MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)にあるエピテミアだ。 弓なりの形で中央に山形の模様がうかがえる特徴のある珪藻である。 下図は顕微鏡を覗きながらスケッチしたものだ。細かいところは、なかなか見切れなくてこんなものだろうと描き上げたものだ。 その後、場所は違うがビデオ観察して撮影したものもあるので比較のため並べてみた。 写真とスケッチはピント位置が少し違うので、写真では縦格子が目立たないが絵は目立つなどの差はあるが、まあまあ描けているとも言えるし、これじゃ駄目ねぇとも言われそうだし、絵を描くのは難しいものだ。
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。 前回はこの絵まで描くつもりで作業したが資料作りで時間切れになってたわけだ。 この絵の元は写真だ。箱に閉じ込めたものなので完全な自然ではないが疑似自然のポーズだろうか。 形はそれとして、材質の感じも大事だ。このムシは柔らかい外骨格なので、その感じがないと成功とは言えないのだか、あまり成功したとは言えないようだ。 名人の描いたホタル系の標本画をデスクトップに載せて、パソコンを開くたびに見ているが、触るとふにゃふにゃになりそうな感じで、確かにこうだよなと感心するが、ものすごい点の集合体でとてつもない時間が掛かっているようである。それくらい努力しないといけないと言うことだろうか。
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。 ほとんど薄茶色だが、複眼が真っ黒で丸く出っ張っていて、何となくかわいらしく、外骨格も柔らかくて華奢な感じだが、見かけの優しさと違ってするどい大アゴなので情け容赦のない肉食性だろう。 附節は左から前、中、後脚の順だ。クワガタなどとは全然違う形だが、ハムシとかゾウムシには近く、4節が幅広のブラシのようで葉っぱの表面をしっかり捕まえるのに都合良くできているように見える。 記録用の絵はそんなことを思い浮かべ、見落としの無いように正確さを心がけながら描いていくわけだ。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科ノコギリクワガタみたいだが大アゴの歯が図鑑と少し違うのが気になる。体長3センチメートル。 学者でないので意識して標本画のようには描いてこなかったが、ここのところ標本画もどきになっている。 現物はこんなにきちんとしていないのでスケッチをとってから、この形に再構成するわけだ。やってみるとなかなか面白い。 全体に丸まったり頭が引っ込んだり、脚は明後日の方を向いていたりと、見る角度によっては別物かと思うぐらいに変化することもある。それを、姿勢正しく正対した形に復元することになるわけだ。 本来の形をしっかり理解していないといけないわけだ。そのことの大事さに今頃気がついたと言うことのようである。
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)センチコガネ科センチコガネみたい。体長1.9センチメートル。 図鑑で絵合わせすると、どう見てもセンチコガネだが、小楯板縦線の明瞭度でセンチコガネかオオセンチコガネの区別が出来る。などと書いてあるがそれらしき線が見えるような見えないようなで、昆虫の同定は素人には無理なのがわかる。 それはともかく、大きさもそこそこあるし濃い紫の金属光沢で美しいムシだが、道路上をのこのこ歩いているかひっくり返っているのを拾うのが小生のこのムシの捕獲方法なので、どうも弱ったものばかりを手に入れているようである。 そのせいかダニがまとわりついているのばかりなので、すぐにエタノールで消毒している。 名前は漢字で書くと雪隠黄金だそうである。うんこにたかるムシなのであった。 自然界の掃除屋さんで有り難いムシではあるがダニがついているのもむべなるかなである。
ハエ(双翅)目短角亜目ムシヒキアブ科ハラボソムシヒキか。体長1.5センチメートル。 図鑑でハラボソムシヒキが一番それらしかったが、体長が1センチメートルとか腹部の模様が異なったりするので近いけれども違う種とも思われる。 サイクリングしたついでに道ばたで昆虫採集した。オオクロアリが目についたので捕まえたがこれだけだと寂しいと、しばらく草むらを探して見つけたのがこのムシだ。 アリは凶暴だしオオクロアリは大型なので危ないかなとも思ったが、ケースをひとつしか持っていかなかったので葉っぱを入れて2匹をひとつケースに入れた。 家に着いてみたら危惧は現実となって胸をがっちりとくわえられてしまった。離して実体で見ると胸に大穴が空いていた。 写真を撮り、死体そのままのスケッチをした。写真は後で深度合成をしたが触角などがぶれていた。死んだはずだかそうではなかったわけだ。 昆虫をいじっているとこんなことはいくらでもあるのに気付いたが、これは単に触角を動かす筋肉とその周りの体液があり、この筋肉を動かす神経が機能していれば動くのではないかと思えてきた。ヒトはなんでも哺乳類の死と同じように考えてしまうが、生き物にはそれぞれかなり異なる死に様があるわけだろう
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科コクワガタだろう。体長2.9センチメートル。 木村資生著「生物進化を考える。」を読んでいたらというか、難しいので目を通しているというのが正確であるが、なるほどと肯けるところもある。 「過去の進化でめざましいものを二つあげると前カンブリア紀の多細胞生物の出現と、新生代とともに始まった哺乳類の適応放散である。 後者は恐竜の絶滅により、それらによって占められていた各種の生態的住所が空いてしまい、そこへ生き残った哺乳類が爆発的に放散していった。」 なるほど、人類の繁栄は恐竜の絶滅があってこそなのだ。などと感心するわけだ。 花形は交代が宿命のようだが、脇役はそうでもない。昆虫は古生代からいるし、クワガタでも、最古の化石がジュラ紀後期のものだそうだから恐竜と共に生きていたようだ。 クワガタの幼虫は腐朽した木材を餌に育つそうで、古いタイプは針葉樹を新しいタイプは広葉樹だそうだ。植物の進化に併せて進化してきたわけだ。絵に描かれているひとの幼虫は広葉樹の腐朽材をたべているのでごく最近、といっても何千万年かあるいは何百万年か前だろうが、そのころからのひとのわけだろう。
MWS珪藻プレパラートASK_01(池)にあるフルツスリアだ。 珪藻観察を始めた頃EP_1でこの珪藻を対物100X,NA=1.3で見たが、条線を見ることができなかった。ビデオ観察で再挑戦して、威張れるほど明瞭ではないがなんとか見ることができた。(掲示画像では左端だけがわずかに分かるだけだが元画像では全体に見えている。) 教育用のEP_1よりグレードの高いリサーチシリーズのASK_01なので標本の良さもあるし、照明法など技術も上がっているのだろう。嬉しいことである。 条線の間隔は種類によって一定しているとのことで10個計測したのが左の表だ。大きさはグラフ化した。 同じような大きさに見えたが一割程度の大きさの違いがあるようだ。 10μmあたりの条線は32本が6個、33本が4個だった。 大きさは一割違っているのだから32〜35本ぐらいでもいいわけなので、大きさと無関係に一定していると言えるだろう。
MWS珪藻プレパラートHKZ_01(渓流)にある10×20μmぐらいの珪藻だ。 初めは別のものと見ていたが上からのものと横からのものとで同じものだというのが分かるまで随分時間がかかったものだ。 光学顕微鏡で見ると小さいのと平らな面が少ないので、なにがなんだかよく分からんで終わってしまう。 しかし、ネットで調べると群体で生活するイタケイソウというのがすぐ分かり、さらにDiatoma mesodonの記載があったので、これで検索するとSEM画像がいくつか出てきた。 それで想像をたくましくして描いたのが下の図だ。 被殻の厚さはけっこうあってそこに細かい胞紋が並んでいるようだ。帯面の画像を見ると厚さは想像できる。SEM画像では上殻は梁が渡っているのがはっきり写っていて、これがあるので光学顕微鏡の像がややこしくなる。間の帯片は輪だけだが複雑な形をしていて、かつ組み合わせが特殊なので、ますます光学顕微鏡の像はわからんちんになり、これはなんなのかねえーということになるのだと思うのだ。
随分前のMWSの「本日の画像」に38万画素CCDでの撮影の話が出ていて、ずっと気になっていた。 接続の仕方が正確に分からないので産業用のカメラを買うのは冒険だなとためらっていたのだが、ローコストのウエッブカメラのレンズをとったら使えないかと試してみたのが今回の画像だ。 DL_TESTのキンベラを対物レンズ40Xで見ると下図の様に見える。0.5ミリの円の中が見える範囲だ。 それをウエッブカメラで撮影すると上図のようになる。640×480画素の画像である。ピントを変えていくとパソコンのモニターにリアルタイムで映される。ほんのわずかの違いも監視できて、目視では気付かなかった胞紋が不明瞭ではあるがしっかり見分けられた。補正環付きNA=0.95のブランアボ40Xの解像力が立派に発揮できたみたいだ。 このキンベラの胞紋は凝った形をしているのがMWSの本日の画像にでていて自分には無理と諦めていたものだが、青色パワーLEDや油浸の対物100Xはこれより解像度は上がるので方法はある。なんか希望が出てきた。 MWSの「本日の画像」の信じられないような画像の数々を手引きにして珪藻プレパラートの観察を続けてきたわけだが、ビデオ観察の手法で新生面が出てきたようだ。
4月6日のゴンフォネマの続きだ。 @は殻面の中央部で胞紋が見えているので、線状ではなくしっかり穴が開いているのが分かる。 Aは帯面だが尻の方が離れている。端部の被殻は薄いのかはっきり写っていない。 Bは上下の被殻の想像図だ。 表面はつるりとしているはずなので胞紋の穴しか描いていない。 被殻は上下2枚のみで中間の帯片はなし。 ピンクに塗ったところが上の被殻にすっぽりとはまるのではないかと思うのだ ゴンフォネマは横から見ると、どうみても切れ目が見えないので、どこで別れるのか長い間の疑問点だった。 SBG-01(渓流)は特にそうだが、上下が離れていないものがたくさんあって、珪藻はバラバラになるのが普通のようなので、これも不思議だったが、これだけ重なっているとそう簡単には離れないのももっともだ。 切れ目が分からないのも端部が薄ければ重なっているのが見分けづらいのも理解できる。 以上長い間の疑問点がSBG-01(渓流)の観察で解決したようだ。しかし、何の役にも立たないようだけどとも言われそうだが、すっきりした気分で嬉しいものであるのだ。
A1のケント紙に水彩で描いたゾウムシの行進だ。 写真を組み合わせて大きさの比較をしたことがあるが、それを絵にしたわけだ。 この道のプロが見るとあちこちおかしぃんじゃね。と言われそうだが、写真を元にして下書きをして実物を実体で覗きながら修正した。結構苦労しているのですよ。
MWS珪藻プレパラートSBG-01(渓流)のゴンフォネマ(クサビケイソウ)だ。 このプレバラートはゴンフォネマが沢山ある。@の右と左では太さが随分違うから別種に違いないし、精査すればいろいろ入っているみたいである。種探しの楽しみもあるが立体を想像する楽しみもある。 @は真ん中だけが深い位置にあったのでピントのあったものを合成したが他はそのままである。上からや横からのもの、やや斜めからのものと並んでいるので思いは膨らむ。 AとBはピントの位置を変えたものだ。Aでは楔形だがBでは台形と随分違う。光学顕微鏡の世界は形を読み解くのは至難の業なのが分かってもらえると思う。 Cは前にも出したが@の左側にある珪藻の想像図だ。
リンゴヒゲナガゾウムシと言うのかもしれない。体長0.8センチメートル。 きらりと薄緑の鱗毛が光る中型で細長いゾウムシでかわいらしい感じがしたが、ご面相はなかなかのものだ。 ゾウムシ=固い外骨格というイメージでいたが、このムシの脚は中がほんのりと透けて弱々しく見える。 鱗毛が全身にあるが、頭の後ろは黒々とした帯がある。頭を上下左右に動かしたときに胸の中に入っていくのだろう。この写真では頭を下げたところなのでしっかりと黒帯が見えているわけだ。
見たくない写真だなあと言われるかもしれんが、ハナバエの1種だと思われるハエの頭部のドアップだ。 ギンバエやイエバエは現れたら殺虫スプレーの出番になる嫌われ者で汚らしいものでもあるし、実体顕微鏡で初めて見たときはギョッとしたものだったが、数多くハエを見てきたのでだんだん愛着が湧いてきている。 この写真では、もやっとした感じの肌にしか写っては居ないが、実際は微少な毛で覆われているのでビロードの肌なのである。
前回は昆虫画達人の言葉を引いた訳だが、読み直すとひがみっぽし悪意もあるようにも思える。そんな気持ちはさらさらないのだが、深層心理で高望みのねたみがあって、それがかたちになったのだろうかなどとも考えたが。考えすぎだろう。 それはともかく、始めた頃のものと最近のと比較してみた。上段が2009年7月のものである。見たままでなく体と脚が重ならないようにアレンジしたものだ。 アリの脚の付け根は体の芯に近いので工夫をしないと体に当たってしまう。そこで基節の大きさや形状と腿節の付き方が前中後脚で異なるし、腹部は逆三角形にした上に腿節の微妙な曲がり方で実にうまく体に当たらなくなっている。 そこら辺のことが全く分かっていないのが上段の図だと今は判断できるので間違いなく進歩はしているが、しかし今の図がそれを表しているかと言えば怪しい。分かったとしても表現できるかは又別の問題ではある。 ひがむのやねたむのはろくでもないことだし、面白い面白いでたのしく描いていきましょう。
ハネオレバエの1種のようだが、翅脈に切れ込みがなかったのが気になる。 ここのところ写真を元にした絵が続いているが、「対象への理解が、表向きをなぞるだけの情報の希薄さにとどまる。」ということが如実に現れていると反省させられるので初心に返って線描きで乾燥状態のものを写生した。 対象への理解は、形だけではなく成長課程と生態までを踏まえなくてはということだが、残念ながら大いに欠けている中で輪郭だけでも正確に捉えようとしたわけだ。 しかし、明瞭な稜線がない昆虫の体には輪郭線はない。曲がってゆく面が消失したところを線として描くわけだ。それも直線はまずなく曲線のつらなりになる。この曲線は凸になったり凹になったり曲率が変化したりする。曲がり方と変化点をきっちり押さえないといけないわけだが、なかなか見極められないものだ。つまり描けないものである。 さらに、頭胸腹、脚と正しい比例と繋がり方をして立体を感じられ、本物が目に浮かぶのであれば成功というわけだ。 昆虫画ではないが白描で描かれた鎌倉時代の随身庭騎絵巻はそんな風だったなあと思うのだ。
ハエ(双翅)目短角亜目ミバエ科カボチャミバエのようだ。体長1センチメートル。 ネットを見るとよく似たのがたくさんあった。家の中で捕まえたが台所にカボチャがしばらくほったらかしてあったから、そのカボチャから出てきたのだろう。 ミバエは実蝿または果實蝿ともいうらしいが、果実に産み付けられた卵が孵えって幼虫になると実を喰ってしまうという農民にとってはとんでもないムシだそうだ。 それも、長い間いっしょにいるものはまだしも、海外から進入してきたものは天敵がいないので殖え放題になる恐ろしさももっているとか。 沖縄では台湾から侵入したらしいウリミバエが八重山から奄美大島まで広がりウリ類の本土輸出禁止になっていたそうだが、不妊化した雄を放ち根絶する方法をとり成功したそうである。 ウキィペディアによると1986年から作業開始1990年に根絶成功発表、1993年最後の八重山諸島で根絶確認し、それに要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。という凄い数字が並べてあったのだ。
箱根入生田に県立地球博物館がある。バブルの頃の建設で費用を惜しまないで作られたものだ。多分。 原生代の地層は壁面に巨大な壁として立ち上げてある。その下にはこれもどっしりと大きい標本がカットモデルで置いてある。見事なものである。 ストロマトライトは地球の大気に酸素をもたらしたものとして有名だ。現在はわずかにオーストラリアの塩分の濃い入り江などに生き残っているだけだが、一時は世界を制覇していた生き物だそうだ。 何故廃れたかというと自分の生み出した酸素をつかって活発な活動をする生き物が登場してきたからとのことである。その生き物には動かないで栄養満点のストロマトライトはかっこうの餌になったのだそうだ。今生き残っているのは塩分が濃すぎて捕食者が生きられない場所だからだそうである。 ストロマトライトの前の生物は高熱性の嫌気性細菌が花形だったらしいが、この生き物にとっては酸素は猛毒で、ストロマトライトは主役の地位を奪いとれたそうだから、因果は回るで滅ぼしたものも又滅ぼされた訳だ。 とはいえ、絶滅したわけではない。ストロマトライトを作っていた藍藻は現在も沢山居るし、嫌気性細菌も地中深く潜り込んで驚くほどの数が居るらしい。 生き物はじつにしぶといのだそうだ。
子供の頃、天竜川を遡った山奥の村で夏休みを過ごしていたことがある。 山の斜面を切り開いた小学校の校庭にポプラの巨木がポツンと立っていたが何か変な感じがした。近寄ってよく見たら毛虫が異常発生して、いたるところで葉をせっせと食べていた。見上げると上の方までいる。身の毛がよだつとはこのことだ。 しばらくして行くとポプラは丸坊主になっていた。そして地面には木を中心にして丸く帯が描かれていた。それは毛虫の死骸だった。まだわずかに生き残っている奴が樹上にも地面にもうろうろしていたが餌がないのだからまもなく死ぬのだろうと思えた。 異常発生はぞっとするものだったが、結末はもっと恐ろしいものだった。 校舎や運動場がどうなっていたかポプラはどこにあったのか、山の斜面にある学校だから広いはずはないが全く覚えていない。ただ巨木だけが記憶に残っている。田舎にポプラの木は変な気がするし、それほど大きくはないのかもしれないが記憶は絵のようなものだ。
春季新作家展に出品した絵だ。従来の写生に徹する遣り方は放棄して、珪藻そのものは写生で見たままであるが配置は頭の作用である。 一応形にはなったようだが、どうも駄目そうなので代表に見てもらった。 しばらく黙って見ていられたが、小さな並びを指さして相当考えたようだね。綺麗だけれどもと続いて感情が感じられないとあっさり真っ二つに切られてしまった。 代表の批評は恐ろしいのだ。
ウリハムシの上翅も調べてみた。 写真のようにキマワリに比べて随分小さい。そのせいか条線がない。 キマワリほど整然としていないが棘毛は中段の写真の点々と連なっている丸の中で上翅の全面にまんべんなくある。しかも表面だけでなく裏側にも前の方だけだが細い棘毛がしっかりとあった。 そして、うねうねとした気管が四本前後に通じている。皺があるのが気管みたいなので間違いないだろう。下段の写真ではっきり分かる。 うまく撮影できなかったので載せられないが体液の流れる隙間はしっかりあって、それも均一な隙間でなく肩の両端の所は太くて丸いのが分かった。ここのところが流入口かもしれないと思った。 脚は細長くて、この中をどうやって体液が循環するのか長い間の疑問点なのだが、上翅の場合も先端で点で繋がっているだけだから不思議なことである。 神経を何としても見ようとしたがはっきりしなかった。上翅は二つに別れているが合わせ目のところが折りたたまれていて、その中にきらりと光るものが見えるのが神経で幹線になっていると思いたいが虫のいい想像でしかない。
甲虫の上翅は固い。一枚の板かと思っていたが、ばらして顕微鏡で見るとそんなことはなかった。 キマワリは表面に条線が何本もあり、そこに点々と棘毛がある。それ以外のところにもより小さい棘毛が満遍なくある。 ひっくり返すとうねうねとした管と黒丸の列が並んでいる。黒丸は条線の棘毛の位置にあるようだった。 表面の黒い皮膚に管を埋め込んだやや茶色い樹脂で裏打ちしているようにも見えた。黒丸は隙間があるのかもしれないと思った。 確認するため小さく切り取って断面を見た。 大間違いだった。黒丸はびっちり詰まっていて、管のまわりが空間だった。そして黒く厚い表皮にはきらりと光る細い線がいくつも見えた。 体液が隙間を通って循環している。そこに管は気管で酸素を供給する。きらりと光る細い線は神経で棘毛に繋がり外部の情報を捉える。 上翅もしっかり生きているんだとため息が出た。 あっていると思うが素人の勝手な想像だ。
顕微鏡は照明が大事だ。珪藻を生物顕微鏡でまともに観察出来るようになったのはMWSの「本日の画像」の照明法の記事のお陰である。LED照明器具の自作法や設置位置の重要性、自作簡易暗視野法、偏斜や輪帯照明など理屈抜きの見よう見まねで何とかなってしまった。しかし、顕微鏡本の写真をずらりと並べた最近の「本日の画像」を拝見すると、これは正しい道ではない。きちんと本を読んで理論を身につけないといけないのだと反省させられたのだ。 ところで、左の写真は実体顕微鏡での小生が工夫したあれこれである。 光源はスイッチング式のドライバーで300mAに整流した1WパワーLED2個を自作した。 標本台は4cmのシャーレを裏返した隙間にアルミ缶から取り出した厚さ0.2mmのアルミ板にアルミホイールを巻いた反射板を挟み込んでいる。 細かい工夫は中のシャーレを後ろのつまみで回転できるようにしてある。標本の向きを少し変えたいことが良くあるからだ。 一番大事なのは明るく柔らかい光をどう確保するかだが、LEDの直射光は強すぎるのでトレペを拡散板にして柔らかくしている。かなり見えるようになったが、改善点はまだまだある。たとえば高倍率ほど暗くなるので調光は必然なのだ。
前回のショウジョウバエの翅脈の切れ込みがどんなものか見て頂きたいので金属顕微鏡で撮影した。 翅脈の中は体液が流れているらしく完全に切れているとも思えないので、わずかながらも膨らみがあるのではないかとよくよく見たが、前側は無いようだし後ろ側はあるようにも見えるが確信を持てるほどではなかった。正しい姿を確認するのはなかなか難しいのだ。 検体を壊さないようにするのも難しく、この写真でも棘が何本かとれた。ハエの長い棘はすぐとれるので困りものだがソケットが残るので位置と太さはとれても分かるは有り難いのだ。
ショウジョウバエの1種みたいだ。体長0.4センチメートル。 目が赤くて小さくかわいらしいのがショウジョウバエだという思いがあったので、赤褐色の目だし体もやや大きいし不細工なハエだしで、これがショウジョウバエとは驚きであったが、ショウジョウバエの見分け方のサイトのいくつかのポイントと一致したので間違いはないだろう。絵ではそのうちの、@触角先端が大きく枝分かれしていること。A翅に二箇所の切れ込みがあることを示した。 昔、ギンバエを小箱に閉じ込めて見ていたとき、狭いので翅を伸ばしれなくなって折れ曲がったことがあった。翅脈は連続しているものと思っていたので撓むと思ったのが折れたので繋がっていないのでないかと疑問を持ったことがある。よく見てみると切れ込みがあったので何故そうなっているのか不思議に思ったものだ。 なにかの必要があってそのように進化したに違いがないが面白いものである。
去年の12月15日に出した丹沢の地質図をカシミールを使って立体化した。カシミールはフリーのソフトだが優れものでこんな事が簡単にできてしまうのに感心してしまうのだ。 山中湖と芦ノ湖が濃い青になっているので位置はつかみやすいのではないだろうか、丹沢の主峰は塔ノ岳だから深成岩のあるところは端っこになるがボリュームはなかなかのものだなと思うのだ。
前回のヒメコバチが触角の手入れをしているところだ。 ハエ目などの吸収式口器の持ち主は出来ない相談だが、甲虫やハチなどの咀嚼式口器のムシは触角の手入れは口器にくわえ込んで順送りに掃除しているのをよく見る。 ところがこのハチは触角の上下動に前脚の距を上手にあてがって掃除しているようだった。ようだったとは無責任な言い方だが小さい上に動きが速くて正確に見極められないのである。そして絵を描きながら口が小さいし触角は大きすぎるのて口にくわえられないのかなぁとかも思ってみたのだがどうなのだろうか。 もう一つ新鮮だったのはキリンのような立ち姿だったことだ。小さいものたちを見るのは大変だが面白い姿をみせてくれるのは嬉しい限りだ。 ところで今年の彩色画は和紙に水彩絵の具で描いている。初めは水張りなしだったのでスキャナで取り込むと皺の影がもろにでてしまった。やはり水張りは大事なのねということで前回からしているが、今回は水の含ませかたが足りなかったのかわずかだか皺がでてしまった。失敗をしないと上達しないようだ。
これも最近捕まえたもの。トビコバチのようなシルエットだったがヒメコバチの1種みたいだ。体長0.2センチメートル。 良く走り回るハチでじっとしてくれない。それでもなんとか輪郭だけでも捉えられないかと試みた結果だ。 触角は体に比べて随分大きなものだがこれを上下に激しく振りながら走っていた。これに加え頭も高い位置だったから視覚もしっかり使っているのだろう。 昆虫の歩き方は3点支持が基本で、初めは右の前後脚なら左の中脚と組みで支持し、体を前に動かしながら残った三本の脚も前に繰り出し接地する。この繰り返しだと思うが、このハチの動きを見ていると腿節はほとんど動かさず脛節と附節ばかりを図の矢印のように動かしているようだった。 それにつま先立ちのように接地しているのも見て取れた。前回のトビコバチも同様でこのサイズのものは立てているのかもしれない。普通は図Aのように寝かせているのだ。
トビコバチの1種のようだ。体長0.2センチメートル。 今年になってから玄関先のカラーの葉に来ているチビ助をいくつか捕まえた。金属光沢で一見同じようだが違うものもいたりして嬉しくなる。中脚の脛節からでている距の大きさが極端に違っていたので違う種類なのが判った。これは大きいからトビコバチと言うわけだ。 このチビ助はしきりに走り回って観察できないでイライラするが、立ち止まって体の手入れをする時はニッコリである。ユックリ観察できるし、外骨格がパーツ毎に違う動きをするとつながり具合が理解できる。あまりの自在さに驚かされるが絵にするのは難しい。 絵は普段とあまり変わらないが後脚を上げて翅の掃除をしている簡単なところを描いたのだ。
3月には新作家春季展がある。 左の写真にある名前は分からないが曲がった葉巻みたいなものと、まわりの珪藻を描こう。 今回は写真の通りに描くのは止めにして構成するつもりだ。 いくつかの珪藻を選び並べかえるわけだ。 もともと寂しい画面がますます寂しくなるが、それを構成の力で乗り越えようというわけだ。 都市の絵を出した新作家展で難しいことをしようとしていると言われたことがあるが、今回も難しいことをする訳だ。どうもそうゆうのが好きらしい。無鉄砲なことだ。
前回のホソチビアナバチの視点をわずかに変えた写真と記録のためのスケッチである。 文字の読み取れないのはご容赦下さい。 スケッチは乾燥標本状態のものでしている。生きているときとかなり違うものもあるが、この場合は触角とか脚とかは別にして、かなりもとの姿を残している。しっかりした外骨格といえるだろう。 スケッチに当たっては川島逸郎氏の厳しい態度が頭の隅に巣くっていて、なんとか妥協の無い線を引こうと試みるのであるがまあこんなものです。それでも進歩しているとよいのだが。 標本画だと寸法の実測は欠かせない作業だろうが、そこのところは眼力で現し切りたい欲望が科学者ではない絵描きとしてあるので、全長を測るぐらいしかやっていないのだ。
ハチ(膜翅)目ジガバチ科ホソチビアナバチらしい。体長0.5センチメートル。 去年の4月に捕まえたもので、この形で写真を撮った。実体顕微鏡で上から見ているので垂直の壁に止まっているのを撮ったわけだが、見ていて精悍な姿にほれぼれした。戦う飛行機で言えば現代のジェット戦闘機でなく、宣伝上手な海軍の有名なゼロ戦でもなく、ひっそりとした旧陸軍の隼の様な感じだ。 子供の餌に昆虫狩りをするハチらしいので狩り用の体に進化しているのだろうか。翅は長く、がっちりした胸部で飛翔力は十分あるし、大きな複眼で獲物を見逃さず素早く近寄り、あっという間に尻を折り曲げて毒針を刺して麻痺させ巣に持ち帰るのだろう。 胸部に続く腹部を細くして身軽だが細長い体にしているところなどは、翅の長さにバランスした体長を確保しながらも体重を減らした優れた仕組みのような気がしてきた。
MWSの年末はJシリーズの発売で大賑わいである。今回は放散虫に焦点があてられていて、発売と同時にどんどん売れていった。そして、年が明けると購買者からの画像が紹介されていたが、これまたあっと驚く動画で、放散虫が身を震わせていた。ここの1月3日の記事 GIFアニメというらしいが、作成ソフトのサイトが判ったので、DL-TESTにあるディプロネイスの仲間をピントを下げていった画像で猿真似をしたのが今回の画像だ。 ピントをほんの僅かに動かすだけでどんどん姿を変えていく、これから元の形を想像していくのも珪藻覗きの楽しみでもあるのだ。
ノミバエの1種らしい。体長0.2センチメートル。名前の由来は背が丸まっているのと後脚が大きいかららしい。 御浦風物誌に蜘蛛やカイガラムシの標本画がでていた。不満足な標本を元にして描かざるをえなかったので満足の出来るものではないとのコメントがあった。実に厳しい態度である。 それに刺激を受けたのだろう、実体顕微鏡ではよく見えない細部は金属顕微鏡で観察してスケッチをとった。 このポーズ自体は写真からのものだが細かいところは写っていないのでスケッチが必要なわけだ。 ところで、このハエは少し動いては止まり、方向を変えて動いて止まるを繰り返しているが、止まったときの足の形が変化しないのに気がついた。 目にもとまらぬ脚の動きというわけだ。このハエに限らずハエの歩き回るのはくせがあると思っていたが、やっと見分けられたと嬉しかったのだ。
今年の年賀状に使ったもの。オリジナルで山水を描く力はないので、例によって芥子園画伝の山石譜と元末4大家の一人呉鎮作「同庭漁隠図」の松を組み合わせて模写した。 東洋画は筆墨の世界だし遠近の表し方など今描いている絵とは大いに異なって、遠くのものはより上部に、より大きく描くので俯瞰したような位置関係だが俯瞰図ではない。 間に大きさの分かるものを小さく入れると大きな空間に忽然と変貌するし、余韻が生まれたりもする。と思う。成果のほどは別にして、この絵はそれを真似してるわけだ。 素直に伸びている様に見えた二本の呉鎮の松は模写すると、途中から脇に出た枝が本来のものに置き換わって上に伸びていて、風雪の厳しい扱いを受けているのに気がついた。また、奥の一本は上に伸びることは出来ず這うように横に伸び、しかも枯れてしまったのか草に覆われていたのも分かった。 風雪に負けて枯れてしまったものもあるが、虐げられながらもなお上に上にと伸びていたのだ。 思うに元代は蒙古族の王朝であり漢族は他民族に支配されていたのだから鬱屈したものがあってしかるべきとも言える。 呉鎮は官につかず、終生清貧と孤高の隠遁生活を送ったらしいが、頭を切られてもすぐ脇から伸ばして、すっくと伸びきるのだという強い意志で描いたのだろうかなどと思ってしまった。
2015.06.30
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)にあるエピテミアだ。
弓なりの形で中央に山形の模様がうかがえる特徴のある珪藻である。
下図は顕微鏡を覗きながらスケッチしたものだ。細かいところは、なかなか見切れなくてこんなものだろうと描き上げたものだ。
その後、場所は違うがビデオ観察して撮影したものもあるので比較のため並べてみた。
写真とスケッチはピント位置が少し違うので、写真では縦格子が目立たないが絵は目立つなどの差はあるが、まあまあ描けているとも言えるし、これじゃ駄目ねぇとも言われそうだし、絵を描くのは難しいものだ。
2015.06.25
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。
前回はこの絵まで描くつもりで作業したが資料作りで時間切れになってたわけだ。
この絵の元は写真だ。箱に閉じ込めたものなので完全な自然ではないが疑似自然のポーズだろうか。
形はそれとして、材質の感じも大事だ。このムシは柔らかい外骨格なので、その感じがないと成功とは言えないのだか、あまり成功したとは言えないようだ。
名人の描いたホタル系の標本画をデスクトップに載せて、パソコンを開くたびに見ているが、触るとふにゃふにゃになりそうな感じで、確かにこうだよなと感心するが、ものすごい点の集合体でとてつもない時間が掛かっているようである。それくらい努力しないといけないと言うことだろうか。
2015.06.20
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ホタル上科ジョウカイボン科の何か。体長1.1センチメートル。
ほとんど薄茶色だが、複眼が真っ黒で丸く出っ張っていて、何となくかわいらしく、外骨格も柔らかくて華奢な感じだが、見かけの優しさと違ってするどい大アゴなので情け容赦のない肉食性だろう。
附節は左から前、中、後脚の順だ。クワガタなどとは全然違う形だが、ハムシとかゾウムシには近く、4節が幅広のブラシのようで葉っぱの表面をしっかり捕まえるのに都合良くできているように見える。
記録用の絵はそんなことを思い浮かべ、見落としの無いように正確さを心がけながら描いていくわけだ。
2015.06.15
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科ノコギリクワガタみたいだが大アゴの歯が図鑑と少し違うのが気になる。体長3センチメートル。
学者でないので意識して標本画のようには描いてこなかったが、ここのところ標本画もどきになっている。
現物はこんなにきちんとしていないのでスケッチをとってから、この形に再構成するわけだ。やってみるとなかなか面白い。
全体に丸まったり頭が引っ込んだり、脚は明後日の方を向いていたりと、見る角度によっては別物かと思うぐらいに変化することもある。それを、姿勢正しく正対した形に復元することになるわけだ。
本来の形をしっかり理解していないといけないわけだ。そのことの大事さに今頃気がついたと言うことのようである。
2015.06.10
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)センチコガネ科センチコガネみたい。体長1.9センチメートル。
図鑑で絵合わせすると、どう見てもセンチコガネだが、小楯板縦線の明瞭度でセンチコガネかオオセンチコガネの区別が出来る。などと書いてあるがそれらしき線が見えるような見えないようなで、昆虫の同定は素人には無理なのがわかる。
それはともかく、大きさもそこそこあるし濃い紫の金属光沢で美しいムシだが、道路上をのこのこ歩いているかひっくり返っているのを拾うのが小生のこのムシの捕獲方法なので、どうも弱ったものばかりを手に入れているようである。
そのせいかダニがまとわりついているのばかりなので、すぐにエタノールで消毒している。
名前は漢字で書くと雪隠黄金だそうである。うんこにたかるムシなのであった。
自然界の掃除屋さんで有り難いムシではあるがダニがついているのもむべなるかなである。
2015.06.05
ハエ(双翅)目短角亜目ムシヒキアブ科ハラボソムシヒキか。体長1.5センチメートル。
図鑑でハラボソムシヒキが一番それらしかったが、体長が1センチメートルとか腹部の模様が異なったりするので近いけれども違う種とも思われる。
サイクリングしたついでに道ばたで昆虫採集した。オオクロアリが目についたので捕まえたがこれだけだと寂しいと、しばらく草むらを探して見つけたのがこのムシだ。
アリは凶暴だしオオクロアリは大型なので危ないかなとも思ったが、ケースをひとつしか持っていかなかったので葉っぱを入れて2匹をひとつケースに入れた。
家に着いてみたら危惧は現実となって胸をがっちりとくわえられてしまった。離して実体で見ると胸に大穴が空いていた。
写真を撮り、死体そのままのスケッチをした。写真は後で深度合成をしたが触角などがぶれていた。死んだはずだかそうではなかったわけだ。
昆虫をいじっているとこんなことはいくらでもあるのに気付いたが、これは単に触角を動かす筋肉とその周りの体液があり、この筋肉を動かす神経が機能していれば動くのではないかと思えてきた。ヒトはなんでも哺乳類の死と同じように考えてしまうが、生き物にはそれぞれかなり異なる死に様があるわけだろう
2015.05.30
甲虫(鞘翅目)目多食亜目(カブトムシ類)クワガタ科コクワガタだろう。体長2.9センチメートル。
木村資生著「生物進化を考える。」を読んでいたらというか、難しいので目を通しているというのが正確であるが、なるほどと肯けるところもある。
「過去の進化でめざましいものを二つあげると前カンブリア紀の多細胞生物の出現と、新生代とともに始まった哺乳類の適応放散である。
後者は恐竜の絶滅により、それらによって占められていた各種の生態的住所が空いてしまい、そこへ生き残った哺乳類が爆発的に放散していった。」
なるほど、人類の繁栄は恐竜の絶滅があってこそなのだ。などと感心するわけだ。
花形は交代が宿命のようだが、脇役はそうでもない。昆虫は古生代からいるし、クワガタでも、最古の化石がジュラ紀後期のものだそうだから恐竜と共に生きていたようだ。
クワガタの幼虫は腐朽した木材を餌に育つそうで、古いタイプは針葉樹を新しいタイプは広葉樹だそうだ。植物の進化に併せて進化してきたわけだ。絵に描かれているひとの幼虫は広葉樹の腐朽材をたべているのでごく最近、といっても何千万年かあるいは何百万年か前だろうが、そのころからのひとのわけだろう。
2015.05.25
MWS珪藻プレパラートASK_01(池)にあるフルツスリアだ。
珪藻観察を始めた頃EP_1でこの珪藻を対物100X,NA=1.3で見たが、条線を見ることができなかった。ビデオ観察で再挑戦して、威張れるほど明瞭ではないがなんとか見ることができた。(掲示画像では左端だけがわずかに分かるだけだが元画像では全体に見えている。)
教育用のEP_1よりグレードの高いリサーチシリーズのASK_01なので標本の良さもあるし、照明法など技術も上がっているのだろう。嬉しいことである。
条線の間隔は種類によって一定しているとのことで10個計測したのが左の表だ。大きさはグラフ化した。
同じような大きさに見えたが一割程度の大きさの違いがあるようだ。
10μmあたりの条線は32本が6個、33本が4個だった。
大きさは一割違っているのだから32〜35本ぐらいでもいいわけなので、大きさと無関係に一定していると言えるだろう。
2015.05.20
MWS珪藻プレパラートHKZ_01(渓流)にある10×20μmぐらいの珪藻だ。
初めは別のものと見ていたが上からのものと横からのものとで同じものだというのが分かるまで随分時間がかかったものだ。
光学顕微鏡で見ると小さいのと平らな面が少ないので、なにがなんだかよく分からんで終わってしまう。
しかし、ネットで調べると群体で生活するイタケイソウというのがすぐ分かり、さらにDiatoma mesodonの記載があったので、これで検索するとSEM画像がいくつか出てきた。
それで想像をたくましくして描いたのが下の図だ。
被殻の厚さはけっこうあってそこに細かい胞紋が並んでいるようだ。帯面の画像を見ると厚さは想像できる。SEM画像では上殻は梁が渡っているのがはっきり写っていて、これがあるので光学顕微鏡の像がややこしくなる。間の帯片は輪だけだが複雑な形をしていて、かつ組み合わせが特殊なので、ますます光学顕微鏡の像はわからんちんになり、これはなんなのかねえーということになるのだと思うのだ。
2015.05.15
随分前のMWSの「本日の画像」に38万画素CCDでの撮影の話が出ていて、ずっと気になっていた。
接続の仕方が正確に分からないので産業用のカメラを買うのは冒険だなとためらっていたのだが、ローコストのウエッブカメラのレンズをとったら使えないかと試してみたのが今回の画像だ。
DL_TESTのキンベラを対物レンズ40Xで見ると下図の様に見える。0.5ミリの円の中が見える範囲だ。
それをウエッブカメラで撮影すると上図のようになる。640×480画素の画像である。ピントを変えていくとパソコンのモニターにリアルタイムで映される。ほんのわずかの違いも監視できて、目視では気付かなかった胞紋が不明瞭ではあるがしっかり見分けられた。補正環付きNA=0.95のブランアボ40Xの解像力が立派に発揮できたみたいだ。
このキンベラの胞紋は凝った形をしているのがMWSの本日の画像にでていて自分には無理と諦めていたものだが、青色パワーLEDや油浸の対物100Xはこれより解像度は上がるので方法はある。なんか希望が出てきた。
MWSの「本日の画像」の信じられないような画像の数々を手引きにして珪藻プレパラートの観察を続けてきたわけだが、ビデオ観察の手法で新生面が出てきたようだ。
2015.05.10
4月6日のゴンフォネマの続きだ。
@は殻面の中央部で胞紋が見えているので、線状ではなくしっかり穴が開いているのが分かる。
Aは帯面だが尻の方が離れている。端部の被殻は薄いのかはっきり写っていない。
Bは上下の被殻の想像図だ。
表面はつるりとしているはずなので胞紋の穴しか描いていない。
被殻は上下2枚のみで中間の帯片はなし。
ピンクに塗ったところが上の被殻にすっぽりとはまるのではないかと思うのだ
ゴンフォネマは横から見ると、どうみても切れ目が見えないので、どこで別れるのか長い間の疑問点だった。
SBG-01(渓流)は特にそうだが、上下が離れていないものがたくさんあって、珪藻はバラバラになるのが普通のようなので、これも不思議だったが、これだけ重なっているとそう簡単には離れないのももっともだ。
切れ目が分からないのも端部が薄ければ重なっているのが見分けづらいのも理解できる。
以上長い間の疑問点がSBG-01(渓流)の観察で解決したようだ。しかし、何の役にも立たないようだけどとも言われそうだが、すっきりした気分で嬉しいものであるのだ。
2015.05.05
A1のケント紙に水彩で描いたゾウムシの行進だ。
写真を組み合わせて大きさの比較をしたことがあるが、それを絵にしたわけだ。
この道のプロが見るとあちこちおかしぃんじゃね。と言われそうだが、写真を元にして下書きをして実物を実体で覗きながら修正した。結構苦労しているのですよ。
2015.04.30
MWS珪藻プレパラートSBG-01(渓流)のゴンフォネマ(クサビケイソウ)だ。
このプレバラートはゴンフォネマが沢山ある。@の右と左では太さが随分違うから別種に違いないし、精査すればいろいろ入っているみたいである。種探しの楽しみもあるが立体を想像する楽しみもある。
@は真ん中だけが深い位置にあったのでピントのあったものを合成したが他はそのままである。上からや横からのもの、やや斜めからのものと並んでいるので思いは膨らむ。
AとBはピントの位置を変えたものだ。Aでは楔形だがBでは台形と随分違う。光学顕微鏡の世界は形を読み解くのは至難の業なのが分かってもらえると思う。
Cは前にも出したが@の左側にある珪藻の想像図だ。
2015.04.25
リンゴヒゲナガゾウムシと言うのかもしれない。体長0.8センチメートル。
きらりと薄緑の鱗毛が光る中型で細長いゾウムシでかわいらしい感じがしたが、ご面相はなかなかのものだ。
ゾウムシ=固い外骨格というイメージでいたが、このムシの脚は中がほんのりと透けて弱々しく見える。
鱗毛が全身にあるが、頭の後ろは黒々とした帯がある。頭を上下左右に動かしたときに胸の中に入っていくのだろう。この写真では頭を下げたところなのでしっかりと黒帯が見えているわけだ。
2015.04.20
見たくない写真だなあと言われるかもしれんが、ハナバエの1種だと思われるハエの頭部のドアップだ。
ギンバエやイエバエは現れたら殺虫スプレーの出番になる嫌われ者で汚らしいものでもあるし、実体顕微鏡で初めて見たときはギョッとしたものだったが、数多くハエを見てきたのでだんだん愛着が湧いてきている。
この写真では、もやっとした感じの肌にしか写っては居ないが、実際は微少な毛で覆われているのでビロードの肌なのである。
2015.04.15
前回は昆虫画達人の言葉を引いた訳だが、読み直すとひがみっぽし悪意もあるようにも思える。そんな気持ちはさらさらないのだが、深層心理で高望みのねたみがあって、それがかたちになったのだろうかなどとも考えたが。考えすぎだろう。
それはともかく、始めた頃のものと最近のと比較してみた。上段が2009年7月のものである。見たままでなく体と脚が重ならないようにアレンジしたものだ。
アリの脚の付け根は体の芯に近いので工夫をしないと体に当たってしまう。そこで基節の大きさや形状と腿節の付き方が前中後脚で異なるし、腹部は逆三角形にした上に腿節の微妙な曲がり方で実にうまく体に当たらなくなっている。
そこら辺のことが全く分かっていないのが上段の図だと今は判断できるので間違いなく進歩はしているが、しかし今の図がそれを表しているかと言えば怪しい。分かったとしても表現できるかは又別の問題ではある。
ひがむのやねたむのはろくでもないことだし、面白い面白いでたのしく描いていきましょう。
2015.04.10
ハネオレバエの1種のようだが、翅脈に切れ込みがなかったのが気になる。
ここのところ写真を元にした絵が続いているが、「対象への理解が、表向きをなぞるだけの情報の希薄さにとどまる。」ということが如実に現れていると反省させられるので初心に返って線描きで乾燥状態のものを写生した。
対象への理解は、形だけではなく成長課程と生態までを踏まえなくてはということだが、残念ながら大いに欠けている中で輪郭だけでも正確に捉えようとしたわけだ。
しかし、明瞭な稜線がない昆虫の体には輪郭線はない。曲がってゆく面が消失したところを線として描くわけだ。それも直線はまずなく曲線のつらなりになる。この曲線は凸になったり凹になったり曲率が変化したりする。曲がり方と変化点をきっちり押さえないといけないわけだが、なかなか見極められないものだ。つまり描けないものである。
さらに、頭胸腹、脚と正しい比例と繋がり方をして立体を感じられ、本物が目に浮かぶのであれば成功というわけだ。
昆虫画ではないが白描で描かれた鎌倉時代の随身庭騎絵巻はそんな風だったなあと思うのだ。
2015.04.05
ハエ(双翅)目短角亜目ミバエ科カボチャミバエのようだ。体長1センチメートル。
ネットを見るとよく似たのがたくさんあった。家の中で捕まえたが台所にカボチャがしばらくほったらかしてあったから、そのカボチャから出てきたのだろう。
ミバエは実蝿または果實蝿ともいうらしいが、果実に産み付けられた卵が孵えって幼虫になると実を喰ってしまうという農民にとってはとんでもないムシだそうだ。
それも、長い間いっしょにいるものはまだしも、海外から進入してきたものは天敵がいないので殖え放題になる恐ろしさももっているとか。
沖縄では台湾から侵入したらしいウリミバエが八重山から奄美大島まで広がりウリ類の本土輸出禁止になっていたそうだが、不妊化した雄を放ち根絶する方法をとり成功したそうである。
ウキィペディアによると1986年から作業開始1990年に根絶成功発表、1993年最後の八重山諸島で根絶確認し、それに要した費用は169億6400万円、この間に放飼されたハエの数は約530億7743万匹に上る。という凄い数字が並べてあったのだ。
2015.03.30
箱根入生田に県立地球博物館がある。バブルの頃の建設で費用を惜しまないで作られたものだ。多分。
原生代の地層は壁面に巨大な壁として立ち上げてある。その下にはこれもどっしりと大きい標本がカットモデルで置いてある。見事なものである。
ストロマトライトは地球の大気に酸素をもたらしたものとして有名だ。現在はわずかにオーストラリアの塩分の濃い入り江などに生き残っているだけだが、一時は世界を制覇していた生き物だそうだ。
何故廃れたかというと自分の生み出した酸素をつかって活発な活動をする生き物が登場してきたからとのことである。その生き物には動かないで栄養満点のストロマトライトはかっこうの餌になったのだそうだ。今生き残っているのは塩分が濃すぎて捕食者が生きられない場所だからだそうである。
ストロマトライトの前の生物は高熱性の嫌気性細菌が花形だったらしいが、この生き物にとっては酸素は猛毒で、ストロマトライトは主役の地位を奪いとれたそうだから、因果は回るで滅ぼしたものも又滅ぼされた訳だ。
とはいえ、絶滅したわけではない。ストロマトライトを作っていた藍藻は現在も沢山居るし、嫌気性細菌も地中深く潜り込んで驚くほどの数が居るらしい。
生き物はじつにしぶといのだそうだ。
2015.03.25
子供の頃、天竜川を遡った山奥の村で夏休みを過ごしていたことがある。
山の斜面を切り開いた小学校の校庭にポプラの巨木がポツンと立っていたが何か変な感じがした。近寄ってよく見たら毛虫が異常発生して、いたるところで葉をせっせと食べていた。見上げると上の方までいる。身の毛がよだつとはこのことだ。
しばらくして行くとポプラは丸坊主になっていた。そして地面には木を中心にして丸く帯が描かれていた。それは毛虫の死骸だった。まだわずかに生き残っている奴が樹上にも地面にもうろうろしていたが餌がないのだからまもなく死ぬのだろうと思えた。
異常発生はぞっとするものだったが、結末はもっと恐ろしいものだった。
校舎や運動場がどうなっていたかポプラはどこにあったのか、山の斜面にある学校だから広いはずはないが全く覚えていない。ただ巨木だけが記憶に残っている。田舎にポプラの木は変な気がするし、それほど大きくはないのかもしれないが記憶は絵のようなものだ。
2015.03.20
春季新作家展に出品した絵だ。従来の写生に徹する遣り方は放棄して、珪藻そのものは写生で見たままであるが配置は頭の作用である。
一応形にはなったようだが、どうも駄目そうなので代表に見てもらった。
しばらく黙って見ていられたが、小さな並びを指さして相当考えたようだね。綺麗だけれどもと続いて感情が感じられないとあっさり真っ二つに切られてしまった。
代表の批評は恐ろしいのだ。
2015.03.15
ウリハムシの上翅も調べてみた。
写真のようにキマワリに比べて随分小さい。そのせいか条線がない。
キマワリほど整然としていないが棘毛は中段の写真の点々と連なっている丸の中で上翅の全面にまんべんなくある。しかも表面だけでなく裏側にも前の方だけだが細い棘毛がしっかりとあった。
そして、うねうねとした気管が四本前後に通じている。皺があるのが気管みたいなので間違いないだろう。下段の写真ではっきり分かる。
うまく撮影できなかったので載せられないが体液の流れる隙間はしっかりあって、それも均一な隙間でなく肩の両端の所は太くて丸いのが分かった。ここのところが流入口かもしれないと思った。
脚は細長くて、この中をどうやって体液が循環するのか長い間の疑問点なのだが、上翅の場合も先端で点で繋がっているだけだから不思議なことである。
神経を何としても見ようとしたがはっきりしなかった。上翅は二つに別れているが合わせ目のところが折りたたまれていて、その中にきらりと光るものが見えるのが神経で幹線になっていると思いたいが虫のいい想像でしかない。
2015.03.10
甲虫の上翅は固い。一枚の板かと思っていたが、ばらして顕微鏡で見るとそんなことはなかった。
キマワリは表面に条線が何本もあり、そこに点々と棘毛がある。それ以外のところにもより小さい棘毛が満遍なくある。
ひっくり返すとうねうねとした管と黒丸の列が並んでいる。黒丸は条線の棘毛の位置にあるようだった。
表面の黒い皮膚に管を埋め込んだやや茶色い樹脂で裏打ちしているようにも見えた。黒丸は隙間があるのかもしれないと思った。
確認するため小さく切り取って断面を見た。
大間違いだった。黒丸はびっちり詰まっていて、管のまわりが空間だった。そして黒く厚い表皮にはきらりと光る細い線がいくつも見えた。
体液が隙間を通って循環している。そこに管は気管で酸素を供給する。きらりと光る細い線は神経で棘毛に繋がり外部の情報を捉える。
上翅もしっかり生きているんだとため息が出た。
あっていると思うが素人の勝手な想像だ。
2015.03.05
顕微鏡は照明が大事だ。珪藻を生物顕微鏡でまともに観察出来るようになったのはMWSの「本日の画像」の照明法の記事のお陰である。LED照明器具の自作法や設置位置の重要性、自作簡易暗視野法、偏斜や輪帯照明など理屈抜きの見よう見まねで何とかなってしまった。しかし、顕微鏡本の写真をずらりと並べた最近の「本日の画像」を拝見すると、これは正しい道ではない。きちんと本を読んで理論を身につけないといけないのだと反省させられたのだ。
ところで、左の写真は実体顕微鏡での小生が工夫したあれこれである。
光源はスイッチング式のドライバーで300mAに整流した1WパワーLED2個を自作した。
標本台は4cmのシャーレを裏返した隙間にアルミ缶から取り出した厚さ0.2mmのアルミ板にアルミホイールを巻いた反射板を挟み込んでいる。
細かい工夫は中のシャーレを後ろのつまみで回転できるようにしてある。標本の向きを少し変えたいことが良くあるからだ。
一番大事なのは明るく柔らかい光をどう確保するかだが、LEDの直射光は強すぎるのでトレペを拡散板にして柔らかくしている。
かなり見えるようになったが、改善点はまだまだある。たとえば高倍率ほど暗くなるので調光は必然なのだ。
2015.03.01
前回のショウジョウバエの翅脈の切れ込みがどんなものか見て頂きたいので金属顕微鏡で撮影した。
翅脈の中は体液が流れているらしく完全に切れているとも思えないので、わずかながらも膨らみがあるのではないかとよくよく見たが、前側は無いようだし後ろ側はあるようにも見えるが確信を持てるほどではなかった。正しい姿を確認するのはなかなか難しいのだ。
検体を壊さないようにするのも難しく、この写真でも棘が何本かとれた。ハエの長い棘はすぐとれるので困りものだがソケットが残るので位置と太さはとれても分かるは有り難いのだ。
2015.02.25
ショウジョウバエの1種みたいだ。体長0.4センチメートル。
目が赤くて小さくかわいらしいのがショウジョウバエだという思いがあったので、赤褐色の目だし体もやや大きいし不細工なハエだしで、これがショウジョウバエとは驚きであったが、ショウジョウバエの見分け方のサイトのいくつかのポイントと一致したので間違いはないだろう。絵ではそのうちの、@触角先端が大きく枝分かれしていること。A翅に二箇所の切れ込みがあることを示した。
昔、ギンバエを小箱に閉じ込めて見ていたとき、狭いので翅を伸ばしれなくなって折れ曲がったことがあった。翅脈は連続しているものと思っていたので撓むと思ったのが折れたので繋がっていないのでないかと疑問を持ったことがある。よく見てみると切れ込みがあったので何故そうなっているのか不思議に思ったものだ。
なにかの必要があってそのように進化したに違いがないが面白いものである。
2015.02.20
去年の12月15日に出した丹沢の地質図をカシミールを使って立体化した。カシミールはフリーのソフトだが優れものでこんな事が簡単にできてしまうのに感心してしまうのだ。
山中湖と芦ノ湖が濃い青になっているので位置はつかみやすいのではないだろうか、丹沢の主峰は塔ノ岳だから深成岩のあるところは端っこになるがボリュームはなかなかのものだなと思うのだ。
2015.02.15
前回のヒメコバチが触角の手入れをしているところだ。
ハエ目などの吸収式口器の持ち主は出来ない相談だが、甲虫やハチなどの咀嚼式口器のムシは触角の手入れは口器にくわえ込んで順送りに掃除しているのをよく見る。
ところがこのハチは触角の上下動に前脚の距を上手にあてがって掃除しているようだった。ようだったとは無責任な言い方だが小さい上に動きが速くて正確に見極められないのである。そして絵を描きながら口が小さいし触角は大きすぎるのて口にくわえられないのかなぁとかも思ってみたのだがどうなのだろうか。
もう一つ新鮮だったのはキリンのような立ち姿だったことだ。小さいものたちを見るのは大変だが面白い姿をみせてくれるのは嬉しい限りだ。
ところで今年の彩色画は和紙に水彩絵の具で描いている。初めは水張りなしだったのでスキャナで取り込むと皺の影がもろにでてしまった。やはり水張りは大事なのねということで前回からしているが、今回は水の含ませかたが足りなかったのかわずかだか皺がでてしまった。失敗をしないと上達しないようだ。
2015.02.10
これも最近捕まえたもの。トビコバチのようなシルエットだったがヒメコバチの1種みたいだ。体長0.2センチメートル。
良く走り回るハチでじっとしてくれない。それでもなんとか輪郭だけでも捉えられないかと試みた結果だ。
触角は体に比べて随分大きなものだがこれを上下に激しく振りながら走っていた。これに加え頭も高い位置だったから視覚もしっかり使っているのだろう。
昆虫の歩き方は3点支持が基本で、初めは右の前後脚なら左の中脚と組みで支持し、体を前に動かしながら残った三本の脚も前に繰り出し接地する。この繰り返しだと思うが、このハチの動きを見ていると腿節はほとんど動かさず脛節と附節ばかりを図の矢印のように動かしているようだった。
それにつま先立ちのように接地しているのも見て取れた。前回のトビコバチも同様でこのサイズのものは立てているのかもしれない。普通は図Aのように寝かせているのだ。
2015.02.05
トビコバチの1種のようだ。体長0.2センチメートル。
今年になってから玄関先のカラーの葉に来ているチビ助をいくつか捕まえた。金属光沢で一見同じようだが違うものもいたりして嬉しくなる。中脚の脛節からでている距の大きさが極端に違っていたので違う種類なのが判った。これは大きいからトビコバチと言うわけだ。
このチビ助はしきりに走り回って観察できないでイライラするが、立ち止まって体の手入れをする時はニッコリである。ユックリ観察できるし、外骨格がパーツ毎に違う動きをするとつながり具合が理解できる。あまりの自在さに驚かされるが絵にするのは難しい。
絵は普段とあまり変わらないが後脚を上げて翅の掃除をしている簡単なところを描いたのだ。
2015.01.30
3月には新作家春季展がある。
左の写真にある名前は分からないが曲がった葉巻みたいなものと、まわりの珪藻を描こう。
今回は写真の通りに描くのは止めにして構成するつもりだ。
いくつかの珪藻を選び並べかえるわけだ。
もともと寂しい画面がますます寂しくなるが、それを構成の力で乗り越えようというわけだ。
都市の絵を出した新作家展で難しいことをしようとしていると言われたことがあるが、今回も難しいことをする訳だ。どうもそうゆうのが好きらしい。無鉄砲なことだ。
2015.01.25
前回のホソチビアナバチの視点をわずかに変えた写真と記録のためのスケッチである。
文字の読み取れないのはご容赦下さい。
スケッチは乾燥標本状態のものでしている。生きているときとかなり違うものもあるが、この場合は触角とか脚とかは別にして、かなりもとの姿を残している。しっかりした外骨格といえるだろう。
スケッチに当たっては川島逸郎氏の厳しい態度が頭の隅に巣くっていて、なんとか妥協の無い線を引こうと試みるのであるがまあこんなものです。それでも進歩しているとよいのだが。
標本画だと寸法の実測は欠かせない作業だろうが、そこのところは眼力で現し切りたい欲望が科学者ではない絵描きとしてあるので、全長を測るぐらいしかやっていないのだ。
2015.01.20
ハチ(膜翅)目ジガバチ科ホソチビアナバチらしい。体長0.5センチメートル。
去年の4月に捕まえたもので、この形で写真を撮った。実体顕微鏡で上から見ているので垂直の壁に止まっているのを撮ったわけだが、見ていて精悍な姿にほれぼれした。戦う飛行機で言えば現代のジェット戦闘機でなく、宣伝上手な海軍の有名なゼロ戦でもなく、ひっそりとした旧陸軍の隼の様な感じだ。
子供の餌に昆虫狩りをするハチらしいので狩り用の体に進化しているのだろうか。翅は長く、がっちりした胸部で飛翔力は十分あるし、大きな複眼で獲物を見逃さず素早く近寄り、あっという間に尻を折り曲げて毒針を刺して麻痺させ巣に持ち帰るのだろう。
胸部に続く腹部を細くして身軽だが細長い体にしているところなどは、翅の長さにバランスした体長を確保しながらも体重を減らした優れた仕組みのような気がしてきた。
2015.01.15
MWSの年末はJシリーズの発売で大賑わいである。今回は放散虫に焦点があてられていて、発売と同時にどんどん売れていった。そして、年が明けると購買者からの画像が紹介されていたが、これまたあっと驚く動画で、放散虫が身を震わせていた。ここの1月3日の記事
GIFアニメというらしいが、作成ソフトのサイトが判ったので、DL-TESTにあるディプロネイスの仲間をピントを下げていった画像で猿真似をしたのが今回の画像だ。
ピントをほんの僅かに動かすだけでどんどん姿を変えていく、これから元の形を想像していくのも珪藻覗きの楽しみでもあるのだ。
2015.01.10
ノミバエの1種らしい。体長0.2センチメートル。名前の由来は背が丸まっているのと後脚が大きいかららしい。
御浦風物誌に蜘蛛やカイガラムシの標本画がでていた。不満足な標本を元にして描かざるをえなかったので満足の出来るものではないとのコメントがあった。実に厳しい態度である。
それに刺激を受けたのだろう、実体顕微鏡ではよく見えない細部は金属顕微鏡で観察してスケッチをとった。
このポーズ自体は写真からのものだが細かいところは写っていないのでスケッチが必要なわけだ。
ところで、このハエは少し動いては止まり、方向を変えて動いて止まるを繰り返しているが、止まったときの足の形が変化しないのに気がついた。 目にもとまらぬ脚の動きというわけだ。このハエに限らずハエの歩き回るのはくせがあると思っていたが、やっと見分けられたと嬉しかったのだ。
2015.01.05
今年の年賀状に使ったもの。オリジナルで山水を描く力はないので、例によって芥子園画伝の山石譜と元末4大家の一人呉鎮作「同庭漁隠図」の松を組み合わせて模写した。
東洋画は筆墨の世界だし遠近の表し方など今描いている絵とは大いに異なって、遠くのものはより上部に、より大きく描くので俯瞰したような位置関係だが俯瞰図ではない。
間に大きさの分かるものを小さく入れると大きな空間に忽然と変貌するし、余韻が生まれたりもする。と思う。成果のほどは別にして、この絵はそれを真似してるわけだ。
素直に伸びている様に見えた二本の呉鎮の松は模写すると、途中から脇に出た枝が本来のものに置き換わって上に伸びていて、風雪の厳しい扱いを受けているのに気がついた。また、奥の一本は上に伸びることは出来ず這うように横に伸び、しかも枯れてしまったのか草に覆われていたのも分かった。
風雪に負けて枯れてしまったものもあるが、虐げられながらもなお上に上にと伸びていたのだ。
思うに元代は蒙古族の王朝であり漢族は他民族に支配されていたのだから鬱屈したものがあってしかるべきとも言える。
呉鎮は官につかず、終生清貧と孤高の隠遁生活を送ったらしいが、頭を切られてもすぐ脇から伸ばして、すっくと伸びきるのだという強い意志で描いたのだろうかなどと思ってしまった。