アリもいろいろいる。前々回と異なる種類の微細構造をお目にかけよう。 昔撮ったもので記憶も記録もないので、はてなではあるが、飴色のごく小さいアリだと思う。 上段は徑節の先端で、前々回の腿節と脛節の関節よりは下の部分になる。 下段は附節の先端である。 爪二つと、ハエだと褥盤(2011.04.15掲載)にあたるものが中央に一つある。ここを押しつけると吸盤の働きをするのだろう、ガラスでもぶら下がれる。 肝心なところがぼけて残念だが、生きているときのキチンとした形を撮るのは極めて難しいのです。とだけ言っておきましょう。
ハエ目のイエバエの一種だと思う。体長1センチメートル。 朝方に捕まえ、プラケースに入れて一日外出した。日中の給水ができなかったわけだ。 帰って見たら動かなくなっていた。脚をピンセットで触るとスムーズに動いたので、しっかり広げた。それをラフにスケッチしたものだ。 よく見ると、翅の端は痛んでいたし、毛も折れているものが見受けられた。かなり生きてきた個体で余命はあまりなかったのかもしれない。 とはいえ、このハエは動けないが、脚はスムーズに整形できたし収縮も始まっていなかったので、虫の息状態だったのかもしれない。
珪藻の楽しみは胞紋などの微細構造だと思うが、昆虫だって負けてはいない。 実態顕微鏡で体の仕組みが見て取れたのも感激だったが、金属顕微鏡で40Xにして見たときは、驚きそのものだった。 ただし、検体に対物レンズをうんと近づけないと見えないし、ピントのあう範囲もきわめて狭い。工夫を凝らす必要があるわけだ。 写真はクロヤマアリの大あごと後脚の腿節と脛節の関節のところである。一度にこう見えるわけではないが、ピントをずらしながら何枚か撮り深度合成してある。これだとかなり形がわかる。 アリの外骨格は平滑だと思ったら大間違いであった。 脚には細かい棘毛がびっしりあるが、外骨格の凸凹のお陰で真っ直ぐな棘毛でも脚にほぼ並行に付いているというわけだ。 (Nikon OPTIPHOTO 40X)
MWSの海産のプレパラート(EM-1)に入っていたものをもう一種お見せしよう。 次元の違う画像でいつみてもほれぼれする本家の画像はここの6月8日にある。 生物顕微鏡の高倍率はピントのあう範囲が狭い。この珪藻もわずかに傾いているのが見て取れる。 下段のものは斜め上からの光なので、影の出方が厚みを表しているのだろう。 周囲は枠になっており、中央部はH型の厚い板状なのが想定される。 穴あきの薄い膜をそれらが、がっちりと支えているのに違いない。 少ない材料で最大の効果をだしているのだろう。自然は素晴らしいと感じる瞬間である。 (オリンパスFHA、対物レンズFL40X)
5月30日の珪藻は名前は不明であるがMWSの海産のプレパラート(EM-1)に入っていたものだ。 光の方向によって色が変わったのだから、胞紋の大きさとか並び方に原因があるに違いないので調べてみた。 デジカメで撮影しパソコンで拡大してみると規則正しく穴が並んでいるのが確認できた。 珪藻の長手方向と短辺方向の胞紋の間隔の違いは1割ぐらいのものだった。この程度の差では青と赤の違いはでないだろう。 とすると、斜めにずれながら並んでいるせいに違いない。とまでは考えたがその先は遺憾ながらぼんくら頭ではどうにもならん。 光の干渉を数字を使って明快に解明できる頭なら、ちっとは世の役に立つ人間になっていたかもしれんが平凡な人生だったのもむべなるかなである。
甲虫(鞘翅)目オサムシ亜目オサムシ科マルガタゴミムシ亜科マルガタゴミムシと言うらしい。 体長1センチメートル。 下段の絵は一昨年の今頃描いたもの、二年の進歩があればいいのだが、どうだろうか。 口器の大あごは重要なポイントだと思うが、二年前は意識が全くなかったので、ちらっと見えていたはずなのに見落としている。 それが分かるようになったので観察力は上がってきたということだろう。
オリンバスFHAのいいところは偏斜照明ができると前回に書いたが、暗視野にもなった。 前回の絵でステージの下にあるのがコンデンサだが、Lを横にしたようなつまみが出ている。ここが絞りになっていて入射光の調節をしているのだが、つまみを持って引き出すことができる。 絞りを最小にして目一杯引き出すと真っ黒で何も見えないが、徐々に絞りを開けていくと光り輝く珪藻が現れてくると言うわけだ。 絞りは回転もできるので光の向きも変わる。写真は@珪藻の上からA斜め横からB横からの順に変えて撮影したものだ。 理由は説明できないが、微細構造があると色がつくようである。青から赤えの色の違いがあるが、青いほど、より微細構造があるということらしい。 BH2でも個別では見ていたはずだが、連続してみていなかったので気づかなかったのだろう。FHAの優れもののコンデンサのおかげでこの変化に気づけたというわけだ。 (オリンパスFHA、対物レンズFL40X)
この古くさい顕微鏡はオリンバスFHAである。 手持ちのオリンパスBH2は二眼なので撮影に不便である。三眼のBH2の鏡基がネットオークションで安価に入手できないかと、時々のぞいているが、結構な値段になるので手が出ないままでいる。 そんな中で、BH2と同時にこのFHAも出品している人がいた。やはりBH2は手が出なくなったが、こっちはジャンク扱いで非常に安価なままだった。思わず応札したら落札してしまった。 無いのは接眼レンズと電源で、撮影用は7Xのレンズが付いていた。 ステージ上下の微動がきかなかったり、動きが堅かったりしてまともではなかったが、光学系は綺麗なようだった。とにかく、照明をなんとかしないと見ることはできないものの今はLEDがあるので自作も簡単である。 タングステン球を後ろの筒に装填する方式で、断線したものが付いていたので、ガラスを割って10φの砲弾型LEDをフィラメントの代わりにつけて、MWSの珪藻プレパラートを見たところきちんと見えた。 光学系は無事だったのである。 ステージやコンデンサは分解してグリースを新しくしたのでスムーズに動くようになったし、微動が動けば言うことなしである。昔々の機械である。直らなくて元々、いじるのは実にたのしい。絵を描くよりももっと楽しいのではりきって挑戦しよう。 FHAをいじって分かったのは、BH2がいかに優れているかであった。底面は広くて安定しているし、照明装置は内蔵され調整も簡単である。検鏡操作も手首を動かさなくても、コンデンサの調整と検体の移動とピント合わせが簡単にできる。FHAの無駄な動きをすっかり改善していた。オークションで良い値が付くわけである。 入手したFHAにもいいところはある。コンデンサが偏斜照明ができるタイプだった。しかも、アプラナート アクロマート1.4の高級品で、BH2に使えれば感激ものであったが、取り付け方法が異なるので使えないのは残念だった。
バルチュスの絵は当然ながら時代により変化している。 前回も今回の模写も1937年の制作である。 バルチュスは具体の形を描いているが、かなり変形しているものが多い。そこが魅力だと思うが、1937年頃はかなり正確な描写のようだ。 当時は、その正確な描写に惹かれて模写をしていたが、今、画集と見比べてみて、あまりの不正確な模写に愕然とする。たとえば、この元の絵では女の子の頭はずっと大きくて、いかにも幼い少女である。 その幼い女の子にエロチシズムがあふれているのがこの絵の眼目だろうが、肝心なところをきちんと模写していないのが歴然としている。というのを、今頃気づくというのんびりさである。
バルチュスの模写も和紙と筆でしていたことがある。 むろん画集からであるが、本物をみたのは、1984年に京都で開催された大規模な展覧会であるが、強い印象をうけた。 遙か昔の模写で、どういうつもりだったのか確かな記憶はないが、バルチュスの構図を勉強するつもりで描いたように思う。 ラフな模写であるがなかなか形がとれなくて苦労したのが思い出される。
ハエ(双翅)目短角亜目ハナバエ科クロオビハナバエというらしい。体長0.6センチメートル。 ハエは代謝が激しいようで、閉じ込めると腹がぺちゃんこになり翌日には死んでいる。それで、蜂蜜水をスポンジに含ませて与えることにしたところしばらくは生き延びるようになった。 スポンジに口器をつけて吸うところを、肉眼でなく拡大してみるので口器の動きがよく見えた。 体はあまり動かさないで、口器だけを盛んに動かし、凸凹しているスポンジの面にぴったりつけていた。驚くべき自在さである。 ほんの少しの蜂蜜水であるが、ハエには多かったのか腹が異常に膨らむくらい飲んだ。 ついには飲み過ぎたのか、口に水玉をくわえていたのには驚いた。
森山大道の模写をもう一つだそう。 大道の写真は、画面の中に中心となるものを見つけ、それを強調する撮り方だと思うが、これは画面全体が等価になっていると思う。 どちらのやり方でも、いいものはいいと言うことだろう。 絵も同じである。なにをどう描くかで悩むと言うことだ。
森山大道はアレブレの大家だが、模写したのもコントラストの強いものだった。 模写しやすいとも言えるが、模写する上で気にしたのは構図である。 人物の配置と背景の関係が抜群だと思う。 人物は真っ直ぐに立っているのに背景は傾いでおり、しかも、中央の人物は異様な黒めがねをしている。 こんな情景を、すれ違いざまに写せるのは、ただ者ではないと言うことだ。
どうです。迫力あるでしょう。 と自慢しましたが、残念ながら、描いたのは私ですが、森山大道の写真を模写したものだった。 元がいいと下手な模写でも見れるというわけだ。 だいぶ前のものだが,その頃、和紙に筆と墨で盛んに模写をしていた。 優れた作品のおこぼれを頂戴しようとしていたわけだ。
人間の目と写真機の目の違いを書いたが、映画もレンズの選択で画面が変わるそうだ。 スタンリー・キュ−ブリックの「A LIFE IN PICTURES」によると「現金に体を張れ」の撮影開始時のカメラマンとのいざこざが出ていた。 キュ−ブリックは26歳の新進監督、かたや屈指のカメラマン L・バクードでは格が違っていた。 キューブリックは35mmの設定をしてバクードに引き継いだところ、バクートはキューブリックの指示した位置よりも下げてカメラをセットして、「自分は50mmを使う、この位置で君の撮影意図は変わらないし、50mmを使い慣れているので仕事も早い。」と言ったそうだ。キューブリックは、「それでは遠近感が違ってしまう、指示した位置にもどせ、いやならやめてもらっても結構だと。」静かに言い、しばらくにらみ合っていたそうだが、バクードはカメラ位置を元に戻し、それ以後もめ事はなかったそうである。 昔のことで、篠山紀信が撮ったなにかのコマーシャルだったと思うが、女性が立っていると背景がどんどん大きくなっていく不思議な画面があった。種を明かしてもらうと案外簡単なことだった。 人と背景は動かないが、カメラを後退させるのである。そして、遠くなるほどレンズをどんどん望遠側に変えていけば、人の大きさは一定で、背景だけがどんどん大きくなるというわけだ。 絵は「現金に体を張れ」のワンシーンを模写しました。多分これが問題のカットではないかと思います。
昔の話をしたついでである。 1982年の旧都庁第一庁舎をお目にかける。 美術部の先輩が頼まれた仕事だったが、ペン画は苦手なので代わって描いてくれと頼まれた。 ホイホイと引き受けて、現地でのスケッチを元に仕上げを始めたが細部で行き詰まってしまった。 それで写真を写しに行ったが、ワンカットでこの絵のようには収まらなかった。 人間の目と写真機の目は違うのを身に沁みて感じたわけだ。 それにもかかわらず、自分の仕事の中心は写真をそのまま絵にしていた。沢山撮った中からいかに選び出すかが問題であった。 これではまずい。と心のどこかで引っかかっていたような気もするが押し通してきたわけだ。今この絵を紹介して、この文章を書きながら考えを改めなくてはこの先はないと思えてきた。
ベローズがないと大きく撮せないとぼやいたら、友人がタンスの肥やし状態だからとニコンPB−4を送ってくれた。 40年前の商品だが、ニコンはマウントを変えていないので、現行のデジイチでも使用可能である。古いとはいえ、スイングもシフトもできて、あおり撮影ができる優れものである。 友人は几帳面な性格なので箱はもちろん使用説明書もしっかり保管されていた。箱は金色であるが、値段票も金ラベルで「Nikon \20,000」としっかり張ってあった。 今の二万円は高くないが、当時は高価だった。給料の明確な記憶はないが、数年前にあたる初任給が3万4千円だったから、給料の半分ぐらいだっただろう。 当時はカメラを手に入れるのも大変だった。給料を貯め、ボーナスで補ってニコンFを買ったときなどはうれしくてしょうがなかったものである。 さっそく、クロヤマアリがぞろぞろでてきているので被写体になってもらった。 肉眼だと真っ黒けだが、拡大するとやや赤っぽくなる。 色は不思議なものである。光学を究めた人なら簡単に説明できるのだろうが、口あんぐりの人だから現象をいうだけだ。
ハエ(双翅)目のマクロ撮影である。ベローズなどを使わないと、これ以上は大きく撮せないのは残念だ。 何バエだかさっぱりわからないのも癪の種である。 前回より周りが写っているのて゜、テープでべたべたと貼り付けているのがわかるだろう。 手際が悪くて、やっつけ仕事になってしまうのを白状しているわけだ。 しかし、肉眼ではもちろん気づかないが、このハエの複眼は金属光沢の赤銅色で綺麗だった。この写真でも感じは出ていると思う。
メインのパソコンがダウン。 弱り目に祟り目で、風邪も引いてしまった。 そんなわけで芸もなく手持ちの写真をそのままお目にかけます。 ガガンボを、前面をスライドグラスにした小容器に入れてマクロ撮影したもの。 正月早々、浴室にいた。幼虫が下水にいて、風呂桶の排水口から出てきたものだろうが、時季外れではないのだろうかと不思議だった。
奈良県二上山付近穴虫地区の水晶2個。 どちらも金属顕微鏡で撮影したもの。 左は真上からの照明のみ。水平面は白く光り輝き、斜めのところは黒くなる。黒いダイヤのようで美しい。もともとは透明のものだが、そんな素振りはちっとも見せてくれない。 右は、横からの光である。深度合成してある。 こちらは、プラチナ細工のような質感で、柔らかく上品ないい感じがした。 オリーブ色の小粒が中に入っている。 橄欖石だろうか。 ものごとは見方によって姿を変えてくるそうな。透明な物体も光によって姿を変えてきたのだ。
春季新作家展が終わってもすぐに19回展がやってくる。 2年ぶりの都美術館で作品は大型になる。で、今から準備を始める。 樹木は不本意な終わり方をしていたので、再挑戦である。 キャンバスに糸を縦横に張って15分割にする。元図も15分割してA4サイズ15枚にプリントする。 マス目ごとに写す作業をするわけだ。 プロジェクターを使って直接写す方法もある。ずっと楽である。しかし、ぐっとこらえて機械の世話にはならないのだ。
2011.12.15に載せた、奈良県二上山付近穴虫地区の天然サファイアの第二弾である。 小粒なものを顕微鏡で見るわけだが、どんな構造だかよくわからん。 裂け目もあるようだし、全体が透明なものに覆われてもいるようだ。 ピントを少しずつ変えながら、たくさん写真を撮り深度合成した。その上に画像処理ソフトで背景を暗くして境界をぼかした。
ゴミだらけの自家製プレパラートを素材にした作品は「残滓」と名付けて2枚描いた。それぞれ横向きなのだが、隗展に縦向きの組み合わせしたものとして出品した。 日本的な屏風仕立てのようだとの感想を頂いた。 元々セットで考えていたのではないのだが、うまくつながった。 幸運の女神が微笑んでくれたのだろう。
ヒラタアブの口器は頭の下の細長い開口から出ている。 左下図の赤い枠がそうである。ここから、普段はちょこっと出ているだけだが、肝心なときには、スッと出てくるのである。 開口があるといっても、写真で見えているように少しくぼんでいるだけで、穴が深く開いている訳ではない。 開口の周りには図の青のように、赤の外骨格と口器をつないでいる膜状のものがある。 柔らかくて伸び縮みする上に折りたたまれているようだった。 口器が伸びても問題ないというわけだ。 こんなことは些細なことだが、気づくときは自然の仕組みはすごいなあと思える瞬間でもある。昆虫を観察する楽しみの元である。 図は想像です。確認したわけではありません。念のため。
ハエ(双翅)目のヒラタアブの一種で体長1センチメートル。 頭が大きいのと腹部が平たくて長いのが特徴だと思う。 ハエと違ってきれいに感じるが、口器は同じである。 頭の前半が空洞で、この中に格納されていたものが、餌を吸うときにスッと出てくるわけだ。 下段写真の上部にちょこっと見えているのが小あご枝で、2月15日のものは外部にどんと出ていて、しかもいかに大きいかわかる。 ハエは足先に感覚器があって餌を見分けているらしいので、ヒラタアブも同様だろう。2月15日の奴は小あご枝で確認しているので非常に長いのではないか。などと考えた。
今日もメモをお見せします。 去年の11月に近所で捕まえたハエ(双翅)目。普通の蝿や蚊とは大違いの奴だった。 体長1.2センチメートルで、焦げ茶の細長い虫で蝿の仲間だとは思わなかったが、顕微鏡で見ると、後翅が平均棍になっているのでハエ(双翅)目は間違いない。 頭は複眼がとびだしているうえに細長いので蛇のようでなんとも気色悪いし、吸収式の口器の両脇には大きな小あご枝もついていてグロテスクさは増すばかりであった。脚も前、中、後ろと大きく異なっており、後ろは長大であり、前は脛節の先が二股になっているなど特徴的であった。 ハエと一口に言ってもいろいろいるわけだ。
今日はメモをお見せします。 黒っぽい蝿を二匹捕まえたが、大きさが少し違っていた。見たところ同じような感じなので個体差かなとも思ったが、きちんと見てみると違う種だった。 文字は読み取れないので恐縮ですが形だけを見てください。左から前脚、中脚、後脚の順で、上段がやや小さい蝿のもの。 上段のものは少し色が着いていた。はっきりした違いは長くて太い棘毛の配置だった。これは肉眼では全く分からない。顕微鏡のおかげである。
密集した珪藻の絵は泥沼に入り込んでしまった。遅々として進展しない。力以上のものに手をつけるせいだが、ちっとも懲りないでまたやってしまった。 というわけで、今日も写真にしてしまった。 2ミリくらいの小さな蝿で、ビロードのような質感があった。金属顕微鏡でピントを僅かにずらしながら撮影し、海外のフリーソフト「Image J」を使って、深度合成をした。その後はフォトショップエレメントで一枚にまとめる。 乾燥したもので生きているときのようではない。こうやって写真にしてみると、後脚が巨大なのに気付いたが、どういう意味合いがあるのだろうか。
今描いている絵の一部分を元の写真でお見せしよう。 右の唇型がキンベラ (くちびる) 珪藻で0.1ミリくらいの長さがある。 大小の珪藻が中身をすっかり洗われて殻だけが沢山集まったと言うわけだ。 こんなのをシコシコと描いていくわけだ。
24日に目覚めて外を見たら雪が積もっていた。久しぶりの雪である。 日中も降っている時間もあったが、溶けていく方が多かった。 真鶴は箱根山を後ろに背負っているのだが、雪が降っても溶けるのが早い。 海からの風の影響だろうか。
昆虫でも油絵にしたいとはずっと思っている。 小品だが手をつけたこともある。 細密描写で描いてきたので、油でも当然細密描写のつもりで始めたが手が違う動きをし始めた。 下絵をきちんと描き慎重に進める必要があるが、ラフな筆の動きでおおざっぱに描き始めていた。 まあ、明暗をおおざっぱにとり、詳細な細部を積み上げていけるのが油絵の特徴でもあるので、ラフな始め方でもいいわけではある。 しかし、そうはならなかった。技術力の不足のせいだろうとも思ったが、「油はタッチで描きたい。」という思いが深く染みこんでいるような気もしてきた。 論語にいわく、四〇にして惑わずとあるが、六〇を超えてなを惑っているのはどうしたことだろうか。 とはいえ、なるようにしかならないのだから気楽にいこう。
昨年の暮れに川崎の生田に行った。 多摩丘陵の一角である。谷間を小田急線が走っている。我が母校はこの丘陵の上にある。通っていたのは半世紀前まではいかないものの、大して変わらない時代だ。 思えば長い時間を生きてきたものである。 通学していたときは山の中の印象だったが、今は開発され尽くしている感じがした。 写生地は、その中で地元の人たちの努力で生田緑地として残ったものである。 冬の雑木林は落葉した木立が美しかった。
新作家春季展が3月にあるので、去年の暮れから制作を始める。P50号である。 ここまで来るのに延べ8日もかかってしまった。 材料はMWSの教育用プレパラートEP−1の一部である。多数の珪藻がやや厚めに封じてあるので吹き寄せられたところは多数が重なることになる。 描いてみるとキンベラ、ナビクラ、ゴンフォネマ、フルスツリアといろいろな珪藻があるのが分かる。重なっているところはピントを変えて何枚も写真を撮ってあるので、思わぬ珪藻が隠れていたりするのも分かった。 そこのところは楽しいものであるが、微妙な形で正確に写すことはなかなか難しい。筆は進まない、時間はたつで予想していたことではあるが、泥沼に入り込んだ心持ちだ。
ハチ(膜翅)目細腰亜目アリ科ヤマアリ亜科クロオオアリで間違いないだろう。体長1センチメートル。 アリもいろいろいるが、オオクロアリは大きくて、スマートな体をしている。 動いているのを実体顕微鏡でも見ることができるようになったので、いろいろな姿態を見ることができる。 頭と触角のフリフリ動きや、脚の自在さに、腹部の上げ下ろしなど見ていて飽きることがない。 ちょっと止まって構えているところを描いてみた。いつもの精密画よりもラフに描いてみたがどうだろうか。
2012.06.30
アリもいろいろいる。前々回と異なる種類の微細構造をお目にかけよう。
昔撮ったもので記憶も記録もないので、はてなではあるが、飴色のごく小さいアリだと思う。
上段は徑節の先端で、前々回の腿節と脛節の関節よりは下の部分になる。
下段は附節の先端である。
爪二つと、ハエだと褥盤(2011.04.15掲載)にあたるものが中央に一つある。ここを押しつけると吸盤の働きをするのだろう、ガラスでもぶら下がれる。
肝心なところがぼけて残念だが、生きているときのキチンとした形を撮るのは極めて難しいのです。とだけ言っておきましょう。
2012.06.25
ハエ目のイエバエの一種だと思う。体長1センチメートル。
朝方に捕まえ、プラケースに入れて一日外出した。日中の給水ができなかったわけだ。
帰って見たら動かなくなっていた。脚をピンセットで触るとスムーズに動いたので、しっかり広げた。それをラフにスケッチしたものだ。
よく見ると、翅の端は痛んでいたし、毛も折れているものが見受けられた。かなり生きてきた個体で余命はあまりなかったのかもしれない。
とはいえ、このハエは動けないが、脚はスムーズに整形できたし収縮も始まっていなかったので、虫の息状態だったのかもしれない。
2012.06.20
珪藻の楽しみは胞紋などの微細構造だと思うが、昆虫だって負けてはいない。
実態顕微鏡で体の仕組みが見て取れたのも感激だったが、金属顕微鏡で40Xにして見たときは、驚きそのものだった。
ただし、検体に対物レンズをうんと近づけないと見えないし、ピントのあう範囲もきわめて狭い。工夫を凝らす必要があるわけだ。
写真はクロヤマアリの大あごと後脚の腿節と脛節の関節のところである。一度にこう見えるわけではないが、ピントをずらしながら何枚か撮り深度合成してある。これだとかなり形がわかる。
アリの外骨格は平滑だと思ったら大間違いであった。
脚には細かい棘毛がびっしりあるが、外骨格の凸凹のお陰で真っ直ぐな棘毛でも脚にほぼ並行に付いているというわけだ。 (Nikon OPTIPHOTO 40X)
2012.06.15
MWSの海産のプレパラート(EM-1)に入っていたものをもう一種お見せしよう。
次元の違う画像でいつみてもほれぼれする本家の画像はここの6月8日にある。
生物顕微鏡の高倍率はピントのあう範囲が狭い。この珪藻もわずかに傾いているのが見て取れる。
下段のものは斜め上からの光なので、影の出方が厚みを表しているのだろう。
周囲は枠になっており、中央部はH型の厚い板状なのが想定される。
穴あきの薄い膜をそれらが、がっちりと支えているのに違いない。
少ない材料で最大の効果をだしているのだろう。自然は素晴らしいと感じる瞬間である。
(オリンパスFHA、対物レンズFL40X)
2012.06.10
5月30日の珪藻は名前は不明であるがMWSの海産のプレパラート(EM-1)に入っていたものだ。
光の方向によって色が変わったのだから、胞紋の大きさとか並び方に原因があるに違いないので調べてみた。
デジカメで撮影しパソコンで拡大してみると規則正しく穴が並んでいるのが確認できた。
珪藻の長手方向と短辺方向の胞紋の間隔の違いは1割ぐらいのものだった。この程度の差では青と赤の違いはでないだろう。 とすると、斜めにずれながら並んでいるせいに違いない。とまでは考えたがその先は遺憾ながらぼんくら頭ではどうにもならん。
光の干渉を数字を使って明快に解明できる頭なら、ちっとは世の役に立つ人間になっていたかもしれんが平凡な人生だったのもむべなるかなである。
2012.06.05
甲虫(鞘翅)目オサムシ亜目オサムシ科マルガタゴミムシ亜科マルガタゴミムシと言うらしい。 体長1センチメートル。
下段の絵は一昨年の今頃描いたもの、二年の進歩があればいいのだが、どうだろうか。
口器の大あごは重要なポイントだと思うが、二年前は意識が全くなかったので、ちらっと見えていたはずなのに見落としている。
それが分かるようになったので観察力は上がってきたということだろう。
2012.05.30
オリンバスFHAのいいところは偏斜照明ができると前回に書いたが、暗視野にもなった。
前回の絵でステージの下にあるのがコンデンサだが、Lを横にしたようなつまみが出ている。ここが絞りになっていて入射光の調節をしているのだが、つまみを持って引き出すことができる。
絞りを最小にして目一杯引き出すと真っ黒で何も見えないが、徐々に絞りを開けていくと光り輝く珪藻が現れてくると言うわけだ。
絞りは回転もできるので光の向きも変わる。写真は@珪藻の上からA斜め横からB横からの順に変えて撮影したものだ。
理由は説明できないが、微細構造があると色がつくようである。青から赤えの色の違いがあるが、青いほど、より微細構造があるということらしい。
BH2でも個別では見ていたはずだが、連続してみていなかったので気づかなかったのだろう。FHAの優れもののコンデンサのおかげでこの変化に気づけたというわけだ。
(オリンパスFHA、対物レンズFL40X)
2012.05.25
この古くさい顕微鏡はオリンバスFHAである。
手持ちのオリンパスBH2は二眼なので撮影に不便である。三眼のBH2の鏡基がネットオークションで安価に入手できないかと、時々のぞいているが、結構な値段になるので手が出ないままでいる。
そんな中で、BH2と同時にこのFHAも出品している人がいた。やはりBH2は手が出なくなったが、こっちはジャンク扱いで非常に安価なままだった。思わず応札したら落札してしまった。
無いのは接眼レンズと電源で、撮影用は7Xのレンズが付いていた。
ステージ上下の微動がきかなかったり、動きが堅かったりしてまともではなかったが、光学系は綺麗なようだった。とにかく、照明をなんとかしないと見ることはできないものの今はLEDがあるので自作も簡単である。
タングステン球を後ろの筒に装填する方式で、断線したものが付いていたので、ガラスを割って10φの砲弾型LEDをフィラメントの代わりにつけて、MWSの珪藻プレパラートを見たところきちんと見えた。
光学系は無事だったのである。
ステージやコンデンサは分解してグリースを新しくしたのでスムーズに動くようになったし、微動が動けば言うことなしである。昔々の機械である。直らなくて元々、いじるのは実にたのしい。絵を描くよりももっと楽しいのではりきって挑戦しよう。
FHAをいじって分かったのは、BH2がいかに優れているかであった。底面は広くて安定しているし、照明装置は内蔵され調整も簡単である。検鏡操作も手首を動かさなくても、コンデンサの調整と検体の移動とピント合わせが簡単にできる。FHAの無駄な動きをすっかり改善していた。オークションで良い値が付くわけである。
入手したFHAにもいいところはある。コンデンサが偏斜照明ができるタイプだった。しかも、アプラナート アクロマート1.4の高級品で、BH2に使えれば感激ものであったが、取り付け方法が異なるので使えないのは残念だった。
2012.05.20
バルチュスの絵は当然ながら時代により変化している。
前回も今回の模写も1937年の制作である。
バルチュスは具体の形を描いているが、かなり変形しているものが多い。そこが魅力だと思うが、1937年頃はかなり正確な描写のようだ。
当時は、その正確な描写に惹かれて模写をしていたが、今、画集と見比べてみて、あまりの不正確な模写に愕然とする。たとえば、この元の絵では女の子の頭はずっと大きくて、いかにも幼い少女である。
その幼い女の子にエロチシズムがあふれているのがこの絵の眼目だろうが、肝心なところをきちんと模写していないのが歴然としている。というのを、今頃気づくというのんびりさである。
2012.05.15
バルチュスの模写も和紙と筆でしていたことがある。
むろん画集からであるが、本物をみたのは、1984年に京都で開催された大規模な展覧会であるが、強い印象をうけた。
遙か昔の模写で、どういうつもりだったのか確かな記憶はないが、バルチュスの構図を勉強するつもりで描いたように思う。
ラフな模写であるがなかなか形がとれなくて苦労したのが思い出される。
2012.05.10
ハエ(双翅)目短角亜目ハナバエ科クロオビハナバエというらしい。
体長0.6センチメートル。
ハエは代謝が激しいようで、閉じ込めると腹がぺちゃんこになり翌日には死んでいる。それで、蜂蜜水をスポンジに含ませて与えることにしたところしばらくは生き延びるようになった。
スポンジに口器をつけて吸うところを、肉眼でなく拡大してみるので口器の動きがよく見えた。
体はあまり動かさないで、口器だけを盛んに動かし、凸凹しているスポンジの面にぴったりつけていた。驚くべき自在さである。
ほんの少しの蜂蜜水であるが、ハエには多かったのか腹が異常に膨らむくらい飲んだ。
ついには飲み過ぎたのか、口に水玉をくわえていたのには驚いた。
2012.05.05
森山大道の模写をもう一つだそう。
大道の写真は、画面の中に中心となるものを見つけ、それを強調する撮り方だと思うが、これは画面全体が等価になっていると思う。
どちらのやり方でも、いいものはいいと言うことだろう。
絵も同じである。なにをどう描くかで悩むと言うことだ。
2012.04.30
森山大道はアレブレの大家だが、模写したのもコントラストの強いものだった。
模写しやすいとも言えるが、模写する上で気にしたのは構図である。
人物の配置と背景の関係が抜群だと思う。
人物は真っ直ぐに立っているのに背景は傾いでおり、しかも、中央の人物は異様な黒めがねをしている。
こんな情景を、すれ違いざまに写せるのは、ただ者ではないと言うことだ。
2012.04.25
どうです。迫力あるでしょう。
と自慢しましたが、残念ながら、描いたのは私ですが、森山大道の写真を模写したものだった。
元がいいと下手な模写でも見れるというわけだ。
だいぶ前のものだが,その頃、和紙に筆と墨で盛んに模写をしていた。
優れた作品のおこぼれを頂戴しようとしていたわけだ。
2012.04.20
人間の目と写真機の目の違いを書いたが、映画もレンズの選択で画面が変わるそうだ。
スタンリー・キュ−ブリックの「A LIFE IN PICTURES」によると「現金に体を張れ」の撮影開始時のカメラマンとのいざこざが出ていた。
キュ−ブリックは26歳の新進監督、かたや屈指のカメラマン L・バクードでは格が違っていた。
キューブリックは35mmの設定をしてバクードに引き継いだところ、バクートはキューブリックの指示した位置よりも下げてカメラをセットして、「自分は50mmを使う、この位置で君の撮影意図は変わらないし、50mmを使い慣れているので仕事も早い。」と言ったそうだ。キューブリックは、「それでは遠近感が違ってしまう、指示した位置にもどせ、いやならやめてもらっても結構だと。」静かに言い、しばらくにらみ合っていたそうだが、バクードはカメラ位置を元に戻し、それ以後もめ事はなかったそうである。
昔のことで、篠山紀信が撮ったなにかのコマーシャルだったと思うが、女性が立っていると背景がどんどん大きくなっていく不思議な画面があった。種を明かしてもらうと案外簡単なことだった。
人と背景は動かないが、カメラを後退させるのである。そして、遠くなるほどレンズをどんどん望遠側に変えていけば、人の大きさは一定で、背景だけがどんどん大きくなるというわけだ。
絵は「現金に体を張れ」のワンシーンを模写しました。多分これが問題のカットではないかと思います。
2012.04.15
昔の話をしたついでである。
1982年の旧都庁第一庁舎をお目にかける。
美術部の先輩が頼まれた仕事だったが、ペン画は苦手なので代わって描いてくれと頼まれた。
ホイホイと引き受けて、現地でのスケッチを元に仕上げを始めたが細部で行き詰まってしまった。
それで写真を写しに行ったが、ワンカットでこの絵のようには収まらなかった。
人間の目と写真機の目は違うのを身に沁みて感じたわけだ。
それにもかかわらず、自分の仕事の中心は写真をそのまま絵にしていた。沢山撮った中からいかに選び出すかが問題であった。
これではまずい。と心のどこかで引っかかっていたような気もするが押し通してきたわけだ。今この絵を紹介して、この文章を書きながら考えを改めなくてはこの先はないと思えてきた。
2012.04.10
ベローズがないと大きく撮せないとぼやいたら、友人がタンスの肥やし状態だからとニコンPB−4を送ってくれた。
40年前の商品だが、ニコンはマウントを変えていないので、現行のデジイチでも使用可能である。古いとはいえ、スイングもシフトもできて、あおり撮影ができる優れものである。
友人は几帳面な性格なので箱はもちろん使用説明書もしっかり保管されていた。箱は金色であるが、値段票も金ラベルで「Nikon \20,000」としっかり張ってあった。
今の二万円は高くないが、当時は高価だった。給料の明確な記憶はないが、数年前にあたる初任給が3万4千円だったから、給料の半分ぐらいだっただろう。
当時はカメラを手に入れるのも大変だった。給料を貯め、ボーナスで補ってニコンFを買ったときなどはうれしくてしょうがなかったものである。
さっそく、クロヤマアリがぞろぞろでてきているので被写体になってもらった。
肉眼だと真っ黒けだが、拡大するとやや赤っぽくなる。
色は不思議なものである。光学を究めた人なら簡単に説明できるのだろうが、口あんぐりの人だから現象をいうだけだ。
2012.04.05
ハエ(双翅)目のマクロ撮影である。ベローズなどを使わないと、これ以上は大きく撮せないのは残念だ。
何バエだかさっぱりわからないのも癪の種である。
前回より周りが写っているのて゜、テープでべたべたと貼り付けているのがわかるだろう。
手際が悪くて、やっつけ仕事になってしまうのを白状しているわけだ。
しかし、肉眼ではもちろん気づかないが、このハエの複眼は金属光沢の赤銅色で綺麗だった。この写真でも感じは出ていると思う。
2012.03.30
メインのパソコンがダウン。
弱り目に祟り目で、風邪も引いてしまった。
そんなわけで芸もなく手持ちの写真をそのままお目にかけます。
ガガンボを、前面をスライドグラスにした小容器に入れてマクロ撮影したもの。
正月早々、浴室にいた。幼虫が下水にいて、風呂桶の排水口から出てきたものだろうが、時季外れではないのだろうかと不思議だった。
2012.03.25
奈良県二上山付近穴虫地区の水晶2個。
どちらも金属顕微鏡で撮影したもの。
左は真上からの照明のみ。水平面は白く光り輝き、斜めのところは黒くなる。黒いダイヤのようで美しい。もともとは透明のものだが、そんな素振りはちっとも見せてくれない。
右は、横からの光である。深度合成してある。
こちらは、プラチナ細工のような質感で、柔らかく上品ないい感じがした。
オリーブ色の小粒が中に入っている。 橄欖石だろうか。
ものごとは見方によって姿を変えてくるそうな。透明な物体も光によって姿を変えてきたのだ。
2012.03.20
春季新作家展が終わってもすぐに19回展がやってくる。
2年ぶりの都美術館で作品は大型になる。で、今から準備を始める。
樹木は不本意な終わり方をしていたので、再挑戦である。
キャンバスに糸を縦横に張って15分割にする。元図も15分割してA4サイズ15枚にプリントする。
マス目ごとに写す作業をするわけだ。
プロジェクターを使って直接写す方法もある。ずっと楽である。しかし、ぐっとこらえて機械の世話にはならないのだ。
2012.03.15
2011.12.15に載せた、奈良県二上山付近穴虫地区の天然サファイアの第二弾である。
小粒なものを顕微鏡で見るわけだが、どんな構造だかよくわからん。
裂け目もあるようだし、全体が透明なものに覆われてもいるようだ。
ピントを少しずつ変えながら、たくさん写真を撮り深度合成した。その上に画像処理ソフトで背景を暗くして境界をぼかした。
2012.03.10
ゴミだらけの自家製プレパラートを素材にした作品は「残滓」と名付けて2枚描いた。それぞれ横向きなのだが、隗展に縦向きの組み合わせしたものとして出品した。
日本的な屏風仕立てのようだとの感想を頂いた。
元々セットで考えていたのではないのだが、うまくつながった。
幸運の女神が微笑んでくれたのだろう。
2012.02.29
ヒラタアブの口器は頭の下の細長い開口から出ている。
左下図の赤い枠がそうである。
ここから、普段はちょこっと出ているだけだが、肝心なときには、スッと出てくるのである。
開口があるといっても、写真で見えているように少しくぼんでいるだけで、穴が深く開いている訳ではない。
開口の周りには図の青のように、赤の外骨格と口器をつないでいる膜状のものがある。
柔らかくて伸び縮みする上に折りたたまれているようだった。
口器が伸びても問題ないというわけだ。
こんなことは些細なことだが、気づくときは自然の仕組みはすごいなあと思える瞬間でもある。昆虫を観察する楽しみの元である。
図は想像です。確認したわけではありません。念のため。
2012.02.20
ハエ(双翅)目のヒラタアブの一種で体長1センチメートル。
頭が大きいのと腹部が平たくて長いのが特徴だと思う。
ハエと違ってきれいに感じるが、口器は同じである。
頭の前半が空洞で、この中に格納されていたものが、餌を吸うときにスッと出てくるわけだ。
下段写真の上部にちょこっと見えているのが小あご枝で、2月15日のものは外部にどんと出ていて、しかもいかに大きいかわかる。
ハエは足先に感覚器があって餌を見分けているらしいので、ヒラタアブも同様だろう。2月15日の奴は小あご枝で確認しているので非常に長いのではないか。などと考えた。
2012.02.15
今日もメモをお見せします。
去年の11月に近所で捕まえたハエ(双翅)目。普通の蝿や蚊とは大違いの奴だった。
体長1.2センチメートルで、焦げ茶の細長い虫で蝿の仲間だとは思わなかったが、顕微鏡で見ると、後翅が平均棍になっているのでハエ(双翅)目は間違いない。
頭は複眼がとびだしているうえに細長いので蛇のようでなんとも気色悪いし、吸収式の口器の両脇には大きな小あご枝もついていてグロテスクさは増すばかりであった。脚も前、中、後ろと大きく異なっており、後ろは長大であり、前は脛節の先が二股になっているなど特徴的であった。
ハエと一口に言ってもいろいろいるわけだ。
2012.02.10
今日はメモをお見せします。
黒っぽい蝿を二匹捕まえたが、大きさが少し違っていた。見たところ同じような感じなので個体差かなとも思ったが、きちんと見てみると違う種だった。
文字は読み取れないので恐縮ですが形だけを見てください。左から前脚、中脚、後脚の順で、上段がやや小さい蝿のもの。
上段のものは少し色が着いていた。はっきりした違いは長くて太い棘毛の配置だった。これは肉眼では全く分からない。顕微鏡のおかげである。
2012.02.05
密集した珪藻の絵は泥沼に入り込んでしまった。遅々として進展しない。力以上のものに手をつけるせいだが、ちっとも懲りないでまたやってしまった。
というわけで、今日も写真にしてしまった。
2ミリくらいの小さな蝿で、ビロードのような質感があった。金属顕微鏡でピントを僅かにずらしながら撮影し、海外のフリーソフト「Image J」を使って、深度合成をした。その後はフォトショップエレメントで一枚にまとめる。
乾燥したもので生きているときのようではない。こうやって写真にしてみると、後脚が巨大なのに気付いたが、どういう意味合いがあるのだろうか。
2012.01.30
今描いている絵の一部分を元の写真でお見せしよう。
右の唇型がキンベラ (くちびる) 珪藻で0.1ミリくらいの長さがある。
大小の珪藻が中身をすっかり洗われて殻だけが沢山集まったと言うわけだ。
こんなのをシコシコと描いていくわけだ。
2012.01.25
24日に目覚めて外を見たら雪が積もっていた。久しぶりの雪である。
日中も降っている時間もあったが、溶けていく方が多かった。
真鶴は箱根山を後ろに背負っているのだが、雪が降っても溶けるのが早い。
海からの風の影響だろうか。
2012.01.20
昆虫でも油絵にしたいとはずっと思っている。
小品だが手をつけたこともある。
細密描写で描いてきたので、油でも当然細密描写のつもりで始めたが手が違う動きをし始めた。
下絵をきちんと描き慎重に進める必要があるが、ラフな筆の動きでおおざっぱに描き始めていた。
まあ、明暗をおおざっぱにとり、詳細な細部を積み上げていけるのが油絵の特徴でもあるので、ラフな始め方でもいいわけではある。
しかし、そうはならなかった。技術力の不足のせいだろうとも思ったが、「油はタッチで描きたい。」という思いが深く染みこんでいるような気もしてきた。
論語にいわく、四〇にして惑わずとあるが、六〇を超えてなを惑っているのはどうしたことだろうか。
とはいえ、なるようにしかならないのだから気楽にいこう。
2012.01.15
昨年の暮れに川崎の生田に行った。
多摩丘陵の一角である。谷間を小田急線が走っている。我が母校はこの丘陵の上にある。通っていたのは半世紀前まではいかないものの、大して変わらない時代だ。
思えば長い時間を生きてきたものである。
通学していたときは山の中の印象だったが、今は開発され尽くしている感じがした。
写生地は、その中で地元の人たちの努力で生田緑地として残ったものである。
冬の雑木林は落葉した木立が美しかった。
2012.01.10
新作家春季展が3月にあるので、去年の暮れから制作を始める。P50号である。
ここまで来るのに延べ8日もかかってしまった。
材料はMWSの教育用プレパラートEP−1の一部である。多数の珪藻がやや厚めに封じてあるので吹き寄せられたところは多数が重なることになる。
描いてみるとキンベラ、ナビクラ、ゴンフォネマ、フルスツリアといろいろな珪藻があるのが分かる。重なっているところはピントを変えて何枚も写真を撮ってあるので、思わぬ珪藻が隠れていたりするのも分かった。
そこのところは楽しいものであるが、微妙な形で正確に写すことはなかなか難しい。筆は進まない、時間はたつで予想していたことではあるが、泥沼に入り込んだ心持ちだ。
2012.01.05
ハチ(膜翅)目細腰亜目アリ科ヤマアリ亜科クロオオアリで間違いないだろう。体長1センチメートル。
アリもいろいろいるが、オオクロアリは大きくて、スマートな体をしている。
動いているのを実体顕微鏡でも見ることができるようになったので、いろいろな姿態を見ることができる。
頭と触角のフリフリ動きや、脚の自在さに、腹部の上げ下ろしなど見ていて飽きることがない。
ちょっと止まって構えているところを描いてみた。いつもの精密画よりもラフに描いてみたがどうだろうか。