トップ | 小世界を描く | 植物を描く | 都市を描く | 自然に描く | 真鶴スケッチ | デッサン | あ れ こ れ | 自 己 紹 介 | リンク |
5月末のことだった。庭の枝垂れ桜の葉裏に白球形の卵が密集していた。
部屋に持ち帰ったら、すぐに、小さな虫が孵った。卵の上をすっぽりと丸く切り抜いていた。三角形の物もついていたが、なんなのだろうか。
広がるかと思ったが、密集したままだった。
そして、脱皮した。脱皮を見るのは始めてだった。
大きさは倍ぐらいになったと思うが、記録を取っていなかったので、はっきりしないのは残念だ。
脱皮した後は、胸部の割合が大きくなり、角状のものが目立った。
ネットで幼虫図鑑なるものがある。毛虫、芋虫のたぐいがメインであるが、カメムシの幼虫もある。
それを見たら、クサギカメムシの、1齢と2齢の幼虫だった。
桜の葉っぱを新しくしたりしたが、つぎの脱皮まで生き長らえてくれなかった。
昆虫を飼うのは難しい。
ゴマダラカミキリの部分を沢山スケッチした。
ばらばらにすると、細かいところも描くことができるのである。
その部分を頭に入れて、組み立てなおしたのが、下から見上げたように描いたものである。
ぎごちないのは、観察と再現力の不足なのだが、その不足が解決して、なお、ぎごちなさがのこるというのも、絵の魅力であるような気もする。
今月のアサヒカメラに篠山紀信が仁左衛門を撮ったのがでているが、紀信の言葉に、見えをきった時の前後に良いシャッターチャンスがあるとあった。
思うに、ぴたりと形が決まる前後に、人間の揺れ動いている気持ちがでているのではないだろうか。
それが、より深いものに結びついているような気がした。
真鶴はミカンの産地である。
この虫は、甲虫(鞘翅)目カブトムシ亜目カミキリムシ科フトカミキリ亜科ゴマダラカミキリと言うらしい。
幼虫はミカンの生木を食べるのだそうだ。
土地の人は、この虫を見つけると、エイと踏みつぶすそうである。
チョウ目(隣翅目)アゲハチョウ科アゲハチョウ亜科ジャコウアゲハ・らしい。
雄は黒いが、雌は、黄灰色だそうだから、雌で間違いが無いだろう。
翅を広げると、幅が11センチメートルあった。
これは、9月17日に郵便局に行った帰りに、強風で飛びきれないのか、車道でばたついていた。
田舎道のことで、落ち着いて捕まえて、郵便局の封筒を破って、挟み込んで持ち帰った。
昆虫網をもって駆け回るなどということをしていないが、昆虫に関心をもってから、こういった捕まえ難いものも手に入る。
女郎蜘蛛である。今の時期でも、しぶといのはまだ網を張っている。
始めは、米粒みたいなのが脱皮を繰り返して、堂々たるものになっている。
生き残ったご褒美だろう。
スケッチしたのは、体長2センチメートル、足も入れると、6センチはあるが、これより立派なのも多くいる。
下は交尾の写真である。
雄は雌に比べると、とても小さい。ピントが甘い写真で恐縮だが、左の写真の上部に小さく移っているのが雄である。
雄は、口先にある触肢に精液をため込んで、雌の胸にある生殖孔に、精液を注ぎ込むのだそうである。
うっかりすると食われてしまうので、命がけだそうだが、写真をとった時は、雄は、ゆっくり近づいていって、雌の腹の上に乗ったが、相手はじっとしていた。
近づくという合図を送ったのだろうか。
寄生バチついでに、バラについていたアブラムシの話をしよう。
一円玉のまん中にいるのがそのアブラムシである。
バラの花をよくよく見たら、アブラムシがついていた。しばらく見ていても動かない。
腹が葉っぱに、ぴったりついているようにも見える。
触って見たら、びくともしない。しっかりついていた。
他を探して見たら、お尻にぽっかり穴の空いているのが何匹か見つかった。
葉っぱごと取ってきて、剥がして見たら、腹が白っぽく平ぺったくなっていた。
さらにアブラムシの殻を剥がすと、なにかの幼虫が体一杯に丸くなって入っていた。
この時は、体内に寄生することが分かっていなかったので、ただただ不思議であった。
いまおもえば、幼虫か卵でアブラムシの体内に入り、アブラムシが生きている内に、腹を破って、葉っぱに定着したに違いない。
採集した昆虫は、100円ショップで求めた薬入れに保存しているのだが、ごくごく小さいのものは、開け閉めしているうちに、どっかに行ってしまうのがある。
この幼虫も行方不明になってしまった。いま描こうとしても、記憶のかなたである。
年はとりたくないものだ。
前回の寄生バチを、スライドグラスの上でばらばらにして、足と羽根にカバーグラスを被せた。
頭、胸や腹は厚みがあるので、カバーグラスの脇に置いて、生物顕微鏡で観察する。
このハチは、複眼が体の割に巨大であった。上には、三つの単眼があるのはいつものとおり。
触角も、体の割には大きい。2ミリに満たない大きさのせいだろう。
羽根は、薄い膜にリベットを打つように全面に刺毛がある。
翅脈は管にはなっていなかった。凸になっていたり、折り重ねているようだ。神経や体液は通っていないようだ。
刺毛は裏表にあるので、根元のピントのずれで厚みを測ったところ、4マイクロメートルあった。
前翅の長さは1200マイクロメートルあるので、長さに対して1/300の厚みがあることになる。
これを、紙で100倍の大きさに作ったとすると、長さ12センチ厚さ0.4ミリになるので、葉書よりやや厚めの紙を切り抜けばよい。本物の剛性は分からないが、ぺらぺらでは困るので、ある程度の厚みが必要なのだろう。
頭など厚みのあるものを見るのは大変である。
とにかく小さいので、見たい面を上にするのが容易ではない。
それで、真上から描こうと思ったができなかった。動かせた物だけを載せた。
胸部と腹部は、干からびて変形した上に、角度がついているのを見て、横向きの絵にするのだから、かなり想像が入ってくる。
正確な形を描くのは至難の技なのだ。
9月のことだが、朝の散歩で、露草の花の咲いているところを摘まんできた。
紙で薄べったい小箱を造り、ラップで蓋をした。密閉状態になるので、なにかいても逃げられない。
そうして、じっくり調べたら、肉眼では分からなかったが、アブラムシが大小いくつかついていた。
何日かしたら、羽根が4枚のちっこい虫が忙しく動き回っていた。
スケッチしたのは11月だが、このときは、露草は枯れてしまって、アブラムシは、干からびていたし、小さいのが脱皮した殻もあった。
4枚羽の虫は、4匹に増えていた。
おそらく、寄生バチだろう。
アブラムシの体内に寄生したにちがいない。
そう思って、葉っぱを丁寧に調べたら、お尻に穴の空いたアブラムシが見つかった。
外殻だけを残して、全部食われてしまったのに違いがない。中身のあるのは、干からびて、くちゃくちゃになっているが、これは、きちんとした形を残している。
アブラムシの体内に、幼虫で入ったと思うが、卵はどこに生んでいたのだろうか、あれこれ、疑問だけが残る。
この珪藻は、昔から、顕微鏡の性能を確認するのに使われているのだそうだ。
光学顕微鏡の解像力の限界は、0.2とか0.3マイクロメートル程度だそうである。
この珪藻の条線は10マイクロメートルに40本あった。(どの固体でも間隔は一定しているそうだ。)見分けられる限界に近いのである。
自分は今までは、@やAのように、かろうじて条線があるかもしれない程度にしか見れなかった。昨日やっとのことでBのように、条線を見ることができた。
だからどうしたのと言われると、どうでもいいことではあるが、単純に嬉しいのである。
顕微鏡で珪藻を見ると、透明な物体を、下から光を当てて真上から見ることになる。ピントのあう範囲も狭い。だから、肉眼で見える大きさになった時の形を見るようなわけにはいかない。実際の形は想像するしかないのである。
これが、実はなかなかむづかしい。想像図を描いたことは何度もあるが、だいたい、左の想像図のようになる。それは正しいのかわからないままにいたが、電子顕微鏡の画像が、けっこうネットに出ているのに気づいた。
それによると、珪藻の表面はつるりとしていて、細い割れ目と、細かい穴が沢山にある。しかも、整然と規則正しくならんでいる。
光学顕微鏡の像からは想像もできない形だった。
MWSの珪藻プレパラートでみた世界である。
写真の種類は、0.1ミリもないようなもので、中身を溶かしてガラス質の殻だけを見るようにしてある。
透明なものを、上下ばらばらにして、下からの光で見ているので、実際の形は想像するしかない。
幸い、ネットでは電子顕微鏡の画像も公開されているのがある。
それをみると、たいていのものは、殻の表面は平らで、中央に細い線があり、また、全体に小さい穴があいている。
下のヒシガタケイソウは、顕微鏡では、中央に太い溝があるようにみえる。
しかし、実際は、表面が平らで、溝と見えたものは、裏側が厚くなっているらしい。
珪藻の世界では、体長0.1ミリは結構大きい。部分的に厚くして、強度を増しているに違いない。
殻を軽くするにはもってこいである。
アブラムシはごく小さい。1、2ミリ位いしかない。
それが固まって、雑草と呼ばれる様な草にたかっている。
その雑草の頭のところをちぎってくると、たくさん観察できるわけだ。
逃げられないように、ラップでくるんで実体顕微鏡で見ていたら、びっくりであった。
なんと、羽根の生えた成虫のお尻に、なにかがぶらさがっている。
よくよく見ると、赤い点があるし、筋が何本かある。
しばらく見ていたら、触角や足が伸びてきた。
子供を産んでいたのである。
アブラムシは、雌だけで、卵を体内で孵して年に何回も出産するするのだそうだ。
こうして生まれた子は、兵隊となって外敵を防ぐ働きをするそうだ。
そして、冬を迎え、雄と雌が交尾し卵を産んで、卵で冬を越すのだそうである。
か弱い虫とはいえ、生き延びる知恵はすばらしい。
10月27日のバッタよりよほど小さい。頭から翅の先までで4センチ程度である。
高校に入学して図書室に良く通ったが、ファーブルの昆虫記は印象的な本であった。小型の緑色の固い表紙で10巻あった。小さい活字で、紙が黄色く変色していたので、戦後すぐの出版ではないかと思う。
昆虫の生態が詳細に記録されているだけでなく、実験をかなりしている。例えば、芋虫を幼虫の餌にするハチの場合は、芋虫をマヒさせて巣に貯えるが、貯える数は決まっている。貯えている途中で芋虫を取ってしまっても、ハチは取られた不足分を補充しない。
このような例を積み上げて、昆虫の行動は、すべて生まれた時に決まっているとの結論にたっしている。つまり、昆虫の行動は本能に支配されている。しかも、あまりにも精妙に作られていて、進化する余地がないというのである。
昆虫は進化の果てにいる動物というイメージが私の頭に刻みこまれた。とはいえ、昆虫も進化の段階を踏んでいる。バッタは、不完全変態で蛹にならないまま成虫になり昆虫としてはあまり進化していないそうだ。
昆虫の種類を分けるのに翅の形状で言う場合がある。バッタは直翅目と言うので、名前の由来を調べたが、はっきりしなかった。現物を見ると、翅脈が非常に貧弱で、ほとんど真っ直ぐになっている。それで、直翅目だろうと思った。
前翅より後翅が薄くて広い。前翅は細かい凹凸をつけているが、強度を持たせるためだろう。後翅は前の一部に凹凸があるが、他は貧弱な翅脈があるばかりであった。これでは、素早く効率的に飛行はできないだろう。
こんなところにも、進化の途中性が現れているのだろうか。
道端にごく小さい雑草が生えていた。
虫に食われていたのでちぎって裏返すとアブラムシが何匹かついていた。
真っ赤で、気色悪であった。
顕微鏡で子細に見ると、ハダニまでついていた。
こっちは、草の中にいたやつ。
2月17日に描いたやつだった。
名前はあいかわらず分からないが、種類は分かるようになった。進歩である。
口器は吻に、前翅の半分が硬くなっている。
半翅目で、セミ、カメムシの仲間である。
触角が四節、絵では分からないが、体の表面が小さく窪んだ丸に被われている。
これは、カメムシの特徴である。
このバッタは大きかった、産卵管(?)の先まで入れると7センチもある。
家の近くではまず見つからない。
つまり珍しいバッタ。
ほんとはそうではないと思うが、ネットで調べると、キリギリス科カヤキリというらしい。
真鶴は自然が豊富にあるはずだが、どこでも、昆虫の姿は少ない。
今の世のおかしさがあらわれているのだろうか。
しかし、このキリギリス君のんきな顔をしているものである。
このバッタは、2センチぐらいのものだが、草むらに足を踏み入れると、ピョンピョン飛び出してくる。
栄えている種類である。
つまり平凡なバッタ。
しばらくサボってしまったので、奇抜なのを出したいとも思ったが、ごくありふれたのになってしまった。
平々凡々なのも、また価値有りである。
トップ | 小世界を描く | 植物を描く | 都市を描く | 自然に描く | 真鶴スケッチ | デッサン | あ れ こ れ | 自 己 紹 介 | リンク |