芥子園画伝山石譜五ページ目の模写です。 董源・巨然の石 これは披麻皴である。董源、巨然、および趙孟ふ、黄公望、呉鎮などはみなこれを描いている。その中には正面向きの石があって、あたかも鼻準(はなすじ)のようであり、これを"石準"という。黄公望はこれを最も好んで描いた。 披麻皴とは、別の本による説明では「柔らかい線で土質や山や丘を表現し、淡から濃へと重ねることで潤いをだす。線の長いものは長披麻皴、短いものは短披麻皴。」とあります。 石版の芥子園画伝は淡が表現されないので、これだけ見ているとわかりませんが、この画伝を手本にしていた人たちは何本も引かれているひだは淡く重ねられてるのを想像しながら見ていたのでしょうね。
Cities: Skylinesの有志の手で用意された地下鉄駅アセットの入口です。通常、駅と入り口は一体化しているのですが、このアセットは駅ホームと通路、入口を組み合わせて使うようになっていました。線路部分もあり、それぞれ形態の違いが何種類かありで全体の開発は大変だったろうと思います。デザインはやや古めの時代の感じですがすっきりしていて好ましいと思いました。 このゲームは昼夜が推移しますが、朝日を浴びている場面です。影もどんどん動いて楽しいものです。
芥子園画伝山石譜四ページ目の模写です。 "坡"をまじえて石を描く 黄公望や倪サンが描く石には、しばしば"坡"(上が平坦で斜面になっている石や地面)がある。見ているとそこに坐臥したくなる。水辺や竹林に、このような石を配置して隠子の訪来を待つかのようにする。むやみに奇山や怪石ばかりで人に気味悪るがらせるようではいけない。
最近捕まえたハムシです。体長1センチぐらいのハムシとしては大きくて、赤っぽく輝いているような感じの目立つやつでした。標本にしたものですから赤の色合いはかなり違います。上翅の中の血管が見えるので透明度があります。生きてるときは体液の色で鮮やかになるのだと思います。 漢字表記は赤頸長金花虫(アカクビナガハムシ)です。いつもながらしゃれているなぁと感心します。サルトリイバラを食草にしているそうですが捕まえた場所には確かにはえていたので食事に来た奴を捕まえたのでしょうね。運が悪い虫君でした。
芥子園画伝山石譜三ページ目の模写です。 小石のあいだに大石を、大石のあいだに小石をまじえる 樹木にその組み合わせがあるように、石にも組み合わせがある。樹木の組み合わせは枝ぶりにあり、石の場合は相互の脈絡にある。大小の石を囲碁の布石のように配するのがその組合せ法である。水辺の石は、いくつもの小石が両手をさし出して大きな母石にすがりつこうとしている。山をめぐる石は、大きな老石が手をのべて小さな孫石たちを引き連れているようにすれば、そこに石と石との脈絡が表現できる。元代の王思善は、「石を描くには、まず淡墨で描き始めれば変更も修正もできる。それからだんだんと濃墨を用いて仕上げてゆくのがよい」と述べている。また、「石を描く手法として、雌黄を墨に混ぜると、しっとりとした自然の色になる、しかし、雌黄が多すぎると、運筆がうまくいかない、ときに藍を墨に混ぜることもあるが、これもまたおもしろい」ともいっている。
芥子園画伝山石譜二ページ目の模写です。 石を描く筆の下ろし方、積み重なった形勢のとらえ方 前頁で石を描く秘訣として述べた「活」とは、石の三面を描き分ける前に、最初の一筆を下すときに磊落雄壮の気迫を持つことである。その一筆にはかならず抑揚があって、あたかも戯れる龍のようになる。まず淡墨を用いて石の外形をかたどり、さらに濃墨の渇筆でこの上に描く。石の輪郭は、左面が濃ければ右側はやや淡く、陰陽(かげひなた)や表裏を描き分ける。多数の石を描くのは、この方法を応用するだけのことで、ただ小さな石を大きな石のあいだにまじえたり、大きな石を小さな石のあいだにまじえたりする区別がある。さて石の輪郭が描けたら、そこに皴を加えると少しづつ妙味が出てくる。諸画家の皴法は種々あるが、石はそのあり場所に応じて適切に描き分ける。かりに或る一画家の皴法を用いて小幅を描く場合でも、石を山の頂上に配したり、また水辺に置くことなどによって、それぞれの形はさまざまにするが、しかし基となるのは、ここに説く一二の手法にほかならず、したがって他のことは述べない。 米氏の山は墨点で暈し輪郭をかかないが、輪郭を用いなくても、この三面の法はかならず踏まえている。これは、墨を幾度も塗り重ねて描き出すところが厳格だからである。
夜景じゃよくわからんよ。と言われそうなので昼間の様子もご覧ください。 街を拡大して、人口19万人まで行ったのですが、何故か15万人に減りました。外を歩き回る市民は9千名弱です。車は1万一千台くらいです。15万人でも20万人でも同じようなので、動き回るものは二万程度で抑えられているようです。MODやASSETもかなり入れたのでメモリが16Gで足らなくなりました。阿保らしいと思いながらも32Gに増やしましたが10万円もしない民生機でも膨大な処理が可能な時代に驚異と脅威を感じます。
前回のブルースクリーンの地下道は建築物で隠してしまうやり方ですが、階段のある地下道入り口にもできます。プロップといって階段や床そして壁が用意されているのでそれらを組み合わせると良いのです。やってみました。えらく時間がかかりましたが完成、この画像のように階段を上り下りしています。 夜の雨の場面ですが、人は傘を差さずに歩き回ります。日本人だと抵抗感がありますが白人は抵抗がないのかなとも思います。道路面には雨の跡ができますし、人も犬も艶が増して雨に濡れた感じになる芸の細かさです。よく出来たゲームだと感心します。
Cities: Skylinesで遊んでいる場合じゃないでしょう。絵を描かなくて大丈夫なの。といわれそうな今日この頃。 このゲームで熱が入るのが交通渋滞解消です。人口が増えるとともに車も盛大に走ります。人通りの多い交差点は大渋滞になり、その解消にシャカリキになってしまうのです。都市計画をしっかり作るのが真の解決策ではあるのですが、姑息な手段は信号の制御で、やりようによっては効果がおおきいですし、横断歩道を廃止する手もあります。歩道橋とか地下道で捌けば人は渡れます。試しに内部撮影のできる地下道を設置したところ、地面に青い区画ができて人が出入りしています。地下がどうなっているか確かめようと視点を動かすと地下道の入り口が見えます。家のないところに作ったのですが、すぐに家が建ちました。不思議な状態ですが、家と地下道入り口は共存できるのですね。ブルースクリーンが見えるのは不自然ですから隠さなければなりませんが、強引に建物を建てる方法もあるので大丈夫ですね。 かようなわけであの手この手と繰り出せるので楽しくなってしまい、ついつい遊んでしまうのです。 よろしくないですねぇ。
Cities: Skylinesの地下鉄駅は標準以外にいろいろな駅がアセットとして有志の手で用意されています。その中に構内でも撮影できるものがありました。そんなアセットで撮影した一場面です。ちょうどホームの両側に地下鉄が停車したところで乗客はまだ動き始めていませんが、すぐに降りてくる人もあり、乗り込む人もありの賑やかな場面になります。
Cities: Skylinesの標準仕様ではダメでも有志の提供するMODではトンネル内も撮影可能です。そのMODを導入して撮影した工業地区のトンネルの一場面です。 車道だけでなく歩道もついているので人が歩きます。工業地区なのであまり通行していないのが残念ですが通行人の目線です。
芥子園画伝山石譜一ページ目の模写です。 石の描きはじめは三面を分かつ 人を見るとき、かならず"気"(生気=精神)と"骨"(骨格=身体)とについていうが、石は天地の骨であり、そして気もその中に宿っている。だから石は雲根"(雲を発生させる根源)であり、気のない石は死石に過ぎない。それはちょうど精神のない肉体が朽ちた屍であるのと同じで、まさか死石を文人画家の筆に描かせるわけにはいくまい。したがって、気のない石を描くなどもとよりできないが、気のある石を描くことは補足できないものを捉えるわけだから、まさに難事中の難事である。それは胸の中で、女かのように石を練り、石マニアといわれた米ふつを指の上に操るほどの器量がなければ、とても手に負えるものではない。しかし私は、それはかならずしもむずかしいことではないと考える。 思うに石には三面がある。三面とは、つまり石の凸凹の深浅と陰陽(かげひなた)を考えあわせ、高低の配置を工夫し、厚薄を加減し、また、礬頭(一群の小石)、菱面(尖った石)、負土(石を被う土)、胎泉(水に浸かった石)などに及ぶまで、すべての石の形態に熟達すれば、"気"もその形態に従って生じてくる。石を描く秘訣は多言を要しない―それは「活」(生きている)の一語につきる。
5mmぐらいの小さなハエです。普通のハエと違うところが多々あります。触覚がまっすぐ伸びていますし、口器が針状になっています。向きも前向きで珍しいと思います。背中の丸みも大きくてユニークです。ここらはどちらかと言えば蚊的です。 オドリバエの一種のようですが、獲物を足で抱え込んで鋭いくちばしを差し込み体液を吸い取る肉食の隅に置けないやつらしいです。 サイクリングの折り返し地点に叢があるので休憩がてら昆虫を探します。近年減ってしまったのか見つけられないことも多いのですが、さすがに暖かくなったので多少見れます。ここのところカメムシがいくつか出てつがっているのを見ます。この虫も28,29日と続けて捕まえました。繁殖するには一度に現れないとね。でしょうか。
ある東洋画の書籍に、「塊を表わすのに面と線は異なる。面は展開したあとの存在する形を表わし、線は面が展開してきた究極であるとともに展開している運動も表わす。」と言うのがありました。難しくてわかりません。東洋画の特徴は線であり、面にはないらしいですが、洋画に比べて立体感を伴っていないのは確かで、洋画の教育を受けた身で絵を描くとどうしても立体感が出てきます。平面化して描くのは至難です。 春季新作家展出品作の顔は線を意識して描いていますが、全体は立体的で線はありません。体も線主体で描くと画面構成も変わってくるはずです。 この年になって今更ですが東洋画に惹かれている今日この頃なのです。
コロナは収まりそうにもありませんが、だんだん平常の活動になっています。18日は新作家春季展の飾りつけに銀座まで行きました。電車の込み具合もかなりあって、全員マスクをしていますが普通に戻ってきているなと感じます。 絵は殆んど描かない日々です。展覧会があるのでやむなく描くというところでしょうか。この絵も着手が遅れてやっと間に合う始末でした。こんなことではいかんと思いますが、ついつい楽な方に傾き怠けてしまいます。
春先の桜はいつ見ても楽しくウキウキさせられます。真鶴道路の旧道は昔ながらの道なのでしょう。細い街道がうねうねと続いて小田原から湯河原、熱海へと繋がっている様子が目に浮かばれます。 根府川、真鶴間は桜の古木が点々と見られます。道際なので枝が切り詰められるので幹の太さがひときわ印象深いです。 桜も散ってしまいましたが、そんな道沿いの桜です。この近くに沢があるのですが、普段は水の流れていないような小さなもので、橋になっているのも感じられないほどですが、「萩の尾橋」という雅な名前がついているのでしょうね。その昔は茶屋があって旅人を慰めていたのかしらんなどと妄想してしまいます。
25日で電車が写っている所を道路から撮ったものです。この上は石橋山合戦場跡地で石碑が立っています。ミカンもわずかに残っているのが黄色い点々でお判りいただけると思います。その脇の小屋根が二つ付いている建物はミカンの保管庫でしょうね。換気を十分にして保管したものと思われ、よく見ます。この建物の向こう面はくずおれているので放置されたのがわかります。なっているミカンも手入れされている様子はなく商売用のものではないでしょうね。悲しいけれども、これが日本の現実で農業ばかりでなく工業も似た状況になっているようです。
ミカン畑は無くなったわけではなくまだ続けているところもあります。真鶴道路の旧道は桜の古木がたくさんあって春は楽しみです。そんな古木の根元でミカンの無人販売です。店を構えて大々的にやっているところも何ヶ所かありますが、一袋百円のこんなささやかなのも楽しいですね。
光人社「独ソ大戦車戦 クルクス・史上最大の激突」からの図と要約です。 1943年7月12日に赤丸のプロホロフカで、ソ連軍約850両、独軍約700両の戦車が激突し夕方までに両軍とも300両以上を失いソ連軍は撤退しました。独軍は戦場を支配したもののそれ以上前進する力はなく、すぐさま、ソ連軍の全面的な反攻が始まり11月6日のキエフ解放に繋がります。 クルクス突出部に動員された兵力は ソ連軍 総兵員数1,337,000人 火砲20,000門 戦車・突撃砲3,306両 飛行機2,650機 独軍 総兵員数 900,000人 火砲10,000門 戦車・突撃砲2,700両 飛行機2,050機の膨大なもので、ソ連軍は数か月をかけて増強に努め独軍を上回る兵力を集積し、相手の攻撃を受けとめ消耗させてから反撃する作戦で、その通りになったわけです。 第二次世界大戦でソ連は二千万人の犠牲者を出しているそうですが、独ソ戦のすさまじさは圧倒的です。 白色人種は、戦争ばかりしている戦争好きな人種で戦い方も徹底しているような気がします。戦いに使うエネルギーを平和に使えば世界は明るく豊かになるのになぁとため息が出ます。 赤く塗ったところが7月5日に始まった独軍の進出した地域です。
「花の命は短くて・・・」ミカン畑跡の桜はたちまちに散ってしまいました。という風にやろうとしたのですが、長持ちする品種も混ざっていたようです。残念。 ここは撮り鉄の名所のようです。この位置から少し下がったところに、望遠レンズをつけたカメラを設置してトンネルを出てくる電車を待ち受けている人をよく見ます。ちょうど電車が来たので入れてみました。桜主体なので電車はおまけですけど、電車中心にするには線路に入らないといけませんが、この後ろは少しカーブしているので良好な撮影位置になっているようです。たった一点の撮影位置なのでしょう同じ位置に入れ替わり立ち代わり撮り鉄がきます。
芥子園画伝樹譜の模写です。 劉松年は雪が積もった松をしばしば描いた。淡墨で周囲を暈(ぼか)し、松の葉はまず墨筆でまばらに描き、さらに草緑をところどころに施す。その幹には淡い代赭で方暈(かたぼ)かしにし、上半分は塗り残して雪が積もった感じを表現している。 解説文は淡墨をも用い、草緑に代赭と色にも触れているのでこの線で描かれた絵とあいませんが、初版は清朝初期の康煕年間で木版刷りで彩色も多いものだそうです。 淡墨と色彩を失った後世の石版による複刻が多数出版されているのは、筆法と活きのよい筆の勢いをよくわからせてくれるかららしいです。東洋画は線が中心なのでしょうね。
春先に東海道線で東京に出るときは、車窓からこの早咲きの桜が群舞しているのを見るのが楽しみでした。今はほとんど東京に行くこともなくわずかな間だけのもので車窓から見ることもなくなりましたが、サイクリングで通っているのでじっくり見ることができます。 石垣を積んで平坦地を作っているので、もとはミカン畑だったのでしょう。そのあとに、桜を植えたものと思われます。線路沿いなので、粋な計らいをして多くの人を楽しませているわけです。うっとおしいことばかりですがほっとさせられますね。
MWS教育用プレパラートE-P1からのコバンケイソウ(スリレラ)だと思います。前回と同じ時に撮影したものです。全てが初見で熱中して見ていました。何も知らないので次々と現れる様々な形に自然の豊かさを実感していたのでしょうね。
MWS教育用プレパラートE-P1からのものです。コロナ騒ぎは確実に負の影響があり何事も活動が鈍っています。今回のも珪藻を撮り始めたばかりのものです。今も変わらないような絵しか撮れていませんが良く撮れていますね。ビギナーズラックというものでしょうか。 コバンケイソウ(スリレラ)だと思います。殻が二つに割れたのでしょう。正面と側面が同時に見れる珍しい場面です。けれども当時はわかっていなかったでしょうね。なにか変だなと思いながら撮ったか、たまたまだったかでしょう。
昆虫のことは何も知らないに等しかったのに「あれこれ」に載せるので捕まえては観察しスケッチしてきました。ホントの虫好きは屋外を走り回るのでしょうが、それはなしで実体顕微鏡下で生きたものを観察したり解剖したりするのがメインですが驚かされることが多かったです。ここのところ休眠状態で困ったものですが、昔の記事を読み直すとその驚きが蘇ってきます。 今回の写真はその一つです。普段は引っ込んでいる口器がにょきっと出てきて唇弁と言うらしいですが口先を器用に動かして水を吸っているのを見たときは唖然としました。
Cities: Skylinesは、地区によっては資源があって、産業特区指定すれば開発できます。農業、林業、鉱業と石油産業の4種で鉱業と石油は枯渇するのですが、すぐになくなるらしいので枯渇しない設定にしてあります。いつまでたっても操業できるわけです。 そのように設定して大規模に開発した結果、区域外にでる貨車が大量に発生し身動きが取れなくなりました。 図の点線の右側が区域外で、青く霞んでいく中に貨車が消えていくのですが消え去る速度より押し寄せるのが多くて詰まってしまうのです。列車を捕まえて消すことができるので、消していましたがキリがなく、なにかないかと考えたのが線路を伸ばすことです。バニラでは区域外は操作できないのですがMODを導入するといじれます。これでもかと言うくらいクネクネと帰り道を伸ばしたので、なんとかなったようです。頭の体操にはなったようですが、絵を描くのはしんどいので、つい遊んでしまいます。
昔、NHKで「雪舟 画聖と呼ばれた男 」が放送されて録画しました。記憶にあるのは、四季山水図巻または山水長巻の中に俳優演ずる雪舟が入り込み、延々と続く路を辿るというものです。デジタルならではの素晴らしい合成が印象的でした。最近見直すと、すっかり忘れていましたが、ところどころ立ち止まり漢詩を詠じていました。この場面は、李白に会って「なぜこんな碧深い山中に棲むのか」と尋ねているところです。 名画をいじるのは不敬のような気もしますが、絵の李白にビデオの雪舟が親しく尋ねるさまは実に自然ですし、漢詩の挿入も、東洋での絵と詩の深いかかわりを感じさせます。移り変わる自然と人の営みを楽しみながら旅する雪舟の姿も、なにかほのぼのとして、いいなぁと思いました。
Cities: Skylinesは人がたくさん動き回ります。それぞれ名前もあり住む建物もあり、成長もするらしいです。 街に出かけてビルの中に入ります。なかには建物内部が見えるのもあります。だいたい立ちっぱなしでじっとしているだけで、商品を見て回ったり店員が対応するなどはしません。さすがに無理ですよね。適度に居て出ていくわけですが、建物を壊すとどうなるか試したのが今回の画像です。 土埃が舞い上がり、蜘蛛の子を散らすように出ていきましたが、予定より早く出ていったところでしょうか。落ち着いたものです。 中が見えないのはどうかと、隣と、その隣二軒を壊しました。最下段は二軒目ですが、どうも纏まっていたようです。団子になって出てきました。それと積み重なって居たのか上の方にもいました。 街に活力があるのか、すぐに再建が始まりました。 恐れ入りました。ですね。
Cities: Skylinesで郊外の火山らしい山裾に高速道路を走らせたのですが、尾根筋のところはトンネルにしました。 トンネル内は有志で可視化できるようになっているのですが、残念ながら高速道路はそうなっていませんでした。 一部の道路が対象のようです。いくつか試したところ、3車線の一方通行路で可視化できました。速度が遅くなるのですが、速度指定もできるのでトンネル内で80km/hにしました。やったね!です。 下段が出口のところです。 いまいちだなと思うのは雨の処理です。どうも画面の前面に降らせているようです。それも場所はお構いなしなのでしょう。天井があって雨が落ちてこないところにも盛大に降っています。 もう一つは天候と連動していないようです。晴天でも降る時があります。この場面でもそうでした。 改善の余地がいろいろありそうですね。
この先で真鶴道路に接続する旧道のタイヤ跡です。できてから二週間程度になります。4本のタイヤ跡なのでダンプの後輪で間違いないでしょう。ここは急斜面を切った道路ですが見通しが良くてスピードを出したくなるようなところです。しかし、何故か張り出した斜面があつてそこが狭いので実は危ないところなのです。ダンプは中央線をはみ出さないと安心して通れません。そのように通過しようとしたところに対向車が突っ込んで来て慌てて避けるもブレーキをかけないと斜面に当たるという状況ではないでしょうか。 あづき色のダンプが小さく写っていますが馴染みのダンプです。ここを常時使っているダンプ達は下りでは上り坂を上がってくるダンプを幅の広いところで停車して待つなど穏やかな運転をしています。この場所で対向車とすれ違うようであれば待ち受けるはずですが、どうしたのでしょうね。ここをあまり使っていないダンプとか、猛スピードの対向車だとかを思い浮かべてしまいます。
この頃、昆虫をいじっていないなぁと保存しているのを引っ張り出して撮影し、深度合成した玉虫です。マスダクロホシタマムシと言うらしいです。体長1cmの可愛らしいものです。記録を見ると、2019.5.23 根府川です。 すっかり忘れていましたが3年ほど前の出来事です。サイクリングの帰り道、根府川駅前のきつい坂道をふうふう言って登り切っても、緩い坂がしばらく続きます。その緩い坂の途中で何かが飛んで来て顔に付きました。それがこの玉虫です。びっくりしましたが滅多にお目にかかれない虫だったので嬉しかったですね。すぐ自転車を止めて容器に入れ持ち帰りました。玉虫君には災難、小生には幸運でした。
北宋・王希孟(1096-1119)が描く青緑山水「千里江山図」です。実物は北京故宮博物院にあり、天地51.5cm長さ1191.5cmの絹の絵巻です。これは天津人民美術出版社制作の巻子仕立ての印刷物ですが、天地が38cmあってかなり大きいです。印刷原稿がピンボケなのか細部があいまいですが、全体像がつかめるのは貴重です。 巻末の蔡京の跋文で、作者は徽宗皇帝の指導を受け18才でこの絵巻を描き、献上された作品を宰相の蔡京に与えたことがわかります。夭折してこの作品以外は残っていないようです。 この場面は人の気配もほとんどなく水面もわずかな山岳地帯ですが、この前後には道が連綿と続き、集落や楼閣が点綴し、人の営みもそこここに見られる変化に富んだ場面が繰り広げられます。理想郷を表現したのでしょうか、彩色の豊かさもあって優美なものだなと思いました。
浦上玉堂の「深林絶壁図」模写ではありません。 177.5×64.8cmの堂々たる墨画で、昭和9年に重要美術品に指定されています。右が全体、左が中央にすっくと伸びた松の上部詳細です。 西洋画の教育を受けた現代日本人は、東洋画の平面性や視点がどんどん移っていく空間の捉え方になじみがなくなりこのような絵には戸惑いを感じると思います。 ましてや、このような構成の絵を描くのは至難の業でしょう。
加齢とともに頭の働きが悪くなっているのですが体も運動しないと不調になります。犬がいるときは散歩を良くしました。今はいないので自転車です。真鶴道路の旧道は山の中腹を縫うような道でアップダウンを繰り返してハードな道ですが、車は少なくて暢気に走れます。 唯一安心できないのはカーブです。しかもたくさんあって後ろからの車がとっても気になります。ついにバックミラーをつけました。効果絶大でした。振り返ることなく近づいてくる車がわかります。慎重な車は追い越さず付いてきます。乱暴なのは追い越します。もっと乱暴なのはググっと寄って来て追い越していきます。ほんのわずかな時間で直線になるのですから待てばいいのにと思いますが減速するのが嫌なのでしょうね。 今日の画像は、そんなカーブのところで消えてはまた現れるブレーキ跡です。少ない車だとは言え、真鶴には採石場と跡地の残土処分場があってダンプがひっきりなしです。遭遇したことはありませんが、突然カーブに現れるといい調子で飛ばしている対向車は大慌てになり、その証拠を路面に残すのでしょう。あちこちのカーブに見られます。
芥子園画伝樹譜の模写です。 王叔明(王蒙)は、山頂の遠い松を描くのに、つねに好んでこの描き方を用いた。松が千本も万本も群がり立って、果てしがないほどである。しかも半ばは点苔の効果に用いられ、よく山の形態の表現に役立っている。 東洋画の特色に各個体の特異の点を見るのではなく類型的のものを見ていることがあるらしいです。ここに挙げた松は王叔明が実際の松をよく観察し遠景に適するよう類型化したものというわけです。 前回の「茂林遠岫図」の部分模写でも山頂に限らず樹木は李成が類型化したものが描かれているはずなので明快な形が見られなくてはいけないのですがあいまいなものになっています。反省点なのですが、細部もしっかり見分けられる模写元の画像を探せなかったのが悔やまれます。
今年の年賀状は、李成の「茂林遠岫図」の部分模写です。 李成(919-967)は五代から宋初の人です。新藤武弘訳の芥子園画伝では「儒者の家柄の出身で、五代後周の枢密使王朴に招かれて開封にのぼったが士官を遂げず、淮陽(河南)の客舎で醉死した。遥かな山水の眺望に士大夫の高邁な理想を象徴した"平遠山水"の画風を創始した。とあります。 世俗的には恵まれていなかったようですが、とても重要な画家で後世に多大の影響を与えているようです。 逆境に人は鍛錬されるとか。乱世に育ち辛酸を舐め、より深く魂を磨き、人の心に沁みとおる幽玄で深遠な絵を生み出せたのではないかと思います。 模写元の印刷された絵は細部が読み取れないようなものだったせいもありますが、あいまいなところが多いですし、描きこみすぎて微妙な調子は描けずに黒ずんでしまいました。最下段の旅人の状態も理解できなかったのですが描き進めるうちに、水深の浅い川を渡っているところがわかりました。岩上の人が次の人を引き上げ後続は馬に乗った主人と馬の口取りと荷物持ちだと思います。橋があるのが当たり前でしょうが、そうでないのは何故かと思いをめぐらすことになりますね。
2022.06.30
芥子園画伝山石譜五ページ目の模写です。
董源・巨然の石
これは披麻皴である。董源、巨然、および趙孟ふ、黄公望、呉鎮などはみなこれを描いている。その中には正面向きの石があって、あたかも鼻準(はなすじ)のようであり、これを"石準"という。黄公望はこれを最も好んで描いた。
披麻皴とは、別の本による説明では「柔らかい線で土質や山や丘を表現し、淡から濃へと重ねることで潤いをだす。線の長いものは長披麻皴、短いものは短披麻皴。」とあります。
石版の芥子園画伝は淡が表現されないので、これだけ見ているとわかりませんが、この画伝を手本にしていた人たちは何本も引かれているひだは淡く重ねられてるのを想像しながら見ていたのでしょうね。
2022.06.25
Cities: Skylinesの有志の手で用意された地下鉄駅アセットの入口です。通常、駅と入り口は一体化しているのですが、このアセットは駅ホームと通路、入口を組み合わせて使うようになっていました。線路部分もあり、それぞれ形態の違いが何種類かありで全体の開発は大変だったろうと思います。デザインはやや古めの時代の感じですがすっきりしていて好ましいと思いました。
このゲームは昼夜が推移しますが、朝日を浴びている場面です。影もどんどん動いて楽しいものです。
2022.06.20
芥子園画伝山石譜四ページ目の模写です。
"坡"をまじえて石を描く
黄公望や倪サンが描く石には、しばしば"坡"(上が平坦で斜面になっている石や地面)がある。見ているとそこに坐臥したくなる。水辺や竹林に、このような石を配置して隠子の訪来を待つかのようにする。むやみに奇山や怪石ばかりで人に気味悪るがらせるようではいけない。
2022.06.15
最近捕まえたハムシです。体長1センチぐらいのハムシとしては大きくて、赤っぽく輝いているような感じの目立つやつでした。標本にしたものですから赤の色合いはかなり違います。上翅の中の血管が見えるので透明度があります。生きてるときは体液の色で鮮やかになるのだと思います。
漢字表記は赤頸長金花虫(アカクビナガハムシ)です。いつもながらしゃれているなぁと感心します。サルトリイバラを食草にしているそうですが捕まえた場所には確かにはえていたので食事に来た奴を捕まえたのでしょうね。運が悪い虫君でした。
2022.06.10
芥子園画伝山石譜三ページ目の模写です。
小石のあいだに大石を、大石のあいだに小石をまじえる
樹木にその組み合わせがあるように、石にも組み合わせがある。樹木の組み合わせは枝ぶりにあり、石の場合は相互の脈絡にある。大小の石を囲碁の布石のように配するのがその組合せ法である。水辺の石は、いくつもの小石が両手をさし出して大きな母石にすがりつこうとしている。山をめぐる石は、大きな老石が手をのべて小さな孫石たちを引き連れているようにすれば、そこに石と石との脈絡が表現できる。元代の王思善は、「石を描くには、まず淡墨で描き始めれば変更も修正もできる。それからだんだんと濃墨を用いて仕上げてゆくのがよい」と述べている。また、「石を描く手法として、雌黄を墨に混ぜると、しっとりとした自然の色になる、しかし、雌黄が多すぎると、運筆がうまくいかない、ときに藍を墨に混ぜることもあるが、これもまたおもしろい」ともいっている。
2022.06.05
芥子園画伝山石譜二ページ目の模写です。
石を描く筆の下ろし方、積み重なった形勢のとらえ方
前頁で石を描く秘訣として述べた「活」とは、石の三面を描き分ける前に、最初の一筆を下すときに磊落雄壮の気迫を持つことである。その一筆にはかならず抑揚があって、あたかも戯れる龍のようになる。まず淡墨を用いて石の外形をかたどり、さらに濃墨の渇筆でこの上に描く。石の輪郭は、左面が濃ければ右側はやや淡く、陰陽(かげひなた)や表裏を描き分ける。多数の石を描くのは、この方法を応用するだけのことで、ただ小さな石を大きな石のあいだにまじえたり、大きな石を小さな石のあいだにまじえたりする区別がある。さて石の輪郭が描けたら、そこに皴を加えると少しづつ妙味が出てくる。諸画家の皴法は種々あるが、石はそのあり場所に応じて適切に描き分ける。かりに或る一画家の皴法を用いて小幅を描く場合でも、石を山の頂上に配したり、また水辺に置くことなどによって、それぞれの形はさまざまにするが、しかし基となるのは、ここに説く一二の手法にほかならず、したがって他のことは述べない。
米氏の山は墨点で暈し輪郭をかかないが、輪郭を用いなくても、この三面の法はかならず踏まえている。これは、墨を幾度も塗り重ねて描き出すところが厳格だからである。
2022.05.30
夜景じゃよくわからんよ。と言われそうなので昼間の様子もご覧ください。
街を拡大して、人口19万人まで行ったのですが、何故か15万人に減りました。外を歩き回る市民は9千名弱です。車は1万一千台くらいです。15万人でも20万人でも同じようなので、動き回るものは二万程度で抑えられているようです。MODやASSETもかなり入れたのでメモリが16Gで足らなくなりました。阿保らしいと思いながらも32Gに増やしましたが10万円もしない民生機でも膨大な処理が可能な時代に驚異と脅威を感じます。
2022.05.25
前回のブルースクリーンの地下道は建築物で隠してしまうやり方ですが、階段のある地下道入り口にもできます。プロップといって階段や床そして壁が用意されているのでそれらを組み合わせると良いのです。やってみました。えらく時間がかかりましたが完成、この画像のように階段を上り下りしています。
夜の雨の場面ですが、人は傘を差さずに歩き回ります。日本人だと抵抗感がありますが白人は抵抗がないのかなとも思います。道路面には雨の跡ができますし、人も犬も艶が増して雨に濡れた感じになる芸の細かさです。よく出来たゲームだと感心します。
2022.05.20
Cities: Skylinesで遊んでいる場合じゃないでしょう。絵を描かなくて大丈夫なの。といわれそうな今日この頃。
このゲームで熱が入るのが交通渋滞解消です。人口が増えるとともに車も盛大に走ります。人通りの多い交差点は大渋滞になり、その解消にシャカリキになってしまうのです。都市計画をしっかり作るのが真の解決策ではあるのですが、姑息な手段は信号の制御で、やりようによっては効果がおおきいですし、横断歩道を廃止する手もあります。歩道橋とか地下道で捌けば人は渡れます。試しに内部撮影のできる地下道を設置したところ、地面に青い区画ができて人が出入りしています。地下がどうなっているか確かめようと視点を動かすと地下道の入り口が見えます。家のないところに作ったのですが、すぐに家が建ちました。不思議な状態ですが、家と地下道入り口は共存できるのですね。ブルースクリーンが見えるのは不自然ですから隠さなければなりませんが、強引に建物を建てる方法もあるので大丈夫ですね。
かようなわけであの手この手と繰り出せるので楽しくなってしまい、ついつい遊んでしまうのです。 よろしくないですねぇ。
2022.05.15
Cities: Skylinesの地下鉄駅は標準以外にいろいろな駅がアセットとして有志の手で用意されています。その中に構内でも撮影できるものがありました。そんなアセットで撮影した一場面です。ちょうどホームの両側に地下鉄が停車したところで乗客はまだ動き始めていませんが、すぐに降りてくる人もあり、乗り込む人もありの賑やかな場面になります。
2022.05.10
Cities: Skylinesの標準仕様ではダメでも有志の提供するMODではトンネル内も撮影可能です。そのMODを導入して撮影した工業地区のトンネルの一場面です。
車道だけでなく歩道もついているので人が歩きます。工業地区なのであまり通行していないのが残念ですが通行人の目線です。
2022.05.05
芥子園画伝山石譜一ページ目の模写です。
石の描きはじめは三面を分かつ
人を見るとき、かならず"気"(生気=精神)と"骨"(骨格=身体)とについていうが、石は天地の骨であり、そして気もその中に宿っている。だから石は雲根"(雲を発生させる根源)であり、気のない石は死石に過ぎない。それはちょうど精神のない肉体が朽ちた屍であるのと同じで、まさか死石を文人画家の筆に描かせるわけにはいくまい。したがって、気のない石を描くなどもとよりできないが、気のある石を描くことは補足できないものを捉えるわけだから、まさに難事中の難事である。それは胸の中で、女かのように石を練り、石マニアといわれた米ふつを指の上に操るほどの器量がなければ、とても手に負えるものではない。しかし私は、それはかならずしもむずかしいことではないと考える。 思うに石には三面がある。三面とは、つまり石の凸凹の深浅と陰陽(かげひなた)を考えあわせ、高低の配置を工夫し、厚薄を加減し、また、礬頭(一群の小石)、菱面(尖った石)、負土(石を被う土)、胎泉(水に浸かった石)などに及ぶまで、すべての石の形態に熟達すれば、"気"もその形態に従って生じてくる。石を描く秘訣は多言を要しない―それは「活」(生きている)の一語につきる。
2022.04.30
5mmぐらいの小さなハエです。普通のハエと違うところが多々あります。触覚がまっすぐ伸びていますし、口器が針状になっています。向きも前向きで珍しいと思います。背中の丸みも大きくてユニークです。ここらはどちらかと言えば蚊的です。
オドリバエの一種のようですが、獲物を足で抱え込んで鋭いくちばしを差し込み体液を吸い取る肉食の隅に置けないやつらしいです。
サイクリングの折り返し地点に叢があるので休憩がてら昆虫を探します。近年減ってしまったのか見つけられないことも多いのですが、さすがに暖かくなったので多少見れます。ここのところカメムシがいくつか出てつがっているのを見ます。この虫も28,29日と続けて捕まえました。繁殖するには一度に現れないとね。でしょうか。
2022.04.25
ある東洋画の書籍に、「塊を表わすのに面と線は異なる。面は展開したあとの存在する形を表わし、線は面が展開してきた究極であるとともに展開している運動も表わす。」と言うのがありました。難しくてわかりません。東洋画の特徴は線であり、面にはないらしいですが、洋画に比べて立体感を伴っていないのは確かで、洋画の教育を受けた身で絵を描くとどうしても立体感が出てきます。平面化して描くのは至難です。
春季新作家展出品作の顔は線を意識して描いていますが、全体は立体的で線はありません。体も線主体で描くと画面構成も変わってくるはずです。
この年になって今更ですが東洋画に惹かれている今日この頃なのです。
2022.04.20
コロナは収まりそうにもありませんが、だんだん平常の活動になっています。18日は新作家春季展の飾りつけに銀座まで行きました。電車の込み具合もかなりあって、全員マスクをしていますが普通に戻ってきているなと感じます。
絵は殆んど描かない日々です。展覧会があるのでやむなく描くというところでしょうか。この絵も着手が遅れてやっと間に合う始末でした。こんなことではいかんと思いますが、ついつい楽な方に傾き怠けてしまいます。
2022.04.15
春先の桜はいつ見ても楽しくウキウキさせられます。真鶴道路の旧道は昔ながらの道なのでしょう。細い街道がうねうねと続いて小田原から湯河原、熱海へと繋がっている様子が目に浮かばれます。
根府川、真鶴間は桜の古木が点々と見られます。道際なので枝が切り詰められるので幹の太さがひときわ印象深いです。
桜も散ってしまいましたが、そんな道沿いの桜です。この近くに沢があるのですが、普段は水の流れていないような小さなもので、橋になっているのも感じられないほどですが、「萩の尾橋」という雅な名前がついているのでしょうね。その昔は茶屋があって旅人を慰めていたのかしらんなどと妄想してしまいます。
2022.04.10
25日で電車が写っている所を道路から撮ったものです。この上は石橋山合戦場跡地で石碑が立っています。ミカンもわずかに残っているのが黄色い点々でお判りいただけると思います。その脇の小屋根が二つ付いている建物はミカンの保管庫でしょうね。換気を十分にして保管したものと思われ、よく見ます。この建物の向こう面はくずおれているので放置されたのがわかります。なっているミカンも手入れされている様子はなく商売用のものではないでしょうね。悲しいけれども、これが日本の現実で農業ばかりでなく工業も似た状況になっているようです。
2022.04.05
ミカン畑は無くなったわけではなくまだ続けているところもあります。真鶴道路の旧道は桜の古木がたくさんあって春は楽しみです。そんな古木の根元でミカンの無人販売です。店を構えて大々的にやっているところも何ヶ所かありますが、一袋百円のこんなささやかなのも楽しいですね。
2022.03.30
光人社「独ソ大戦車戦 クルクス・史上最大の激突」からの図と要約です。
1943年7月12日に赤丸のプロホロフカで、ソ連軍約850両、独軍約700両の戦車が激突し夕方までに両軍とも300両以上を失いソ連軍は撤退しました。独軍は戦場を支配したもののそれ以上前進する力はなく、すぐさま、ソ連軍の全面的な反攻が始まり11月6日のキエフ解放に繋がります。
クルクス突出部に動員された兵力は
ソ連軍 総兵員数1,337,000人 火砲20,000門 戦車・突撃砲3,306両 飛行機2,650機
独軍 総兵員数 900,000人 火砲10,000門 戦車・突撃砲2,700両 飛行機2,050機の膨大なもので、ソ連軍は数か月をかけて増強に努め独軍を上回る兵力を集積し、相手の攻撃を受けとめ消耗させてから反撃する作戦で、その通りになったわけです。 第二次世界大戦でソ連は二千万人の犠牲者を出しているそうですが、独ソ戦のすさまじさは圧倒的です。 白色人種は、戦争ばかりしている戦争好きな人種で戦い方も徹底しているような気がします。戦いに使うエネルギーを平和に使えば世界は明るく豊かになるのになぁとため息が出ます。
赤く塗ったところが7月5日に始まった独軍の進出した地域です。
2022.03.25
「花の命は短くて・・・」ミカン畑跡の桜はたちまちに散ってしまいました。という風にやろうとしたのですが、長持ちする品種も混ざっていたようです。残念。
ここは撮り鉄の名所のようです。この位置から少し下がったところに、望遠レンズをつけたカメラを設置してトンネルを出てくる電車を待ち受けている人をよく見ます。ちょうど電車が来たので入れてみました。桜主体なので電車はおまけですけど、電車中心にするには線路に入らないといけませんが、この後ろは少しカーブしているので良好な撮影位置になっているようです。たった一点の撮影位置なのでしょう同じ位置に入れ替わり立ち代わり撮り鉄がきます。
2022.03.20
芥子園画伝樹譜の模写です。
劉松年は雪が積もった松をしばしば描いた。淡墨で周囲を暈(ぼか)し、松の葉はまず墨筆でまばらに描き、さらに草緑をところどころに施す。その幹には淡い代赭で方暈(かたぼ)かしにし、上半分は塗り残して雪が積もった感じを表現している。
解説文は淡墨をも用い、草緑に代赭と色にも触れているのでこの線で描かれた絵とあいませんが、初版は清朝初期の康煕年間で木版刷りで彩色も多いものだそうです。
淡墨と色彩を失った後世の石版による複刻が多数出版されているのは、筆法と活きのよい筆の勢いをよくわからせてくれるかららしいです。東洋画は線が中心なのでしょうね。
2022.03.15
春先に東海道線で東京に出るときは、車窓からこの早咲きの桜が群舞しているのを見るのが楽しみでした。今はほとんど東京に行くこともなくわずかな間だけのもので車窓から見ることもなくなりましたが、サイクリングで通っているのでじっくり見ることができます。 石垣を積んで平坦地を作っているので、もとはミカン畑だったのでしょう。そのあとに、桜を植えたものと思われます。線路沿いなので、粋な計らいをして多くの人を楽しませているわけです。うっとおしいことばかりですがほっとさせられますね。
2022.03.10
MWS教育用プレパラートE-P1からのコバンケイソウ(スリレラ)だと思います。前回と同じ時に撮影したものです。全てが初見で熱中して見ていました。何も知らないので次々と現れる様々な形に自然の豊かさを実感していたのでしょうね。
2022.03.05
MWS教育用プレパラートE-P1からのものです。コロナ騒ぎは確実に負の影響があり何事も活動が鈍っています。今回のも珪藻を撮り始めたばかりのものです。今も変わらないような絵しか撮れていませんが良く撮れていますね。ビギナーズラックというものでしょうか。
コバンケイソウ(スリレラ)だと思います。殻が二つに割れたのでしょう。正面と側面が同時に見れる珍しい場面です。けれども当時はわかっていなかったでしょうね。なにか変だなと思いながら撮ったか、たまたまだったかでしょう。
2022.03.01
昆虫のことは何も知らないに等しかったのに「あれこれ」に載せるので捕まえては観察しスケッチしてきました。ホントの虫好きは屋外を走り回るのでしょうが、それはなしで実体顕微鏡下で生きたものを観察したり解剖したりするのがメインですが驚かされることが多かったです。ここのところ休眠状態で困ったものですが、昔の記事を読み直すとその驚きが蘇ってきます。
今回の写真はその一つです。普段は引っ込んでいる口器がにょきっと出てきて唇弁と言うらしいですが口先を器用に動かして水を吸っているのを見たときは唖然としました。
2022.02.25
Cities: Skylinesは、地区によっては資源があって、産業特区指定すれば開発できます。農業、林業、鉱業と石油産業の4種で鉱業と石油は枯渇するのですが、すぐになくなるらしいので枯渇しない設定にしてあります。いつまでたっても操業できるわけです。
そのように設定して大規模に開発した結果、区域外にでる貨車が大量に発生し身動きが取れなくなりました。
図の点線の右側が区域外で、青く霞んでいく中に貨車が消えていくのですが消え去る速度より押し寄せるのが多くて詰まってしまうのです。列車を捕まえて消すことができるので、消していましたがキリがなく、なにかないかと考えたのが線路を伸ばすことです。バニラでは区域外は操作できないのですがMODを導入するといじれます。これでもかと言うくらいクネクネと帰り道を伸ばしたので、なんとかなったようです。頭の体操にはなったようですが、絵を描くのはしんどいので、つい遊んでしまいます。
2022.02.20
昔、NHKで「雪舟 画聖と呼ばれた男 」が放送されて録画しました。記憶にあるのは、四季山水図巻または山水長巻の中に俳優演ずる雪舟が入り込み、延々と続く路を辿るというものです。デジタルならではの素晴らしい合成が印象的でした。最近見直すと、すっかり忘れていましたが、ところどころ立ち止まり漢詩を詠じていました。この場面は、李白に会って「なぜこんな碧深い山中に棲むのか」と尋ねているところです。
名画をいじるのは不敬のような気もしますが、絵の李白にビデオの雪舟が親しく尋ねるさまは実に自然ですし、漢詩の挿入も、東洋での絵と詩の深いかかわりを感じさせます。移り変わる自然と人の営みを楽しみながら旅する雪舟の姿も、なにかほのぼのとして、いいなぁと思いました。
2022.02.15
Cities: Skylinesは人がたくさん動き回ります。それぞれ名前もあり住む建物もあり、成長もするらしいです。
街に出かけてビルの中に入ります。なかには建物内部が見えるのもあります。だいたい立ちっぱなしでじっとしているだけで、商品を見て回ったり店員が対応するなどはしません。さすがに無理ですよね。適度に居て出ていくわけですが、建物を壊すとどうなるか試したのが今回の画像です。
土埃が舞い上がり、蜘蛛の子を散らすように出ていきましたが、予定より早く出ていったところでしょうか。落ち着いたものです。
中が見えないのはどうかと、隣と、その隣二軒を壊しました。最下段は二軒目ですが、どうも纏まっていたようです。団子になって出てきました。それと積み重なって居たのか上の方にもいました。
街に活力があるのか、すぐに再建が始まりました。
恐れ入りました。ですね。
2022.02.10
Cities: Skylinesで郊外の火山らしい山裾に高速道路を走らせたのですが、尾根筋のところはトンネルにしました。
トンネル内は有志で可視化できるようになっているのですが、残念ながら高速道路はそうなっていませんでした。
一部の道路が対象のようです。いくつか試したところ、3車線の一方通行路で可視化できました。速度が遅くなるのですが、速度指定もできるのでトンネル内で80km/hにしました。やったね!です。
下段が出口のところです。
いまいちだなと思うのは雨の処理です。どうも画面の前面に降らせているようです。それも場所はお構いなしなのでしょう。天井があって雨が落ちてこないところにも盛大に降っています。
もう一つは天候と連動していないようです。晴天でも降る時があります。この場面でもそうでした。
改善の余地がいろいろありそうですね。
2022.02.05
この先で真鶴道路に接続する旧道のタイヤ跡です。できてから二週間程度になります。4本のタイヤ跡なのでダンプの後輪で間違いないでしょう。ここは急斜面を切った道路ですが見通しが良くてスピードを出したくなるようなところです。しかし、何故か張り出した斜面があつてそこが狭いので実は危ないところなのです。ダンプは中央線をはみ出さないと安心して通れません。そのように通過しようとしたところに対向車が突っ込んで来て慌てて避けるもブレーキをかけないと斜面に当たるという状況ではないでしょうか。
あづき色のダンプが小さく写っていますが馴染みのダンプです。ここを常時使っているダンプ達は下りでは上り坂を上がってくるダンプを幅の広いところで停車して待つなど穏やかな運転をしています。この場所で対向車とすれ違うようであれば待ち受けるはずですが、どうしたのでしょうね。ここをあまり使っていないダンプとか、猛スピードの対向車だとかを思い浮かべてしまいます。
2022.01.30
この頃、昆虫をいじっていないなぁと保存しているのを引っ張り出して撮影し、深度合成した玉虫です。マスダクロホシタマムシと言うらしいです。体長1cmの可愛らしいものです。記録を見ると、2019.5.23 根府川です。
すっかり忘れていましたが3年ほど前の出来事です。サイクリングの帰り道、根府川駅前のきつい坂道をふうふう言って登り切っても、緩い坂がしばらく続きます。その緩い坂の途中で何かが飛んで来て顔に付きました。それがこの玉虫です。びっくりしましたが滅多にお目にかかれない虫だったので嬉しかったですね。すぐ自転車を止めて容器に入れ持ち帰りました。玉虫君には災難、小生には幸運でした。
2022.01.25
北宋・王希孟(1096-1119)が描く青緑山水「千里江山図」です。実物は北京故宮博物院にあり、天地51.5cm長さ1191.5cmの絹の絵巻です。これは天津人民美術出版社制作の巻子仕立ての印刷物ですが、天地が38cmあってかなり大きいです。印刷原稿がピンボケなのか細部があいまいですが、全体像がつかめるのは貴重です。
巻末の蔡京の跋文で、作者は徽宗皇帝の指導を受け18才でこの絵巻を描き、献上された作品を宰相の蔡京に与えたことがわかります。夭折してこの作品以外は残っていないようです。
この場面は人の気配もほとんどなく水面もわずかな山岳地帯ですが、この前後には道が連綿と続き、集落や楼閣が点綴し、人の営みもそこここに見られる変化に富んだ場面が繰り広げられます。理想郷を表現したのでしょうか、彩色の豊かさもあって優美なものだなと思いました。
2022.01.20
浦上玉堂の「深林絶壁図」模写ではありません。
177.5×64.8cmの堂々たる墨画で、昭和9年に重要美術品に指定されています。右が全体、左が中央にすっくと伸びた松の上部詳細です。
西洋画の教育を受けた現代日本人は、東洋画の平面性や視点がどんどん移っていく空間の捉え方になじみがなくなりこのような絵には戸惑いを感じると思います。
ましてや、このような構成の絵を描くのは至難の業でしょう。
2022.01.15
加齢とともに頭の働きが悪くなっているのですが体も運動しないと不調になります。犬がいるときは散歩を良くしました。今はいないので自転車です。真鶴道路の旧道は山の中腹を縫うような道でアップダウンを繰り返してハードな道ですが、車は少なくて暢気に走れます。
唯一安心できないのはカーブです。しかもたくさんあって後ろからの車がとっても気になります。ついにバックミラーをつけました。効果絶大でした。振り返ることなく近づいてくる車がわかります。慎重な車は追い越さず付いてきます。乱暴なのは追い越します。もっと乱暴なのはググっと寄って来て追い越していきます。ほんのわずかな時間で直線になるのですから待てばいいのにと思いますが減速するのが嫌なのでしょうね。
今日の画像は、そんなカーブのところで消えてはまた現れるブレーキ跡です。少ない車だとは言え、真鶴には採石場と跡地の残土処分場があってダンプがひっきりなしです。遭遇したことはありませんが、突然カーブに現れるといい調子で飛ばしている対向車は大慌てになり、その証拠を路面に残すのでしょう。あちこちのカーブに見られます。
2022.01.10
芥子園画伝樹譜の模写です。
王叔明(王蒙)は、山頂の遠い松を描くのに、つねに好んでこの描き方を用いた。松が千本も万本も群がり立って、果てしがないほどである。しかも半ばは点苔の効果に用いられ、よく山の形態の表現に役立っている。
東洋画の特色に各個体の特異の点を見るのではなく類型的のものを見ていることがあるらしいです。ここに挙げた松は王叔明が実際の松をよく観察し遠景に適するよう類型化したものというわけです。
前回の「茂林遠岫図」の部分模写でも山頂に限らず樹木は李成が類型化したものが描かれているはずなので明快な形が見られなくてはいけないのですがあいまいなものになっています。反省点なのですが、細部もしっかり見分けられる模写元の画像を探せなかったのが悔やまれます。
今年の年賀状は、李成の「茂林遠岫図」の部分模写です。
李成(919-967)は五代から宋初の人です。新藤武弘訳の芥子園画伝では「儒者の家柄の出身で、五代後周の枢密使王朴に招かれて開封にのぼったが士官を遂げず、淮陽(河南)の客舎で醉死した。遥かな山水の眺望に士大夫の高邁な理想を象徴した"平遠山水"の画風を創始した。とあります。
世俗的には恵まれていなかったようですが、とても重要な画家で後世に多大の影響を与えているようです。
逆境に人は鍛錬されるとか。乱世に育ち辛酸を舐め、より深く魂を磨き、人の心に沁みとおる幽玄で深遠な絵を生み出せたのではないかと思います。
模写元の印刷された絵は細部が読み取れないようなものだったせいもありますが、あいまいなところが多いですし、描きこみすぎて微妙な調子は描けずに黒ずんでしまいました。最下段の旅人の状態も理解できなかったのですが描き進めるうちに、水深の浅い川を渡っているところがわかりました。岩上の人が次の人を引き上げ後続は馬に乗った主人と馬の口取りと荷物持ちだと思います。橋があるのが当たり前でしょうが、そうでないのは何故かと思いをめぐらすことになりますね。