川上尉平先生の油絵が手に入った。昭和50年作(多分)「松島」F6号である。 先生の大型の絵は、渾身の力を込められた大きな世界ですごい迫力がある。 しかし、この絵は41センチ×32センチの小さな画面で、それにふさわしいこじんまりした景色を、太いタッチで絵の具もタップリつけて、細かいところは省略して伸びやかに描かれている。 この筆の動きに胸はわくわく、心うきうきとしてくるが、片方ではじつに穏やかで心静まるものを感じさせる。 先生の晩年の境地でもあろうか。 下の写真は昭和51年の職美展で先生が批評されている一コマである。この3年後に亡くなられた。62才であった。 小生はこの写真の前後5年しか先生の教えを受けていないが受けた批評の数々は今も心に刻み込まれている。 そして、当時はさっぱり分からなかった先生の絵の良さを今になってこうして味わっているわけだ。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科のなんとかさん達が1ミリ格子の上に大集合である。大きくても7ミリくらい。小さいので2ミリくらいか。みんな葉っぱの上で捕まえたものだ。 左の青い上翅がクワハムシ、右の虹色のものがルリハムシかもしれないと図鑑の絵合わせをしたものの、他のはそれすら出来なかった。 これだけで判断してはいけないが、この写真をじっと見ていたら、大きさにグループ分けがあるような気がしてきた。 こじつけのようだが2,4,8という具合に倍々の系列になっているような気もする。そうなると1ミリのものがいて良さそうだがどうなんだろう。もっとも見つけるのは大変そうだが。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科のなんとか。体長0.4センチメートル。 鈍い金属光沢の金色で、大きな目の周りを白い毛で飾ったかわいらしいムシだった。良く動き回ってやっとの思いで撮った写真が上のものだ。下は乾燥標本を実体顕微鏡で観察しながら描いたもの。 甲虫の外骨格はごついので元の形をかなり残してくれる。落ち着いて観察できるわけだ。 腹の下側から描いたものは立体感がなくて平板になってしまったのが残念だが、描き慣れていないところを大慌てで描くとこうなることが多い。 描き慣れているところは、形が頭の中にかなり入っていて形も取りやすい。 しかし、そうでないところはからっぽ状態で、まず正確に見て、それをしっかり写さなくてはいけないのだが、そう簡単なことではなくとんちんかんになるのだろう。 正確に見て、正確に写すことはじつに難しいことなのだと、つくづく反省させられる。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科クルミハムシで間違いないようだ。体長0.7センチメートル。 ハムシは葉虫または金花虫と書くらしいが、新緑の葉っぱがご馳走で葉の上にいることが多いのだろう。金色に輝いたりするものは特に目立つし、それほどでなくても結構見つけられるので、この頃はよく捕まえる。 細長いものや、ズングリしたもので分厚い体の持ち主が多いが、このムシは上から見ると幅広で横から見ると薄べったい独特の体つきをしていた。 前胸両脇のオレンジ色や、藍色の前翅と平たい体がクルミハムシの特徴と図鑑に書いてあるので間違いないだろうと思うのだ。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科クワハムシのようだ。 体長0.6センチメートル。 日本昆蟲圖鑑(北隆館1950)に「雄は触角間に短い盃状の1角状突起があるが、雌にはない。」とあるが、このムシには突起があるので雄に間違いないだろう。何のための突起かちんぷんかんぷんであるが、初めて見たときは驚いたものだ。 ほとんど点のごく小さいものよりは一回り大きいので、目視でも青藍のムシだと分かるが、実体顕微鏡でないとその美しさは実感できない。
ハエ(双翅)目短角亜目ハエ下目ヒツジバエ上科ヤドリバエ科cylindromyia属らしい。 体長1.2センチメートル。 昨日の夕方の散歩で道ばたの草にとまっていたもの。頭が白で黒にオレンジの腹、翅は八の字に広げて目立つムシだった。 翅脈を見るとヤドリバエのようなのでgoogleで検索。色は青黒いがよく似た形のものがあった。見るとおなじみの「一寸のハエにも五分の大和魂。」という双翅目のサイトだった。良く似たものでcylindromyia属があるとの記載があったので、それでgoogleを再検索する。 沢山ありました。しかも横文字のサイトばかりで紅毛人たちはハエ目を属のレベルでキチンと押さえているんだと感心してしまった。 ここから種を同定するのだが、専門家が実物をじっくり調べてやっとわかるほど難しく、しかも、新種の可能性もあるというのが昆虫界で、古生代から分かれに分かれてきた生き物だからそうなるのかしらん、などと又しても妄想したのだった。 しかし、いろんなハエのパーツを組み合わせた変なハエだ。
甲虫目(鞘翅目)多食亜目(カブトムシ類)ハネカクシ上科ハネカクシ科の一種で体長2センチメートルもあるので、ハネカクシとしては巨大だ。 すぐ裏が石切場になっていて、ダンプ一台が通れる道が上え上えと繋がっている。ダンプが時々通るぐらいで人はいない。坂道なのでくたびれるがよい運動になるので時々散歩する。 このハネカクシは、その道にいたもの。石の粉で白っぽくなっている路面に黒い細長いものを見つけてよく見たらハネカクシだった。数ミリ位のものしか見たことがなかったので興奮してしまった。 地味なムシで絵に描いてもはかばかしくないが、実体顕微鏡でじっくり見ると見所は多かった。 こわそうな短毛で覆われているが、根元は凹凸があって細かい彫刻に覆われているとも言える。要所には長毛が立っていてセンサーになっているのだろう。 動きは素早く、大アゴも大きく鋭かった。身をくねらせながら頭を下げて尻を上げたポーズはなかなかに恐ろしさがある。 これらの特徴から朽ち葉の下などを動き回り生き餌を食っている生活が伺えるが、どうだろうか。
MWSの珪藻プレパラートのE-P1からゴンフォネマ(クサビケイソウ)属の一種である。 2009年に撮影した画像なのでもう5年も珪藻観察をしている。時の過ぎゆくのは早いものだ。 この珪藻は70μmくらいの中型のもので①や②のものが沢山見られた。初めは異なる珪藻のつもりで見ていたがクサビケイソウというのが分かると、①が上か下面(殻面)で②が横面(帯面)の同じ珪藻ではないかと思えてきた。 そのうちに、③のようなのが見つかった。 ④は、こんなんではないかと想像をたくましくしたものだ。 普通はバラバラになる上の殻と下の殻が、この珪藻では分かれないものが沢山あって、上になったり横になったりで、殻面と帯面、どちらもたくさんあったのだろう。さらに斜めになったものも、まれにはあって③が撮れたということに違いない。 とは思うものの、②をよく見ても中間に薄いうねうねした線が見えるだけで、これでほんとに上下に分割するのかとか、いつまでたっても疑問はつきないのだ。
これはP50をイーゼルにセットして描いているところだ。後ろは描きかけのF120号。 ここのところ続けて同じプレパラートのものばかりを描いている。 楕円型のコメツブケイソウをメインにして、それに細かいのがまとわりついている様子に魅力を感じているわけだ。 寄らば大樹の蔭という考え方もあるが、強きものを中心にして弱きものが寄り添い大きな力を出すという考え方もある。 後者の考え方を感じさせることができれば成功だ。などど出来そうもないことを考え始めたのだ。
ハチ(膜翅)目細腰亜目下目タマバチ上科ツヤヤドリタマバチ科の一種で。体長0.4センチメートル。 この絵だけでは何の変哲もないハチだが、ゴジラ並に巨大化すると背中にヘリポートを背負っている。翅の付け根の上にある出っ張りがそうである。腹部も大きいように見えるが、縦に扁平で薄くて容積は見たほどではない。平滑で棘毛も少ない艶のある外骨格をしているが、小楯板のところは彫刻でごつごつしている。よくよく見れば変わった奴だった。 このごろは小型のハチを見ると寄生性だろうと思うようになったが、こいつもそうで下の方に載っけたハモグリバエの卵や成熟幼虫に卵を産み付けるそうだ。 ほんに昆虫界は厳しい世界なのだ。
上野の東京都美術館で「バルチュス展」をやっている。ファンなので見てきた。 1984年に京都市美術館で初めて見たが270×330cmなどと巨大な作品が3点もあったし、まるで風雨にさらされた廃材で作ったような粗末な額に入れられたものもあったりして度肝を抜かれたものだ。そして、フランス語の画集を買って読めないので絵だけ見て模写をしていた。 左の絵はその頃の模写だが、今回の展覧会に来ていた。ほぼ等身大で大きな絵だった。 題名は「Alice」1933年の作品で初個展に出品したそうだ。そして友人の妹をモデルにしたと解説してあった。 瞳がほとんど点で不気味だし、ポーズもかなり卑猥だと思うが、友の妹がモデルとは驚きであった。 しかし魅力的な絵だ。生年が1908年だから25才でこんな絵を描いていたのだからもてはやされたのも肯ける。 原画は油絵でモノトーンに近いですが肌色を主にした綺麗なものです。念のため。
ハエ(双翅)目短角亜目ムシヒキアブ下目オドリバエ上科アシナガバエ科の一種でホソミキイロアシナガバエというのかもしれない。体長1センチメートル。 双翅目は糸角亜目の蚊の仲間と短角亜目のアブ、ハエの仲間に分かれていて、さらにハエは環縫短角群としてアブとわかれるらしい。 進化の道筋は分からなかったが、蚊からアブそしてハエという具合に分かれたのかもしれない。 そして、それぞれに発展してものすごい数の種になったということだろう。 アシナガバエはアブの仲間で金緑色の金属光沢の綺麗なものが多いらしいが、このハエは複眼だけがそうで、他は明るい茶と薄い土色だった。 絵は色を濃くしすぎたし、形もいまいちで不本意な出来だが、このムシの形を捉え切れてないからだろう。ハエの頭と蚊の体で変わった形をしているのだ。 この絵では腿節を上げて体を低く構えているが、囚われの身で顕微鏡観察されているので警戒の体制をとったのかもしれない。普通は腿節を横にして体を高く構えているようだ。ハンターのムシヒキアブはそうで、このハエもムシヒキアブの仲間のようだからハンターということらしい。
新作家展は9月だが、そろそろ始めないとあたふたすることになるので珪藻の絵をF120号で描くことにして描き始めた。M60号までだったので、随分大きいような感じだがのびのび描けそうだ。 縦横に糸を張って正確に写していたが、今回はパソコンの画面を見ながら真っ白のところに自分の感覚だけで写していく。 元の形を崩すわけではないが、大きくしたときのバランスを考えながら配置していくわけだ。 それぞれの大きさや、つながり具合が自然に違ってくるし、四辺の余白をどの程度にするかを非常に神経を使って決めていく。 気合いが入っていたのか、迷わずにすんなりと決まった。これから長い道のりになるが本人の独りよがりでないことを祈るばかりである。
ハエ(双翅)目糸角亜目キノコバエ科セアカキノコバエのようだ。体長1センチメートル。 先だって少し離れたところで売出中の建売住宅の壁にいたもの。白い壁に赤い胸と黒い翅で目立っていた。動きも鈍くて簡単に捕獲できた。 口器が針ではなく、脚が蚊ほど長くはないが、頭がごく小さいとか細長い腹部など蚊に近い体つきである。ネットでは結構でていて、それによると幼虫は枯れ葉の下などで腐敗物を食べていて4,5月頃成虫が現れるそうだから、時期はぴったりである。 交尾中の写真もでていたが、尻と尻を付けて反対向きになっていた。雄は雌よりかなり小さく、また、腹は黄色いところが無く黒ばかりであった。
甲虫目のツチハンミョウ科の一種。ヒメツチハンミョウというのかもしれない。体長2センチメートル。 散歩に出たミカン畑脇の側溝を歩いていたもの。藍色の金属光沢で目立つムシだった。調べると有名なムシだった。 孵化した幼虫は近くの花によじ登りひたすらハナバチの来るのを待つがハナバチを見分けられなくて、飛来した虫はなんでもすがりつくそうだ。運良くハナバチだと、その巣に着してそこの幼虫を殺して、子になりすまして育つそうだ。しかし目的のハナバチ以外はそこで終わりになるそうだから、とても確率の悪い行き当たりばったりの生き方で卵を数千個も産むムシだった。 成虫は派手なムシで動きはのろかったが、カンタリジンを含む有毒虫で、食べれるものなら食べてみろということで鳥も襲わないらしい。 日本人の木村資生が唱えた分子進化中立説によって、遺伝子の変化は一定の割合で起きていて恣意的なものではないということが明らかになったそうだ。このムシも自分からこうなろうと意図してなったわけでなく、偶然に偶然が重なってこうなったが立派に生存を続けているわけだ。 昆虫でも卵をわずかしか産まないで、しっかり子育てをするのもいるそうだから、進化の道筋は幅の広いものだということかなどと思うのだった。 もう一つ変わっていた点は触角の途中が大きくなっていたことだ。雄だけ大きくなるそうだから雌を探すためなんだろうかなどとも思った。
前回のナモグリバエに似ているが違うハエで大きさは1センチメートル近くある。 翅を掃除するときは後脚の掃除もしている。 翅を掃除しているところは撮れなかったが、脚の掃除は撮れた。動きが速いのでぶれているが掃除しているところだ。前脚2本と左中脚の3点で前傾姿勢を取って、残りの3本を互いに擦りあわせている。
ハエ(双翅)目短角亜目ハモグリバエ科ナモグリエバエらしい。体長0.25センチメートル。 成虫は何を食しているのか分からないが、幼虫は葉っぱに潜り込んで葉の中身を食べる植物食のハエのようだ。 翅は普通のハエのように八の字に広げていないで腹部に重ねているし、小さい細長い体で初めの頃はハエだとは思えなかったものだが、今はハエとすぐ分かるし、この手は毛むくじゃらでないのでかわいらしく思えるものだ。 動きは極めて速い。なかなかじっとしないが、時々このような姿になる。そして、前脚を擦りあわせ頭をくるくる回しながら前脚ではらう。ついで、頭を下げ尻を上げて後脚で翅や腹部の上面をはらう。 体に異物を付けると外界を正しく認識するのに支障があるのだろう。綺麗好きで体の掃除をしているとも思えないのだ。
日本昆蟲圖鑑(北隆館1950)によると双翅目の口器について「・・・イエバエの口器は吻部と吸部と脣辨の3部分よりなり、吻部は側方より見るときは圓錐形でその表面は強い膜よりなり、その膜は頭の腹面所謂前顔孔に連なり下方は吸部に連續している。・・・・・・脣辨は橢円形の一對の葉片で靜止の場合には下脣の末端と約同幅なれど血液により著しく擴張され得る。この葉片は互いに深い切り目によって完全に分離され、その切目は下脣樋(Labial gutter)と前方にて連續しかつ後方面に多少延びている。・・・・」のように延々と記載されていて、しかも旧字体とくるので頭がくらくらするがハエの観察を続けているとだんだん分かってくるから楽しくなってくる。 大体ハエの口器は普段は外に出ているのは唇弁の一部だけなので全体像などは想像も出来ないようになっている。というので、今回はミズアメスイを飲んでいるところの写真をお目に掛けます。 末端が唇弁で、餌を吸い取るときは左右に開いてぴったりと表面につける。写真はティッシュに染みこませたものを吸い取っているところで軽く触れているだけで広げ方が少ないが、表面が固いものだと丸くなるほどピタッと付けている。 そして、下からガラス越しに見ると放射状に細管が配され見事な眺めになっているのです。
真鶴図書館で新規購入本のコーナーにダーウィンの進化論が置いてあった。有名な書物だが読んでなかったので借りてきた。 その中に「生活のための闘争は同種の個体および変種の間で最も厳しい。」との記述があった。 小生が学校で習ったのは北京原人は今の中国人の祖先という位置づけだったが、今ではそうでないらしい。現在、地球を跋扈しているホモサピエンスは7万年ぐらい前にアフリカをでて、それ以前に世界に広がっていた人類に取って代わったそうです。 争いは起こらないで自然に入れ替わったのかもしれないが、ダーウィンの書いた変種の闘争のとおりのことがおこったのかもしれない。いずれにしても、生活の基盤が共通のものは相容れないというわけだろう。
初めて買ったMWS珪藻プレパラートのE-P1にあるディプロネイス(マユケイソウ)の仲間である。 Eはeducationの頭文字だろうが教育用として制作されたもの。Pはpondの頭文字で池に住んでいるもの。海や川などいくつかの種類があり、まとめると割引になっていた。まずはこれを見てくださいとのことで、値段も安価だったのでE-M1などとまとめて求めたわけだ。 この珪藻は小さいが他のものと違って数珠を連ねたような表面で目立っていた。 下の絵を描いた頃は、珪藻はガラスの弁当箱のようなものとまでは分かったので、それらしい形にしてある。しかし、表面の状態はどう見ても凸凹しているようにしか見えないので、明るいところを凸にして描いた。胞紋はどう見ても見えないが間違いなくあるのだから、凹んだところにあるだろうとして一列に描いてある。 今見ると大笑いだが、当時でもクエスチョンマークを描いているところを見ると相当に疑問に思ってはいたのだろう。
画像の珪藻はMWS珪藻プレパラートのDL-TESTにあるディプロネイス(マユケイソウ)の仲間である。 この珪藻は光学顕微鏡で見ると元の姿はなかなか想像出来ないものである。 ネットで電子顕微鏡写真を探すのだが似たようなものが見つかった。それを模写したのが下の画像である。 下の画像ではつるりとした表面に細かいスリットが並んでいるが、上の画像では大きな穴がずらりと並んでいる。 まるで異なるが多分下のようなのが実際の姿だろう。 裏から見た電子顕微鏡写真があれば格子状の梁の上にスリット入りの薄板をかぶせている構造に太鼓判を押せると思うのだが。 蛇足ながら、複雑なディプロネイスをうまく写せたなと自慢したくなるが、撮影媒体の状態が非常によいのと照明法の指導も受けているのでこの程度は素人でも写せるということらしいのです。MWSに感謝。
昨年の暮れに求めたJシリーズの隅にある、ピンヌラリア(ハネケイソウ)の1種をピントの位置を変えて撮影して見た。 中段は、中心部を拡大したものである。同じものを撮影したとはとても考えられないようでしょう。 小生も何が何だか狐につままれたようなものであったが、今は進歩して、どんな構造をしているのか想像できるようになった。 最下段はネットで見つけた電子顕微鏡写真の模写だが、電子顕微鏡写真は透明なものでも不透明にしか写らないので表面がつるりとして細かな開口部がつらなっている様子がよく分かる。同じ種でないが似たようなものだと思う。 裏から写したものがないと内部構造は分からないわけだが、見つけられなかったので載せられない。しかし、中段右の写真を見れば開口部の間はリブがあるのが理解できると思う。 あれこれ想像を巡らして楽しんで頂きたいとも思うのだ。
前回のハエの深度合成写真と記録用のラフスケッチの一部である。 ハエもいろいろである。小型のハエはかわいらしいものも多いようだが、こいつは複眼の間が広くて、そこに巨大な触角が鎮座ましまして、ドラえもんのようなとぼけた顔つきをしていた。 ラフスケッチは動かなくなってからのものだが、腹部が縮んできたり、脚が不自然に重なったりしているのを直の姿勢をとっているように補正しながら描いたものだ。 ラフスケッチの触角はそれほど大きくないが、前回の絵はやけに大きく描かれている。動いてる実物を観察しているときに「なんて大きな触角だろうか。」と強く印象づけられていたのが、写真をもとに描いたときに正直にでてしまったようだ。 正確に描こうと思っても、なかなか思うようには描けないものである。
1月15日のキモグリバエによく似ていて、やはりその1種ではないかと思う。体長0.3センチメートル。 ケースに入れて観察しても良く動いて追い切れない。が、時々止まって尻を下げ、様子をうかがって安心すると体の手入れをする。というようにみえる。 附節の下側はブラシのようなもので、これでもって体を拭く。頭は口が上になるくらいぐるぐる回している。翅の上も後脚を持ち上げてきれいにしている。 それがすんだらするのか、初めにするのかまだ見分けられないが、よく前や後ろの脚をこすりあわせてもいる。 「やれ打つな ハエが手をする 足をする。」の句の通りのことをいつもしているわけだが、体をきれいにしていたのだった。
24日は隗展の飾り付けと初日であった。 筆を置いて一応完成として、船橋まで持って行った。真鶴から船橋まで遠いが刺激を受ける仲間たちなので全然気にならない。 今回は細密描写ではないし、形は正確に写そうとしているものの歪んでいるところもあるし、整理して描いていないものもある。 がちがちに正確さにこだわることを放棄しようとしているわけだ。 そのかわり、自分の気持ちを控えめながら出そうという試みである。 気持ちの変化がどう絵に現れたかよくわからないが、全体と部分のつながりに意識が働くようになったみたいだ。正確に写すことに夢中になると、描いている部分だけを見て他はおろそかになっていたようである。部分は単独であるのではなく他の部分と響き合って全体ができるという大事なことを疎かにしていた。ということを感じた。
御浦風物詩に標本画制作の苦心談がでていた。 『もっとも労力と集中力が要るのは、スケッチやそれに続く下描きである。「想像」は無論のこと、生半可な観察の入り込む余地などはまったくない。』とあり、0.3ミリのシャープペンの芯をさらに紙で研いで細くして線を引くそうである。 そして、仕上げの墨入れに下書きの線のどの位置にペンを入れるかが問題だそうだ。 位置がずれると比例が狂ってしまうと言うのである。こちら 恐るべきプロの仕事であるが、よく考えてみると、元の昆虫の正確な形をしっかりと把握していないと狂いなんかは気付くことはあり得ない。シビアに形が頭に入っているからごく些細な違いも妥協できないのだろう。 川島氏の蓄積力があってのことだろうが、小生には蓄積されたものはないし、目指しているのは標本画ではないので、そこまでの厳密さをもとめているわけでもない。しかし、可能な限り実際の感じを表現したいと、ひたすら現物を観察して描いているつもりだ。 て゜あるがほんとにそうなのかとハナバエの1種みたいだが最近捕まえたハエの頭を描いて確かめてみた。 ハエは動き回ってじっとしてくれないし、死んだものは生きたときとは大違いでこまるが、このハエは幸いに水飴水をたっぷり飲んで口に水玉をつくってじっとしてくれたので、しっかり見て描いたのが最下段の絵だ。 動いているときは触角の位置はてっぺんにあるように見えたが、よく見ると額は平らだが顔面の4分の1の高さまで下がってきて、そのすぐ下に触角は付いていた。 口器も幅が随分あったし、先端も上にカーブしていたのにやっと気づいたほどで、実にいい加減な見方をしていたのがあらわになってしまったし、この絵も実物に迫り切れたのかというと、まだまだで残念な結果だったが、人生の残り時間も少なくなっているものの、努力しようという意気込みだけはまだある。ということで良しとしよう。
①は今描いているもう一枚の珪藻の絵。②はその元写真。③は①と②を重ねたものだ。 元写真と絵ががどれだけずれているかを③の重ねた画像で確認したわけだが、こんなにずれているとは意外だった。 絵は構図が良くないと全然駄目だと思っている。この絵の場合は、ばらけた珪藻のまとまり具合と、それらまとまったものたちの位置関係だろうが、沢山撮影した中でこれはと思って選んだ物だ。 その理由は、赤丸が画面の中心だがここを中心として珪藻たちが回るように配置されているというのを感じたからだろう。 今②の写真を見ると、左上から右下に流れていく感じが強い。①の絵がそうなっていないのは無意識に中心点の廻りを回転させようとしていたに違いない。 ものを正確に見るのは難しい。何らかの形で見たいように見てしまうと思うのだが、絵の場合はそれが大事だとも思えるし悩ましいことである。
生きているままの昆虫を描く難しさは、昆虫の正確な形を捕まえることが大変なことにもよる。 このハチもちょこまか動き回ってじっとしてくれない。やっとの思いで撮影したのが上段の写真だ。 この写真を元にして大まかな形を取ることは比較的容易に出来るが、より精密に描こうとすると細部は曖昧模糊として靄の中に踏み込んだ気分だ。 それで死んだものの細部を実体顕微鏡で確認して詰めていくわけだが、外骨格がしっかりしたものはよいが弱いものはこのハチの腹部のように潰れてしまって元が分からなくなることも多い。 さらに細部構造を突き詰めていくと、最下段の写真のように金属顕微鏡の出番になる。 巨大画面で描くと絶大な迫力があると思うが、まだここまで来れてないのが遺憾である。 ところで、捕まえた昆虫を小ケースに入れ、水飴を水で薄めたものを与えると何日かは生きていてくれる。それで動き回る姿を長く観察できるようになった。 生きた姿をなかなか記憶できないが、よく見て少しずつでも体に染みこませるのが大事だと感じる。写真から形を起こしたとしても、正確でないところを体に染みこんだものが気づかせてくれるようにならなくては、生き生きとしたものは作れないと思うのだ。
①は今描いている珪藻の絵。②はその元写真。③は①と②を重ねたものだ。 格子を描いて正確に写すことをしてきたが、限界を感じて歪むのを承知で格子なしで進めている。今回は、それがどれだけずれているかを③の重ねた画像で確認したわけだ。 結果は配置からいじっているのが分かる。上部の広がりをカットして右上のまとまりを隅に追いやっているし、全体に左方向にずれているのと、細かく見るとほとんど一致していないも分かる。 省略したのも多いのですっきりしたとも言えるし物足りなくなったとも言えるかもしれない。 この画像で見た限りでは、受ける印象はそんなに変わったとも思えないし悩ましさは相変わらずだ。
台所の生ゴミ用の入れ物についたものを捕まえた。ミギワバエの1種らしい。体長は0.4センチもないので、じっとしていると目立たないが、動くとこうるさいコバエというところだろうか。今の時期でもハエは結構いるものだ。 翅脈や触角のひげなどを見るとミギワバエの特徴があるが、ウィキペディアで調べると水辺にすむハエとのことで、家の中にいるのは変だから違うかもしれない。 後脚の先端が黒くなっているが、附節の数を数えると第5附節が失われていた。くたびれた個体に見えないが案外長生きしていたのかもしれない。 ハエもいろいろ見てくるとだんだん愛着がわいてきて、こいつなどは金属光沢のあっさりした頭部や胸部で美しさがあるし、なぜだか、動きが実にゆったりしたものでかわいらしいものであった。
玄関先のカラーの葉にはムシが良く寄ってくる。前々回のコバエに続いて同じようなコバエを捕まえた。 触角がやけに大きかったり、背中の棘毛の感じなど似ているところもあったので、雄雌の違いかなとも思った。 しかし、①と②の翅のスケッチを見比べると、似ているところもあるが明らかに異なる。 保育社の原色日本昆虫図鑑の翅脈図を見るとハヤトビバエ科のようだ。 ネットで調べると不快害虫駆除のページが沢山出てきた。小さくて食品の中に紛れ込んだりもするらしい。チョウバエのように良くいるのだろう。 さらに探すとフンコバエ科(旧称ハヤトビバエ科)として図付きで解説してあるのがあった。ここ 名称変更は飛翔力が弱いなど生態にあった英名に習って改称を提案している学者がいるそうだが、普及していないともあった。 「後脚の第一ふ節が太く短いのがパッと見の特徴で、ふ節が・・翅脈が・・さらに無翅、小翅・・翅に紋がある・・後脚が太い・・顔が特徴的など、種によって、実にいろいろな形態を見せてくれて見てると結構楽しいハエなのです。」とあったが実際口器の開口部は広くて変な形をしていた。 以下にそこの解説の一部を転載します。 フンコバエ科プロフィール ①体長0.5~6mmの種が多く、体色は黒色から褐色の種が多い。 ②種によっては体の一部に黄色や赤褐色がまじることもあり、まれに体色そのものが黄色の種もある。 ③翅は無色の透明の種が多いが、時には斑紋や、斑点を持つ場合もある。 ④幼虫は糞、腐植を食べる種類が多いと思われるが、キノコなどの菌類を食べる種も知られている。 ⑤生活場所は、林内地表近くや水辺などで多くの種が見られる。 ⑥有名どころの種としてはハマベフンコバエが衛生不快害虫として知られている。
MWSの珪藻プレパラートはいくつか求めたが、一番覗いたのは初めて買ったE-P1だろう。 ただ覗くだけでなくスケッチもしていたので、それを引っ張り出してきて切り貼りしてみた。 初めは大きくて目立つものばかりだったが、そのうちに小さいものになり、さらに、珍しいものに移っていった。左の画像は、ほんの少ししか入っていない珪藻がほとんどで、例外は6番目のフナガタ珪藻だけだ。 特に、一番上のギロシグマは、大きさは中程度だが薄い被殻で背景に紛れてしまっていたのを見つけたときは感激ものだったのを思い出す。 数字が2種類あるので2ヶは見つけたわけだが、わざわざ計測して記録しているのはよほど嬉しかったとみえる。 5番目のアミバリ珪藻も5,6ヶはあったと思うが、位置を記録して、再度探しても似た形のフナガタ珪藻が沢山あって紛れてしまうのでなかなか見つけられなかった。 この珪藻は胞紋が見えなくて、何とか見ようと苦労した種で思い出深い。図にも予感のみと書いている。 この試みは途中で止めたのでまとめるところまではいかなかったが、MWSのファンはものすごい人が結構いるようで、この人はキノコ屋さんだがMWSの珪藻プレパラートから65属189種の珪藻を撮影し「珪藻ギャラリー」ここを公開している。 時間も掛けて相当苦労しているはずであるが、容易くできたように見える、きれいにまとめられているサイトだ。
キモグリバエの1種ではないかと思う。体長0.2センチメートル。ほとんど黒で翅が鈍い白の小さな地味なハエである。 ウィキペディアによると世界では160属2000種、日本では52属145種いるそうだ。無論こんな地味なものでなくカラフルな派手なものもいるようだ。 食性は腐食性、植食性、肉食性、寄生性となんでもありというのだから、いろんな試みをして皆成功した種類なんだろう。 ところで、いわゆるハエは全身細かい毛に覆われているが、このハエは覆われていないようだ。対物20Xで見えなかったから間違いないと思うが。ただ部分的に、例えば小楯板などには細かい毛が沢山生えていた。 ハエと微妙に特徴が違う小さいながら興味深いハエである。
新年早々に家の者がアカイエカ(多分)を二匹捕まえた。一匹は腹が黒々としていて、まさに血を吸った奴だった。 はたき落とされて気絶したようでケースに入れると元気に動き始めた。蚊はパチンと叩いてつぶすのが普通だが、家の者は小生のためにそうしなかったようだ。ありがたい。 水飴を水で薄めて与えたところ、9日現在で血を吸った一匹はまだ生きている。 血の養分もあるので水飴のせいばかりとは言えないが、こんなに生きるとは思わなかった。 その分しげしげと観察できたが、全身を覆っている鱗毛がかなり脱落しているのに気がついた。 こんな時期に蚊が出てくること自体が驚きだが、片端にこそなっていないが表面がぼろぼろになるぐらい随分と長生きした奴なのか知らんと考えたものの、蚊の鱗毛は触ると簡単に飛び散るので、はたき落としたせいかとも思える。 しかし、触角の棘毛は簡単には取れないようだが、右側はだいぶ残っていたものの左側はぱらぱらだったところを見ると、やっぱり長生きかなどと不思議な感じになったのだ。 左図は深度合成をしました。途中で飛び去ったり、微妙に動くので怪しいものしか出来なかったので、説得力に乏しい写真で残念ですが、脚のところで言えば、黒い点々が残った鱗毛で、本来なら明るいところが全くないほどびっしり付いています。
山水の勉強はしていないが、芥子園画伝を手引きにして、というよりは模写をしてそれらしいものにしたのが左の図だ。 芥子園画伝は、樹譜や山石譜あるいは人物屋宇譜などに分類したパーツ集で、それぞれに有名画家の画風などで作った作例がずらりと並んでいる。 修行中の画家はこのパーツ集を学ぶことにより先人の苦労の成果を容易く学べるわけだ。 見るだけでなく模写をすると筆の動きまでも感ずることが出来るし、もう一歩進めてパーツを組み合わせるとインスタントの山水画になるわけだ。 それで北宋の郭熙の樹木と、時代は下がるが元の王蒙の山石、それに坡(上面が平坦な部分)の描き方の三つをまとめて模写したものだ。 ところで、昨年の暮れに国立博物館東洋館で当該館のリニューアルオープン記念として「上海美術館 中国絵画の至宝」の展示があった。小規模なものであったが郭熙の「幽谷図軸」や王蒙の山水もあった。 郭熙は日本で言えば平安中期の人だから、時代相応の古色がついていたが峨々たる岩山に、遠くは葉のある木々が小さく連なり、中央には葉のない巨木がある大きな掛け軸で迫力があった。 おもしろいことに絵の上に、後世の人の仕業だろうが大きな字で神品と書き横になにか細々と書き足しているものがあった。内容は無学で読めなかったので定かでないが、この絵は郭熙の真筆であると声高に言っているのではないかと思った。わざわざ言うのはなにか怪しい感じもした。 中国絵画を見る機会は滅多にないし、美術館所蔵の掛け軸や巻物をゆっくり見れて満ち足りた時間だったのだが、罰当たりなことも思ってしまったのだった。
2014.06.30
川上尉平先生の油絵が手に入った。昭和50年作(多分)「松島」F6号である。
先生の大型の絵は、渾身の力を込められた大きな世界ですごい迫力がある。
しかし、この絵は41センチ×32センチの小さな画面で、それにふさわしいこじんまりした景色を、太いタッチで絵の具もタップリつけて、細かいところは省略して伸びやかに描かれている。
この筆の動きに胸はわくわく、心うきうきとしてくるが、片方ではじつに穏やかで心静まるものを感じさせる。
先生の晩年の境地でもあろうか。
下の写真は昭和51年の職美展で先生が批評されている一コマである。この3年後に亡くなられた。62才であった。
小生はこの写真の前後5年しか先生の教えを受けていないが受けた批評の数々は今も心に刻み込まれている。
そして、当時はさっぱり分からなかった先生の絵の良さを今になってこうして味わっているわけだ。
2014.06.25
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科のなんとかさん達が1ミリ格子の上に大集合である。大きくても7ミリくらい。小さいので2ミリくらいか。みんな葉っぱの上で捕まえたものだ。
左の青い上翅がクワハムシ、右の虹色のものがルリハムシかもしれないと図鑑の絵合わせをしたものの、他のはそれすら出来なかった。
これだけで判断してはいけないが、この写真をじっと見ていたら、大きさにグループ分けがあるような気がしてきた。
こじつけのようだが2,4,8という具合に倍々の系列になっているような気もする。そうなると1ミリのものがいて良さそうだがどうなんだろう。もっとも見つけるのは大変そうだが。
2014.06.20
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科のなんとか。体長0.4センチメートル。
鈍い金属光沢の金色で、大きな目の周りを白い毛で飾ったかわいらしいムシだった。良く動き回ってやっとの思いで撮った写真が上のものだ。下は乾燥標本を実体顕微鏡で観察しながら描いたもの。
甲虫の外骨格はごついので元の形をかなり残してくれる。落ち着いて観察できるわけだ。
腹の下側から描いたものは立体感がなくて平板になってしまったのが残念だが、描き慣れていないところを大慌てで描くとこうなることが多い。
描き慣れているところは、形が頭の中にかなり入っていて形も取りやすい。
しかし、そうでないところはからっぽ状態で、まず正確に見て、それをしっかり写さなくてはいけないのだが、そう簡単なことではなくとんちんかんになるのだろう。
正確に見て、正確に写すことはじつに難しいことなのだと、つくづく反省させられる。
2014.06.15
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科クルミハムシで間違いないようだ。体長0.7センチメートル。
ハムシは葉虫または金花虫と書くらしいが、新緑の葉っぱがご馳走で葉の上にいることが多いのだろう。金色に輝いたりするものは特に目立つし、それほどでなくても結構見つけられるので、この頃はよく捕まえる。
細長いものや、ズングリしたもので分厚い体の持ち主が多いが、このムシは上から見ると幅広で横から見ると薄べったい独特の体つきをしていた。
前胸両脇のオレンジ色や、藍色の前翅と平たい体がクルミハムシの特徴と図鑑に書いてあるので間違いないだろうと思うのだ。
2014.06.10
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)ハムシ上科ハムシ科クワハムシのようだ。 体長0.6センチメートル。
日本昆蟲圖鑑(北隆館1950)に「雄は触角間に短い盃状の1角状突起があるが、雌にはない。」とあるが、このムシには突起があるので雄に間違いないだろう。何のための突起かちんぷんかんぷんであるが、初めて見たときは驚いたものだ。
ほとんど点のごく小さいものよりは一回り大きいので、目視でも青藍のムシだと分かるが、実体顕微鏡でないとその美しさは実感できない。
2014.06.05
ハエ(双翅)目短角亜目ハエ下目ヒツジバエ上科ヤドリバエ科cylindromyia属らしい。 体長1.2センチメートル。
昨日の夕方の散歩で道ばたの草にとまっていたもの。頭が白で黒にオレンジの腹、翅は八の字に広げて目立つムシだった。
翅脈を見るとヤドリバエのようなのでgoogleで検索。色は青黒いがよく似た形のものがあった。見るとおなじみの「一寸のハエにも五分の大和魂。」という双翅目のサイトだった。良く似たものでcylindromyia属があるとの記載があったので、それでgoogleを再検索する。
沢山ありました。しかも横文字のサイトばかりで紅毛人たちはハエ目を属のレベルでキチンと押さえているんだと感心してしまった。
ここから種を同定するのだが、専門家が実物をじっくり調べてやっとわかるほど難しく、しかも、新種の可能性もあるというのが昆虫界で、古生代から分かれに分かれてきた生き物だからそうなるのかしらん、などと又しても妄想したのだった。
しかし、いろんなハエのパーツを組み合わせた変なハエだ。
2014.05.30
甲虫目(鞘翅目)多食亜目(カブトムシ類)ハネカクシ上科ハネカクシ科の一種で体長2センチメートルもあるので、ハネカクシとしては巨大だ。
すぐ裏が石切場になっていて、ダンプ一台が通れる道が上え上えと繋がっている。ダンプが時々通るぐらいで人はいない。坂道なのでくたびれるがよい運動になるので時々散歩する。
このハネカクシは、その道にいたもの。石の粉で白っぽくなっている路面に黒い細長いものを見つけてよく見たらハネカクシだった。数ミリ位のものしか見たことがなかったので興奮してしまった。
地味なムシで絵に描いてもはかばかしくないが、実体顕微鏡でじっくり見ると見所は多かった。
こわそうな短毛で覆われているが、根元は凹凸があって細かい彫刻に覆われているとも言える。要所には長毛が立っていてセンサーになっているのだろう。
動きは素早く、大アゴも大きく鋭かった。身をくねらせながら頭を下げて尻を上げたポーズはなかなかに恐ろしさがある。
これらの特徴から朽ち葉の下などを動き回り生き餌を食っている生活が伺えるが、どうだろうか。
2014.05.25
MWSの珪藻プレパラートのE-P1からゴンフォネマ(クサビケイソウ)属の一種である。
2009年に撮影した画像なのでもう5年も珪藻観察をしている。時の過ぎゆくのは早いものだ。
この珪藻は70μmくらいの中型のもので①や②のものが沢山見られた。初めは異なる珪藻のつもりで見ていたがクサビケイソウというのが分かると、①が上か下面(殻面)で②が横面(帯面)の同じ珪藻ではないかと思えてきた。
そのうちに、③のようなのが見つかった。
④は、こんなんではないかと想像をたくましくしたものだ。
普通はバラバラになる上の殻と下の殻が、この珪藻では分かれないものが沢山あって、上になったり横になったりで、殻面と帯面、どちらもたくさんあったのだろう。さらに斜めになったものも、まれにはあって③が撮れたということに違いない。
とは思うものの、②をよく見ても中間に薄いうねうねした線が見えるだけで、これでほんとに上下に分割するのかとか、いつまでたっても疑問はつきないのだ。
2014.05.20
これはP50をイーゼルにセットして描いているところだ。後ろは描きかけのF120号。
ここのところ続けて同じプレパラートのものばかりを描いている。
楕円型のコメツブケイソウをメインにして、それに細かいのがまとわりついている様子に魅力を感じているわけだ。
寄らば大樹の蔭という考え方もあるが、強きものを中心にして弱きものが寄り添い大きな力を出すという考え方もある。
後者の考え方を感じさせることができれば成功だ。などど出来そうもないことを考え始めたのだ。
2014.05.15
ハチ(膜翅)目細腰亜目下目タマバチ上科ツヤヤドリタマバチ科の一種で。体長0.4センチメートル。
この絵だけでは何の変哲もないハチだが、ゴジラ並に巨大化すると背中にヘリポートを背負っている。翅の付け根の上にある出っ張りがそうである。腹部も大きいように見えるが、縦に扁平で薄くて容積は見たほどではない。平滑で棘毛も少ない艶のある外骨格をしているが、小楯板のところは彫刻でごつごつしている。よくよく見れば変わった奴だった。
このごろは小型のハチを見ると寄生性だろうと思うようになったが、こいつもそうで下の方に載っけたハモグリバエの卵や成熟幼虫に卵を産み付けるそうだ。
ほんに昆虫界は厳しい世界なのだ。
2014.05.10
上野の東京都美術館で「バルチュス展」をやっている。ファンなので見てきた。
1984年に京都市美術館で初めて見たが270×330cmなどと巨大な作品が3点もあったし、まるで風雨にさらされた廃材で作ったような粗末な額に入れられたものもあったりして度肝を抜かれたものだ。そして、フランス語の画集を買って読めないので絵だけ見て模写をしていた。
左の絵はその頃の模写だが、今回の展覧会に来ていた。ほぼ等身大で大きな絵だった。
題名は「Alice」1933年の作品で初個展に出品したそうだ。そして友人の妹をモデルにしたと解説してあった。
瞳がほとんど点で不気味だし、ポーズもかなり卑猥だと思うが、友の妹がモデルとは驚きであった。
しかし魅力的な絵だ。生年が1908年だから25才でこんな絵を描いていたのだからもてはやされたのも肯ける。
原画は油絵でモノトーンに近いですが肌色を主にした綺麗なものです。念のため。
2014.05.05
ハエ(双翅)目短角亜目ムシヒキアブ下目オドリバエ上科アシナガバエ科の一種でホソミキイロアシナガバエというのかもしれない。体長1センチメートル。
双翅目は糸角亜目の蚊の仲間と短角亜目のアブ、ハエの仲間に分かれていて、さらにハエは環縫短角群としてアブとわかれるらしい。
進化の道筋は分からなかったが、蚊からアブそしてハエという具合に分かれたのかもしれない。
そして、それぞれに発展してものすごい数の種になったということだろう。
アシナガバエはアブの仲間で金緑色の金属光沢の綺麗なものが多いらしいが、このハエは複眼だけがそうで、他は明るい茶と薄い土色だった。
絵は色を濃くしすぎたし、形もいまいちで不本意な出来だが、このムシの形を捉え切れてないからだろう。ハエの頭と蚊の体で変わった形をしているのだ。
この絵では腿節を上げて体を低く構えているが、囚われの身で顕微鏡観察されているので警戒の体制をとったのかもしれない。普通は腿節を横にして体を高く構えているようだ。ハンターのムシヒキアブはそうで、このハエもムシヒキアブの仲間のようだからハンターということらしい。
2014.04.30
新作家展は9月だが、そろそろ始めないとあたふたすることになるので珪藻の絵をF120号で描くことにして描き始めた。M60号までだったので、随分大きいような感じだがのびのび描けそうだ。
縦横に糸を張って正確に写していたが、今回はパソコンの画面を見ながら真っ白のところに自分の感覚だけで写していく。
元の形を崩すわけではないが、大きくしたときのバランスを考えながら配置していくわけだ。
それぞれの大きさや、つながり具合が自然に違ってくるし、四辺の余白をどの程度にするかを非常に神経を使って決めていく。
気合いが入っていたのか、迷わずにすんなりと決まった。これから長い道のりになるが本人の独りよがりでないことを祈るばかりである。
2014.04.25
ハエ(双翅)目糸角亜目キノコバエ科セアカキノコバエのようだ。体長1センチメートル。
先だって少し離れたところで売出中の建売住宅の壁にいたもの。白い壁に赤い胸と黒い翅で目立っていた。動きも鈍くて簡単に捕獲できた。
口器が針ではなく、脚が蚊ほど長くはないが、頭がごく小さいとか細長い腹部など蚊に近い体つきである。ネットでは結構でていて、それによると幼虫は枯れ葉の下などで腐敗物を食べていて4,5月頃成虫が現れるそうだから、時期はぴったりである。
交尾中の写真もでていたが、尻と尻を付けて反対向きになっていた。雄は雌よりかなり小さく、また、腹は黄色いところが無く黒ばかりであった。
2014.04.20
甲虫目のツチハンミョウ科の一種。ヒメツチハンミョウというのかもしれない。体長2センチメートル。 散歩に出たミカン畑脇の側溝を歩いていたもの。藍色の金属光沢で目立つムシだった。調べると有名なムシだった。
孵化した幼虫は近くの花によじ登りひたすらハナバチの来るのを待つがハナバチを見分けられなくて、飛来した虫はなんでもすがりつくそうだ。運良くハナバチだと、その巣に着してそこの幼虫を殺して、子になりすまして育つそうだ。しかし目的のハナバチ以外はそこで終わりになるそうだから、とても確率の悪い行き当たりばったりの生き方で卵を数千個も産むムシだった。
成虫は派手なムシで動きはのろかったが、カンタリジンを含む有毒虫で、食べれるものなら食べてみろということで鳥も襲わないらしい。
日本人の木村資生が唱えた分子進化中立説によって、遺伝子の変化は一定の割合で起きていて恣意的なものではないということが明らかになったそうだ。このムシも自分からこうなろうと意図してなったわけでなく、偶然に偶然が重なってこうなったが立派に生存を続けているわけだ。
昆虫でも卵をわずかしか産まないで、しっかり子育てをするのもいるそうだから、進化の道筋は幅の広いものだということかなどと思うのだった。
もう一つ変わっていた点は触角の途中が大きくなっていたことだ。雄だけ大きくなるそうだから雌を探すためなんだろうかなどとも思った。
2014.04.15
前回のナモグリバエに似ているが違うハエで大きさは1センチメートル近くある。
翅を掃除するときは後脚の掃除もしている。
翅を掃除しているところは撮れなかったが、脚の掃除は撮れた。動きが速いのでぶれているが掃除しているところだ。前脚2本と左中脚の3点で前傾姿勢を取って、残りの3本を互いに擦りあわせている。
2014.04.10
ハエ(双翅)目短角亜目ハモグリバエ科ナモグリエバエらしい。体長0.25センチメートル。 成虫は何を食しているのか分からないが、幼虫は葉っぱに潜り込んで葉の中身を食べる植物食のハエのようだ。
翅は普通のハエのように八の字に広げていないで腹部に重ねているし、小さい細長い体で初めの頃はハエだとは思えなかったものだが、今はハエとすぐ分かるし、この手は毛むくじゃらでないのでかわいらしく思えるものだ。
動きは極めて速い。なかなかじっとしないが、時々このような姿になる。そして、前脚を擦りあわせ頭をくるくる回しながら前脚ではらう。ついで、頭を下げ尻を上げて後脚で翅や腹部の上面をはらう。
体に異物を付けると外界を正しく認識するのに支障があるのだろう。綺麗好きで体の掃除をしているとも思えないのだ。
2014.04.05
日本昆蟲圖鑑(北隆館1950)によると双翅目の口器について「・・・イエバエの口器は吻部と吸部と脣辨の3部分よりなり、吻部は側方より見るときは圓錐形でその表面は強い膜よりなり、その膜は頭の腹面所謂前顔孔に連なり下方は吸部に連續している。・・・・・・脣辨は橢円形の一對の葉片で靜止の場合には下脣の末端と約同幅なれど血液により著しく擴張され得る。この葉片は互いに深い切り目によって完全に分離され、その切目は下脣樋(Labial gutter)と前方にて連續しかつ後方面に多少延びている。・・・・」のように延々と記載されていて、しかも旧字体とくるので頭がくらくらするがハエの観察を続けているとだんだん分かってくるから楽しくなってくる。
大体ハエの口器は普段は外に出ているのは唇弁の一部だけなので全体像などは想像も出来ないようになっている。というので、今回はミズアメスイを飲んでいるところの写真をお目に掛けます。
末端が唇弁で、餌を吸い取るときは左右に開いてぴったりと表面につける。写真はティッシュに染みこませたものを吸い取っているところで軽く触れているだけで広げ方が少ないが、表面が固いものだと丸くなるほどピタッと付けている。
そして、下からガラス越しに見ると放射状に細管が配され見事な眺めになっているのです。
2014.03.30
2014.03.25
真鶴図書館で新規購入本のコーナーにダーウィンの進化論が置いてあった。有名な書物だが読んでなかったので借りてきた。
その中に「生活のための闘争は同種の個体および変種の間で最も厳しい。」との記述があった。
小生が学校で習ったのは北京原人は今の中国人の祖先という位置づけだったが、今ではそうでないらしい。現在、地球を跋扈しているホモサピエンスは7万年ぐらい前にアフリカをでて、それ以前に世界に広がっていた人類に取って代わったそうです。
争いは起こらないで自然に入れ替わったのかもしれないが、ダーウィンの書いた変種の闘争のとおりのことがおこったのかもしれない。いずれにしても、生活の基盤が共通のものは相容れないというわけだろう。
2014.03.20
初めて買ったMWS珪藻プレパラートのE-P1にあるディプロネイス(マユケイソウ)の仲間である。
Eはeducationの頭文字だろうが教育用として制作されたもの。Pはpondの頭文字で池に住んでいるもの。海や川などいくつかの種類があり、まとめると割引になっていた。まずはこれを見てくださいとのことで、値段も安価だったのでE-M1などとまとめて求めたわけだ。
この珪藻は小さいが他のものと違って数珠を連ねたような表面で目立っていた。
下の絵を描いた頃は、珪藻はガラスの弁当箱のようなものとまでは分かったので、それらしい形にしてある。しかし、表面の状態はどう見ても凸凹しているようにしか見えないので、明るいところを凸にして描いた。胞紋はどう見ても見えないが間違いなくあるのだから、凹んだところにあるだろうとして一列に描いてある。
今見ると大笑いだが、当時でもクエスチョンマークを描いているところを見ると相当に疑問に思ってはいたのだろう。
2014.03.15
画像の珪藻はMWS珪藻プレパラートのDL-TESTにあるディプロネイス(マユケイソウ)の仲間である。
この珪藻は光学顕微鏡で見ると元の姿はなかなか想像出来ないものである。
ネットで電子顕微鏡写真を探すのだが似たようなものが見つかった。それを模写したのが下の画像である。
下の画像ではつるりとした表面に細かいスリットが並んでいるが、上の画像では大きな穴がずらりと並んでいる。
まるで異なるが多分下のようなのが実際の姿だろう。
裏から見た電子顕微鏡写真があれば格子状の梁の上にスリット入りの薄板をかぶせている構造に太鼓判を押せると思うのだが。
蛇足ながら、複雑なディプロネイスをうまく写せたなと自慢したくなるが、撮影媒体の状態が非常によいのと照明法の指導も受けているのでこの程度は素人でも写せるということらしいのです。MWSに感謝。
2014.03.10
昨年の暮れに求めたJシリーズの隅にある、ピンヌラリア(ハネケイソウ)の1種をピントの位置を変えて撮影して見た。
中段は、中心部を拡大したものである。同じものを撮影したとはとても考えられないようでしょう。
小生も何が何だか狐につままれたようなものであったが、今は進歩して、どんな構造をしているのか想像できるようになった。
最下段はネットで見つけた電子顕微鏡写真の模写だが、電子顕微鏡写真は透明なものでも不透明にしか写らないので表面がつるりとして細かな開口部がつらなっている様子がよく分かる。同じ種でないが似たようなものだと思う。
裏から写したものがないと内部構造は分からないわけだが、見つけられなかったので載せられない。しかし、中段右の写真を見れば開口部の間はリブがあるのが理解できると思う。
あれこれ想像を巡らして楽しんで頂きたいとも思うのだ。
2014.03.05
前回のハエの深度合成写真と記録用のラフスケッチの一部である。
ハエもいろいろである。小型のハエはかわいらしいものも多いようだが、こいつは複眼の間が広くて、そこに巨大な触角が鎮座ましまして、ドラえもんのようなとぼけた顔つきをしていた。
ラフスケッチは動かなくなってからのものだが、腹部が縮んできたり、脚が不自然に重なったりしているのを直の姿勢をとっているように補正しながら描いたものだ。
ラフスケッチの触角はそれほど大きくないが、前回の絵はやけに大きく描かれている。動いてる実物を観察しているときに「なんて大きな触角だろうか。」と強く印象づけられていたのが、写真をもとに描いたときに正直にでてしまったようだ。
正確に描こうと思っても、なかなか思うようには描けないものである。
2014.03.01
1月15日のキモグリバエによく似ていて、やはりその1種ではないかと思う。体長0.3センチメートル。
ケースに入れて観察しても良く動いて追い切れない。が、時々止まって尻を下げ、様子をうかがって安心すると体の手入れをする。というようにみえる。
附節の下側はブラシのようなもので、これでもって体を拭く。頭は口が上になるくらいぐるぐる回している。翅の上も後脚を持ち上げてきれいにしている。
それがすんだらするのか、初めにするのかまだ見分けられないが、よく前や後ろの脚をこすりあわせてもいる。
「やれ打つな ハエが手をする 足をする。」の句の通りのことをいつもしているわけだが、体をきれいにしていたのだった。
2014.02.25
24日は隗展の飾り付けと初日であった。
筆を置いて一応完成として、船橋まで持って行った。真鶴から船橋まで遠いが刺激を受ける仲間たちなので全然気にならない。
今回は細密描写ではないし、形は正確に写そうとしているものの歪んでいるところもあるし、整理して描いていないものもある。
がちがちに正確さにこだわることを放棄しようとしているわけだ。
そのかわり、自分の気持ちを控えめながら出そうという試みである。
気持ちの変化がどう絵に現れたかよくわからないが、全体と部分のつながりに意識が働くようになったみたいだ。
正確に写すことに夢中になると、描いている部分だけを見て他はおろそかになっていたようである。部分は単独であるのではなく他の部分と響き合って全体ができるという大事なことを疎かにしていた。ということを感じた。
2014.02.20
御浦風物詩に標本画制作の苦心談がでていた。
『もっとも労力と集中力が要るのは、スケッチやそれに続く下描きである。「想像」は無論のこと、生半可な観察の入り込む余地などはまったくない。』とあり、0.3ミリのシャープペンの芯をさらに紙で研いで細くして線を引くそうである。
そして、仕上げの墨入れに下書きの線のどの位置にペンを入れるかが問題だそうだ。
位置がずれると比例が狂ってしまうと言うのである。こちら
恐るべきプロの仕事であるが、よく考えてみると、元の昆虫の正確な形をしっかりと把握していないと狂いなんかは気付くことはあり得ない。シビアに形が頭に入っているからごく些細な違いも妥協できないのだろう。
川島氏の蓄積力があってのことだろうが、小生には蓄積されたものはないし、目指しているのは標本画ではないので、そこまでの厳密さをもとめているわけでもない。しかし、可能な限り実際の感じを表現したいと、ひたすら現物を観察して描いているつもりだ。
て゜あるがほんとにそうなのかとハナバエの1種みたいだが最近捕まえたハエの頭を描いて確かめてみた。
ハエは動き回ってじっとしてくれないし、死んだものは生きたときとは大違いでこまるが、このハエは幸いに水飴水をたっぷり飲んで口に水玉をつくってじっとしてくれたので、しっかり見て描いたのが最下段の絵だ。
動いているときは触角の位置はてっぺんにあるように見えたが、よく見ると額は平らだが顔面の4分の1の高さまで下がってきて、そのすぐ下に触角は付いていた。 口器も幅が随分あったし、先端も上にカーブしていたのにやっと気づいたほどで、実にいい加減な見方をしていたのがあらわになってしまったし、この絵も実物に迫り切れたのかというと、まだまだで残念な結果だったが、人生の残り時間も少なくなっているものの、努力しようという意気込みだけはまだある。ということで良しとしよう。
2014.02.15
①は今描いているもう一枚の珪藻の絵。②はその元写真。③は①と②を重ねたものだ。
元写真と絵ががどれだけずれているかを③の重ねた画像で確認したわけだが、こんなにずれているとは意外だった。
絵は構図が良くないと全然駄目だと思っている。この絵の場合は、ばらけた珪藻のまとまり具合と、それらまとまったものたちの位置関係だろうが、沢山撮影した中でこれはと思って選んだ物だ。
その理由は、赤丸が画面の中心だがここを中心として珪藻たちが回るように配置されているというのを感じたからだろう。
今②の写真を見ると、左上から右下に流れていく感じが強い。①の絵がそうなっていないのは無意識に中心点の廻りを回転させようとしていたに違いない。
ものを正確に見るのは難しい。何らかの形で見たいように見てしまうと思うのだが、絵の場合はそれが大事だとも思えるし悩ましいことである。
2014.02.10
生きているままの昆虫を描く難しさは、昆虫の正確な形を捕まえることが大変なことにもよる。
このハチもちょこまか動き回ってじっとしてくれない。やっとの思いで撮影したのが上段の写真だ。
この写真を元にして大まかな形を取ることは比較的容易に出来るが、より精密に描こうとすると細部は曖昧模糊として靄の中に踏み込んだ気分だ。
それで死んだものの細部を実体顕微鏡で確認して詰めていくわけだが、外骨格がしっかりしたものはよいが弱いものはこのハチの腹部のように潰れてしまって元が分からなくなることも多い。
さらに細部構造を突き詰めていくと、最下段の写真のように金属顕微鏡の出番になる。
巨大画面で描くと絶大な迫力があると思うが、まだここまで来れてないのが遺憾である。
ところで、捕まえた昆虫を小ケースに入れ、水飴を水で薄めたものを与えると何日かは生きていてくれる。それで動き回る姿を長く観察できるようになった。
生きた姿をなかなか記憶できないが、よく見て少しずつでも体に染みこませるのが大事だと感じる。写真から形を起こしたとしても、正確でないところを体に染みこんだものが気づかせてくれるようにならなくては、生き生きとしたものは作れないと思うのだ。
2014.02.05
①は今描いている珪藻の絵。②はその元写真。③は①と②を重ねたものだ。
格子を描いて正確に写すことをしてきたが、限界を感じて歪むのを承知で格子なしで進めている。今回は、それがどれだけずれているかを③の重ねた画像で確認したわけだ。
結果は配置からいじっているのが分かる。上部の広がりをカットして右上のまとまりを隅に追いやっているし、全体に左方向にずれているのと、細かく見るとほとんど一致していないも分かる。
省略したのも多いのですっきりしたとも言えるし物足りなくなったとも言えるかもしれない。
この画像で見た限りでは、受ける印象はそんなに変わったとも思えないし悩ましさは相変わらずだ。
2014.01.30
台所の生ゴミ用の入れ物についたものを捕まえた。ミギワバエの1種らしい。体長は0.4センチもないので、じっとしていると目立たないが、動くとこうるさいコバエというところだろうか。今の時期でもハエは結構いるものだ。
翅脈や触角のひげなどを見るとミギワバエの特徴があるが、ウィキペディアで調べると水辺にすむハエとのことで、家の中にいるのは変だから違うかもしれない。
後脚の先端が黒くなっているが、附節の数を数えると第5附節が失われていた。くたびれた個体に見えないが案外長生きしていたのかもしれない。
ハエもいろいろ見てくるとだんだん愛着がわいてきて、こいつなどは金属光沢のあっさりした頭部や胸部で美しさがあるし、なぜだか、動きが実にゆったりしたものでかわいらしいものであった。
2014.01.25
玄関先のカラーの葉にはムシが良く寄ってくる。前々回のコバエに続いて同じようなコバエを捕まえた。
触角がやけに大きかったり、背中の棘毛の感じなど似ているところもあったので、雄雌の違いかなとも思った。
しかし、①と②の翅のスケッチを見比べると、似ているところもあるが明らかに異なる。
保育社の原色日本昆虫図鑑の翅脈図を見るとハヤトビバエ科のようだ。
ネットで調べると不快害虫駆除のページが沢山出てきた。小さくて食品の中に紛れ込んだりもするらしい。チョウバエのように良くいるのだろう。
さらに探すとフンコバエ科(旧称ハヤトビバエ科)として図付きで解説してあるのがあった。ここ
名称変更は飛翔力が弱いなど生態にあった英名に習って改称を提案している学者がいるそうだが、普及していないともあった。
「後脚の第一ふ節が太く短いのがパッと見の特徴で、ふ節が・・翅脈が・・さらに無翅、小翅・・翅に紋がある・・後脚が太い・・顔が特徴的など、種によって、実にいろいろな形態を見せてくれて見てると結構楽しいハエなのです。」とあったが実際口器の開口部は広くて変な形をしていた。
以下にそこの解説の一部を転載します。
フンコバエ科プロフィール
①体長0.5~6mmの種が多く、体色は黒色から褐色の種が多い。
②種によっては体の一部に黄色や赤褐色がまじることもあり、まれに体色そのものが黄色の種もある。
③翅は無色の透明の種が多いが、時には斑紋や、斑点を持つ場合もある。
④幼虫は糞、腐植を食べる種類が多いと思われるが、キノコなどの菌類を食べる種も知られている。
⑤生活場所は、林内地表近くや水辺などで多くの種が見られる。
⑥有名どころの種としてはハマベフンコバエが衛生不快害虫として知られている。
2014.01.20
MWSの珪藻プレパラートはいくつか求めたが、一番覗いたのは初めて買ったE-P1だろう。
ただ覗くだけでなくスケッチもしていたので、それを引っ張り出してきて切り貼りしてみた。
初めは大きくて目立つものばかりだったが、そのうちに小さいものになり、さらに、珍しいものに移っていった。
左の画像は、ほんの少ししか入っていない珪藻がほとんどで、例外は6番目のフナガタ珪藻だけだ。
特に、一番上のギロシグマは、大きさは中程度だが薄い被殻で背景に紛れてしまっていたのを見つけたときは感激ものだったのを思い出す。
数字が2種類あるので2ヶは見つけたわけだが、わざわざ計測して記録しているのはよほど嬉しかったとみえる。
5番目のアミバリ珪藻も5,6ヶはあったと思うが、位置を記録して、再度探しても似た形のフナガタ珪藻が沢山あって紛れてしまうのでなかなか見つけられなかった。
この珪藻は胞紋が見えなくて、何とか見ようと苦労した種で思い出深い。図にも予感のみと書いている。
この試みは途中で止めたのでまとめるところまではいかなかったが、MWSのファンはものすごい人が結構いるようで、この人はキノコ屋さんだがMWSの珪藻プレパラートから65属189種の珪藻を撮影し「珪藻ギャラリー」ここを公開している。
時間も掛けて相当苦労しているはずであるが、容易くできたように見える、きれいにまとめられているサイトだ。
2014.01.15
キモグリバエの1種ではないかと思う。体長0.2センチメートル。ほとんど黒で翅が鈍い白の小さな地味なハエである。
ウィキペディアによると世界では160属2000種、日本では52属145種いるそうだ。無論こんな地味なものでなくカラフルな派手なものもいるようだ。
食性は腐食性、植食性、肉食性、寄生性となんでもありというのだから、いろんな試みをして皆成功した種類なんだろう。
ところで、いわゆるハエは全身細かい毛に覆われているが、このハエは覆われていないようだ。対物20Xで見えなかったから間違いないと思うが。ただ部分的に、例えば小楯板などには細かい毛が沢山生えていた。
ハエと微妙に特徴が違う小さいながら興味深いハエである。
2014.01.10
新年早々に家の者がアカイエカ(多分)を二匹捕まえた。一匹は腹が黒々としていて、まさに血を吸った奴だった。
はたき落とされて気絶したようでケースに入れると元気に動き始めた。蚊はパチンと叩いてつぶすのが普通だが、家の者は小生のためにそうしなかったようだ。ありがたい。
水飴を水で薄めて与えたところ、9日現在で血を吸った一匹はまだ生きている。
血の養分もあるので水飴のせいばかりとは言えないが、こんなに生きるとは思わなかった。
その分しげしげと観察できたが、全身を覆っている鱗毛がかなり脱落しているのに気がついた。
こんな時期に蚊が出てくること自体が驚きだが、片端にこそなっていないが表面がぼろぼろになるぐらい随分と長生きした奴なのか知らんと考えたものの、蚊の鱗毛は触ると簡単に飛び散るので、はたき落としたせいかとも思える。
しかし、触角の棘毛は簡単には取れないようだが、右側はだいぶ残っていたものの左側はぱらぱらだったところを見ると、やっぱり長生きかなどと不思議な感じになったのだ。
左図は深度合成をしました。途中で飛び去ったり、微妙に動くので怪しいものしか出来なかったので、説得力に乏しい写真で残念ですが、脚のところで言えば、黒い点々が残った鱗毛で、本来なら明るいところが全くないほどびっしり付いています。
2014.01.05
山水の勉強はしていないが、芥子園画伝を手引きにして、というよりは模写をしてそれらしいものにしたのが左の図だ。
芥子園画伝は、樹譜や山石譜あるいは人物屋宇譜などに分類したパーツ集で、それぞれに有名画家の画風などで作った作例がずらりと並んでいる。
修行中の画家はこのパーツ集を学ぶことにより先人の苦労の成果を容易く学べるわけだ。
見るだけでなく模写をすると筆の動きまでも感ずることが出来るし、もう一歩進めてパーツを組み合わせるとインスタントの山水画になるわけだ。
それで北宋の郭熙の樹木と、時代は下がるが元の王蒙の山石、それに坡(上面が平坦な部分)の描き方の三つをまとめて模写したものだ。
ところで、昨年の暮れに国立博物館東洋館で当該館のリニューアルオープン記念として「上海美術館 中国絵画の至宝」の展示があった。小規模なものであったが郭熙の「幽谷図軸」や王蒙の山水もあった。
郭熙は日本で言えば平安中期の人だから、時代相応の古色がついていたが峨々たる岩山に、遠くは葉のある木々が小さく連なり、中央には葉のない巨木がある大きな掛け軸で迫力があった。
おもしろいことに絵の上に、後世の人の仕業だろうが大きな字で神品と書き横になにか細々と書き足しているものがあった。内容は無学で読めなかったので定かでないが、この絵は郭熙の真筆であると声高に言っているのではないかと思った。わざわざ言うのはなにか怪しい感じもした。
中国絵画を見る機会は滅多にないし、美術館所蔵の掛け軸や巻物をゆっくり見れて満ち足りた時間だったのだが、罰当たりなことも思ってしまったのだった。