昆虫の体は頭、胸、腹に分かれ、六本脚の四枚翅が基本ではあるものの、結構異なるところもある。例えば画像で示したハチ目では胸部に前伸腹節という腹部の一部がついている。後胸背板と後脚はひとまとまりだがずいぶん離れている。いずれも訳のあることだろうが説明したものを見つけられずにいる。 胸部の中身はほとんど筋肉である。そして神経は神経節があって足と翅の制御をしている。呼吸は気門と気嚢があってそこから供給される。栄養は頭から隙間を流れてくる体液からとる。消化管や血管は細管で肩身を狭くして通っているだけだ。 今持っている知識を総動員して考えると胸部の気嚢では足りなくて前伸腹節の大きな気嚢で酸素の供給量を補っているような気がしてきた。あっているだろうか。
ゾウムシの仲間でヒゲナガゾウムシ科の一種、アカアシヒゲナガゾウムシと言うのかもしれない。体長0.3センチメートル。ゾウムシの特徴である口吻が長くないし、触覚の柄節も短いなど違いがあるのだが、きびきびした動きや細い触覚など精悍な感じでなんとなくゾウムシっぽい印象を受けた。昔似たようなのを捕まえて悩んだものだが、その後、メスのエゴヒゲナガゾウムシと言うのがわかった。ここ。 エゴヒゲナガゾウムシももう一度捕まえたいのだがご無沙汰である。迫力はそれほどでもないが同じ仲間なのでうれしくてたまらない。
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。こまめに見ていくと数は少ないが色々の種類が見つかる。残念なのは名前がわからないことが多い。この二つもそうである。
F25号のキャンバスに油絵の具で描いたナナホシテントウだ。カドミウムレッドは久しく絵具箱の肥やしになっていたが今回盛大に使わせてもらった。 強い赤が印象的なので、あんな絵があったなと覚えてもらえそうな気もする。それが狙いでもあるが誉められたことではない。
昆虫の動きに関する部分は前、中、後の三部分からなっている胸部だ。脚はそれぞれに二本ついて六本、羽は中、後について四枚ある。逆に言うと翅と脚のついている場所で前、中、後胸が判別できる。甲虫は前翅は翅鞘となつて体を保護するものになっている。後翅は折りたたまないと翅鞘に収まらない。昆虫でありながら一見翅をもっていないような形だが、それらを展開してみたのが今回の図だ。 赤で囲んだところが中胸の固い部分で、青は後胸の固いところだ。緑点が翅の接続しているところで柔らかい。図は簡略化しているので実際は複雑だが正確な形を見極めるのは大変である。小生はまだできていないので漠然とした表現になるわけだ。複雑なわけは胸部を伸縮させて羽ばたくためだが、どんなコントロールの仕方をすればよいのか不思議さは募るばかりである。
昆虫の皮膚は@表皮A真皮B基底膜からなっているそうである。このうち表皮内側の柔らかい部分は連続して体全体を包んでいるが外側の固い部分は外骨格として部位に応じて分割されて体を支えるとともに自在な動きの元になっているわけだ。昔ハエの解剖をしたときに胸部と腹部の外骨格はわずか二点でつながっていてそこを基点として一方向に回転しているのを見つけたときは胸がときめいたものだ。 写真は体長2センチのムシヒキアブの一種だが、自在に動かしている脚でも部分に注目すると一方向しか動いていない。例えば基節では赤丸のところとこの裏側の二点が基点になって左右の回転運動をする。それに続く腿節は上下の回転運動だ。部分は限られた動きでも組み合わされると巧みな動きになる。昆虫の体はよくできているのだ。
タミヤの1/48ドイツ20mm4連装高射機関砲38型である。第二次世界大戦でドイツが使ったものだ。ネットには幾つも作例があるがアップの画像でも見ごたえのあるのばかりだ。小生のはこの程度が精いっぱいである。 説明書には「射撃はそれぞれ対角線上にある2門の機関砲で行われ、一方の射撃中にもう一方の2門の弾倉を交換することで、毎分800発での連続射撃が行えました。」とあって強力な対空兵器だったとある。もっとも弾倉は20発入りだそうだから1分で40個も使うので二人で交換しても途切れなく打てるとも思えないが、それでも1回の戦闘での消費量も膨大だっただろう。弾薬箱を積んだ補給車両が延々とついてこないと実用にはならないわけだ。補給に苦しんだ帝国陸軍には無理な兵器ですね。近代戦はこれ以上の消耗戦になるのかもしれないが戦とはまったく無駄なことだ。これに使う金を平和に使えたら民草はずっと幸せになるに違いない。
4月20日にだしたヒメクダズミケイソウは東洋海洋大学海洋科学部の論文がネットで見れる。陽詩織さんを筆頭に4人の方の名前がある。ごく普通の珪藻で叢上の群体をなしているとのことで詳細に記述してあるのを一部写し取って、1000倍するとどうなるか下手な絵で考えたわけだ。直径1から4センチのホースが6階建てぐらいの建物の高さに群がっていることになる。一本のチューブに二千個ぐらいは入ってそうだが、百本束ねると20万個、千本束ねると二百万個になる。珪藻のすごさを思い知らされる。 月刊たくさんの不思議6月号珪藻美術館ちいさな・ちいさな・ガラスの世界によると「地球上の酸素の4分の1くらいは、珪藻がつくったものともいわれている。」とあるが、むべなるかなである。
これもMWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。写っている珪藻たちは皆、被殻が薄いのだろう。ピント位置を変えても大きく変化しない。重なり合っていてもボケることなく一枚に収まっていられる。そうは言っても、小判型のコッコネイス(コメツブケイソウ)の胞紋の間隔が変化するところに影がわずかに見えているので完全な平らではないことは見て取れる。ピント位置の違うカットで胞紋像の変化を併せて考えると外周から一回り下がったところだけが盛り上がっているようである。あれこれ頭を働かせて元の形を想像するわけだ。これも顕微鏡の楽しみの一つである。
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。中央部の珪藻たちのピント位置をずらすとどうなるかを表したものだ。左上と右下が一番上で右上が最下段になる。これを見ると、小判型のアクナンテスはひっくり返って封入されているに違いないと思うのだが、下面が見れるのも顕微鏡の不思議さで妙な気分なるのもいつものことである。
甲虫(鞘翅目)目カブトムシ亜目ハムシ科ツツハムシ亜科ヨツモンクロツツハムシというようだ。体長0.6センチメートル。コナラとかウワズミザクラなどを食べるらしいが捕まえたところは草むらですぐ近くにはそんな木は見当たらなかった。見かけることの少ない虫らしいので捕えたのは運がよかったようだ。 昆虫の体には不思議なところが多々あるものだが、このムシは前胸の後縁が右上の赤枠内のような歯車状になっている。翅鞘との間に隙間があるのも珍しい。珍しいもの二つは関連があるのかもしれないし意味もあることだろうが考えもつかない。不思議なことである。と思っていたら一回り小さいが同様な瑠璃色のハムシを捕まえたところ歯車状の前胸後縁を持っていた。しかも翅鞘にピッタリ付けて見えなくなることもあったしで、ツツハムシ亜科は歯車状のヘリを持っているようだ。隙間が空いたり閉じたりは昆虫では普通のことなのだろう。あまり驚くことではなかったようだ。
甲虫(鞘翅目)目カブトムシ亜目ゴミムシダマシ上科アカハネムシ科アカハネムシなんとか、あるいはなんとかアカハネムシとかいうようだ。細かい違いのものが多いらしくて同定は難しいらしい。体長1センチメートル。として絵を描いたのも随分昔になってしまった。最近捕えて標本化して写真を撮ったものと較べてみた。毛の生えぐあいからみると同種ではないかもしれないが近い種だろうか。 絵を描いた時には気づかなかった頭の窪みが信じられない程の大きさである。外骨格が柔らかいと凹んでしまうので、それかとも思つたが、ネットでの写真に窪みが感じられるのもあるし悩ましいところだ。生きている時に気づけば自信を持って言えるのだがそうではないのでお粗末なことである。反省することばかりが多くて困りものだ。
草の青さに合っているのかも知れないが今の時期は瑠璃色の甲虫が多いようだ。ルリクビボソハムシというみたいだが0.5p程度のかわいらしいムシだ。それでも甲虫らしいがっちりした外骨格をしているし、顔付きの精悍さはこの写真でも感じ取れないだろうか。実体顕微鏡の世界では頼もしく見える奴だ。
散らしのプレパラートの楽しみは視野の中にたくさんの珪藻たちがいて賑やかで華やいていることだ。難しい課題を放棄すると気楽に楽しめるということでもある。悔しいけど。 MWSさんの「本日の画像2013年5月17日」に今週から販売を始めた珪藻プレパラートとして紹介されていたのをすっかり忘れていたがBerkeleya rutilansで検索したら出てきた。ここ 光学顕微鏡でも電子顕微鏡の画像と遜色のないものが掲げられて「【KRS-TDP】は液浸系対物レンズの解像限界を試すには良い標本です。恐ろしく薄い,コントラストの低い被殻を完璧にイメージングするには技術を要します(画像/MWS)。」となっている。できるのは証明されているので頑張りなさいと鞭うたれているような気分だ。
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)は大きさも小さく被殻の厚さも薄い珪藻がメインで実に手強い。MWSの商品のページには条線のところがキチンと胞絞に解像されている画象が掲載されているので目標は明確なのだが達成は困難というプレパラートだ。小生は辛うじて条線が見えるか見えない程度が精一杯なのでこの程度の画像しか載せられない。 ヒメクダズミケイソウと言うらしいが、左上のものと右のニつは同じやつだと思うが、何故違って写るのか説明できないのでもどかしいかぎりであるが不思議な珪藻である。
モモブトカミキリモドキを捕えたところで同じ様なのを見つけた。後脚が細いのでメスかと思っていたが帰って実体顕微鏡で見ると精悍な大アゴのある口元はダルいもそもそしたもので大違いのやつだった。他にも黄色のところがいくつか有るし、上からでは分かりづらいが意外にカラフルで頭の脇に変なへこみがあるなと見ていたら突然赤く膨れて元に戻り上翅の隙間からも同様な動きをしたので度肝を抜かれた。調べるとすぐに見当がついた。ツマキアオジョウカイモドキと言うらしい。漢字だと擬褄黄淨海である。珍しくない虫なのだろう。 昔、∪字溝の底のツチハンミョウを掴んだ時に黄色い汁がドバッと出たが、カンタジリンという毒素で素手で無かったので助かった事がある。モモブトカミキリモドキもカンダジリンを持つ毒虫で、ツマキアオジョウカイモドキ君はモモブトカミキリモドキに擬態しているのではないか、より一層アッピールする為に赤く膨らませるのでは無いかと思うのであるが、どうであろうか。 こんな変なものは肉眼では気づけないだろう実体顕微鏡ならではだが、最近のデジタルの動画を撮っている人達なら巡り会えう機会があるかもしれない。
小生が捕えている昆虫はせいぜい1センチぐらいのものだ。生きてる状態のまま実体顕微鏡で観察できて写真も撮れないだろうかと工夫を重ねてきたものが今日の写真である。 ラミレート用の半透明シートで台形の箱をつくり透明ガラスで蓋をする。中に植物を入れるとより自然らしくなるのでこの頃入れるようになった。箱だけだと安定しないので外径4.3センチの円筒のケースに入れ四角のゴムマットに乗せて対物レンズの下に置けば観察できるわけだ。動かすのはゴムマットをつかまえて顕微鏡の台座の上をすべらす。重いので安定していて具合が良い。困るのは昆虫が好しい姿で静止してくれないことだがむしと根比べである。
エゾホソルリミズアブというみたいだ。体長0.8センチで小さいものだ。ここのところ昆虫採集はお休み状態だったがサイクリングのついでに早川の護岸の草地で捕えた。たくさん昆虫がいてもよさそうな場所なのに時間をかけてやっと見つけたやつだ。ラッキーだったのは羽化したばかりかいくつかいたので少し逃げられた後でじっとしていたやつをようやく御用にしたのだ。 瑠璃色に輝く色彩が一番の特徴で、角状の触覚と背中の小盾板後縁に四本の突起があるので覚えやすい虫である。
モモブトカミキリモドキと言うらしい。漢字だと腿太擬天牛だそうだ。なんかいいなぁと思える字面だ。 体長0.8センチで小さいがネットにはたくさん出ていた。春に出てきて花に集まる。とか、灯火に集まり、捕まえてつぶしたりするとカブレる毒虫とか賑やかだ。メスの腿は細いとかもあった。翅鞘の末端が開いているのは奇形かとも思ったが、そうではなかった。これでモモブトカミキリモドキで間違いがないことになるらしい。彫刻も複雑だし実体顕微鏡で見ると飽きない虫でもある。 ところで、毒素カンタジリンを持っているせいか外骨格は柔らかい。 これは写真だが標本画の名人が描くとそんなところもしっかり表現してくるが見習いたいものである。
デジタルの面白いところはこんな画像が簡単につくれることだ。 白いコピー用紙に鉛筆で描いたものをスキャナで取り込みフォトショップエレメントで階調反転したものだ。 キイロカミキリモドキと言うみたいだがあてにはならない。体長0.8センチメートル、茶色がかった黄色の翅鞘をもつ黒い甲虫で大あごは鋭く尖っている。昆虫界では油断のならないムシだろう。
家に籠もってばかりでは体に悪いからと始めた自転車だが単にペダルを漕いでるだけではない。当たり前なことだが景色も眺めるわけだ。時には漕ぐのを止めて休憩もする。 左の3枚の写真はそんな休憩場所でのものだ。米神と石橋の中間で下に真鶴道路を見下ろしている。反対側も急斜面で中程の平らなところを東海道線と地方道が並んで走っているわけだ。たまに電車と車が走るばかりで静かな場所である。 海の色は天気次第だ。晴天の碧い海も良いが、曇天のどす黒いようなのも味なものである。時には、川からの細かい砂が流れ込んでいるのかエメラルド色になることもある。
川上尉平先生の絵が少しずつ集まってくる。これは三年ばかり前に手に入れたもの。「夕暮れ湯本(栃木県那須)」春陽会会員川上尉平画昭和28年8月昭和34年加筆の裏書きがある。 横33cm縦24cm厚5mmの桜材のような目の詰まった板に油絵の具をぐいぐい塗り込んである。場所によっては筆あとそのままこんもり盛り上がっている絵だ。 那須湯本を見下ろして、その先には田園が広がり八溝の山々が雲を頂いている図柄だろう。小さな絵で湯本は点々の集まりにしか過ぎない。初めて見たときには集落らしさを感じられなかったが、居間に飾って毎日のようになにげに見ていると赤や濃紺やグレーなどの点々がしっかりした屋根に見えてきていい絵だなぁという気分で見ている今日この頃である。
テントウムシは黒丸の斑点がある赤い丸い虫といったものだろう。頭があって前胸があってなどとは普通は考えないと思う。それに複眼が付き触角があって口器の上唇とか大あごとかひげ類もある。そんなものに関心のある人は非常に少ないことだろう。前回の写真はそんな細部がよく分かるので図解してみたのだ。楽しんでもらいたいものである。 体の手入れをしているときは頭や胸、翅鞘は良く動いている。上の写真は頭を下げて前脚で口器の手入れをしているところで、いつもは胸の中にある後頭が出てきているところだ。
今年初めて捕まえたナナホシテントウを線で描いたのが左上の白図だ。右上は少しポーズは違うが写真を撮ったものである。眼で見ると背中がこんもり盛り上がっていた。が写真だとそうでもない。それでいたずらしたのが真ん中の大きな画像だ。あっちこっち引っ張って線がきに近づけてみたのである。2月15日に出した三井先生の農夫は手が異常に大きいが先生の目にはそう映っていたに違いないと思うのである。
今描いている絵の元になっている顕微鏡写真である。MWS珪藻プレパラートSTK-01(内湾)プレパラートのスケレトネマはこれで5枚目になる。 olympus_FHA_FL40での検鏡だが素直に撮影したうちの一枚ではない。素直なところでは撮影レンズがひどく汚れていて小生のクリーニング技術では取り切れないところが多多あって汚れているところがあるが消さないままになっている。見苦しいが絵を描く邪魔にはならないのでそのままだ。逆に一部の珪藻は向きをわずかに変えているし、ピント位置の違うものを合わせるなどの処理をしている。微妙なものだが絵になった時のことを考えて構図や鮮明さにこだわっているわけだ。 そうはいっても実際絵にするとき寸法をとったりプロジェクターを使うなどして正確に写すことはしないのでかなり変形してくる。機械の目はありのままを平坦に見るが人間の目は主観が介在して興味のあるところを集中して見るので、同じものを見ても異なっているはずだ。それが大事なことだとも思うのであるが。
ヒメバチかコマユバチかもはっきりしないが11月に捕まえた狩り蜂の1種だ。1センチ弱位なのでそれほど目立たないが慣れた目でみると頼もしく思える大きさではある。 ABは同じハチのアングル違いだが腿節が橙色で、かつ太くて立派である。ハチの脚は@のように細くて華奢な感じのものが多いが、まれにこのようなものが現れる。なにか意味があるのだろうが捕まえて見ているだけでは糸口もつかめない。
1月30日でキンベラ(クチビルケイソウ)の構造を想像したもののありえない姿になってがっくりきたが、電子顕微鏡の図像をしげしげと眺め模写をして考えてみた。 中央に4個の大きな穴があるので違う種なのだが、胞紋のありようは同じようなものではなかろうか。 殻面の厚みはかなりなものがあって、開口部は細いスリット状から斜めに内部に入っているようだ。中央の条線は表面は切れているが内部はつながっているのがその証であるし、胞紋も同様なのが見て取れる。 厚い殻に溝を掘って薄くしたところに胞紋は並んでいるのだが、この場合は薄くなってもかなり厚みを残しているものと思われる。そのため斜めに落ち込んでいけるし、そうする意味もあるのだろう。 表面のスリットは細すぎて光学顕微鏡では解像できない。ピント位置が高い場合に胞紋が線状になるのは溝の影を見ているので胞紋を見ているわけではない。ピントをさらに下げてスリットが広がったところで解像できれば点として見れるわけだ。だからはじめは真ん中に一つそれから両端の二つになって最後は大きく一つになる。ということがあっても良いのではないかと思うのである。
三井壽(1921〜1988)作「食事する農夫」である。大きさは横60センチ縦54センチだから、かなり大きい木版画だ。三井先生が亡くなられた翌年、町田市国際版画美術館で遺作展がおこなわれた。その時に図録と展示作品も買えたので求めたものだ。会期末だったので大きいのしか残っていなかったが、今にして思うと幸いだった。この大きさならではの迫真力を感じる。 小生の30歳前後のころ所属していた美術サークルで三井先生が先輩方と話をされていたのを横から聞いていたと思うのだが、安保闘争で機動隊と渡り合った話をされていた。眼孔は鋭いものの物静かな方で、えっという感じだった。帰られれたあと先輩から「日本画のえらい先生になる道を捨てて版画を作られている人だよ。」と聞き強い印象を受けた。その後接点はなかったが、10年ほど経って遺作展があるのを知って見に行き作品群に打たれた。作品を買い求めることなどしたことはなかったがどうしても欲しくなり求めたものだ。 「じさまたち」シリーズは昭和30、40年代の町田の農民達を描いた版画だ。今となっては想像するのも難しいが零細な自作農か小作農のじさまたちのリアルな姿であろう。
春になるとハバチがでてくる。1センチ弱ぐらいで腰のくびれていない奴だから太い体で結構目立つ。ハチにしては外骨格が柔らかそうでやさしい感じもある。ウィキによると、原始的なハチで植物に依存しているそうだ。狩り蜂のような獰猛さは持っていないわけだ。成虫は基本肉食だそうだが、水しか取らなくて子孫を残したら短い命を終わらせるのや、アブラムシのだす甘露をなめて命をややつないで子孫を残すのもいるそうだから、小昆虫を食べている肉食のものは少ないのだろう。 こいつを実体顕微鏡で覗いていたときにあれっと思ったのが赤丸をつけたところだ。附足の下側の接地するところが透明のクッション付きだった。こんなものをつけているのは見たことがない。
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造はともかくとして大きさと10マイクロメートルあたりの条線数を測定した。19個体を長さ順に並べた画像とデータである。 中央の丸いところに穴の3個あるやつで条線数も広い方が9〜11個、狭い方が20〜22個で同じ種だろう。 縦横比をグラフ化したが、少し外れたものもあるが良くそろっていて、長さ方向で7割小さくなっている。 昔のデータもあるが似たような結果だった。ここ。
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造を想像した。 殻面が片方だけで水平の取れているものを探して撮影したものだ。@は表面の様子が良くでていると思う。Aはピント位置が内部で表面からわずかに内部に入っているところを現しているに違いない。Bは顕微鏡の不思議なところであるが下から見るとこんなように見えるのではないだろうか。 赤枠を拡大したのが下の二枚だが、@の胞紋があると思われるところに赤印を付けてAにも重ねたものだ。Aの二個並びの胞紋の間に表面の胞紋がある結果になってしまった。 それで想像したのが右下の図で、表面の穴から両脇に伸びて二ヶ所に開口すると言うものだが、あり得ない構造だ。 ネットの電子顕微鏡写真を探すといくつか見つけたが表面は円ではなく筋状になっていて開口面積は小さくしている。内部は楕円状に開口していて表面は狭く内部は広くしている構造がほとんどだった。場所は厚い被殻に彫り込まれた溝のところだ。 流れの強い渓流で生きるには、頑丈な被殻に微細なものだけを取り込める胞紋が適しているのだろう。電子顕微鏡写真の表面のスリットには納得させられたが小生の見つけた不可思議な奴はどういう形なのか実にもどかしい。
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流はゴンフォネマ(クサビケイソウ)をメインにした散らしのプレパラートだがキンベラ(クチビルケイソウ)もそこそこ入っている。大きさは80マイクロメートルぐらいの中型のものが多くて、極小さいのはわずかしかない。また、上下の被殻がそろっているものも多い。難しいことをしていると思うが、意図的に素材を調整して封入してあるのだろう。ゴンフォネマの構造を想像するのに熱心に検鏡したものだが今度はナビクラに挑戦した。ホーザンのローコストのUSBカメラをつないでモニターに出力させるのでわずかなピント操作でも大きな画面で確認できる。今回の画像の赤丸内はそれで見つけたところだ。ピント位置の違いで一列の胞紋が二列に変化する不思議なところだ。たまたまそんな個体に当たったのだが目視では気付かなかっただろう。モニター画面は目視の美しさはないが新しい発見ができるようである。
喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」模写の第四弾だ。 蝶 夢の間は蝶とも化して吸てみむ 悲しき人の花のくちびる 稀 年成 (まれな としなり) 蜻蛉 人ごころあきつむしともならばなれ はなちはやらじとりもちの竿 一富士二鷹 (いちふじにたか) 名画の模写は見栄えが良いと思う。模写をする人間の腕が悪くて、形が狂ったり色が違ったり筆の動きがだるくても、である。原画の素晴らしさはたとえ汚されても輝き続けるのだろう。
トホシオサゾウムシの彩色をパステルの色鉛筆でしたものだ。標本画名人の書かれた文章を読むと絵を描く力以前に、対象の昆虫をいかに理解しているかが大事なのかが良く理解できる。体の動きや生態まで知ることで形態を正しく掴み適切な表現ができるというわけだ。科学としての正確さが実物そのものがなくても確認できる域にあると言うことだろう。 小生には無理な世界なのだが、その心構えだけは忘れないようにして描いているのだ。
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ゾウムシ上科オサゾウムシ科トホシオサゾウムシ。体長0.7センチメートル。十星長象鼻蟲と書くそうである。大きく見れば象虫の仲間だがゾウムシとは違うらしい。ツユクサの茎に卵を産み付けるのでツユクサ類の害虫になり7,8月が活動期だそうだが庭石の上にいたのを捕まえたのは一昨年の11月だった。 老人性無気力症とでも言おうか、気力のいる仕事は手が着かない。なので、ここのところ昆虫をキチンと描いていない。これではいかんと「あれこれ」に載せるノルマを掛けて二日頑張ってみたのだが鉛筆の下書きに墨入れしたところで時間切れになってしまった。たかが虫一匹であるが手強い対象なのだ。
ここのところ年賀状は水墨画だ。はじめは芥子園画伝の樹木や岩などを組合せていたものの下手な者でも名画の部分模写はよく見えるので著名画家の部分模写に変わった。無論、模写は良い勉強法で名手の筆の動きを知りたいこともあるのだ。今回は燕文貴の「江山楼観図」の二回目のものだ。本物は高さ31.3センチ長さ160.5センチの巻物で右に江水、左に深山を配し、地勢風物の変化を味わう長大な物だから部分模写もいろいろできるわけだ。 模写は人跡途絶えた深山を流れ落ちる滝と川面の場面で人の気配は微塵もない。遠くの山は霧に隠れ岩肌を流れ落ちる滝が二筋、渓流となって走り来り両崖には蟹の爪のような枯れ木が高く聳えている。 模写していて考え抜かれた構図に唸らされる。燕文貴は北宋前期の宮廷画家。日本で言えば藤原氏全盛の平安時代で模写もとの画像は古色がついて微妙な濃淡は失われているのだろうがそれでも細やかな配慮があるのを感じながら写す幸せな時間を過ごしたのだ。
2019.06.30
昆虫の体は頭、胸、腹に分かれ、六本脚の四枚翅が基本ではあるものの、結構異なるところもある。例えば画像で示したハチ目では胸部に前伸腹節という腹部の一部がついている。後胸背板と後脚はひとまとまりだがずいぶん離れている。いずれも訳のあることだろうが説明したものを見つけられずにいる。
胸部の中身はほとんど筋肉である。そして神経は神経節があって足と翅の制御をしている。呼吸は気門と気嚢があってそこから供給される。栄養は頭から隙間を流れてくる体液からとる。消化管や血管は細管で肩身を狭くして通っているだけだ。
今持っている知識を総動員して考えると胸部の気嚢では足りなくて前伸腹節の大きな気嚢で酸素の供給量を補っているような気がしてきた。あっているだろうか。
2019.06.25
ゾウムシの仲間でヒゲナガゾウムシ科の一種、アカアシヒゲナガゾウムシと言うのかもしれない。体長0.3センチメートル。ゾウムシの特徴である口吻が長くないし、触覚の柄節も短いなど違いがあるのだが、きびきびした動きや細い触覚など精悍な感じでなんとなくゾウムシっぽい印象を受けた。昔似たようなのを捕まえて悩んだものだが、その後、メスのエゴヒゲナガゾウムシと言うのがわかった。ここ。
エゴヒゲナガゾウムシももう一度捕まえたいのだがご無沙汰である。迫力はそれほどでもないが同じ仲間なのでうれしくてたまらない。
2019.06.20
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。こまめに見ていくと数は少ないが色々の種類が見つかる。残念なのは名前がわからないことが多い。この二つもそうである。
2019.06.15
F25号のキャンバスに油絵の具で描いたナナホシテントウだ。カドミウムレッドは久しく絵具箱の肥やしになっていたが今回盛大に使わせてもらった。
強い赤が印象的なので、あんな絵があったなと覚えてもらえそうな気もする。それが狙いでもあるが誉められたことではない。
2019.06.10
昆虫の動きに関する部分は前、中、後の三部分からなっている胸部だ。脚はそれぞれに二本ついて六本、羽は中、後について四枚ある。逆に言うと翅と脚のついている場所で前、中、後胸が判別できる。甲虫は前翅は翅鞘となつて体を保護するものになっている。後翅は折りたたまないと翅鞘に収まらない。昆虫でありながら一見翅をもっていないような形だが、それらを展開してみたのが今回の図だ。
赤で囲んだところが中胸の固い部分で、青は後胸の固いところだ。緑点が翅の接続しているところで柔らかい。図は簡略化しているので実際は複雑だが正確な形を見極めるのは大変である。小生はまだできていないので漠然とした表現になるわけだ。複雑なわけは胸部を伸縮させて羽ばたくためだが、どんなコントロールの仕方をすればよいのか不思議さは募るばかりである。
2019.06.05
昆虫の皮膚は@表皮A真皮B基底膜からなっているそうである。このうち表皮内側の柔らかい部分は連続して体全体を包んでいるが外側の固い部分は外骨格として部位に応じて分割されて体を支えるとともに自在な動きの元になっているわけだ。昔ハエの解剖をしたときに胸部と腹部の外骨格はわずか二点でつながっていてそこを基点として一方向に回転しているのを見つけたときは胸がときめいたものだ。
写真は体長2センチのムシヒキアブの一種だが、自在に動かしている脚でも部分に注目すると一方向しか動いていない。例えば基節では赤丸のところとこの裏側の二点が基点になって左右の回転運動をする。それに続く腿節は上下の回転運動だ。部分は限られた動きでも組み合わされると巧みな動きになる。昆虫の体はよくできているのだ。
2019.05.30
タミヤの1/48ドイツ20mm4連装高射機関砲38型である。第二次世界大戦でドイツが使ったものだ。ネットには幾つも作例があるがアップの画像でも見ごたえのあるのばかりだ。小生のはこの程度が精いっぱいである。
説明書には「射撃はそれぞれ対角線上にある2門の機関砲で行われ、一方の射撃中にもう一方の2門の弾倉を交換することで、毎分800発での連続射撃が行えました。」とあって強力な対空兵器だったとある。もっとも弾倉は20発入りだそうだから1分で40個も使うので二人で交換しても途切れなく打てるとも思えないが、それでも1回の戦闘での消費量も膨大だっただろう。弾薬箱を積んだ補給車両が延々とついてこないと実用にはならないわけだ。補給に苦しんだ帝国陸軍には無理な兵器ですね。近代戦はこれ以上の消耗戦になるのかもしれないが戦とはまったく無駄なことだ。これに使う金を平和に使えたら民草はずっと幸せになるに違いない。
2019.05.25
4月20日にだしたヒメクダズミケイソウは東洋海洋大学海洋科学部の論文がネットで見れる。陽詩織さんを筆頭に4人の方の名前がある。ごく普通の珪藻で叢上の群体をなしているとのことで詳細に記述してあるのを一部写し取って、1000倍するとどうなるか下手な絵で考えたわけだ。直径1から4センチのホースが6階建てぐらいの建物の高さに群がっていることになる。一本のチューブに二千個ぐらいは入ってそうだが、百本束ねると20万個、千本束ねると二百万個になる。珪藻のすごさを思い知らされる。
月刊たくさんの不思議6月号珪藻美術館ちいさな・ちいさな・ガラスの世界によると「地球上の酸素の4分の1くらいは、珪藻がつくったものともいわれている。」とあるが、むべなるかなである。
2019.05.20
これもMWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。写っている珪藻たちは皆、被殻が薄いのだろう。ピント位置を変えても大きく変化しない。重なり合っていてもボケることなく一枚に収まっていられる。そうは言っても、小判型のコッコネイス(コメツブケイソウ)の胞紋の間隔が変化するところに影がわずかに見えているので完全な平らではないことは見て取れる。ピント位置の違うカットで胞紋像の変化を併せて考えると外周から一回り下がったところだけが盛り上がっているようである。あれこれ頭を働かせて元の形を想像するわけだ。これも顕微鏡の楽しみの一つである。
2019.05.15
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)からの画像だ。中央部の珪藻たちのピント位置をずらすとどうなるかを表したものだ。左上と右下が一番上で右上が最下段になる。これを見ると、小判型のアクナンテスはひっくり返って封入されているに違いないと思うのだが、下面が見れるのも顕微鏡の不思議さで妙な気分なるのもいつものことである。
2019.05.10
甲虫(鞘翅目)目カブトムシ亜目ハムシ科ツツハムシ亜科ヨツモンクロツツハムシというようだ。体長0.6センチメートル。コナラとかウワズミザクラなどを食べるらしいが捕まえたところは草むらですぐ近くにはそんな木は見当たらなかった。見かけることの少ない虫らしいので捕えたのは運がよかったようだ。
昆虫の体には不思議なところが多々あるものだが、このムシは前胸の後縁が右上の赤枠内のような歯車状になっている。翅鞘との間に隙間があるのも珍しい。珍しいもの二つは関連があるのかもしれないし意味もあることだろうが考えもつかない。不思議なことである。と思っていたら一回り小さいが同様な瑠璃色のハムシを捕まえたところ歯車状の前胸後縁を持っていた。しかも翅鞘にピッタリ付けて見えなくなることもあったしで、ツツハムシ亜科は歯車状のヘリを持っているようだ。隙間が空いたり閉じたりは昆虫では普通のことなのだろう。あまり驚くことではなかったようだ。
2019.05.05
甲虫(鞘翅目)目カブトムシ亜目ゴミムシダマシ上科アカハネムシ科アカハネムシなんとか、あるいはなんとかアカハネムシとかいうようだ。細かい違いのものが多いらしくて同定は難しいらしい。体長1センチメートル。として絵を描いたのも随分昔になってしまった。最近捕えて標本化して写真を撮ったものと較べてみた。毛の生えぐあいからみると同種ではないかもしれないが近い種だろうか。
絵を描いた時には気づかなかった頭の窪みが信じられない程の大きさである。外骨格が柔らかいと凹んでしまうので、それかとも思つたが、ネットでの写真に窪みが感じられるのもあるし悩ましいところだ。生きている時に気づけば自信を持って言えるのだがそうではないのでお粗末なことである。反省することばかりが多くて困りものだ。
2019.04.30
草の青さに合っているのかも知れないが今の時期は瑠璃色の甲虫が多いようだ。ルリクビボソハムシというみたいだが0.5p程度のかわいらしいムシだ。それでも甲虫らしいがっちりした外骨格をしているし、顔付きの精悍さはこの写真でも感じ取れないだろうか。実体顕微鏡の世界では頼もしく見える奴だ。
2019.04.25
散らしのプレパラートの楽しみは視野の中にたくさんの珪藻たちがいて賑やかで華やいていることだ。難しい課題を放棄すると気楽に楽しめるということでもある。悔しいけど。
MWSさんの「本日の画像2013年5月17日」に今週から販売を始めた珪藻プレパラートとして紹介されていたのをすっかり忘れていたがBerkeleya rutilansで検索したら出てきた。ここ
光学顕微鏡でも電子顕微鏡の画像と遜色のないものが掲げられて「【KRS-TDP】は液浸系対物レンズの解像限界を試すには良い標本です。恐ろしく薄い,コントラストの低い被殻を完璧にイメージングするには技術を要します(画像/MWS)。」となっている。できるのは証明されているので頑張りなさいと鞭うたれているような気分だ。
2019.04.20
MWS珪藻プレパラートKRS_TDP(沿岸)は大きさも小さく被殻の厚さも薄い珪藻がメインで実に手強い。MWSの商品のページには条線のところがキチンと胞絞に解像されている画象が掲載されているので目標は明確なのだが達成は困難というプレパラートだ。小生は辛うじて条線が見えるか見えない程度が精一杯なのでこの程度の画像しか載せられない。
ヒメクダズミケイソウと言うらしいが、左上のものと右のニつは同じやつだと思うが、何故違って写るのか説明できないのでもどかしいかぎりであるが不思議な珪藻である。
2019.04.15
モモブトカミキリモドキを捕えたところで同じ様なのを見つけた。後脚が細いのでメスかと思っていたが帰って実体顕微鏡で見ると精悍な大アゴのある口元はダルいもそもそしたもので大違いのやつだった。他にも黄色のところがいくつか有るし、上からでは分かりづらいが意外にカラフルで頭の脇に変なへこみがあるなと見ていたら突然赤く膨れて元に戻り上翅の隙間からも同様な動きをしたので度肝を抜かれた。調べるとすぐに見当がついた。ツマキアオジョウカイモドキと言うらしい。漢字だと擬褄黄淨海である。珍しくない虫なのだろう。
昔、∪字溝の底のツチハンミョウを掴んだ時に黄色い汁がドバッと出たが、カンタジリンという毒素で素手で無かったので助かった事がある。モモブトカミキリモドキもカンダジリンを持つ毒虫で、ツマキアオジョウカイモドキ君はモモブトカミキリモドキに擬態しているのではないか、より一層アッピールする為に赤く膨らませるのでは無いかと思うのであるが、どうであろうか。
こんな変なものは肉眼では気づけないだろう実体顕微鏡ならではだが、最近のデジタルの動画を撮っている人達なら巡り会えう機会があるかもしれない。
2019.04.10
小生が捕えている昆虫はせいぜい1センチぐらいのものだ。生きてる状態のまま実体顕微鏡で観察できて写真も撮れないだろうかと工夫を重ねてきたものが今日の写真である。
ラミレート用の半透明シートで台形の箱をつくり透明ガラスで蓋をする。中に植物を入れるとより自然らしくなるのでこの頃入れるようになった。箱だけだと安定しないので外径4.3センチの円筒のケースに入れ四角のゴムマットに乗せて対物レンズの下に置けば観察できるわけだ。動かすのはゴムマットをつかまえて顕微鏡の台座の上をすべらす。重いので安定していて具合が良い。困るのは昆虫が好しい姿で静止してくれないことだがむしと根比べである。
2019.04.05
エゾホソルリミズアブというみたいだ。体長0.8センチで小さいものだ。ここのところ昆虫採集はお休み状態だったがサイクリングのついでに早川の護岸の草地で捕えた。たくさん昆虫がいてもよさそうな場所なのに時間をかけてやっと見つけたやつだ。ラッキーだったのは羽化したばかりかいくつかいたので少し逃げられた後でじっとしていたやつをようやく御用にしたのだ。
瑠璃色に輝く色彩が一番の特徴で、角状の触覚と背中の小盾板後縁に四本の突起があるので覚えやすい虫である。
2019.03.30
モモブトカミキリモドキと言うらしい。漢字だと腿太擬天牛だそうだ。なんかいいなぁと思える字面だ。
体長0.8センチで小さいがネットにはたくさん出ていた。春に出てきて花に集まる。とか、灯火に集まり、捕まえてつぶしたりするとカブレる毒虫とか賑やかだ。メスの腿は細いとかもあった。翅鞘の末端が開いているのは奇形かとも思ったが、そうではなかった。これでモモブトカミキリモドキで間違いがないことになるらしい。彫刻も複雑だし実体顕微鏡で見ると飽きない虫でもある。
ところで、毒素カンタジリンを持っているせいか外骨格は柔らかい。
これは写真だが標本画の名人が描くとそんなところもしっかり表現してくるが見習いたいものである。
2019.03.25
デジタルの面白いところはこんな画像が簡単につくれることだ。
白いコピー用紙に鉛筆で描いたものをスキャナで取り込みフォトショップエレメントで階調反転したものだ。
キイロカミキリモドキと言うみたいだがあてにはならない。体長0.8センチメートル、茶色がかった黄色の翅鞘をもつ黒い甲虫で大あごは鋭く尖っている。昆虫界では油断のならないムシだろう。
2019.03.20
家に籠もってばかりでは体に悪いからと始めた自転車だが単にペダルを漕いでるだけではない。当たり前なことだが景色も眺めるわけだ。時には漕ぐのを止めて休憩もする。
左の3枚の写真はそんな休憩場所でのものだ。米神と石橋の中間で下に真鶴道路を見下ろしている。反対側も急斜面で中程の平らなところを東海道線と地方道が並んで走っているわけだ。たまに電車と車が走るばかりで静かな場所である。
海の色は天気次第だ。晴天の碧い海も良いが、曇天のどす黒いようなのも味なものである。時には、川からの細かい砂が流れ込んでいるのかエメラルド色になることもある。
2019.03.15
川上尉平先生の絵が少しずつ集まってくる。これは三年ばかり前に手に入れたもの。「夕暮れ湯本(栃木県那須)」春陽会会員川上尉平画昭和28年8月昭和34年加筆の裏書きがある。
横33cm縦24cm厚5mmの桜材のような目の詰まった板に油絵の具をぐいぐい塗り込んである。場所によっては筆あとそのままこんもり盛り上がっている絵だ。
那須湯本を見下ろして、その先には田園が広がり八溝の山々が雲を頂いている図柄だろう。小さな絵で湯本は点々の集まりにしか過ぎない。初めて見たときには集落らしさを感じられなかったが、居間に飾って毎日のようになにげに見ていると赤や濃紺やグレーなどの点々がしっかりした屋根に見えてきていい絵だなぁという気分で見ている今日この頃である。
2019.03.10
テントウムシは黒丸の斑点がある赤い丸い虫といったものだろう。頭があって前胸があってなどとは普通は考えないと思う。それに複眼が付き触角があって口器の上唇とか大あごとかひげ類もある。そんなものに関心のある人は非常に少ないことだろう。前回の写真はそんな細部がよく分かるので図解してみたのだ。楽しんでもらいたいものである。
体の手入れをしているときは頭や胸、翅鞘は良く動いている。上の写真は頭を下げて前脚で口器の手入れをしているところで、いつもは胸の中にある後頭が出てきているところだ。
2019.03.05
今年初めて捕まえたナナホシテントウを線で描いたのが左上の白図だ。右上は少しポーズは違うが写真を撮ったものである。眼で見ると背中がこんもり盛り上がっていた。が写真だとそうでもない。それでいたずらしたのが真ん中の大きな画像だ。あっちこっち引っ張って線がきに近づけてみたのである。2月15日に出した三井先生の農夫は手が異常に大きいが先生の目にはそう映っていたに違いないと思うのである。
2019.03.01
今描いている絵の元になっている顕微鏡写真である。MWS珪藻プレパラートSTK-01(内湾)プレパラートのスケレトネマはこれで5枚目になる。
olympus_FHA_FL40での検鏡だが素直に撮影したうちの一枚ではない。素直なところでは撮影レンズがひどく汚れていて小生のクリーニング技術では取り切れないところが多多あって汚れているところがあるが消さないままになっている。見苦しいが絵を描く邪魔にはならないのでそのままだ。逆に一部の珪藻は向きをわずかに変えているし、ピント位置の違うものを合わせるなどの処理をしている。微妙なものだが絵になった時のことを考えて構図や鮮明さにこだわっているわけだ。
そうはいっても実際絵にするとき寸法をとったりプロジェクターを使うなどして正確に写すことはしないのでかなり変形してくる。機械の目はありのままを平坦に見るが人間の目は主観が介在して興味のあるところを集中して見るので、同じものを見ても異なっているはずだ。それが大事なことだとも思うのであるが。
2019.02.25
ヒメバチかコマユバチかもはっきりしないが11月に捕まえた狩り蜂の1種だ。1センチ弱位なのでそれほど目立たないが慣れた目でみると頼もしく思える大きさではある。
ABは同じハチのアングル違いだが腿節が橙色で、かつ太くて立派である。ハチの脚は@のように細くて華奢な感じのものが多いが、まれにこのようなものが現れる。なにか意味があるのだろうが捕まえて見ているだけでは糸口もつかめない。
2019.02.20
1月30日でキンベラ(クチビルケイソウ)の構造を想像したもののありえない姿になってがっくりきたが、電子顕微鏡の図像をしげしげと眺め模写をして考えてみた。 中央に4個の大きな穴があるので違う種なのだが、胞紋のありようは同じようなものではなかろうか。
殻面の厚みはかなりなものがあって、開口部は細いスリット状から斜めに内部に入っているようだ。中央の条線は表面は切れているが内部はつながっているのがその証であるし、胞紋も同様なのが見て取れる。
厚い殻に溝を掘って薄くしたところに胞紋は並んでいるのだが、この場合は薄くなってもかなり厚みを残しているものと思われる。そのため斜めに落ち込んでいけるし、そうする意味もあるのだろう。
表面のスリットは細すぎて光学顕微鏡では解像できない。ピント位置が高い場合に胞紋が線状になるのは溝の影を見ているので胞紋を見ているわけではない。ピントをさらに下げてスリットが広がったところで解像できれば点として見れるわけだ。だからはじめは真ん中に一つそれから両端の二つになって最後は大きく一つになる。ということがあっても良いのではないかと思うのである。
2019.02.15
三井壽(1921〜1988)作「食事する農夫」である。大きさは横60センチ縦54センチだから、かなり大きい木版画だ。三井先生が亡くなられた翌年、町田市国際版画美術館で遺作展がおこなわれた。その時に図録と展示作品も買えたので求めたものだ。会期末だったので大きいのしか残っていなかったが、今にして思うと幸いだった。この大きさならではの迫真力を感じる。
小生の30歳前後のころ所属していた美術サークルで三井先生が先輩方と話をされていたのを横から聞いていたと思うのだが、安保闘争で機動隊と渡り合った話をされていた。眼孔は鋭いものの物静かな方で、えっという感じだった。帰られれたあと先輩から「日本画のえらい先生になる道を捨てて版画を作られている人だよ。」と聞き強い印象を受けた。その後接点はなかったが、10年ほど経って遺作展があるのを知って見に行き作品群に打たれた。作品を買い求めることなどしたことはなかったがどうしても欲しくなり求めたものだ。
「じさまたち」シリーズは昭和30、40年代の町田の農民達を描いた版画だ。今となっては想像するのも難しいが零細な自作農か小作農のじさまたちのリアルな姿であろう。
2019.02.10
春になるとハバチがでてくる。1センチ弱ぐらいで腰のくびれていない奴だから太い体で結構目立つ。ハチにしては外骨格が柔らかそうでやさしい感じもある。ウィキによると、原始的なハチで植物に依存しているそうだ。狩り蜂のような獰猛さは持っていないわけだ。成虫は基本肉食だそうだが、水しか取らなくて子孫を残したら短い命を終わらせるのや、アブラムシのだす甘露をなめて命をややつないで子孫を残すのもいるそうだから、小昆虫を食べている肉食のものは少ないのだろう。
こいつを実体顕微鏡で覗いていたときにあれっと思ったのが赤丸をつけたところだ。附足の下側の接地するところが透明のクッション付きだった。こんなものをつけているのは見たことがない。
2019.02.05
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造はともかくとして大きさと10マイクロメートルあたりの条線数を測定した。19個体を長さ順に並べた画像とデータである。
中央の丸いところに穴の3個あるやつで条線数も広い方が9〜11個、狭い方が20〜22個で同じ種だろう。
縦横比をグラフ化したが、少し外れたものもあるが良くそろっていて、長さ方向で7割小さくなっている。
昔のデータもあるが似たような結果だった。ここ。
2019.01.30
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流のキンベラ(クチビルケイソウ)の構造を想像した。
殻面が片方だけで水平の取れているものを探して撮影したものだ。@は表面の様子が良くでていると思う。Aはピント位置が内部で表面からわずかに内部に入っているところを現しているに違いない。Bは顕微鏡の不思議なところであるが下から見るとこんなように見えるのではないだろうか。
赤枠を拡大したのが下の二枚だが、@の胞紋があると思われるところに赤印を付けてAにも重ねたものだ。Aの二個並びの胞紋の間に表面の胞紋がある結果になってしまった。
それで想像したのが右下の図で、表面の穴から両脇に伸びて二ヶ所に開口すると言うものだが、あり得ない構造だ。
ネットの電子顕微鏡写真を探すといくつか見つけたが表面は円ではなく筋状になっていて開口面積は小さくしている。内部は楕円状に開口していて表面は狭く内部は広くしている構造がほとんどだった。場所は厚い被殻に彫り込まれた溝のところだ。
流れの強い渓流で生きるには、頑丈な被殻に微細なものだけを取り込める胞紋が適しているのだろう。電子顕微鏡写真の表面のスリットには納得させられたが小生の見つけた不可思議な奴はどういう形なのか実にもどかしい。
2019.01.25
MWS珪藻プレパラートSBG_01渓流はゴンフォネマ(クサビケイソウ)をメインにした散らしのプレパラートだがキンベラ(クチビルケイソウ)もそこそこ入っている。大きさは80マイクロメートルぐらいの中型のものが多くて、極小さいのはわずかしかない。また、上下の被殻がそろっているものも多い。難しいことをしていると思うが、意図的に素材を調整して封入してあるのだろう。ゴンフォネマの構造を想像するのに熱心に検鏡したものだが今度はナビクラに挑戦した。ホーザンのローコストのUSBカメラをつないでモニターに出力させるのでわずかなピント操作でも大きな画面で確認できる。今回の画像の赤丸内はそれで見つけたところだ。ピント位置の違いで一列の胞紋が二列に変化する不思議なところだ。たまたまそんな個体に当たったのだが目視では気付かなかっただろう。モニター画面は目視の美しさはないが新しい発見ができるようである。
2019.01.20
喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」模写の第四弾だ。
蝶 夢の間は蝶とも化して吸てみむ 悲しき人の花のくちびる 稀 年成 (まれな としなり)
蜻蛉 人ごころあきつむしともならばなれ はなちはやらじとりもちの竿 一富士二鷹 (いちふじにたか)
名画の模写は見栄えが良いと思う。模写をする人間の腕が悪くて、形が狂ったり色が違ったり筆の動きがだるくても、である。原画の素晴らしさはたとえ汚されても輝き続けるのだろう。
2019.01.15
トホシオサゾウムシの彩色をパステルの色鉛筆でしたものだ。標本画名人の書かれた文章を読むと絵を描く力以前に、対象の昆虫をいかに理解しているかが大事なのかが良く理解できる。体の動きや生態まで知ることで形態を正しく掴み適切な表現ができるというわけだ。科学としての正確さが実物そのものがなくても確認できる域にあると言うことだろう。
小生には無理な世界なのだが、その心構えだけは忘れないようにして描いているのだ。
2019.01.10
甲虫目(鞘翅類)多食亜目(カブトムシ類)ゾウムシ上科オサゾウムシ科トホシオサゾウムシ。体長0.7センチメートル。十星長象鼻蟲と書くそうである。大きく見れば象虫の仲間だがゾウムシとは違うらしい。ツユクサの茎に卵を産み付けるのでツユクサ類の害虫になり7,8月が活動期だそうだが庭石の上にいたのを捕まえたのは一昨年の11月だった。
老人性無気力症とでも言おうか、気力のいる仕事は手が着かない。なので、ここのところ昆虫をキチンと描いていない。これではいかんと「あれこれ」に載せるノルマを掛けて二日頑張ってみたのだが鉛筆の下書きに墨入れしたところで時間切れになってしまった。たかが虫一匹であるが手強い対象なのだ。
2019.01.05
ここのところ年賀状は水墨画だ。はじめは芥子園画伝の樹木や岩などを組合せていたものの下手な者でも名画の部分模写はよく見えるので著名画家の部分模写に変わった。無論、模写は良い勉強法で名手の筆の動きを知りたいこともあるのだ。
今回は燕文貴の「江山楼観図」の二回目のものだ。本物は高さ31.3センチ長さ160.5センチの巻物で右に江水、左に深山を配し、地勢風物の変化を味わう長大な物だから部分模写もいろいろできるわけだ。
模写は人跡途絶えた深山を流れ落ちる滝と川面の場面で人の気配は微塵もない。遠くの山は霧に隠れ岩肌を流れ落ちる滝が二筋、渓流となって走り来り両崖には蟹の爪のような枯れ木が高く聳えている。
模写していて考え抜かれた構図に唸らされる。燕文貴は北宋前期の宮廷画家。日本で言えば藤原氏全盛の平安時代で模写もとの画像は古色がついて微妙な濃淡は失われているのだろうがそれでも細やかな配慮があるのを感じながら写す幸せな時間を過ごしたのだ。