2023年ももう終わります。展覧会も三つあって作品をつくるのに四苦八苦したり、用事もいろいろあったので全く無為な日々を過ごしていたわけでもないのですが、昨日新年を迎えたのにもう大晦日だというような気分です。思うに様様なことが記憶の底に沈み込み、ぼんやりとしたわずかな記憶しか残っていないのでこの一年が空虚なものになっているような気もします。 それはともかく、正体不明のハエくんです。他の虫に卵を産み付けるハエではないかと思っているのですが、複眼が金属光沢の緑色で素晴らしいです。
体長5,6ミリのツマグロキンバエの複眼です。オスはもっと赤っぽくて、もっと華やでおなじハエとは思えないほどですが、それでも縞々の複眼はしびれます。 縞々の仕組みや理由も効用も全くわからずストレスも起こりますが、単純に自然は美しいと思うと幸せになります。
昆虫の複眼もいろいろです。昆虫を肉眼で見ている時は、身体に比べてでかい複眼だなとか、綺麗な色をしているなとか言う程度でした。それが実態顕微鏡を使うようになってからは、細かいところまで見えるので感激しまくりでした。 嫌われ者のハエでさえ、頭の半分は複眼で色も様々、金属光沢もありで、ハエ自体がいとおしくなってきたのは懐かしい思い出です。
甲虫の複眼は強靭で黒く沈み込んでいるのが多いようです。その中でも、ゾウムシは明るい色の毛をまとっているのが多くて複眼が際立っているのが印象的でした。 このゾウムシはクリシギゾウムシと言うみたいですが、1センチぐらいあっていい感じだなぁと思いながら覗いていましたね。
2011年4月10日に撮影したキイロスズメバチです。スズメバチは捕まえた覚えがないので、道に転がっていたのを拾ったと思います。朝に犬の散歩でかなり歩いていましたが田舎道なので動けなくなった昆虫が良く転がっていました。 撮影時は完全に死んでいるので複眼が一様になっていますが、本当はもう少し透明感があり丸い模様が点々とあるはずです。アシナガバチの生きているのを観察して綺麗な複眼に感激し、黒く沈み込んでいくのが悲しかった思い出があります。
マーダーVの大きさはどんなものか。別モデルの兵士達を組み合わせました。車体はコンパクトでいい感じですが高さがかなりあるようです。平原で素早く動き敵戦車を有利な体制で射撃できそうですが、背が高い分見つけられて反撃される危険性もありそうで、優秀な人が操作するのとそうで無いのとでは戦果も損害も大違いだったのかもしれません。機械力も人間力もどちらも大事だよねと思いました。
タミヤ1/48「ドイツ対戦車自走砲マーダーV(7.62cmPac36搭載型)」です。独ソ戦の開始後ドイツは快進撃したものの戦車の性能がソ連に及ばないのに気付いたそうです。戦車の改良と新規開発、そして対戦車兵器の整備に力を入れますが、そのつなぎに、捕獲したソ連の対戦車砲にチェコ製の軽戦車を組み合わせ363両を前線に送り、見事につなぎ役を果たしたのです。というような解説がついてました。 戦争の勝敗は兵隊の数もありますが、より優秀な兵器をより多数そろえるのが大事なことを教えてくれる話だと思います。開発し整備するのに時間がかかるので、とりあえず敵のものであっても早く整備して実戦に投入するのが合理的だったのでしょう。
「まちづくりの風景」の挿絵が続きます。これは手描きでスケッチしたのをスキャニングしたものですね。手法の違うものがつぎつぎと掲載されるので、見ている方が面白がって頂けていたら嬉しいなと思いますが面食らったかもしれませんね。
これも「まちづくりの風景」の挿絵です。筆と墨で描いたように見えますがタブレットで描いたものだと思います。自分で描いて思いますとは変ですが全く思い出せません。主要な登場人物で、この人が登場する場面で描いたものと思われます。ペン画風にはバックを入れてますが、この場合は大胆な太線と塗りつぶしで単純さを狙ったものでしょう。奇抜な感じは好みなので面白がって描いていたような気がします。
「まちづくりの風景」の挿絵です。スキャナで図面とシャープペンシルや定規を読み取り、画像処理して組み合わせています。これを手描きですると大変ですがパソコン上の作業ですから簡単です。アイデアだけの勝負になります。
片づけをしていたら古いCD-ROMが出てきて「まちづくりの風景」と書いてあります。その題の小説の挿絵を描いたことがあり、その時の画像48カットが入っていました。 写真や手書きのスケッチ、タブレットで描いた絵などをお絵かきソフトで画像処理して組み合わせて仕上げてなんとか乗り切ったというところでしょうか。すっかり忘れていましたが斬新な試みをしていたんだと、なんだかうれしくなりました。
ガザ地区でイスラエル軍の侵攻が続いていますが、今は廃刊になったアサヒカメラ2007年12月号に土田ヒロミが撮影した建設中の遮断壁の写真があるのを思い出しました。その中の一枚です。3階建ての建物ぐらいの高さで延々と続いていて、イスラエルから言えばテロリストの侵入を防ぐ壁ですが、パレスチナ側からすれば外部と通じられない遮断壁で、これではワルシャワのゲットーを大規模にしたものになるのではないかとショックでした。 完成して10年以上役目を果たしていたわけですが、今回ハマスにより破壊されイスラエルは今までにない被害を受けました。その結果、目を覆うばかりの惨状が続いて暗澹たる思いです。イソップ物語の太陽と北風ではありませんが、強硬策より寛容な融和策をとってもらいたいものです。
シャーレに水を入れてハエを解剖し、口器を取り出したところです。1mm方眼紙を下に置いていますので大きさの見当は付きます。右側が唇弁で、末端の吸水管がばらけて飛び出ています。 すごく複雑で手に負えませんでした。今これを見て、吸部を挟み込むように骨格があったんだなぁと気づく始末です。
双翅目の口器は吸収式だが、ハエとカでは随分違う。ハエでも変化の幅は広いが、イエバエなどは絵のように普段は唇弁が出ているだけだが、いざとなるとドンとでてきて、しかも細かい動きをする。見ていて惚れ惚れさせられる見事なものである。 この収納式の口器がどうなっているか興味津々であるが、Bのような図はあるが収まり方は見つけられなかったので解剖して考えてみた。 口器を引きずり出したときに図の赤丸のところが基点になっているのが分かった。 外骨格と同様な固いものもあった。写真の黒い部分がそうだが、いろいろな形のものがある。図では赤で主なものを示した。 それぞれのパーツに筋肉がついて、赤丸を基点にして伸び縮みするわけだが、筋肉がどうついているかは見極められなかった。解剖するのもなかなか難しいのだ。 筋肉は引っ張りだけしか有効でないので、付き具合は大事なのでこれからの課題であるものの、図@ABの順で伸び縮みできるか検討したが、それほど中に食い込まなくても収まった。 一歩前進である。
昆虫を捕まえては小箱に閉じ込め、水をやったりして延命し、実体顕微鏡で撮影をしていました。その中の一枚です。 ハエは吸う口器ですが、通常は頭に格納してほんの一部を出しているだけです。使うとなるとビックリするほど出てきます。しかも、骨にあたるような固いものと、筋肉が巧妙に配置され、膜で全体を覆っていて、左右に振ったり自在な動きをします。 吸収部も巧妙で、すごい生き物だと実感しました。
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁の模写です。 蚓(みみず) よる昼もわからでまよふ恋のやみ きみをみみずのねをのみぞなく 一筋道成 こうろぎ こうろぎのすねとや人の思ふらん うらむまもなくおれてみすれば 此道くらき 虫撰の模写は今年は3枚目です。少しは上達したのかなと思えるとよいのですが、デリケートな筆の動きについていけず歌麿の偉大さを感ずるばかりです。
7,8日は新作家の搬入と審査でした。なにがなんでも間に合うように絵を描かなければなりません。やっとの思いで仕上げました。和紙をパネルに張り筆と墨で描いていて、東洋画風にしたいのですが結果は御覧の通りガチの写実です。 少年時代は漫画を劇画と言い換えてリアルさを出していたグループが現れて興奮させられました。この絵はその影響が相当にあるようです。深く刻み込まれたのでしょうね。
ゲームで遊んでいるのは芳しくないのですが、ついつい遊んでしまいます。駅から道路を離して歩道を広げ、改札スペースも造りました。接続する地下鉄出入り口も左右の二か所としました。駅前も広場にしてヤシ並木にするなどかなり手を入れています。 Cities: Skylinesは時間泥棒とも言われているみたいですが、大勢の人がかかわって果てしなく作り込みが出来るように仕組まれているなぁと感心します。
前回のホームの様子です。観光客はカラフルでくだけた服装をしています。レイを掛けた老婦人もいて目立ちます。人の種類は限られているので、人混みでは同一人物が並んだりしますがご愛敬ですね。 この駅で面食らったのが乗客の移動です。中央に地下道があり、ホームの階段を使って出入りする設定ですが、なぜか、表に出てきて線路を横断しますし、空中高く飛んでる人もいる始末です。上から見ると見苦しいので、大型テントを張ってボロ隠しですが、この視点では隠せませんね。面白いので紹介します。
Cities: Skylinesからの一コマです。鉄道駅のアセット・4ホームのものを導入しました。駅舎はなく外部に面したホームに直結した階段が2か所ずつ4か所あるだけの簡素さです。どちらにも道路を設置したところ機能しました。開発した街にはこの駅だけしかなく他都市だけに接続している駅なのですが、バスや地下鉄とも接続できるようにしましたので大量の観光客がやってきます。その到着時の様子です。 車を使う旅客もいてホームからワラワラと湧いてきて大渋滞になっているのか右側で、バス2台が巻き込まれています。左側は開発されていないので人間だけが地下鉄入口に向かっています。 ちなみに、戻ってくる車もあり、道路上で消えて人間が現れホームに入り列車を待ちます。湧き出る車といい、このゲームならではの不可思議世界で見ていて楽しいですね。
今年の夏の成果です。捕まえたのではなく、拾いました。カナブンとマイマイカブリは庭に転がっていました。ノコギリクワガタは散歩中の側溝にひっくり返っていました。生死の判断は難しいですが、マイマイとノコギリは符節が内側に曲がっていたので、動けなくなって時間はたっていたでしょう。カナブンは符節が動いていましたから動けなくなってすぐに見つけたと思います。外流しの水を飲みに来たのかもしれません。 蟻の餌食ですが、無傷で残っているのは不思議です。蟻自体見ることが少なくなっていて、昆虫の数が激減しているような気がします。
材料に困って昔のものから探し出しました。2mm以下のトビコバチの一種だと思います。小さいので目立ちませんが、トビコバチは寄生バチで種類も豊富です。それでも、これはめったにいないようです。捕まえたとき、翅に文様で珍しいなと思ったものです。 生きているのを閉じ込めて撮影し深度合成しています。
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁の模写です。 ばった おさえたるばつたと思ふ待夜半も ただつま戸ののみぎちぎちとなく。 意気躬黒成 蟷螂 くつがえる心としらでかま首を あげて蟷螂のおのばかりまつ 浅草市人 元の本は芸艸堂の豆本です。それをスキャンしてモニターに映しだされたものを模写します。縮小拡大気ままにできます。豆本で細部を模写するのは困難でも、モニターだと細かい筆の動きもわかり簡単です。芸艸堂の印刷が優秀なのでしょうね。
前々回で枠しかなかった珪藻と思われるものです。タラシオシラというらしいですが自信ありません。 毎度おなじみのピント位置を変えて合成です。下段は枠の形状がはっきりわかります。単純な板状ではなく中空の構造です。 周辺がはっきり写って中央がボケているのは、窪んでいるのか出っ張っているのかどちらかです。 検鏡している本人は分かりますが、人に納得してもらうには、ピント位置が記録された連続画像が必要ですけれどないので結果だけ言うと凹んでいます。
29日の佐奈田霊社入口下の様子です。波がないのに海岸が泡立っていました。よく見ると、波頭が立っていないのですが20メートル程度の間隔でうねっています。そして海岸に達すると大きく盛り上がり白波になって崩れます。粘って写した中の一枚です。 台風10号は北海道方面に去り、次のがもうすぐ来るようです。影響がもう出ているのでしょうね。 コンクリートの格子は崖の土留めです。この写真ではそう見えませんが垂直に近いです。交点に長い鋼材を埋め込んでいました。キャップを付けて完了となりましたが、足場の組み立てから始まって、のんびりやっていました。
MWS珪藻プレパラートARK-01(干潟)から。丸型は中心目の枠部分が外れたものと思います。舟形はフルスツリアの感じですが微妙にS型をしているので、よくわからない珪藻です。 話は変わって、雨はまとまった広さで西から東に移っていくものと思っていましたら、この頃は、斑で南から北に動いています。変だなと思っていましたが、ひまわりの画像を見ると台風でもないのに大きな渦を巻いている雲が次から次に来ています。いつごろからこうなったのでしょうか。原因は何か、気象学者さんにお伺いしたいものです。
芥子園画伝山石譜・二米石法の模写です。 二米とは、米ふつ・米友仁父子のことで米ふつは北宋の人で北宋4大家の一人、子の友仁は宋の南渡後、高宗に仕えたとあります。山水画の大家で、江南特有の煙雨の風景を特色としており「米家の山水」と言われるそうです。 米ふつ父子の石 これは米点に芝麻皴を少し併用したもので、米ふつ・友仁父子は高い山や茂った林の中に時どきこの石を描いている。点描を幾度も重ねて、しっとりとした潤いのある効果を主体にしている。そのために角ばったところが見えないが、輪郭の描き始めの部分を見ると、実は披麻皴である。 何言ってるのかさっぱりわかりませんが、点が沢山あるのはわかります。これが米点というのでしょう。もっと大きくてたっぷり墨を含ませた点の連なりは煙雨の風景にふさわしいと思います。
芥子園画伝山石譜・王叔明石法の模写です。 王叔明は元代の人です。元末四大家の一人で董源・巨然の山水画風を発展させた繁縟な皴法をつくり出した。とあります。 王蒙の石 これは披麻皴に解索皴を加えた皴法で、ただ王蒙がこれに特に優れていた。かれは趙孟?(ちょうもうふ)の甥で、画風は趙孟?(ちょうもうふ)を手本にしているが、石の描き方だけは出藍の誉がある。 文中の、黄鶴山樵は王蒙の号で、松雪はちょうもうふの号ですが、昔の人は字とか号とかいろいろな名前を持っているので戸惑いますね。王叔明石法と書いてあるのに解説では「王蒙の石」になっていますし。
平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書1990年第1刷、図5-4「東アジアの地溝帯と縁海の分布」です。 ユーラシアプレートに太平洋プレートとフィリッピンプレートが沈み込んでいる圧縮場なのに地殻が引き延ばされて海ができるのは不思議としか言いようがないと思いますが、中国からバイカル湖にかけても引き延ばされて地溝帯になっているそうです。 ジュラ紀に東アジアの安定大陸は細切れで間に付加体が大量についている図と古第三紀にインド大陸が近づいてくる図もありました。ダイナミックな大陸移動と増大の考え方です。 地溝帯は3千万年前から活動を始めたそうです。マントルが上昇しているらしい熱い地域のホットリージョンにより地溝帯ができ地震や火山活動が盛んだそうです。 人の一生では、動かざること山の如しですが、地球の歴史では大陸は割れたり合体したり激しく動き回り、付加体で広さも拡大していく千変万化なんですね。
平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書1990年第1刷、図5-3「日本海拡大前の日本列島の位置復元」に色付けしたものです。 濃色が現在で淡色が2500万年前だそうです。30年以上たった現在でも通用しているのではないかと思っているのですが、当時に得られた最新の科学的データを元に得られたものだそうです。 太平洋プレートが日本海溝に沈み込んで日本列島ができているわけですが、日本海になる部分が引き延ばされて本州、九州と四国が捻じ曲げられて南下、北海道はもともと三つだったのが南下して合体します。樺太は素直に大陸に押し付けられた。というところでしょうか。 最近読み直して感銘を受けました。初見の時は分かったような分からなかったような妙な気分で、実際は何も理解できなかったのですが。
これも挿絵の一枚ですが、江戸名所図会の高幡不動尊の模写ですね。なにを元にしたのか、何の話だったのか全く覚えていないのが悩ましいです。新選組のカットもあるので幕末の多摩が舞台だったはずなのですが。 最近、東洋画の模写を熱心にしていますが、こんなものを見ると昔から東洋画に関心が高かったのは間違いないようです。
挿絵の一枚です。大和絵の三保の松原が頭にあったはずですが、海が西洋流の波になっていて和洋ちゃんぽんですね。 実景では有得ないものですが、富士山と三保の松原だとは誰しも思ってくれるのではないでしょうか。
李成の「茂林遠岫図」は分割してですけど全部模写しました。東洋名画は一般に知られていないので模写でも新鮮な感じはすると思いますが、画廊の展覧会で模写だけでは抵抗があったので現代の人物を交えています。 中世の山水と現代の希望に燃える若い二人の組み合わせです。芸がないねと言われそうですが。
李成の「茂林遠岫図」の部分模写です。五分割したうちの四分割目で、主峰を越えるところです。名画の模写は部分を切り取っても違和感がなく一つの画面として成立するように思います。 なぜそうなのか悩ましいところですが、画面全体も部分も生き生きとして一つの生命体になっているのかもしれません。
これも挿絵の一枚です。幕末の話だったのでしょう。将軍慶喜の写真を模写しました。キセルをくわえているのですが見落としたようですね。これではなんだかわかりません。 慶喜は写真好きで明治時代に静岡に引っ込んで大型のカメラで相当撮影したようです。 書斎で物思いにふける全身像の一部です。将軍後見職時代の写真かもしれませんが、憂鬱な貴公子の風情で好きな写真です。
昔のことですが、絵の仲間が「我々は見ないと描けないが漫画家は空で絵が描ける。」と言ったのが印象的でした。 実景を写すのではなく、想像し構成した絵を描きたいと願っていたのですが、試しても嘘っぽいつまらないものしかできないので、無理だなと感じていたのです。 この絵も空で描いたのではなくお手本があります。それをアレンジして恰好を付けたというところです。
遥か昔に挿絵の仕事をしたことがあります。 その一枚です。話はすっかり忘れましたが、流れ星とアイヌの女性が登場したのでしょう。 アイヌの風俗がわからないので「アイヌ絵巻探訪」なる本と、ワコムのタブレットを求め、付属のお絵かきソフトで描きました。試行錯誤で楽しかった思い出です。
倦怠感に包まれ新しい画像が用意できなので昔のクロッキーを持ち出します。 20年以上前ですね。現役だったので通勤の友の手帳に描きつけていました。その一枚です。 日付と場所はあるものの時間はないですが、早朝ですね。朝早くは乗客も少なく寝ている人が多かったです。なので、遠慮なくクロッキーとなるわけです。 プライバシーが厳しくなっているので、今これをやるともめ事になるような気もします。暢気な時代でした。
2005年12月18日真鶴ですね。この頃は犬もいて散歩を良くしていました。散歩の友は小型のスケッチブックで、ところどころ立ち止まってはスケッチです。長くなると犬がぐずるのでササっと手短に描きます。勢いだけですが勉強になっていたと思います。
ハエを捕まえて小箱に閉じ込め撮影していました。すぐに死ぬのですが水を与えるとしばらく生きます。飲み過ぎたのか口から出すと表面張力で玉になります。よく見かけましたが可愛いものです。 話変わって、昔見て記憶も定かではありませんが、3Dアニメで空母と強襲揚陸艦で攻め寄せる敵を退治するものがありました。コンテナに偽装したミサイルランチャーと管制装置をトラックと列車で素早く配置するのです。移動中はミサイルかどうか判別できませんし上手いこと考えたものだと思いました。これでは空母は用なしだなとも思いましたが、中国は4隻体制に猛進中ですし、米英の空母もアジアを徘徊しています。まだまだ用ありでした。
MWS珪藻プレパラートARK-01(干潟)からプレウロシグマ(Pleurosigma)の端っこです。この端部の構造は興味深いものがあり、どんな姿か想像できるような画像を得たいところですが、これを見てもまったく想像できません。残念ですね。 話は変わりますが、ユーチューブで機関銃を装備した走行できる無人兵器と偵察用のドローンの組み合わせで市街地を制圧するのを見たことがあります。実物ではなく3Dアニメでしたがリアルでした。映画ターミネーターでは人型の殺人ロボっトと人間の戦いで、絵空事として見ていましたが、形は違え機能は同等の物を開発している人たちがいるようで、残り少ない小生の生きているうちはそうならないでしょうが、絵空事とも思えなくなった今日この頃ですね。
MWS珪藻プレパラートMZK-01(池)からのピンヌラリア(ハネケイソウ)です。なにかゆったりした感じがして好きな珪藻です。 話は変わりますが、ウクライナの戦争で兵器産業は注文がさばききれないほどで好景気のようです。ポーランドは何故か大軍拡に走っているようです。ウクライナに手持ちの兵器を譲ったのでその穴埋めもあるらしいですが、韓国製の戦車や自走砲を大量に購入するというニュースがありました。 韓国の戦車は日本のネットは笑いものにしてましたが、いつの間にか輸出できるだけの実力を持ったみたいです。こうなってくると、日本も負けられない、兵器を輸出シロッ!という声が聞こえてきそうです。実際、なしくずしに、「戦争のための戦力は持たない」が、「敵基地攻撃も可」になっていますからね。軍事に使う金を民事に使うと民草は幸せになると思うのですが。
李成の「茂林遠岫図」の部分模写をしています。 李成には「墨を惜しむこと金の如し」という評が残っています。 前回の模写の記事で、平遠を実感したと述べましたが、今回はこの言葉をかみしめています。 濃く墨を擦り、それを水で薄めるのですが、水にほんの僅かに墨が混ざるぐらいでないといけないようです。その濃さで何度も重ねて、ここぞというところまで持っていかないといけないのがやっと分かりました。 慌てず騒がず落ち着いて・・・ 急いたら事を仕損ずる・・・ ですが、 言うは易く行うは難し。ですね。
これも、昔撮った深度合成写真で、ハムシです。 右上の白いものは、ティッシュに水を含ませたもので、のどが渇いて水を飲んでいるところです。甲虫はこれだけでも結構生きます。観察時間が長いと、動き回る姿を楽しめますし、身体の手入れをすると思わぬ姿勢になるのも見れたりします。固い甲羅で全身をおおっていますが、その下は柔らかい体で甲羅のつなぎ目は伸び縮みもして、意外に柔軟なのに感心させられたものです。
昔の深度合成写真で、ウシカメムシです。どこで捕まえたのか覚えていませんが、これ以外捕まえていないので貴重品です。 これと全く関係ない話ですが、イラクやコソボ、リビアなどの戦争は対空防御ができないので航空勢力の一方的な爆撃で都市が徹底的に破壊されるような場面が多かったようですし、第2次世界大戦も日本やドイツの都市は撃ち落された爆撃機も多かったようですが、徹底的に爆撃され破壊されました。銃後といえども安心できなかったわけです。現在進行中のウクライナの戦争はなぜかそうなっていないのには救われる気がします。でも戦場では大砲を打ち合い戦車と歩兵で勝負をつける昔ながらの戦いのようでも兵器の進歩でドローンが飛び交い百発百中で見つけられたら終わりという厳しさもあるようで、兵器や兵士の損害は膨大なようです。ウクライナの大砲は東側の152mmだったはずですが、西側の大砲ばかりになったのか155mm弾をくれくれと言ってますし、戦車と飛行機もくれくれ言っています。もともと持っていた兵器は破壊されつくしたとしか考えられません。武器が無くなれば戦いは終わりですけど、そうならないのですね。妙な気分です。
このマイマイカブリを捕まえたのは2022.1.26です。冬に出歩いていたのは不思議ですが、家の庭にいたのもビックリでした。オサムシ類は翅が退化して飛べないので広いところに出ていると捕まえやすいです。何匹か道路に出てきたのを捕まえたことがありますが3センチぐらいあるので、やったーという気分ですね。
この頃は昆虫にご無沙汰なのですが、つい先日、大物を見つけて思わず捕まえてしまいました。容器もなかったので手近の大きめの葉っぱで包んで持ち帰りました。 オサムシは緑色と思っていましたが赤銅色のもいるんですね。神奈川県産はルイスオサムシとかエサキオサムシとかが多いそうです。ネットで、ルイスオサムシの緑と赤銅の二個体の写真があって赤銅の方が普通と書かれているものがありました。
1/700艦艇模型シリーズ日本海軍特型駆逐艦吹雪です。1941年開戦時の設定になっています。新しいメーカーのヤマシタホビー製です。 特型はT、U、V型の三種類があるのですが、このメーカーはこの三種類から模型業界に参入したみたいです。それだけに出来が良いとの評判です。とはいえ、軍艦に詳しくないとその良さは実感できないので、はぁ、そうですか。の状態ですが。 素組ですが、部品点数も多く細かいのもかなりあって組み立ては大変でした。それだけに見栄えもよいようです。駆逐艦は小さくてケースは百円ショブのが丁度いいので利用しています。
薄い紙に絵の具や墨で水を使って描き、乾燥させるとしわが沢山でます。うまく描けたと喜んでも残念なことになるのです。和紙の場合は、裏打ちをすることでピンとした表面を取り戻せるので改善策はあります。 裏打ちではありませんが、スチレンボードに水張りの要領で貼り付けたらどうなるか試しました。 まず絵の裏側から霧吹きで水を吹き、絵に水をたっぷり含ませ、四辺に糊をつけます。その状態でスチレンボードに張り付け乾燥を待ちます。 上手くいきました。スチレンボードが絵の側に引っ張られたのでしょう反っていますが木枠で押さえつければ平面は保てそうです。 絵は呉昌碩(1844年-1927年)の牡丹図を元にラフに描いたものです。元図は鼎は拓本風に、他は太筆で絵の具の濃淡だけであらわし、牡丹のおおらかさと繊細な鼎の対比が素晴らしい絵です。また、左に跋文、鼎の銘文らしいものが脚の間にあります。鼎の三本目の足が中央に短くあるのはそのためです。
若い頃、東京国立博物館によく行っていました。現在の博物館は展示に工夫が凝らされ流れに身を任せると次から次に名品が目前に現れるようになっていて人も多く込み合っています。が、当時はガランとした四角い大部屋の四面にはガラス棚がしつらえてあり、その中の美術品を拝見させて頂くという雰囲気で人もまばらでした。 ぼんやりした頭で漠然と見ていたので、知識の蓄積にはほど遠かったのですが何度も行って気になる作品はありました。その中に、伝周文という室町時代の水墨画があって、この画像はその部分模写です。 周文は相国寺の僧で、如拙の弟子で雪舟の師です。画僧だけでなく寺務も勤め、足利将軍家の御用も勤めるなど当時の重要人物で、作品に署名していないので伝がついているようです。 絵を描くのはしんどいものの額づくりは楽しいです。トリマーを買い求め手持ちの棒材で試作したものにスチレンボードに和紙を水張りして描いた水墨画を収めました。手のひらに乗る様な小さなもので、まだ精度は悪いですが今後が楽しみですね。
芥子園画伝山石譜模写です。 黄子久石法 黄公望は常熟(江蘇省)の人である。「かれが描く山は、しばしば岩が幾重にも重なり、おおらかな虞山(常熟の名山)の姿をしているが、それはあたかも、蜀(四川省)の人の王宰の画がよく蜀中の山水を描き、凹凸する嶮しい岩山風景となるのと同じで、それは各々の画人が平常見なれた自然をかいているからある。」といわれるが、その言葉のとおりである。 黄公望の石の描き方は、荊浩と関同から学びとったものであるが、それにみずから工夫を加えて簡略にした。その用筆は錐で砂の上に字を書いたかののように筆先が見えず(蔵鋒=直筆)、高尚簡潔な味わいがある。 訳は新藤武弘著「新訳芥子園画伝」からです。書かれている漢文は読めませんが訳があるのでいちおう読めますが、短くとも深い文なので理解するのは大変です。はてな、で終わってしまいます。
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁を久しぶりに模写しました。 蝸牛 はれやらぬその空言にかたつぶり ぬるるほど猶つのや出しけん。 高利刈主 轡虫 かしましき女に似たるくつわ虫 なれもちりりんりんきにやむなく 貸本古喜 狂歌はカットしているので余白の多さは目立つものの気になりません。模写すると筆の動きもよくわかり勉強になります。
カネタタキです。バッタ目カネタタキ科で鳴き声が有名ですね。この標本もずいぶん昔で、これ以降お目にかかっていません。今でも種名はちんぷんかんぷんですが、この頃はこの虫を見てもバッタの仲間だとは思えず、有名な虫なのにやっとの思いで探しました。方眼紙を下敷きにすると大きさがわかります。そこそこの大きさで見つけやすいはずなんですが。いまや貴重品です。
10年ほど前のものです。この頃は初めて見るものばかりで驚きの連続でした。幸せな時を過ごしていたわけです。このハチも1,2ミリ程度のごく小さい奴です。アブラムシに寄生する仲間かはっきりしませんが、寄生バチだと思います。可愛らしい姿ですが隅に置けないやつでしょう。アブラムシも増えすぎると困りものですから退治するのもいてバランスが取れるということなのかもしれません。
蚊が続きますが、おなじみの家の中に入ってくるイエカでしょうね。蝶は全身鱗粉に被われていますが、蚊も同じです。なので、この画像は正しい姿とはとても言えません。容器に入れたときはまだまだあったのですが、中で暴れたのかほとんど抜け落ちてしまったのです。
この蚊はミスジシマカと言うみたいです。前回キノコバエにしては触覚が違い過ぎると感じましたがユスリカの間違いだったようです。双翅目は触覚が長い糸角亜目と、短い短角亜目に分かれ、蚊と蝿に大きく分かれるみたいですが、実際はとても複雑な世界みたいです。同じ糸角亜目のユスリカとミスジシマカでも、身体はよく似ていますが口が全く違います。蚊は針で血を吸いますがユスリカは蝿の口みたいで刺すことはできませんから血は吸えません。
これも古いものです。蝋を窪めて容器にした中に小さな昆虫を入れて撮影していました。2ミリくらいの双翅目です。キノコバエ(ユスリカの間違い)の仲間でしょうけど、触覚が蚊のオスのようなものが付いているのが気になります。肉眼だと点ですから見かけても気にならない様な大きさですが、ワッと大量に出てくるとたまらんという虫らしいです。
サイクリングの折り返し地点の桜達です。いつもは今頃満開で晴れ晴れしいのですが、なぜか、わずかしか残っていません。道々には満開のものがちらほら見えますので、この桜たちが早く散ったのは確かなようです。それでも遅咲きのがわずかに残っているので救われます。
新聞の片隅に、イスラエルがシリアを空爆した。というのが時々出ています。戦争もしていないので国際社会は非難するかと思いきやなんのお咎めもありませんし、国連が非難したことも聞いたことがありません。なんか不思議ですよね。最近は、空爆ではなくミサイル攻撃に切り替えているようです。シリアはロシアと仲が良く、地対空ミサイルのS400が配備されたようなので、飛行機ではまずくなったのかなという気もしますが。 画像は、何の関係もありませんがハナバチで深度合成しています。かなり前のものです。地中に営巣し花粉を蓄えて子育てしているようです。1センチ以下の小さなやつで、脚のたくさん生えている毛に花粉をつけ団子にして運んでいます。
古代律令国家は分かりませんが日本は雑兵が主体の集団戦を始めたのは応仁の乱以降だそうです。それまでは桓武天皇の健児の制で誕生した弓矢取る武士が名乗りを上げて一騎打ちをするようなおおらかな戦いぶりだったようです。蒙古襲来で集団で押し寄せる相手に面食らったことでしょうが、どう対処したのか興味深いものがあります。 戦国時代末期に火縄銃を普及させますが、破壊力のある大砲に関心は向かなかったようですし、江戸時代は平和過ぎて兵器の発達はなし常備軍と言えるようなものもなしで幕末の欧米の侵略に大慌てになったようです。明治以降軍事大国になりますが、本来の日本人は、尚武の民であっても相手を破壊しつくす戦争好きな国民ではないと思うのですが、どうなんでしょうか。 画像は、何の関係もありませんがハンミョウの標本を整形して撮影、深度合成したものです。かなり前のものです。
ウクライナとロシアの戦いはロシアの快進撃で始まり、ドンバスは州境まで進撃するものと思いましたが動かないままなので不思議だなぁと思っていましたら、ウクライナはミンクス合意後8年かけて独立派の境界を要塞化し防御線を築いていたので進軍できなかったようです。 第一次世界大戦は塹壕戦になり、猛烈な弾幕をはり、毒ガスや飛行機の使用、戦車の登場でも膠着して、突撃すると機関銃の餌食になり、塹壕に籠ると弾幕に精神を犯される恐ろしい消耗戦だったそうです。最後はドイツが国力の限界で帝政の崩壊と降伏で終わっています。 ドンバスはこの再現をしているようです。ウクライナとロシアの国力は大きな違いがあるので、ウクライナは限界にきているのではと思いますが、NATOの補給があると底なしで、いつまでたっても終わらないような気もします。恐ろしいことですね。 前回のハエではないですが同じ種でしょうか、複眼が美しいですね。
撮影データをみると2016.1.28でした。かなり前ですね。我が家のシャリンバイは弱ってアブラムシがたくさんついていました。そのアブラムシを目当てに沢山の昆虫が来たのですが、枯れてしまい昆虫が寄り付かなくなっています。それとともに昆虫観察もしなくなってしまい、これに限らずあらゆる面で怠惰なことになっている危機的状況です。・・・反省。 このハエは精悍な感じがして、寄生バエの一種かなぁと思ったりします。複眼も緑色に輝いて綺麗なものでした。5ミリくらいの小さなハエだった記憶です。
1/700ウォーターラインシリーズのタミヤ日本海軍駆逐艦「島風」です。最近のプラモデルは細密化でピンセットでやっとつまんで接着する部品も多くて、弾き飛ばして捜索にあたふたして苦労も多いですが完成すると見栄えもよいし嬉しいです。 帝国海軍の戦略は艦隊決戦だったそうです。米艦隊が太平洋を押し渡って来るのを待ち構えて決戦を挑みます。戦艦の数で負けているので、まず駆逐艦隊が肉薄、魚雷攻撃で同等の戦艦数にして打ち合い、勝利する。戦艦は大和で巨砲を積み、駆逐艦は「島風」で40ノットの高速と5連装3基の魚雷発射管で15射線の魚雷を一度に打つことが到着地点だったようです。しかし、戦略は画餅に帰し宝の持ち腐れになりました。駆逐艦隊で戦うので同型艦が多数建造されるのですが、島風型は島風だけです。大和も沖縄特攻で海の藻屑となりました。軍事は巨費を用いて用意しても実戦で有効に使えないこともあることを教えてくれる事例だと思います。まあ、大和は今でも人気はありますが。
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)の解説では、「この標本には珪藻がたくさん見つかります。」とありますので、今回は並べてみました。一コマの大きさは、0.07×0.05ミリていどです。中心目だけでなく羽状目のものもあって、なかなか賑やかです。楽しいですね。
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)で見つかる珪藻は中心目が目立ちました。 対物レンズ10倍の暗視野で見ると青く発色する珪藻は特に目立ちます。微細構造が一様にある証拠です。丸く囲んでいるのは40倍の輪帯照明での撮影なので胞紋の様子が分かります。確かにびっちりと詰まっています。 一方、発色しないのもあります。こちらの方が圧倒的に多かったです。この画像では分かりづらいですが、中心部はまばらにしか胞紋は見られません。 上段がカスミマルケイソウ(ステファノディスクス)で下段がヒメマルケイソウ(キクロテラ)ではないかと思います。
前回は対物レンズ40倍の画像ですが、今回は10倍で暗視野の画像です。中央やや右寄りにメロシラ二つが横になっているのがお判りでしょうか。このブレバラートで海底の泥が押し上げられて堆積したことを証明するには海生の珪藻が確認できればよいわけです。そのためには採集した泥を処理して珪藻を濃縮しなくてはならないそうです。「茶碗一杯の泥から得られる処理済み試料は耳かき一杯程度で、非常に困難な作業になります。」と解説されていました。「なお、有機物の処理はしていませんので、鉱物粒子や花粉、木くずなども入っています。これら混在する粒子を分析すれば現場の環境推定することも可能になります。」ともあり、やはり専門家でないと生かしきれないなと反省させられます。
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)からです。東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)で海底の泥が押し上げられて陸地に堆積しました。その直後の5月から6月にかけて岩手県と宮城県の5か所で採集された堆積物が5枚のプレパラートにされてMWSから世に出ました。研究者ではなく楽しみで見ているだけなので躊躇しましたが買ってしまいました。 最近見直してメロシア(多分)が2個つなぎで、片方にしか封入剤が入っていないものを見つけました。右の画像で二重の白線が見られますが、ここがピント位置でメロシアの断面が写っているのでしょう。下段の黒いところが空気で異常な形態になったと判断しました。不思議なのは円筒なのに丸みを帯びた角柱に見えることです。脳内でこの補正ができないと顕微鏡を使いこなしているとは言えません。
MWS珪藻プレパラートSTK-01(内湾)からのスケレトネマです。円筒状の個体が繋がって線状になり海中を浮遊しているらしいです。この場面はある日突然見つけました。左からの傾斜照明なので立体感がでますが、顕微鏡の画像とは思われない様なものも出現してびっくりしました。色味の違いもあり原因を説明できないのですが、封入剤が回らなかったところのような気もしますし、取り扱いが悪くて剥離さしたのかもしれません。謎の場所なのですが、とても気に入っています。
9日は成人の日で好天気に恵まれました。祝日は車が増えるのでサイクリングは敬遠しているのですが、新年初ライドで出かけました。しばらく乗ってないのと、初めの2kmは登りっぱなしで帰りたくなりますが、段々体が慣れてきて、いつものコースになりました。折り返し点は丹沢は大山しか見えませんが少し戻るとよく見えます。画像はそこで撮ったものです。市街は早川から鴨宮にかけてです。大山の下に尖っているのは小田原城です。風もなく、暖かく穏やかでゆったりした気分で走れました。
年賀状用に部分模写した、李成の「茂林遠岫図」です。原画の大きさは1660mm x 550 mmらしいです。横長の大作で模写した部分は右側の導入部とも言える場所で、左に向かって山岳は険しくなります。 東洋画は「山に三遠あり。山下よりして山嶺を仰ぐ、之を高遠といい、山前より山後を窮む、之を深遠といい、近山よりして遠山を望む、之を平遠といふ。」三遠の法というそうです。そして「高遠の色は清明に、深遠の色は重晦に、平遠の色は明晦あり」さらに「高遠の勢は突兀に、深遠の意は重畳に、平遠の意は沖融にして縹縹渺渺たり」とあります。言葉少なく難解ですね。 模写図は手前の河口の建物群から川筋をたどると円橋がかかり、丘が切り立った断崖の山並に続いてゆき、遠くには集落と穏やかな山並みが連なっています。写しているときに実景をヘリコプターに乗って描いているような気になりました。しかも、湿気を含んだ明暗と広がりも感じ、これが平遠なんだと実感しました。
2023.12.30
2023年ももう終わります。展覧会も三つあって作品をつくるのに四苦八苦したり、用事もいろいろあったので全く無為な日々を過ごしていたわけでもないのですが、昨日新年を迎えたのにもう大晦日だというような気分です。思うに様様なことが記憶の底に沈み込み、ぼんやりとしたわずかな記憶しか残っていないのでこの一年が空虚なものになっているような気もします。
それはともかく、正体不明のハエくんです。他の虫に卵を産み付けるハエではないかと思っているのですが、複眼が金属光沢の緑色で素晴らしいです。
2023.12.25
体長5,6ミリのツマグロキンバエの複眼です。オスはもっと赤っぽくて、もっと華やでおなじハエとは思えないほどですが、それでも縞々の複眼はしびれます。
縞々の仕組みや理由も効用も全くわからずストレスも起こりますが、単純に自然は美しいと思うと幸せになります。
2023.12.20
昆虫の複眼もいろいろです。昆虫を肉眼で見ている時は、身体に比べてでかい複眼だなとか、綺麗な色をしているなとか言う程度でした。それが実態顕微鏡を使うようになってからは、細かいところまで見えるので感激しまくりでした。
嫌われ者のハエでさえ、頭の半分は複眼で色も様々、金属光沢もありで、ハエ自体がいとおしくなってきたのは懐かしい思い出です。
2023.12.15
甲虫の複眼は強靭で黒く沈み込んでいるのが多いようです。その中でも、ゾウムシは明るい色の毛をまとっているのが多くて複眼が際立っているのが印象的でした。
このゾウムシはクリシギゾウムシと言うみたいですが、1センチぐらいあっていい感じだなぁと思いながら覗いていましたね。
2023.12.10
2011年4月10日に撮影したキイロスズメバチです。スズメバチは捕まえた覚えがないので、道に転がっていたのを拾ったと思います。朝に犬の散歩でかなり歩いていましたが田舎道なので動けなくなった昆虫が良く転がっていました。
撮影時は完全に死んでいるので複眼が一様になっていますが、本当はもう少し透明感があり丸い模様が点々とあるはずです。アシナガバチの生きているのを観察して綺麗な複眼に感激し、黒く沈み込んでいくのが悲しかった思い出があります。
2023.12.05
マーダーVの大きさはどんなものか。別モデルの兵士達を組み合わせました。車体はコンパクトでいい感じですが高さがかなりあるようです。平原で素早く動き敵戦車を有利な体制で射撃できそうですが、背が高い分見つけられて反撃される危険性もありそうで、優秀な人が操作するのとそうで無いのとでは戦果も損害も大違いだったのかもしれません。機械力も人間力もどちらも大事だよねと思いました。
2023.11.30
タミヤ1/48「ドイツ対戦車自走砲マーダーV(7.62cmPac36搭載型)」です。独ソ戦の開始後ドイツは快進撃したものの戦車の性能がソ連に及ばないのに気付いたそうです。戦車の改良と新規開発、そして対戦車兵器の整備に力を入れますが、そのつなぎに、捕獲したソ連の対戦車砲にチェコ製の軽戦車を組み合わせ363両を前線に送り、見事につなぎ役を果たしたのです。というような解説がついてました。
戦争の勝敗は兵隊の数もありますが、より優秀な兵器をより多数そろえるのが大事なことを教えてくれる話だと思います。開発し整備するのに時間がかかるので、とりあえず敵のものであっても早く整備して実戦に投入するのが合理的だったのでしょう。
2023.11.25
「まちづくりの風景」の挿絵が続きます。これは手描きでスケッチしたのをスキャニングしたものですね。手法の違うものがつぎつぎと掲載されるので、見ている方が面白がって頂けていたら嬉しいなと思いますが面食らったかもしれませんね。
2023.11.20
これも「まちづくりの風景」の挿絵です。筆と墨で描いたように見えますがタブレットで描いたものだと思います。自分で描いて思いますとは変ですが全く思い出せません。主要な登場人物で、この人が登場する場面で描いたものと思われます。ペン画風にはバックを入れてますが、この場合は大胆な太線と塗りつぶしで単純さを狙ったものでしょう。奇抜な感じは好みなので面白がって描いていたような気がします。
2023.11.15
「まちづくりの風景」の挿絵です。スキャナで図面とシャープペンシルや定規を読み取り、画像処理して組み合わせています。これを手描きですると大変ですがパソコン上の作業ですから簡単です。アイデアだけの勝負になります。
2023.11.10
片づけをしていたら古いCD-ROMが出てきて「まちづくりの風景」と書いてあります。その題の小説の挿絵を描いたことがあり、その時の画像48カットが入っていました。
写真や手書きのスケッチ、タブレットで描いた絵などをお絵かきソフトで画像処理して組み合わせて仕上げてなんとか乗り切ったというところでしょうか。すっかり忘れていましたが斬新な試みをしていたんだと、なんだかうれしくなりました。
2023.11.05
ガザ地区でイスラエル軍の侵攻が続いていますが、今は廃刊になったアサヒカメラ2007年12月号に土田ヒロミが撮影した建設中の遮断壁の写真があるのを思い出しました。その中の一枚です。3階建ての建物ぐらいの高さで延々と続いていて、イスラエルから言えばテロリストの侵入を防ぐ壁ですが、パレスチナ側からすれば外部と通じられない遮断壁で、これではワルシャワのゲットーを大規模にしたものになるのではないかとショックでした。
完成して10年以上役目を果たしていたわけですが、今回ハマスにより破壊されイスラエルは今までにない被害を受けました。その結果、目を覆うばかりの惨状が続いて暗澹たる思いです。イソップ物語の太陽と北風ではありませんが、強硬策より寛容な融和策をとってもらいたいものです。
2023.10.30
シャーレに水を入れてハエを解剖し、口器を取り出したところです。1mm方眼紙を下に置いていますので大きさの見当は付きます。右側が唇弁で、末端の吸水管がばらけて飛び出ています。
すごく複雑で手に負えませんでした。今これを見て、吸部を挟み込むように骨格があったんだなぁと気づく始末です。
2023.10.25
ハエの口器考察は過去に掲載しました。遺憾ながら一歩も前進していないので、その再掲です。双翅目の口器は吸収式だが、ハエとカでは随分違う。ハエでも変化の幅は広いが、イエバエなどは絵のように普段は唇弁が出ているだけだが、いざとなるとドンとでてきて、しかも細かい動きをする。見ていて惚れ惚れさせられる見事なものである。
この収納式の口器がどうなっているか興味津々であるが、Bのような図はあるが収まり方は見つけられなかったので解剖して考えてみた。
口器を引きずり出したときに図の赤丸のところが基点になっているのが分かった。
外骨格と同様な固いものもあった。写真の黒い部分がそうだが、いろいろな形のものがある。図では赤で主なものを示した。
それぞれのパーツに筋肉がついて、赤丸を基点にして伸び縮みするわけだが、筋肉がどうついているかは見極められなかった。解剖するのもなかなか難しいのだ。
筋肉は引っ張りだけしか有効でないので、付き具合は大事なのでこれからの課題であるものの、図@ABの順で伸び縮みできるか検討したが、それほど中に食い込まなくても収まった。
一歩前進である。
2023.10.20
昆虫を捕まえては小箱に閉じ込め、水をやったりして延命し、実体顕微鏡で撮影をしていました。その中の一枚です。
ハエは吸う口器ですが、通常は頭に格納してほんの一部を出しているだけです。使うとなるとビックリするほど出てきます。しかも、骨にあたるような固いものと、筋肉が巧妙に配置され、膜で全体を覆っていて、左右に振ったり自在な動きをします。
吸収部も巧妙で、すごい生き物だと実感しました。
2023.10.15
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁の模写です。
蚓(みみず) よる昼もわからでまよふ恋のやみ きみをみみずのねをのみぞなく 一筋道成
こうろぎ こうろぎのすねとや人の思ふらん うらむまもなくおれてみすれば 此道くらき
虫撰の模写は今年は3枚目です。少しは上達したのかなと思えるとよいのですが、デリケートな筆の動きについていけず歌麿の偉大さを感ずるばかりです。
2023.10.10
7,8日は新作家の搬入と審査でした。なにがなんでも間に合うように絵を描かなければなりません。やっとの思いで仕上げました。和紙をパネルに張り筆と墨で描いていて、東洋画風にしたいのですが結果は御覧の通りガチの写実です。
少年時代は漫画を劇画と言い換えてリアルさを出していたグループが現れて興奮させられました。この絵はその影響が相当にあるようです。深く刻み込まれたのでしょうね。
2023.10.05
ゲームで遊んでいるのは芳しくないのですが、ついつい遊んでしまいます。駅から道路を離して歩道を広げ、改札スペースも造りました。接続する地下鉄出入り口も左右の二か所としました。駅前も広場にしてヤシ並木にするなどかなり手を入れています。
Cities: Skylinesは時間泥棒とも言われているみたいですが、大勢の人がかかわって果てしなく作り込みが出来るように仕組まれているなぁと感心します。
2023.09.30
前回のホームの様子です。観光客はカラフルでくだけた服装をしています。レイを掛けた老婦人もいて目立ちます。人の種類は限られているので、人混みでは同一人物が並んだりしますがご愛敬ですね。
この駅で面食らったのが乗客の移動です。中央に地下道があり、ホームの階段を使って出入りする設定ですが、なぜか、表に出てきて線路を横断しますし、空中高く飛んでる人もいる始末です。上から見ると見苦しいので、大型テントを張ってボロ隠しですが、この視点では隠せませんね。面白いので紹介します。
2023.09.25
Cities: Skylinesからの一コマです。鉄道駅のアセット・4ホームのものを導入しました。駅舎はなく外部に面したホームに直結した階段が2か所ずつ4か所あるだけの簡素さです。どちらにも道路を設置したところ機能しました。開発した街にはこの駅だけしかなく他都市だけに接続している駅なのですが、バスや地下鉄とも接続できるようにしましたので大量の観光客がやってきます。その到着時の様子です。
車を使う旅客もいてホームからワラワラと湧いてきて大渋滞になっているのか右側で、バス2台が巻き込まれています。左側は開発されていないので人間だけが地下鉄入口に向かっています。
ちなみに、戻ってくる車もあり、道路上で消えて人間が現れホームに入り列車を待ちます。湧き出る車といい、このゲームならではの不可思議世界で見ていて楽しいですね。
2023.09.20
今年の夏の成果です。捕まえたのではなく、拾いました。カナブンとマイマイカブリは庭に転がっていました。ノコギリクワガタは散歩中の側溝にひっくり返っていました。生死の判断は難しいですが、マイマイとノコギリは符節が内側に曲がっていたので、動けなくなって時間はたっていたでしょう。カナブンは符節が動いていましたから動けなくなってすぐに見つけたと思います。外流しの水を飲みに来たのかもしれません。
蟻の餌食ですが、無傷で残っているのは不思議です。蟻自体見ることが少なくなっていて、昆虫の数が激減しているような気がします。
2023.09.15
材料に困って昔のものから探し出しました。2mm以下のトビコバチの一種だと思います。小さいので目立ちませんが、トビコバチは寄生バチで種類も豊富です。それでも、これはめったにいないようです。捕まえたとき、翅に文様で珍しいなと思ったものです。
生きているのを閉じ込めて撮影し深度合成しています。
2023.09.10
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁の模写です。
ばった おさえたるばつたと思ふ待夜半も ただつま戸ののみぎちぎちとなく。 意気躬黒成
蟷螂 くつがえる心としらでかま首を あげて蟷螂のおのばかりまつ 浅草市人
元の本は芸艸堂の豆本です。それをスキャンしてモニターに映しだされたものを模写します。縮小拡大気ままにできます。豆本で細部を模写するのは困難でも、モニターだと細かい筆の動きもわかり簡単です。芸艸堂の印刷が優秀なのでしょうね。
2023.09.05
前々回で枠しかなかった珪藻と思われるものです。タラシオシラというらしいですが自信ありません。
毎度おなじみのピント位置を変えて合成です。下段は枠の形状がはっきりわかります。単純な板状ではなく中空の構造です。
周辺がはっきり写って中央がボケているのは、窪んでいるのか出っ張っているのかどちらかです。
検鏡している本人は分かりますが、人に納得してもらうには、ピント位置が記録された連続画像が必要ですけれどないので結果だけ言うと凹んでいます。
2023.08.30
29日の佐奈田霊社入口下の様子です。波がないのに海岸が泡立っていました。よく見ると、波頭が立っていないのですが20メートル程度の間隔でうねっています。そして海岸に達すると大きく盛り上がり白波になって崩れます。粘って写した中の一枚です。
台風10号は北海道方面に去り、次のがもうすぐ来るようです。影響がもう出ているのでしょうね。
コンクリートの格子は崖の土留めです。この写真ではそう見えませんが垂直に近いです。交点に長い鋼材を埋め込んでいました。キャップを付けて完了となりましたが、足場の組み立てから始まって、のんびりやっていました。
2023.08.25
MWS珪藻プレパラートARK-01(干潟)から。丸型は中心目の枠部分が外れたものと思います。舟形はフルスツリアの感じですが微妙にS型をしているので、よくわからない珪藻です。
話は変わって、雨はまとまった広さで西から東に移っていくものと思っていましたら、この頃は、斑で南から北に動いています。変だなと思っていましたが、ひまわりの画像を見ると台風でもないのに大きな渦を巻いている雲が次から次に来ています。いつごろからこうなったのでしょうか。原因は何か、気象学者さんにお伺いしたいものです。
2023.08.20
芥子園画伝山石譜・二米石法の模写です。
二米とは、米ふつ・米友仁父子のことで米ふつは北宋の人で北宋4大家の一人、子の友仁は宋の南渡後、高宗に仕えたとあります。山水画の大家で、江南特有の煙雨の風景を特色としており「米家の山水」と言われるそうです。
米ふつ父子の石
これは米点に芝麻皴を少し併用したもので、米ふつ・友仁父子は高い山や茂った林の中に時どきこの石を描いている。点描を幾度も重ねて、しっとりとした潤いのある効果を主体にしている。そのために角ばったところが見えないが、輪郭の描き始めの部分を見ると、実は披麻皴である。
何言ってるのかさっぱりわかりませんが、点が沢山あるのはわかります。これが米点というのでしょう。もっと大きくてたっぷり墨を含ませた点の連なりは煙雨の風景にふさわしいと思います。
2023.08.15
芥子園画伝山石譜・王叔明石法の模写です。
王叔明は元代の人です。元末四大家の一人で董源・巨然の山水画風を発展させた繁縟な皴法をつくり出した。とあります。
王蒙の石
これは披麻皴に解索皴を加えた皴法で、ただ王蒙がこれに特に優れていた。かれは趙孟?(ちょうもうふ)の甥で、画風は趙孟?(ちょうもうふ)を手本にしているが、石の描き方だけは出藍の誉がある。
文中の、黄鶴山樵は王蒙の号で、松雪はちょうもうふの号ですが、昔の人は字とか号とかいろいろな名前を持っているので戸惑いますね。王叔明石法と書いてあるのに解説では「王蒙の石」になっていますし。
2023.08.05
平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書1990年第1刷、図5-4「東アジアの地溝帯と縁海の分布」です。
ユーラシアプレートに太平洋プレートとフィリッピンプレートが沈み込んでいる圧縮場なのに地殻が引き延ばされて海ができるのは不思議としか言いようがないと思いますが、中国からバイカル湖にかけても引き延ばされて地溝帯になっているそうです。
ジュラ紀に東アジアの安定大陸は細切れで間に付加体が大量についている図と古第三紀にインド大陸が近づいてくる図もありました。ダイナミックな大陸移動と増大の考え方です。
地溝帯は3千万年前から活動を始めたそうです。マントルが上昇しているらしい熱い地域のホットリージョンにより地溝帯ができ地震や火山活動が盛んだそうです。
人の一生では、動かざること山の如しですが、地球の歴史では大陸は割れたり合体したり激しく動き回り、付加体で広さも拡大していく千変万化なんですね。
2023.07.30
平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書1990年第1刷、図5-3「日本海拡大前の日本列島の位置復元」に色付けしたものです。
濃色が現在で淡色が2500万年前だそうです。30年以上たった現在でも通用しているのではないかと思っているのですが、当時に得られた最新の科学的データを元に得られたものだそうです。
太平洋プレートが日本海溝に沈み込んで日本列島ができているわけですが、日本海になる部分が引き延ばされて本州、九州と四国が捻じ曲げられて南下、北海道はもともと三つだったのが南下して合体します。樺太は素直に大陸に押し付けられた。というところでしょうか。
最近読み直して感銘を受けました。初見の時は分かったような分からなかったような妙な気分で、実際は何も理解できなかったのですが。
2023.07.25
これも挿絵の一枚ですが、江戸名所図会の高幡不動尊の模写ですね。なにを元にしたのか、何の話だったのか全く覚えていないのが悩ましいです。新選組のカットもあるので幕末の多摩が舞台だったはずなのですが。
最近、東洋画の模写を熱心にしていますが、こんなものを見ると昔から東洋画に関心が高かったのは間違いないようです。
2023.07.20
挿絵の一枚です。大和絵の三保の松原が頭にあったはずですが、海が西洋流の波になっていて和洋ちゃんぽんですね。
実景では有得ないものですが、富士山と三保の松原だとは誰しも思ってくれるのではないでしょうか。
2023.07.15
李成の「茂林遠岫図」は分割してですけど全部模写しました。東洋名画は一般に知られていないので模写でも新鮮な感じはすると思いますが、画廊の展覧会で模写だけでは抵抗があったので現代の人物を交えています。
中世の山水と現代の希望に燃える若い二人の組み合わせです。芸がないねと言われそうですが。
2023.07.10
李成の「茂林遠岫図」の部分模写です。五分割したうちの四分割目で、主峰を越えるところです。
名画の模写は部分を切り取っても違和感がなく一つの画面として成立するように思います。
なぜそうなのか悩ましいところですが、画面全体も部分も生き生きとして一つの生命体になっているのかもしれません。
2023.07.05
これも挿絵の一枚です。幕末の話だったのでしょう。将軍慶喜の写真を模写しました。キセルをくわえているのですが見落としたようですね。これではなんだかわかりません。
慶喜は写真好きで明治時代に静岡に引っ込んで大型のカメラで相当撮影したようです。
書斎で物思いにふける全身像の一部です。将軍後見職時代の写真かもしれませんが、憂鬱な貴公子の風情で好きな写真です。
2023.06.30
昔のことですが、絵の仲間が「我々は見ないと描けないが漫画家は空で絵が描ける。」と言ったのが印象的でした。
実景を写すのではなく、想像し構成した絵を描きたいと願っていたのですが、試しても嘘っぽいつまらないものしかできないので、無理だなと感じていたのです。
この絵も空で描いたのではなくお手本があります。それをアレンジして恰好を付けたというところです。
2023.06.25
遥か昔に挿絵の仕事をしたことがあります。
その一枚です。話はすっかり忘れましたが、流れ星とアイヌの女性が登場したのでしょう。
アイヌの風俗がわからないので「アイヌ絵巻探訪」なる本と、ワコムのタブレットを求め、付属のお絵かきソフトで描きました。試行錯誤で楽しかった思い出です。
2023.06.20
倦怠感に包まれ新しい画像が用意できなので昔のクロッキーを持ち出します。
20年以上前ですね。現役だったので通勤の友の手帳に描きつけていました。その一枚です。
日付と場所はあるものの時間はないですが、早朝ですね。朝早くは乗客も少なく寝ている人が多かったです。なので、遠慮なくクロッキーとなるわけです。
プライバシーが厳しくなっているので、今これをやるともめ事になるような気もします。暢気な時代でした。
2023.06.15
2005年12月18日真鶴ですね。この頃は犬もいて散歩を良くしていました。散歩の友は小型のスケッチブックで、ところどころ立ち止まってはスケッチです。長くなると犬がぐずるのでササっと手短に描きます。勢いだけですが勉強になっていたと思います。
2023.06.10
ハエを捕まえて小箱に閉じ込め撮影していました。すぐに死ぬのですが水を与えるとしばらく生きます。飲み過ぎたのか口から出すと表面張力で玉になります。よく見かけましたが可愛いものです。
話変わって、昔見て記憶も定かではありませんが、3Dアニメで空母と強襲揚陸艦で攻め寄せる敵を退治するものがありました。コンテナに偽装したミサイルランチャーと管制装置をトラックと列車で素早く配置するのです。移動中はミサイルかどうか判別できませんし上手いこと考えたものだと思いました。これでは空母は用なしだなとも思いましたが、中国は4隻体制に猛進中ですし、米英の空母もアジアを徘徊しています。まだまだ用ありでした。
2023.06.05
MWS珪藻プレパラートARK-01(干潟)からプレウロシグマ(Pleurosigma)の端っこです。この端部の構造は興味深いものがあり、どんな姿か想像できるような画像を得たいところですが、これを見てもまったく想像できません。残念ですね。
話は変わりますが、ユーチューブで機関銃を装備した走行できる無人兵器と偵察用のドローンの組み合わせで市街地を制圧するのを見たことがあります。実物ではなく3Dアニメでしたがリアルでした。映画ターミネーターでは人型の殺人ロボっトと人間の戦いで、絵空事として見ていましたが、形は違え機能は同等の物を開発している人たちがいるようで、残り少ない小生の生きているうちはそうならないでしょうが、絵空事とも思えなくなった今日この頃ですね。
2023.05.30
MWS珪藻プレパラートMZK-01(池)からのピンヌラリア(ハネケイソウ)です。なにかゆったりした感じがして好きな珪藻です。
話は変わりますが、ウクライナの戦争で兵器産業は注文がさばききれないほどで好景気のようです。ポーランドは何故か大軍拡に走っているようです。ウクライナに手持ちの兵器を譲ったのでその穴埋めもあるらしいですが、韓国製の戦車や自走砲を大量に購入するというニュースがありました。
韓国の戦車は日本のネットは笑いものにしてましたが、いつの間にか輸出できるだけの実力を持ったみたいです。こうなってくると、日本も負けられない、兵器を輸出シロッ!という声が聞こえてきそうです。実際、なしくずしに、「戦争のための戦力は持たない」が、「敵基地攻撃も可」になっていますからね。軍事に使う金を民事に使うと民草は幸せになると思うのですが。
2023.05.25
李成の「茂林遠岫図」の部分模写をしています。
李成には「墨を惜しむこと金の如し」という評が残っています。
前回の模写の記事で、平遠を実感したと述べましたが、今回はこの言葉をかみしめています。
濃く墨を擦り、それを水で薄めるのですが、水にほんの僅かに墨が混ざるぐらいでないといけないようです。その濃さで何度も重ねて、ここぞというところまで持っていかないといけないのがやっと分かりました。
慌てず騒がず落ち着いて・・・
急いたら事を仕損ずる・・・
ですが、
言うは易く行うは難し。ですね。
2023.05.20
これも、昔撮った深度合成写真で、ハムシです。
右上の白いものは、ティッシュに水を含ませたもので、のどが渇いて水を飲んでいるところです。甲虫はこれだけでも結構生きます。観察時間が長いと、動き回る姿を楽しめますし、身体の手入れをすると思わぬ姿勢になるのも見れたりします。固い甲羅で全身をおおっていますが、その下は柔らかい体で甲羅のつなぎ目は伸び縮みもして、意外に柔軟なのに感心させられたものです。
2023.05.15
昔の深度合成写真で、ウシカメムシです。どこで捕まえたのか覚えていませんが、これ以外捕まえていないので貴重品です。
これと全く関係ない話ですが、イラクやコソボ、リビアなどの戦争は対空防御ができないので航空勢力の一方的な爆撃で都市が徹底的に破壊されるような場面が多かったようですし、第2次世界大戦も日本やドイツの都市は撃ち落された爆撃機も多かったようですが、徹底的に爆撃され破壊されました。銃後といえども安心できなかったわけです。現在進行中のウクライナの戦争はなぜかそうなっていないのには救われる気がします。でも戦場では大砲を打ち合い戦車と歩兵で勝負をつける昔ながらの戦いのようでも兵器の進歩でドローンが飛び交い百発百中で見つけられたら終わりという厳しさもあるようで、兵器や兵士の損害は膨大なようです。ウクライナの大砲は東側の152mmだったはずですが、西側の大砲ばかりになったのか155mm弾をくれくれと言ってますし、戦車と飛行機もくれくれ言っています。もともと持っていた兵器は破壊されつくしたとしか考えられません。武器が無くなれば戦いは終わりですけど、そうならないのですね。妙な気分です。
2023.05.10
このマイマイカブリを捕まえたのは2022.1.26です。冬に出歩いていたのは不思議ですが、家の庭にいたのもビックリでした。オサムシ類は翅が退化して飛べないので広いところに出ていると捕まえやすいです。何匹か道路に出てきたのを捕まえたことがありますが3センチぐらいあるので、やったーという気分ですね。
2023.05.05
この頃は昆虫にご無沙汰なのですが、つい先日、大物を見つけて思わず捕まえてしまいました。容器もなかったので手近の大きめの葉っぱで包んで持ち帰りました。
オサムシは緑色と思っていましたが赤銅色のもいるんですね。神奈川県産はルイスオサムシとかエサキオサムシとかが多いそうです。ネットで、ルイスオサムシの緑と赤銅の二個体の写真があって赤銅の方が普通と書かれているものがありました。
2023.04.30
1/700艦艇模型シリーズ日本海軍特型駆逐艦吹雪です。1941年開戦時の設定になっています。新しいメーカーのヤマシタホビー製です。
特型はT、U、V型の三種類があるのですが、このメーカーはこの三種類から模型業界に参入したみたいです。それだけに出来が良いとの評判です。とはいえ、軍艦に詳しくないとその良さは実感できないので、はぁ、そうですか。の状態ですが。
素組ですが、部品点数も多く細かいのもかなりあって組み立ては大変でした。それだけに見栄えもよいようです。駆逐艦は小さくてケースは百円ショブのが丁度いいので利用しています。
2023.04.25
薄い紙に絵の具や墨で水を使って描き、乾燥させるとしわが沢山でます。うまく描けたと喜んでも残念なことになるのです。和紙の場合は、裏打ちをすることでピンとした表面を取り戻せるので改善策はあります。
裏打ちではありませんが、スチレンボードに水張りの要領で貼り付けたらどうなるか試しました。
まず絵の裏側から霧吹きで水を吹き、絵に水をたっぷり含ませ、四辺に糊をつけます。その状態でスチレンボードに張り付け乾燥を待ちます。
上手くいきました。スチレンボードが絵の側に引っ張られたのでしょう反っていますが木枠で押さえつければ平面は保てそうです。
絵は呉昌碩(1844年-1927年)の牡丹図を元にラフに描いたものです。元図は鼎は拓本風に、他は太筆で絵の具の濃淡だけであらわし、牡丹のおおらかさと繊細な鼎の対比が素晴らしい絵です。また、左に跋文、鼎の銘文らしいものが脚の間にあります。鼎の三本目の足が中央に短くあるのはそのためです。
2023.04.20
若い頃、東京国立博物館によく行っていました。現在の博物館は展示に工夫が凝らされ流れに身を任せると次から次に名品が目前に現れるようになっていて人も多く込み合っています。が、当時はガランとした四角い大部屋の四面にはガラス棚がしつらえてあり、その中の美術品を拝見させて頂くという雰囲気で人もまばらでした。
ぼんやりした頭で漠然と見ていたので、知識の蓄積にはほど遠かったのですが何度も行って気になる作品はありました。その中に、伝周文という室町時代の水墨画があって、この画像はその部分模写です。
周文は相国寺の僧で、如拙の弟子で雪舟の師です。画僧だけでなく寺務も勤め、足利将軍家の御用も勤めるなど当時の重要人物で、作品に署名していないので伝がついているようです。
絵を描くのはしんどいものの額づくりは楽しいです。トリマーを買い求め手持ちの棒材で試作したものにスチレンボードに和紙を水張りして描いた水墨画を収めました。手のひらに乗る様な小さなもので、まだ精度は悪いですが今後が楽しみですね。
2023.04.15
芥子園画伝山石譜模写です。
黄子久石法
黄公望は常熟(江蘇省)の人である。「かれが描く山は、しばしば岩が幾重にも重なり、おおらかな虞山(常熟の名山)の姿をしているが、それはあたかも、蜀(四川省)の人の王宰の画がよく蜀中の山水を描き、凹凸する嶮しい岩山風景となるのと同じで、それは各々の画人が平常見なれた自然をかいているからある。」といわれるが、その言葉のとおりである。
黄公望の石の描き方は、荊浩と関同から学びとったものであるが、それにみずから工夫を加えて簡略にした。その用筆は錐で砂の上に字を書いたかののように筆先が見えず(蔵鋒=直筆)、高尚簡潔な味わいがある。
訳は新藤武弘著「新訳芥子園画伝」からです。書かれている漢文は読めませんが訳があるのでいちおう読めますが、短くとも深い文なので理解するのは大変です。はてな、で終わってしまいます。
2023.04.10
喜多川歌麿の画本虫撰の一頁を久しぶりに模写しました。
蝸牛 はれやらぬその空言にかたつぶり ぬるるほど猶つのや出しけん。 高利刈主
轡虫 かしましき女に似たるくつわ虫 なれもちりりんりんきにやむなく 貸本古喜
狂歌はカットしているので余白の多さは目立つものの気になりません。模写すると筆の動きもよくわかり勉強になります。
2023.04.05
カネタタキです。バッタ目カネタタキ科で鳴き声が有名ですね。この標本もずいぶん昔で、これ以降お目にかかっていません。今でも種名はちんぷんかんぷんですが、この頃はこの虫を見てもバッタの仲間だとは思えず、有名な虫なのにやっとの思いで探しました。方眼紙を下敷きにすると大きさがわかります。そこそこの大きさで見つけやすいはずなんですが。いまや貴重品です。
2023.03.30
10年ほど前のものです。この頃は初めて見るものばかりで驚きの連続でした。幸せな時を過ごしていたわけです。このハチも1,2ミリ程度のごく小さい奴です。アブラムシに寄生する仲間かはっきりしませんが、寄生バチだと思います。可愛らしい姿ですが隅に置けないやつでしょう。アブラムシも増えすぎると困りものですから退治するのもいてバランスが取れるということなのかもしれません。
2023.03.25
蚊が続きますが、おなじみの家の中に入ってくるイエカでしょうね。蝶は全身鱗粉に被われていますが、蚊も同じです。なので、この画像は正しい姿とはとても言えません。容器に入れたときはまだまだあったのですが、中で暴れたのかほとんど抜け落ちてしまったのです。
2023.03.20
この蚊はミスジシマカと言うみたいです。前回キノコバエにしては触覚が違い過ぎると感じましたがユスリカの間違いだったようです。双翅目は触覚が長い糸角亜目と、短い短角亜目に分かれ、蚊と蝿に大きく分かれるみたいですが、実際はとても複雑な世界みたいです。同じ糸角亜目のユスリカとミスジシマカでも、身体はよく似ていますが口が全く違います。蚊は針で血を吸いますがユスリカは蝿の口みたいで刺すことはできませんから血は吸えません。
2023.03.15
これも古いものです。蝋を窪めて容器にした中に小さな昆虫を入れて撮影していました。2ミリくらいの双翅目です。キノコバエ(ユスリカの間違い)の仲間でしょうけど、触覚が蚊のオスのようなものが付いているのが気になります。肉眼だと点ですから見かけても気にならない様な大きさですが、ワッと大量に出てくるとたまらんという虫らしいです。
2023.03.10
サイクリングの折り返し地点の桜達です。いつもは今頃満開で晴れ晴れしいのですが、なぜか、わずかしか残っていません。道々には満開のものがちらほら見えますので、この桜たちが早く散ったのは確かなようです。それでも遅咲きのがわずかに残っているので救われます。
2023.03.05
新聞の片隅に、イスラエルがシリアを空爆した。というのが時々出ています。戦争もしていないので国際社会は非難するかと思いきやなんのお咎めもありませんし、国連が非難したことも聞いたことがありません。なんか不思議ですよね。最近は、空爆ではなくミサイル攻撃に切り替えているようです。シリアはロシアと仲が良く、地対空ミサイルのS400が配備されたようなので、飛行機ではまずくなったのかなという気もしますが。
画像は、何の関係もありませんがハナバチで深度合成しています。かなり前のものです。地中に営巣し花粉を蓄えて子育てしているようです。1センチ以下の小さなやつで、脚のたくさん生えている毛に花粉をつけ団子にして運んでいます。
2023.02.25
古代律令国家は分かりませんが日本は雑兵が主体の集団戦を始めたのは応仁の乱以降だそうです。それまでは桓武天皇の健児の制で誕生した弓矢取る武士が名乗りを上げて一騎打ちをするようなおおらかな戦いぶりだったようです。蒙古襲来で集団で押し寄せる相手に面食らったことでしょうが、どう対処したのか興味深いものがあります。
戦国時代末期に火縄銃を普及させますが、破壊力のある大砲に関心は向かなかったようですし、江戸時代は平和過ぎて兵器の発達はなし常備軍と言えるようなものもなしで幕末の欧米の侵略に大慌てになったようです。明治以降軍事大国になりますが、本来の日本人は、尚武の民であっても相手を破壊しつくす戦争好きな国民ではないと思うのですが、どうなんでしょうか。
画像は、何の関係もありませんがハンミョウの標本を整形して撮影、深度合成したものです。かなり前のものです。
2023.02.20
ウクライナとロシアの戦いはロシアの快進撃で始まり、ドンバスは州境まで進撃するものと思いましたが動かないままなので不思議だなぁと思っていましたら、ウクライナはミンクス合意後8年かけて独立派の境界を要塞化し防御線を築いていたので進軍できなかったようです。
第一次世界大戦は塹壕戦になり、猛烈な弾幕をはり、毒ガスや飛行機の使用、戦車の登場でも膠着して、突撃すると機関銃の餌食になり、塹壕に籠ると弾幕に精神を犯される恐ろしい消耗戦だったそうです。最後はドイツが国力の限界で帝政の崩壊と降伏で終わっています。
ドンバスはこの再現をしているようです。ウクライナとロシアの国力は大きな違いがあるので、ウクライナは限界にきているのではと思いますが、NATOの補給があると底なしで、いつまでたっても終わらないような気もします。恐ろしいことですね。
前回のハエではないですが同じ種でしょうか、複眼が美しいですね。
2023.02.15
撮影データをみると2016.1.28でした。かなり前ですね。我が家のシャリンバイは弱ってアブラムシがたくさんついていました。そのアブラムシを目当てに沢山の昆虫が来たのですが、枯れてしまい昆虫が寄り付かなくなっています。それとともに昆虫観察もしなくなってしまい、これに限らずあらゆる面で怠惰なことになっている危機的状況です。・・・反省。
このハエは精悍な感じがして、寄生バエの一種かなぁと思ったりします。複眼も緑色に輝いて綺麗なものでした。5ミリくらいの小さなハエだった記憶です。
2023.02.10
1/700ウォーターラインシリーズのタミヤ日本海軍駆逐艦「島風」です。最近のプラモデルは細密化でピンセットでやっとつまんで接着する部品も多くて、弾き飛ばして捜索にあたふたして苦労も多いですが完成すると見栄えもよいし嬉しいです。
帝国海軍の戦略は艦隊決戦だったそうです。米艦隊が太平洋を押し渡って来るのを待ち構えて決戦を挑みます。戦艦の数で負けているので、まず駆逐艦隊が肉薄、魚雷攻撃で同等の戦艦数にして打ち合い、勝利する。戦艦は大和で巨砲を積み、駆逐艦は「島風」で40ノットの高速と5連装3基の魚雷発射管で15射線の魚雷を一度に打つことが到着地点だったようです。しかし、戦略は画餅に帰し宝の持ち腐れになりました。駆逐艦隊で戦うので同型艦が多数建造されるのですが、島風型は島風だけです。大和も沖縄特攻で海の藻屑となりました。軍事は巨費を用いて用意しても実戦で有効に使えないこともあることを教えてくれる事例だと思います。まあ、大和は今でも人気はありますが。
2023.02.05
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)の解説では、「この標本には珪藻がたくさん見つかります。」とありますので、今回は並べてみました。一コマの大きさは、0.07×0.05ミリていどです。中心目だけでなく羽状目のものもあって、なかなか賑やかです。楽しいですね。
2023.01.30
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)で見つかる珪藻は中心目が目立ちました。
対物レンズ10倍の暗視野で見ると青く発色する珪藻は特に目立ちます。微細構造が一様にある証拠です。丸く囲んでいるのは40倍の輪帯照明での撮影なので胞紋の様子が分かります。確かにびっちりと詰まっています。
一方、発色しないのもあります。こちらの方が圧倒的に多かったです。この画像では分かりづらいですが、中心部はまばらにしか胞紋は見られません。
上段がカスミマルケイソウ(ステファノディスクス)で下段がヒメマルケイソウ(キクロテラ)ではないかと思います。
2023.01.25
前回は対物レンズ40倍の画像ですが、今回は10倍で暗視野の画像です。中央やや右寄りにメロシラ二つが横になっているのがお判りでしょうか。このブレバラートで海底の泥が押し上げられて堆積したことを証明するには海生の珪藻が確認できればよいわけです。そのためには採集した泥を処理して珪藻を濃縮しなくてはならないそうです。「茶碗一杯の泥から得られる処理済み試料は耳かき一杯程度で、非常に困難な作業になります。」と解説されていました。「なお、有機物の処理はしていませんので、鉱物粒子や花粉、木くずなども入っています。これら混在する粒子を分析すれば現場の環境推定することも可能になります。」ともあり、やはり専門家でないと生かしきれないなと反省させられます。
2023.01.20
MWS珪藻標本・津波堆積物(宮城野区)からです。東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)で海底の泥が押し上げられて陸地に堆積しました。その直後の5月から6月にかけて岩手県と宮城県の5か所で採集された堆積物が5枚のプレパラートにされてMWSから世に出ました。研究者ではなく楽しみで見ているだけなので躊躇しましたが買ってしまいました。
最近見直してメロシア(多分)が2個つなぎで、片方にしか封入剤が入っていないものを見つけました。右の画像で二重の白線が見られますが、ここがピント位置でメロシアの断面が写っているのでしょう。下段の黒いところが空気で異常な形態になったと判断しました。不思議なのは円筒なのに丸みを帯びた角柱に見えることです。脳内でこの補正ができないと顕微鏡を使いこなしているとは言えません。
2023.01.15
MWS珪藻プレパラートSTK-01(内湾)からのスケレトネマです。円筒状の個体が繋がって線状になり海中を浮遊しているらしいです。この場面はある日突然見つけました。左からの傾斜照明なので立体感がでますが、顕微鏡の画像とは思われない様なものも出現してびっくりしました。色味の違いもあり原因を説明できないのですが、封入剤が回らなかったところのような気もしますし、取り扱いが悪くて剥離さしたのかもしれません。謎の場所なのですが、とても気に入っています。
2023.01.10
9日は成人の日で好天気に恵まれました。祝日は車が増えるのでサイクリングは敬遠しているのですが、新年初ライドで出かけました。しばらく乗ってないのと、初めの2kmは登りっぱなしで帰りたくなりますが、段々体が慣れてきて、いつものコースになりました。折り返し点は丹沢は大山しか見えませんが少し戻るとよく見えます。画像はそこで撮ったものです。市街は早川から鴨宮にかけてです。大山の下に尖っているのは小田原城です。風もなく、暖かく穏やかでゆったりした気分で走れました。
2023.01.05
年賀状用に部分模写した、李成の「茂林遠岫図」です。原画の大きさは1660mm x 550 mmらしいです。横長の大作で模写した部分は右側の導入部とも言える場所で、左に向かって山岳は険しくなります。
東洋画は「山に三遠あり。山下よりして山嶺を仰ぐ、之を高遠といい、山前より山後を窮む、之を深遠といい、近山よりして遠山を望む、之を平遠といふ。」三遠の法というそうです。そして「高遠の色は清明に、深遠の色は重晦に、平遠の色は明晦あり」さらに「高遠の勢は突兀に、深遠の意は重畳に、平遠の意は沖融にして縹縹渺渺たり」とあります。言葉少なく難解ですね。
模写図は手前の河口の建物群から川筋をたどると円橋がかかり、丘が切り立った断崖の山並に続いてゆき、遠くには集落と穏やかな山並みが連なっています。写しているときに実景をヘリコプターに乗って描いているような気になりました。しかも、湿気を含んだ明暗と広がりも感じ、これが平遠なんだと実感しました。