あれこれ、日々に感じたことを書いていきます。

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2019.02.15

あれこれ689

三井壽(1921〜1988)作「食事する農夫」である。大きさは横60センチ縦54センチだから、かなり大きい木版画だ。三井先生が亡くなられた翌年、町田市国際版画美術館で遺作展がおこなわれた。その時に図録と展示作品も買えたので求めたものだ。会期末だったので大きいのしか残っていなかったが、今にして思うと幸いだった。この大きさならではの迫真力を感じる。
小生の30歳前後のころ所属していた美術サークルで三井先生が先輩方と話をされていたのを横から聞いていたと思うのだが、安保闘争で機動隊と渡り合った話をされていた。眼孔は鋭いものの物静かな方で、えっという感じだった。帰られれたあと先輩から「日本画のえらい先生になる道を捨てて版画を作られている人だよ。」と聞き強い印象を受けた。その後接点はなかったが、10年ほど経って遺作展があるのを知って見に行き作品群に打たれた。作品を買い求めることなどしたことはなかったがどうしても欲しくなり求めたものだ。
「じさまたち」シリーズは昭和30、40年代の町田の農民達を描いた版画だ。今となっては想像するのも難しいが零細な自作農か小作農のじさまたちのリアルな姿であろう。


2019.02.10

あれこれ688

春になるとハバチがでてくる。1センチ弱ぐらいで腰のくびれていない奴だから太い体で結構目立つ。ハチにしては外骨格が柔らかそうでやさしい感じもある。ウィキによると、原始的なハチで植物に依存しているそうだ。狩り蜂のような獰猛さは持っていないわけだ。成虫は基本肉食だそうだが、水しか取らなくて子孫を残したら短い命を終わらせるのや、アブラムシのだす甘露をなめて命をややつないで子孫を残すのもいるそうだから、小昆虫を食べている肉食のものは少ないのだろう。
こいつを実体顕微鏡で覗いていたときにあれっと思ったのが赤丸をつけたところだ。附足の下側の接地するところが透明のクッション付きだった。こんなものをつけているのは見たことがない。


2019.02.05

あれこれ687

MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造はともかくとして大きさと10マイクロメートルあたりの条線数を測定した。19個体を長さ順に並べた画像とデータである。
中央の丸いところに穴の3個あるやつで条線数も広い方が9〜11個、狭い方が20〜22個で同じ種だろう。
縦横比をグラフ化したが、少し外れたものもあるが良くそろっていて、長さ方向で7割小さくなっている。
昔のデータもあるが似たような結果だった。ここ。


2019.01.30

あれこれ686

MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造を想像した。
殻面が片方だけで水平の取れているものを探して撮影したものだ。@は表面の様子が良くでていると思う。Aはピント位置が内部で表面からわずかに内部に入っているところを現しているに違いない。Bは顕微鏡の不思議なところであるが下から見るとこんなように見えるのではないだろうか。
赤枠を拡大したのが下の二枚だが、@の胞紋があると思われるところに赤印を付けてAにも重ねたものだ。Aの二個並びの胞紋の間に表面の胞紋がある結果になってしまった。
それで想像したのが右下の図で、表面の穴から両脇に伸びて二ヶ所に開口すると言うものだが、あり得ない構造だ。
ネットの電子顕微鏡写真を探すといくつか見つけたが表面は円ではなく筋状になっていて開口面積は小さくしている。内部は楕円状に開口していて表面は狭く内部は広くしている構造がほとんどだった。場所は厚い被殻に彫り込まれた溝のところだ。
流れの強い渓流で生きるには、頑丈な被殻に微細なものだけを取り込める胞紋が適しているのだろう。電子顕微鏡写真の表面のスリットには納得させられたが小生の見つけた不可思議な奴はどういう形なのか実にもどかしい。


2019.01.25

あれこれ685

MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流はゴンフォネマ(クサビケイソウ)をメインにした散らしのプレパラートだがキンベラ(クチビルケイソウ)もそこそこ入っている。大きさは80マイクロメートルぐらいの中型のものが多くて、極小さいのはわずかしかない。また、上下の被殻がそろっているものも多い。難しいことをしていると思うが、意図的に素材を調整して封入してあるのだろう。ゴンフォネマの構造を想像するのに熱心に検鏡したものだが今度はナビクラに挑戦した。ホーザンのローコストのUSBカメラをつないでモニターに出力させるのでわずかなピント操作でも大きな画面で確認できる。今回の画像の赤丸内はそれで見つけたところだ。ピント位置の違いで一列の胞紋が二列に変化する不思議なところだ。たまたまそんな個体に当たったのだが目視では気付かなかっただろう。モニター画面は目視の美しさはないが新しい発見ができるようである。


2019.01.20

あれこれ684

喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」模写の第四弾だ。

蝶      夢の間は蝶とも化して吸てみむ  悲しき人の花のくちびる              稀  年成 (まれな  としなり)
蜻蛉  人ごころあきつむしともならばなれ  はなちはやらじとりもちの竿    一富士二鷹 (いちふじにたか)

名画の模写は見栄えが良いと思う。模写をする人間の腕が悪くて、形が狂ったり色が違ったり筆の動きがだるくても、である。原画の素晴らしさはたとえ汚されても輝き続けるのだろう。


2019.01.15

あれこれ683

トホシオサゾウムシの彩色をパステルの色鉛筆でしたものだ。標本画名人の書かれた文章を読むと絵を描く力以前に、対象の昆虫をいかに理解しているかが大事なのかが良く理解できる。体の動きや生態まで知ることで形態を正しく掴み適切な表現ができるというわけだ。科学としての正確さが実物そのものがなくても確認できる域にあると言うことだろう。
小生には無理な世界なのだが、その心構えだけは忘れないようにして描いているのだ。


2019.01.10

あれこれ682

甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ゾウムシ上科オサゾウムシ科トホシオサゾウムシ。体長0.7センチメートル。十星長象鼻蟲と書くそうである。大きく見れば象虫の仲間だがゾウムシとは違うらしい。ツユクサの茎に卵を産み付けるのでツユクサ類の害虫になり7,8月が活動期だそうだが庭石の上にいたのを捕まえたのは一昨年の11月だった。
老人性無気力症とでも言おうか、気力のいる仕事は手が着かない。なので、ここのところ昆虫をキチンと描いていない。これではいかんと「あれこれ」に載せるノルマを掛けて二日頑張ってみたのだが鉛筆の下書きに墨入れしたところで時間切れになってしまった。たかが虫一匹であるが手強い対象なのだ。


2019.01.05

あれこれ681

ここのところ年賀状は水墨画だ。はじめは芥子園画伝の樹木や岩などを組合せていたものの下手な者でも名画の部分模写はよく見えるので著名画家の部分模写に変わった。無論、模写は良い勉強法で名手の筆の動きを知りたいこともあるのだ。
今回は燕文貴の「江山楼観図」の二回目のものだ。本物は高さ31.3センチ長さ160.5センチの巻物で右に江水、左に深山を配し、地勢風物の変化を味わう長大な物だから部分模写もいろいろできるわけだ。
模写は人跡途絶えた深山を流れ落ちる滝と川面の場面で人の気配は微塵もない。遠くの山は霧に隠れ岩肌を流れ落ちる滝が二筋、渓流となって走り来り両崖には蟹の爪のような枯れ木が高く聳えている。
模写していて考え抜かれた構図に唸らされる。燕文貴は北宋前期の宮廷画家。日本で言えば藤原氏全盛の平安時代で模写もとの画像は古色がついて微妙な濃淡は失われているのだろうがそれでも細やかな配慮があるのを感じながら写す幸せな時間を過ごしたのだ。


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