桂小五郎、越前藩に小楠の他出中止を忠告4【江】山内容堂に京都守衛の朝命
◆9/8【京】中山忠光、武市半平太に「四奸ニ嬪」天誅の助力を依頼。
◆9/10【京】忠光、関白に岩倉具視らの追放を迫る【江】春嶽、山田方谷を招いて時事意見を聞く/
◆9/11【江】春嶽に将軍上洛随従の台命/反改革(3)長州藩周布政之助、春嶽に反改革派の動きを忠告
◆9/12【京】岩倉らの屋敷に脅迫状
◆9/14【江】反改革(4)周布政之助ら、越前藩に反改革派の動き・京都の攘夷確定等を告げる
◆9/16【京】攘夷別勅使派遣(1)薩長土有志、攘夷勅旨奏請を決議
◆9/20【京】別勅使派遣(3)朝廷、攘夷勅諚の伝達のため三条実美を別勅使・姉小路公知を副使に任命/
◆9/21【京】武市半平太ら、薩摩藩から依頼のあった近衛関白留任勧告について密議【江】長州藩周布・桂小五郎ら、小楠と初会談し、「疑因氷解」
◆9/22【京】久坂・武市、慶喜の上京延期を密議
◆9/23【京】京都町奉行与力渡辺金三郎、同心森孫六・大河原重蔵暗殺。【江】長州藩士、春嶽を訪れ、幕府の攘夷議決を迫る/
◆9/25【京】九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住禁止
◆9/28【京】来月12日勅使東下の発表/
◆9/29【江】大久保一翁、小楠の破約攘夷の説明に納得/【京】新所司代、牧野忠恭入京
◆9/25【京】朝廷、勅使東下の報を発す/武市、青蓮院宮に慶喜上京延期を入説
◆9/26【京】一橋慶喜上京延期の沙汰
◆9/30【江】会津藩士小室金吾、越前藩に、守護職は国是に関わらなくてもよいとの板倉老中の言を語る |
10
月 |
◆10/1(11.22)【江】奉勅(11)幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定
◆10/5【江】慶喜に上京中止の台命
◆10/8【江】奉勅(12)春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る
◆10/14【江】山内容堂、慶喜に勅使優待を入説
◆10/17【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出27士(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。
◆10/18【江】奉勅(15)容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説。幕議、奉勅に動く
◆10/19【江】奉勅(16)慶喜、春嶽に攘夷奉勅に同意と伝える(&開国論者容堂の本音)
◆10/20【江】攘勅(17)幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転・勅使優待内決/大久保忠寛(一翁)、春嶽に「大開国でなければ大政奉還」論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張
◆10/21【江】奉勅(18)慶喜、老中に辞職の内意を示す
◆10/22【江】奉勅(19)慶喜、「攘夷に定見なし」と後見職の辞表
◆10/23【江】奉勅(20)横井小楠、春嶽に登城説得/容堂、一翁の「大開国論」に感服/一翁左遷?(1)一翁・岡部長常・小栗忠順(開国論者)に「天誅」の風聞
◆10/24【江】奉勅(21)春嶽・容堂、慶喜の辞職翻意を勧告
◆10/25【江】左遷?(2)小笠原長行、一翁更迭と安政大獄追罰主張
◆10/26【江】奉勅(23)慶喜、春嶽の説得に応じ登城/幕府、勅使優待を決定
◆10/28【江】攘夷別勅使三条実美・姉小路公知、江戸着/
関連>>「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 |
◆10/1(11.22)【江】容保に上京出発の暇(漏洩を怖れられた会津藩)/【京】近衛関白、上京を促す宸翰を久光に下す土佐藩・長州藩激派、親兵設置を協議。
◆10/2【京】薩摩藩激派、親兵設置提議に同意。
◆10/5【京】薩長土有志連署で親兵設置を建白/
◆10/6【江】桂小五郎、越前藩に一翁の紹介を依頼
◆10/9【江】薩藩士高崎猪太郎、山内容堂に意見書
◆10/11(12.2)【江】勅使優待(2)容保、勅使待遇改善を建議するが老中板倉勝静に反論される。
◆10/12【江】勅使優待(3)越前藩、春嶽の総裁職辞表を内決
◆10/13【江】勅使優待(4)春嶽、総裁職辞表を提出
◆10/14【江】長州周布政之助、越前藩に大久保一翁への面会仲介を依頼
◆10/11(12.2)【京】土佐藩主、別勅使に先立ち、藩兵500余名を率いて江戸に向って京都を出立
◆10/12【京】別勅使、京都を出立/容保に滞府周旋の朝命
◆10/17【江】水戸藩、薩摩藩邸上書提出27士(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。/松平容保、小笠原長行と激論/講武所教授松平主税介、浪士懐柔策を幕府に建言
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11
月 |
◆11/2(12.22)【江】奉勅(24)幕府、「開国説が実行される時機もあるだろう」と攘夷奉勅を決議。
◆11/3【江】左遷?(3)春嶽、慶喜に一翁転出反対意見を述べる
◆11/4【江】左遷?(4)幕府、春嶽の反対を押し、一翁の講武所奉行転出を決定
◆11/5【江】春嶽、池田慶徳慶徳(慶喜兄)に慶喜が幕習を脱するよう尽力を依頼
◆11/7【江】慶徳、春嶽に朝旨を伝宣/
◆11/10【江】奉勅(25)慶喜、病と称して登城停止
◆11/15【江】奉勅(27)慶喜、再度の後見職辞表提出
◆11/17【江】奉勅(28)慶喜、春嶽の説得に「攘夷奉勅は浮浪の姦計にはまるだけ」と応ぜず。
◆11/19【江】小楠、勝海舟に「攘夷は国の基」と述べる。
◆11/23【江】安政の大獄関係諸有司に追罰。和宮の号を旧に復する。将軍官位一等を辞す。
◆11/25【江】フランス軍艦が大坂入港して条約勅許を迫るという風聞を根拠に、老中、容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書/
◆11/26(1.15)【江】慶喜、台命により登城/幕府、慶喜・容保・春嶽・容堂の即時海路上京を評議/容保、重職早期上洛と久光守護職反対を繰返し主張し、春嶽・容堂に「倦まれ」る
◆11/27【江】別勅使江戸城入城・攘夷の勅諚と親兵設置の沙汰を伝宣
◆11/28【江】慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆/慶喜、勅使饗応。勅使の攘夷布告要請を拒否
◆11/29【江】勅使、摂海防禦名目の慶喜上坂計画に即答を避ける春嶽、幕薩連合による公武合体推進を建議し、老中・慶喜、同意する。
◆11/30【江】慶喜・小笠原長行(老中格)の海路による先発上京内定/幕議、春嶽の提議を容れ、久光の上洛を促すことに決まる
関連>>「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 |
◆11/2(12.22)【江】幕府、攘夷奉勅を決議。
◆11/6【江】幕府の軍制改革会議。
◆11/11【江】老中板倉暗殺計画
◆11/12(1863.1.1)【江】薩摩藩高崎猪太郎(高崎五六)、山内容堂に長州藩士横浜襲撃計画を告げ【京】薩摩藩と守護職(1)島津久光を守護職にとの朝命【江】清河、春嶽に上書。
◆11/13【江】高杉晋作・久坂玄瑞ら長州藩士11名、世子毛利定広の説得で横浜襲撃中止/蒲田梅屋敷事件(1)長州藩周布政之助、容堂を誹謗/
◆11/14【江】土佐藩士、周布引渡しを求める
◆11/15【長】長井雅楽の切腹を決定。
◆11/16【京】薩摩と守護職(2)朝廷、容保に久光と力を合わせるようにとの沙汰/
◆11/22薩摩と守護職(3)容保、不同意
◆11/23【江】/桂小五郎、江戸到着
◆11/27【江】奉勅(30)別勅使三条実美・姉小路公知の江戸城入城・攘夷の勅諚と親兵設置の沙汰を伝宣
◆11/28【江】安政大獄刑死者6名(安島帯刀・橋本左内・吉田松陰ら)の墓碑建立が赦される
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12
月 |
◆12/1(1.20)【江】幕薩提携(7)春嶽、薩摩藩高崎五六に、近衛忠煕・青蓮院宮・島津久光への書簡を託す。/幕府は久光の守護職任命に幕府は異議はないが、尾張・会津・長州の反対により、来春将軍上洛時まで発表を見合わせるとを伝える
◆12/3【江】奉勅(32)勅使と春嶽の会見(慶喜欠席)。春嶽、攘夷布告に同意/勅使、慶喜の上坂に同意//横井小楠、攘夷三策を建議/幕府、軍制改革(翌年1月中旬めどの「歩兵組」編制)
◆12/4【江】幕府、慶喜に大坂警備視察のための西上の幕命/奉勅(33)勅使、早々に攘夷・親兵設置を決定・布告し、攘夷の策略・期限を翌春までに言上するようとの沙汰を伝える
◆12/5【江】奉勅(34)幕府、攘夷を奉答・親兵設置は拒否/幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。
◆12/7【江】勅使、親兵設置要求を貫徹せぬまま、江戸を出立。
◆12/8【江】慶喜、水戸藩家老武田耕雲斎ら借用申し入れ
◆12/9【江】慶喜15日の陸路上坂・小笠原16日の海路上坂決定/
◆12/11【江】耕雲斎に水戸藩士引率・慶喜に随従の幕命
◆12/13(1863.2.1)【江】幕府、攘夷を布告
◆12/14【江】尾張徳川慶勝に招かれ、小楠「幕私を棄て公議に従うべき」の持論を陳述
◆12/15【江】慶喜江戸出立/幕府、諸大名に勅諚(戊午の密勅)を示す/春嶽に先発上京の幕命
関連:「開国開城:幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」
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◆12/2(1.21)【江】薩摩藩と守護職(4)容保、久光と協力して京都守護するようにとの内沙汰を幕府に示す。(『続』)
◆12/3【江】小楠、攘夷三策を建議/幕府、軍制改革(翌年1月中旬めどの「歩兵組」編制)/薩摩藩と守護職(5)勅使三条実美、久光の守護職任命の幕議に驚く(『続』)
◆12/5【江】土佐の間崎哲馬・坂本龍馬・近藤翔次郎、春嶽に摂海防禦策を上申
◆12/6【江】土佐藩武市半平太、越前藩邸を訪問し、将軍の速やかな上洛を主張
◆12/7【江】将軍、容保に京都出発の暇を与える(&容保上洛の遅れの経緯)
◆12/8【江】板倉老中、容保に翌春早々の将軍上洛・直接守衛を約束(全権委任との交換条件)/幕議、浪士組お抱えを決定
◆12/9【京】国事掛設置/世子定広、江戸退去。
◆12/10【江】尾張藩田宮弥太郎、小楠の京都会議策に感服
◆12/11【江】春嶽に来春早々の上京の内命
◆12/12【江】勝海舟、春嶽に海路を説明/高杉、久坂、井上聞多ら、御殿場英国公使館焼き討ち。
◆12/17(2.5)【江】薩摩藩と守護職(6)幕府、朝廷の薩摩藩父・島津久光守護職任命催促に返書。
◆12/19【江】士道忘却事件(1)小楠、襲撃されるが難を逃れる。
◆12/22【京】勅使帰京。薩摩藩大久保利通入京、近衛関白・中川宮に久光の将軍上洛延期の建白書提出。
◆12/23【江】薩摩藩士岩下左次右衛門、近衛忠熙関白(内覧)の返書を春嶽に渡す久光の建白を是と評決。
◆12/24【京】容保、入京/
◆12/26慶篤、戊午の勅諚奉承を藩内に布告・処罰された藩士を赦免。
◆12/25【江】容堂、春嶽を訪ねて幕府の朝廷尊奉事項を内談。
◆12/26【京】長州・土佐排斥運動(1)前宇和島藩主伊達宗城・因幡鳥取藩主池田慶徳・阿波徳島藩世子蜂須賀茂韶、近衛忠煕関白に在京諸侯退去と公武合体の国是決定を建白。
◆12/27【江】文久永宝ができる
◆12/28【京】伊達宗城・池田慶徳ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張/ 一翁、越前藩中根靱負に書簡
◆12/29佐久間象山の蟄居が許される
◆12/30【江】幕府、清河八郎召しだし決定
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