MWS珪藻プレパラートBKK_02沼でプラノチディウム(フトスジツメワレケイソウ)は一個しか見つけられ無かったが池ではどうかとASK_01を調べたら結構あったので寸法を計測して比較した。 グラフは昔調べたフルツスリアも比較のために載せた。プラノチディウムの倍ぐらい大きい珪藻だ。サンプル数は少ないが似たようなまとまり方なので傾向は見て取れると言って良いだろう。 この珪藻は裏表で形が違うが、Fで縦条線のある面を載せた。@Aは大きさや形、胞紋の10マイクロメートル当りの条線数の違いから別種は明らかなので平均値や線形は除外した。 珪藻は細胞分裂して増えていくので形は似ていても大きさは3割前後は違うようだが、5個しか比較していないもののそんな数字になった。長さ方向に比べて幅方向はそれほど小さくなっていかないのもわかる。そこもフルツスリアと違いがあところだ。漠然と見ているだけではなにもわからないが、計測して表にしたりグラフ化すると色々分かる。散らしプレパラートならではの楽しみなのである。
F25に描いた二枚の油絵だ。上が「顔(エントツドロバチ)」下が「顔(オオハキリバチ)」と題した。 写真とスケッチを元に、しっかりした手順で描いているので破綻無くスッキリ纏まっている。と思う。 しかし、何となく物足りなかった。淡々と描いているだけで、なにかを強烈に表したい気持ちがないのがそのままでたようだ。それはそれでよいとして、というか無いものは仕方がないではないかと言うところであるが、そのかわり、見ていて「綺麗だな−。」となれば良いような気がこの頃はしている。 そうはならなかったのが残念ではあるが。
ネットで電子顕微鏡写真を見ていたら内部に小部屋のある奴がいた。20マイクロメートルぐらいの小さな奴だが、生物顕微鏡で観察していたときにそれらしい変わった奴がいたのを思い出した。極小さくて撮影したのはないのでMWS珪藻プレパラートBKK_02沼を引っ張り出して検鏡したらすぐに見つかった。簡単だったので拍子抜けしたが、その後は探せども探せども全く見つからなくて往生した。どうも希少種のようだ。すぐに見つけられたのは実に運が良かったわけだ。 プラノチディウム(フトスジツメワレケイソウ)と言うらしいが和名は上手く付けたものと感心する。 胞紋の付き方はピンヌラリアと同様みたいだ。なので小生は穴ではなく太い線でしか見れないがMWSさんは@のような画像を機材の選択や照明法のテクニックを駆使して撮っているような気がするのだが、どうであろうか。
50マイクロメートルぐらいのピンヌラリア(ハネケイソウ)をネットカメラの撮像素子で記録したものだ。@は上から見た感じに近いと思う。Bは殻のところで輪切りにした感じだろうか。 Aは似たようなピンヌラリアの電子顕微鏡写真を模写した。表面に胞紋が全く映っていないのは信じがたいのだが、電子顕微鏡で解像できないような細かさなのだろうか。 ピンヌラニアを生物顕微鏡で観察すると、胞紋は見えないものの窪んだ太い条線が連なりピント位置を変えると大きく変化するので、なかなか楽しい奴だと思っている珪藻だ。 窪んだ条線は薄い殻で他の所は同じ厚さで二重になっていると思う。脊椎と肋骨が中空になって軽くて強いと言うわけだ。 Aの「内部から」では黒丸があるので一皮の条線をさらに薄くして丸を連ねているのが分かる。胞紋はこの丸の中にさらに小さい穴をいくつか開けているのがピンヌラリアの特徴だが、Aの「表面」に点々がないので、もしかしたら三重構造になっているのかもと想像をするのだが、いくらなんでもありえないよねー。とも思うのである。
マルガタゴミムシの1種ではないかと思うが、体長0.8センチメートル。 庭の草取りをしてたらでてきたのを摘み取った奴だ。これと同種とは限らないのだろうが、今の時期はチョロチョロと良く出てくる。 元気そのものだが、よく見ると脚の欠けている奴だった。何故無いのか興味をそそられるところだが、一本だけならまだしも二本だし、体は綺麗だしで、何かに襲われたようにも見えないので不思議である。
イエバエの1種ではないかと思うがはっきりしない。体長0.6センチメートル。 我が家に迷い込んできたハエだ。殺虫剤をかけないでプラケースで捕獲、しばらく様子を見ていたが激しく動き回るので撮影は諦めて放置。翌日見たらひっくり返っていた。 それを脚の形を整えて撮影し深度合成したのが今日の画像だ。多少なりとも動ける奴だと脚がぶれて映るのだがそれがないので動くことは出来ない。筋肉の収縮はまだ強くないので比較的楽に整形できた。体液は残っているので収縮変形はこれからなので体型、体色共まだまだ残っている状態だ。棘毛も抜けなかったので生きている状態をかなり残して撮影できたわけだ。
前回に続いてMWS珪藻プレパラートASK_01池からのものだ。散らしのものの封入剤の厚さは顕微鏡的にはかなりなものである。この画像の右側は底に沈んでいて左のものにピントを合わせた状態では単なる影なのだがデジタルの手軽さで二枚を合成したので形が分かるわけだ。さらに、よく見ると6個の珪藻が重なっているのが見て取れる。 一番綺麗なのはカバーグラスに張り付いたようになっているもので、ここでは2個ある。そのようなものを素直に探して観察するわけだが、へそ曲がりとしては、斜めに沈みこんだ奴からなにか情報が引き出せないかとか、絵にならないだろうとか欲張りな心がむくむくと湧きだすのである。
MWS珪藻プレパラートASK_01池からのものだ。リサーチグレードの散らしスライドである。Jシリーズと違って多種類で大量の珪藻がランダムに封入されている。これは池のものだから静かな淡水に棲息しているものたちを見ているわけだ。といっても、人間で言えば骨が散らばっているのを見ているようなものだが。 対物レンズ40X、NA=0.95、自作の輪帯照明もどきの撮影でかなりトリミングしている。下の円心目が斜め左上からのような影になっているところが輪帯照明もどきの所以である。通常の明視野照明では立体感は出てこないが偏斜とか輪帯照明は結構立体感を表現できる。この画像は、ピンヌラリア(ハネケイソウ)の盛り上がった感じや円心目の細かい凹凸が上手く撮れたとお気に入りの奴だ。
「沖縄の旧石器時代が熱い!」は頭部だけでなく2万年前の港川1号人骨の全身復元像も展示してあった。鏡で後ろ姿も分かる。パネルでは骨の状態と沖縄にある初期の復元像と最新のものとを並べていた。あまり変わっているようにも見えないが、顔の細部がより鮮明になり、毛深かさが少なくなっているようだ。アクセサリーを付けているとか、獲物が鳥から魚に変わっているとかも重要なのだろうか。縄文人との関係は分かっていないようだが、新しい復元の方がより今の日本人に近いような気もする。 若い頃、民族学の本を読んだとき、どんな未開の人達でも性器は隠している。男性は棹だけ筒で覆っているのもある。などと読んだのが妙に記憶に残っているが、はたしてすっぽんぽんの復元は正しいのか、首を捻りながら見たのだ。
国立科学博物館で特別展「人体ー神秘への挑戦ー」が開催中だが、本館日本館では「沖縄の旧石器時代が熱い!」をしている。沖縄は珊瑚礁の島でもあるから骨が残りやすい。初めて日本列島に移住してきた人類の骨が残っている可能性まではないかもしれないが初期の人達のは見つかっているようだ。日本最古の人骨は3万6500万年前の幼児の脚の骨だそうだ。那覇市の市街地に残された石灰岩の丘にある小さな洞穴で1968年に発掘されている。 画像は博物館で撮影してきたものだが、2万7千年前の白保4号の復元頭部だ。骨の方は3号でそのものずばりのものではないが、頭部は同じような感じで全身の骨も合わせて寝かして展示してあった。頭蓋骨が完全な形で残っているわけはないので、破片をつなぎ合わせなくてはならないが、最近はデジタルで計測して、不足部分も対称のものから補ったりして3次元出力を繰り返してより正確な復元が可能になったようである。費用を抑えるため半分のサイズにした途中のものも沢山展示してあった。 人の顔は人生経験と加齢で魅力的にもなり無様にもなるものであるが、この復元は壮年の穏やかな顔つきで、背広にネクタイをさせると垢抜けた人ではないが、ごく普通の人で通りそうだ。それでも旧石器時代に沖縄で暮らしていた人なのだ。
1970年のコロンビア映画「ワーテルロー」の戦いを待つナポレオンだ。ナポレオンはロッド・スタイガ゙−、ウェリントンはクリストファー・プラマー、ルイ18世に巨体のオーソン・ウェルスがでていた。監督は「戦争と平和」を撮ったセルゲイ・ボンダルチェクである。映画はエルバ島を脱出したナポレオンがワーテルローで敗れるまでを描いているが、ワーテルローの戦いを再現したような戦闘場面ばかりのものだ。巨費をつぎ込んだ大作で小生は興味深く見たが世の中には受け入れられなくて大コケして、スタンリー・キューブリックが準備していた「ナポレオン」が中止になるオマケまでついている。 1819世紀初頭の歩・砲兵と騎兵が入り乱れるヨーロッパの戦いが忠実に再現されているのだろうが、これでもかと言うぐらいな激突で死傷者がおびただしくでるも互いに引かないで戦い続けるが、遅れてきたプロシャ軍の到着でフランス軍は追い詰められていく。最後まで戦い続けた部隊は降伏勧告を受けず全滅するところが出てくるが、この場面を見てフランス革命のエネルギーはここまで戦わないと納まらなかったんだろうなぁという気になったものだ。 それにしてもヨーロッパ人は争いが好きで、工夫をこらして勝利を収めようとする人種だと思う。この時代はまだ戦場での軍隊だけの争いだが、第一次大戦以降は総力戦になって前線の後ろも戦場になってしまったし、ろくでもない奴らだとも思うが、日本人も太平洋戦争を引き起こして同じようになってしまったのは残念ではあるが。
今描いているエントツドロバチの絵だ。ライトレッドで形を取り色づけを始めたところだ。 F25は横80.5センチ縦65.2センチで手頃な大きさだが、昆虫の頭を画面一杯に入れてあるのを初めて見た人はギョッとするかもしれない。 描いてる本人は実体顕微鏡で馴染んでいるから愛着もあるしかわいらしく感じるのであるが、世の中一般はそうでないだろうなとは想像できる。 歌麿の画本虫撰のように植物にまとわりつく昆虫の絵は日常の体験通りで親しみやすい。小生もそのように描けば人様には受け入れてもらいやすい。とも思うのであるが、どうしても昆虫主体の、しかもなにか奇をてらったようなものになってしまう。困ったものである。
キノコバエと言うらしいが肉眼でちょっと見たところでは小さい蚊だ。しかし、蚊のように人の肌に刺して血を吸う針はないし、触角も違うし鱗粉もない。似ているのは、頭が小さいし、胸に比べて腹がかなり長い細長い体つきと6本足の根元が寄り集まっているので脚が一か所から出ているように見えるせいだと思う。 昆虫の腹は消化と生殖の場所だから、餌をたっぷり食べたときと卵をたくさん抱えた時はパンパンに膨れる。こいつは雌で卵タッブリの状態だろう。そんなことに気付くようになって後ろめたい気持ちにもなるのであるが、と言って逃がそうという気にはならないのだ。
ヒメバチかコマユバチかも見分けられないが1センチ未満の小型の狩り蜂だ。小型の狩り蜂は黒々としたものが多くて目だたないものだが、こいつはオレンジとか黄色とかの部分が多くて居るのがすぐ分かる。 下からの画像は珍しいと思うので紹介しよう。この画像を見ると昆虫の6本脚はどう体についているかがよく分かると思うのだ。
MWSのJシリーズの続きだが小型の円心目でいままでどうやっても見れなかった胞紋が見れるようになった。赤の矢印で引っ張ったものがそうだが、左が対物レンズ10X,Na=0.25暗視野照明、右が40X,Na=0.95輪帯照明で撮影したものだ。暗視野だと胞紋が小さく密集していると青く発色して、見分けるのは難しくない。しかし、ここに並べられている円心目は円の中は真っ黒で穴があるようには思えないが、絶対にあるのが珪藻だ。見えていないのは被殻が薄くてコントラストがついていないせいだろうと見当を付けていたので何とかして見たいわけである。 大きいのはかすかに見えていたので中心が小さい胞紋が密集し縁に向かって大きくなっていくのが分かっていたが、小さいのも中央部の解像が出来てないので確かではないものの似たようなものと思える。安物のウェッブカメラだが肉眼だとよく分からなくともモニターを見ながらごちゃごちゃやっていたらうっすらと現れてきて人様から見ると他愛のないことだろうが「おお!見えた!!」と大感激なのだ。
MWSのJシリーズでは珪藻がこのように並べられている。小生の持っているものはこんな調子で73点が整然とあるわけだ。 少し前のNHKで制作されているところが放送されたが、実体顕微鏡下でシャープペンシルの先端に眉毛睫毛をつけたもので珪藻をハンドリングされている様子が拝見できた。眉毛睫毛の先で楽々と動かしているのだが、実体顕微鏡を使い慣れている小生でも、高倍率の視野に毛先を持ってくるだけでも簡単でないし、やっと持ってきて毛先をほんの少し動かしたつもりでも大きく動いて肝心の珪藻を視野の外に撥ね飛ばしてしまうことは確実だ。修練を積んで初めて出来ることだと思う。しかし。世の中には修練を積んだ人もいて、「本日の画像」にすべて自作の放散虫の見応えのある投稿画像が紹介されていた。それを見てるとため息をつくばかりなのだが出来る人は出来ると言うことだ。 下の画像はピクセル等倍で切り出したものを載せました。右側の胞紋はなんとか解像しているし、これで左も解像できていれば威張れるのですがね。
MWSのJシリーズからディディモだ。 ここのところの「あれこれ」で小生の関心はキチンとしたものよりはフリークなものに向いているように思われるだろうが、Jシリーズを覗いているとそんなことはどこかに飛んで行ってしまう。と言うわけで大型の見栄えの良いものを紹介するわけだ。 Jシリーズは夾雑物のないピュァーな空間に整然と珪藻が鎮座しているので、これぐらいの画像は難なく撮れて腕があがったような気分になる。実は錯覚なのですね。本家の画像を見ると一目瞭然なのだが、光り輝いております。ホントにどうしたらあのように撮れるのでしょうか。悩ましいことです。
喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」模写の第三弾だ。 けら あだしみはけらてふ虫やいもとせの ゑんのしたやにふかいりをして
はさみむし みし人を思ひきるにもきれかぬる はさみむしてふ名こそ鈍けれ 桂 眉住(かつらまゆずみ) はさみむしは今でもよく見るが、けらはついぞ見かけなくなった。子供の頃は前脚を挟み込むと強い力で跳ね返してくるので、おまえのちんぽはこれくらいなどとはやしては楽しんだ記憶がある。 この絵をじっと見ていたらタケノコは女体の下半身に見えてきたし大事なものもあるようだ。江戸時代もけらを同じようにして遊んでいたとも思えないが浮世絵の歌麿だけのことはあるなどと妙な感心をしてしまった。
ツマグロハナカミキリと言うみたいだが例によって怪しいものである。ハナカミキリの1種は間違いないようではあるが。体長1.5センチメートル。枯れ木に産卵するらしいから自然の掃除屋さんだ。 カミキリムシはオオアゴを真下に向けた種類と斜め前に向けたのとがあるが、こいつは斜め前に向けた奴だ。なので、この絵の下側は手前につきだしているように描けないといけないのであるが、まあ無理ですね。
まだ先のことだが秋の新作家展の下図だ。 MWS珪藻プレパラートMZK_01(池 )からのものだが珪藻はない。鉱物のカケラだけの場面だ。 Aは上面のカケラにピントが合っているが、その下のは大きくぼけている。 BはAよりわずか下のところがピント位置だ。 @はAとBを適宜に重ねたものである。@はAよりも空間の厚みが増すような気がする。そのための合成だが、これが下絵になるわけだ。後は120号のキャンバスにひたすら写すだけである。 珪藻も入っている場面もいくつか試したがいつの間にかカケラだけのものになってしまった。MWSさんには「けしからん選択だ。!」と怒られそうだが、小生の今の気分はこんなふうなもやもやしたものなのだ。
最近描いている絵の元はこの状態のところを撮影したものだ。右の立体的に見えるところは封入剤が回らなかったところか、あるいは管理が悪くて剥離したところではないかと思う。その部分は例えて言えば野球場が検体の部分だとするとベンチ部分程度のものではあるのだが。 これをじっと見ていると生物顕微鏡で見る封入された検体の正しい姿は頭の中にしか存在しないとつくづく思う。まあ、それだからあの手この手と工夫を凝らして想像をたくましくする楽しみもあるとは言えるのであるが。
クロマルエンマコガネと言うみたいだが体長0.8センチメートルの真っ黒で半艶のかわいらしいもの。とは言え、獣糞を好むそうだ。採集したのは我が家の車置き場だが、影になったところで犬のうんちをさせたのがいたようで固くなった奴を始末しようとしたら五匹ほど飛び出してきたのを捕まえたわけだ。嬉しいような腹立たしいような妙な気分だったのを思い出す。
春季新作家展は12日飾り付けで13日から始まる。この絵の状態で出品となる。 馬齢は重ねたが描いた量はたいしたことがない。この頃は有名な画家の名前も出てこなくなって画集を引っ張り出す始末だ。水墨の世界に惹かれて中国の画家の作品を見ても名前はすぐ忘れて覚えられない。心身共に危うくなってきたなと感ずる日々が増えてきた。絵を描くのもめんどくさい限りだが展覧会に間に合うように描けているのは感心と言えば感心だ。
オオハキリバチの姿はこのようなものだ。この画像を見ると、全体が円筒状で触覚も短いし竹筒などの穴に潜り込んでゆくのにふさわしい体つきと思える。ウィキペデアでは雄の体長20から25ミリメートル、雌は13〜20ミリメートルとなっていて雌雄で随分違うが、生き残るには大きな体が良いが穴に潜り込むのには小さい体がふさわしいなどと頭をめぐらしたみたものの意味不明である。気になるところだ。
オオハキリバチというらしいが、体長2.6センチメートルもあるので自分としては超大物だ。秋が始まる頃我が家の二階流しの前で転がっていたものだ。迷い込んで脱出できずに水のあるところにたどり着いて力尽きたというところだろうか。体長から言えば雄だし夏が交尾の時期らしいので役目を果たした奴だろう。 竹筒などに花粉団子を詰めて卵を産み、松ヤニで仕切りをするのを繰り返して最後は土で蓋をするそうだ。ドロバチと巣の作り方は似ているが餌が動物と植物で大違いの奴だった。 生態の違いはオオアゴに顕著にでていると思うので頭部をスケッチした。前回のエントツドロバチと大違いなのがご覧いただけるのだ。 しかしこのハチの彫刻は複雑怪奇だった。その違いがはっきり分かるように描ければ威張れるのだがなどと思いながら描いていたのだが。
エントツドロバチはネットに沢山記事が出ている。巣の入り口に泥筒を煙突みたいに立ち上げるそうだ。条件が良いと一匹だけでなく数匹が集まって巣を固めて作るらしい。しかも、孵化した後も餌を与えているので長い間出入りに便利なように煙突を作っているらしい。スズメバチみたいに集団で子育てをする真社会性ではないものの、その一歩手前まで来ているハチだそうだ。 ところで、前回のハチはお湯で柔らかくして丸まった体を戻したが大あごは交差したままだったのでもう一度お湯につけて柔らかくしたところ広げるのに成功した。今回の画像がそれである。あたかも臼歯が付いているような変わったオオアゴだ。巣作りの泥を捏ねて運ぶことや、獲物のイモムシを無傷で捕まえて運ぶのに適した形だよねと感心してしまったのだ。 (注)触覚の先端は丸まっているのが本当でこの画像はもげているので平になっている。残念だ。
最近物陰に転がっていたのを見つけた。去年の夏に家の中に迷い込んだエントツドロバチのようだ。上段は見つけたときのもので埃まみれで丸まっていた。干涸らびてこちこちになっているのだがお湯につけて柔らかくして、なんとか形らしくした。駄目かと思いながら試したのだが意外に上手くいった。もっとも翅が取れたり脚がもげたりしてしまったが。 広げてみると案外に大きくて体長2センチメートルもあった。
昆虫の顔を正面から見る機会はあまりないと思うが興味深いものがある。かわいらしいのもあるが、おどろおどろしいものもある。 左は体長0.5センチメートルのオトシブミ、右は1.6センチメートルのキマワリだ。オトシブミは極小さいコロコロッとしたかわいらしいムシで顔がどうなっているか肉眼では分かりづらいがエイリアンみたいな恐ろしい顔をしている。 キマワリは道ばたをせわしく顔を下に背中を丸めながら横切っているのを見かけるとかわいらしいムシだなどと思ってしまうのだが、これも骸骨みたいな面妖な顔だ。
MWS放散虫プレパラートJ482から小さめの三種類だ。 CombineZPで素直に深度合成したもの。下側の三分の一以上は壊れて無くなっている個体だと思う。 上下の球状のものは中に薄いが黒い固まりや輪がみえるので、もう一つ球状のものが残っているのと思われる。 ラッパ型は中はなしの四角錐なのだろう表面が綺麗な円の並びになった。 無造作に並べるとこのような整然とした感じにはならないと思う。中段の面は斜めになって印象がまるで変わると思うし、下段の角のつき方はこれ以上ない平面性がある。 珪藻に較べると大きいので取り扱いは楽になるのだろうが、厚みのある形で破損しているのだからどの面を上にするか頭を捻るに違いない。そして、ぴたりと狙った位置で止めなければならない。想像していると頭がおかしくなりそうだ。
今年初めてのMWS放散虫プレパラートJ482だ。 主要部の半面が残った個体だと思う。これと同じようなのが反対側にあって、上には角上のものがついているような気がする。 形を想像すると、下のスカートは稜線の丸まった6角錐で、それにつのを持った球状のものがついていると思えるが、はたしてどうだろうか。 CombineZPで深度合成したが表面の荒れた感じがでなかったので手作業で修正したのが左の写真だ。
春の新作家展が3月にあるので作品を描き始めている。まだ始めたばかりなのでライトレッドで描いた下書きの色が大分残っている。 仕上がるとグレーになって別物になってしまうのだが、この状態で色味のあるのも良いものだなどと思いながら、この上にグレーを重ねていくわけだ。 スケレトネマも4枚目になる。円筒型で細かい胞紋がなく荒いタッチが似合っている気がする。細密描写に疲れたというか、荒々しいタッチに惹かれるという気分なのもかもしれない。 「セザンヌの構図」という本があるが、その中でセザンヌとピサロが同じ場所で描いた作品の比較をしてある。ピサロの絵はあたかも写真のような正確な形で描かれている。セザンヌのと2つ並べてみるとピサロの描いたものの一つ一つがセザンヌの絵に確認できるので同じ場所だというのは納得できるが、セザンヌの絵はディフォルメされた形と荒いタッチの絵だ。しかし、実際その場所に立ったとき、セザンヌの絵はその場所そのものだなと感じられるのではないかと思う。 小川国夫の紀行文でプロバンスを旅したときにセザンヌの絵のままの景色だった。というのがあったが実物から受ける感じをしっかり表現し、かつ、セザンヌとすぐ分かる個性をも表現している。そんな絵なのだろう。だからこそ名画として今の世に伝わっているわけだ。
ハチ(膜翅)目細腰亜目セイボウ上科アリガタバチ科ムカシアリガタバチの1種のようだ。体長0.9センチメートル。 上段は標本化したものを鉛筆スケッチしたもの、下段は小型箱に閉じ込めて撮影したものだ。これは雄で、雌は翅がないそうだ。コメツキの幼虫に卵を産み付けるらしい。 雄は何を食べているか分からなかったので想像してみた。触角が長い、大アゴが鋭い、がっちりした体をしていて写真では何かを狙っているようにも見える。葉上のハムシとかの小昆虫を触覚で探りながら食らいついているのがお似合いだ。
ハエ(双翅)目短角亜目クロバエ科クロバエ亜科ケブカクロバエというらしい。体長0.9センチメートル。 黒い胸部に藍色の金属光沢で嫌われ者のハエらしいハエである。 クロバエに違いないが、ケブカは怪しいのだが、1センチ未満で小さいのでオオクロバエでなくてケブカではないのかと思うのだ。 この写真は捕まえた翌日に脚を縮こませてひっくり返っていたので、脚を伸ばして深度合成したものだ。動けないが死んではいない。翅は跳ね上がっていないし体の収縮も触覚が始まっているくらいで原型をほぼ保っている。 水を与えていればしばらくは生きているのだが、あっさり動かなくなった。捕まえるときも簡単だったから弱っていたに違いない。 以前にも同様のことがあって、その時は解剖したが線虫に寄生されていて驚かされた。今回もそれでないかと思うのだが綺麗な標本になりそうなので解剖までして確かめてはいない。 それにしても自然界で生き抜くのは大変だ。あらゆるとこに敵はいると覚悟しなくてはならないのだろう。
前回のハエをスケッチしたものだ。死んだあとなので動かないのをじっくり描けるのは良いのだが、外骨格が薄くて弱いので縮こまってしまうなど生きているときとは大違いになっているところは閉口させられる。 0.3センチ程度のコバエで金属顕微鏡で実体顕微鏡で確認できない細部を見ることができるのも動かないからこそだ。実体で見ていた限りでは描いてある棘毛だけだが実際は背中以外の胸部は微少の棘毛で覆われている。些細なことで何と言うこともないがこんなところが顕微鏡覗きの喜びの時だ。
久しぶりの昆虫画だ。絵はなかなかしんどい。サボっていると楽なのでいつまでも描かないことになってしまう。年始めでもあるし心を入れ替えて絵筆を取ったわけだ。 このハエは極小さいし、棘毛も少ないし、金属光沢の頭だしでかわいい感じがする。ハモグリバエの仲間ではないかと思うが、そうだとすれば植物に寄生するので死体や糞に産卵するイエバエのようなババッチィものではない。
今年の年賀状に使ったもの。呉歴の「岑蔚居産芝図」の部分模写をした。 呉歴は清朝初期の画家。伝統的画法を創作の規範としたが時代の寵児として持て囃されたそうである。王時敏(おうじびん)、王鑑(おうかん)、王き(窒フしたに軍)、王原祁(おうげんき)、呉歴(ごれき)、ツ寿平(うんじゅへい)の六人を清朝初期の六大画家、四王呉ツというそうだ。 一方で対照的な画風の人達もいる。石谿(せっけい)、弘仁(こうにん)、八大山人(はちだいさんにん)、石涛(せきとう)、梅清(ばいせい)、きょう(龍のしたに共)賢(きょうけん)などの画家で、自己の意志や感情を表現することを重視したそうだ。 いつの世も保守と革新のせめぎ合いはあるわけだ。そして、今の人達の評価は時代の寵児であった四王呉ツより石谿らが高いのであろう。 模写したのは保守の人なので穏やかなものである。彩色もされ晴れ晴れとした気持ちになればと思い筆を執ったが、集中できなかったか生ぬるい絵になってしまった。
2018.06.30
MWS珪藻プレパラートBKK_02沼でプラノチディウム(フトスジツメワレケイソウ)は一個しか見つけられ無かったが池ではどうかとASK_01を調べたら結構あったので寸法を計測して比較した。
グラフは昔調べたフルツスリアも比較のために載せた。プラノチディウムの倍ぐらい大きい珪藻だ。サンプル数は少ないが似たようなまとまり方なので傾向は見て取れると言って良いだろう。
この珪藻は裏表で形が違うが、Fで縦条線のある面を載せた。@Aは大きさや形、胞紋の10マイクロメートル当りの条線数の違いから別種は明らかなので平均値や線形は除外した。
珪藻は細胞分裂して増えていくので形は似ていても大きさは3割前後は違うようだが、5個しか比較していないもののそんな数字になった。長さ方向に比べて幅方向はそれほど小さくなっていかないのもわかる。そこもフルツスリアと違いがあところだ。漠然と見ているだけではなにもわからないが、計測して表にしたりグラフ化すると色々分かる。散らしプレパラートならではの楽しみなのである。
2018.06.25
F25に描いた二枚の油絵だ。上が「顔(エントツドロバチ)」下が「顔(オオハキリバチ)」と題した。
写真とスケッチを元に、しっかりした手順で描いているので破綻無くスッキリ纏まっている。と思う。
しかし、何となく物足りなかった。淡々と描いているだけで、なにかを強烈に表したい気持ちがないのがそのままでたようだ。それはそれでよいとして、というか無いものは仕方がないではないかと言うところであるが、そのかわり、見ていて「綺麗だな−。」となれば良いような気がこの頃はしている。
そうはならなかったのが残念ではあるが。
2018.06.20
ネットで電子顕微鏡写真を見ていたら内部に小部屋のある奴がいた。20マイクロメートルぐらいの小さな奴だが、生物顕微鏡で観察していたときにそれらしい変わった奴がいたのを思い出した。極小さくて撮影したのはないのでMWS珪藻プレパラートBKK_02沼を引っ張り出して検鏡したらすぐに見つかった。簡単だったので拍子抜けしたが、その後は探せども探せども全く見つからなくて往生した。どうも希少種のようだ。すぐに見つけられたのは実に運が良かったわけだ。
プラノチディウム(フトスジツメワレケイソウ)と言うらしいが和名は上手く付けたものと感心する。
胞紋の付き方はピンヌラリアと同様みたいだ。なので小生は穴ではなく太い線でしか見れないがMWSさんは@のような画像を機材の選択や照明法のテクニックを駆使して撮っているような気がするのだが、どうであろうか。
2018.06.15
50マイクロメートルぐらいのピンヌラリア(ハネケイソウ)をネットカメラの撮像素子で記録したものだ。@は上から見た感じに近いと思う。Bは殻のところで輪切りにした感じだろうか。
Aは似たようなピンヌラリアの電子顕微鏡写真を模写した。表面に胞紋が全く映っていないのは信じがたいのだが、電子顕微鏡で解像できないような細かさなのだろうか。
ピンヌラニアを生物顕微鏡で観察すると、胞紋は見えないものの窪んだ太い条線が連なりピント位置を変えると大きく変化するので、なかなか楽しい奴だと思っている珪藻だ。
窪んだ条線は薄い殻で他の所は同じ厚さで二重になっていると思う。脊椎と肋骨が中空になって軽くて強いと言うわけだ。
Aの「内部から」では黒丸があるので一皮の条線をさらに薄くして丸を連ねているのが分かる。胞紋はこの丸の中にさらに小さい穴をいくつか開けているのがピンヌラリアの特徴だが、Aの「表面」に点々がないので、もしかしたら三重構造になっているのかもと想像をするのだが、いくらなんでもありえないよねー。とも思うのである。
2018.06.10
マルガタゴミムシの1種ではないかと思うが、体長0.8センチメートル。
庭の草取りをしてたらでてきたのを摘み取った奴だ。これと同種とは限らないのだろうが、今の時期はチョロチョロと良く出てくる。
元気そのものだが、よく見ると脚の欠けている奴だった。何故無いのか興味をそそられるところだが、一本だけならまだしも二本だし、体は綺麗だしで、何かに襲われたようにも見えないので不思議である。
2018.06.05
イエバエの1種ではないかと思うがはっきりしない。体長0.6センチメートル。
我が家に迷い込んできたハエだ。殺虫剤をかけないでプラケースで捕獲、しばらく様子を見ていたが激しく動き回るので撮影は諦めて放置。翌日見たらひっくり返っていた。
それを脚の形を整えて撮影し深度合成したのが今日の画像だ。多少なりとも動ける奴だと脚がぶれて映るのだがそれがないので動くことは出来ない。筋肉の収縮はまだ強くないので比較的楽に整形できた。体液は残っているので収縮変形はこれからなので体型、体色共まだまだ残っている状態だ。棘毛も抜けなかったので生きている状態をかなり残して撮影できたわけだ。
2018.05.30
前回に続いてMWS珪藻プレパラートASK_01池からのものだ。散らしのものの封入剤の厚さは顕微鏡的にはかなりなものである。この画像の右側は底に沈んでいて左のものにピントを合わせた状態では単なる影なのだがデジタルの手軽さで二枚を合成したので形が分かるわけだ。さらに、よく見ると6個の珪藻が重なっているのが見て取れる。
一番綺麗なのはカバーグラスに張り付いたようになっているもので、ここでは2個ある。そのようなものを素直に探して観察するわけだが、へそ曲がりとしては、斜めに沈みこんだ奴からなにか情報が引き出せないかとか、絵にならないだろうとか欲張りな心がむくむくと湧きだすのである。
2018.05.25
MWS珪藻プレパラートASK_01池からのものだ。リサーチグレードの散らしスライドである。Jシリーズと違って多種類で大量の珪藻がランダムに封入されている。これは池のものだから静かな淡水に棲息しているものたちを見ているわけだ。といっても、人間で言えば骨が散らばっているのを見ているようなものだが。
対物レンズ40X、NA=0.95、自作の輪帯照明もどきの撮影でかなりトリミングしている。下の円心目が斜め左上からのような影になっているところが輪帯照明もどきの所以である。通常の明視野照明では立体感は出てこないが偏斜とか輪帯照明は結構立体感を表現できる。この画像は、ピンヌラリア(ハネケイソウ)の盛り上がった感じや円心目の細かい凹凸が上手く撮れたとお気に入りの奴だ。
2018.05.20
「沖縄の旧石器時代が熱い!」は頭部だけでなく2万年前の港川1号人骨の全身復元像も展示してあった。鏡で後ろ姿も分かる。パネルでは骨の状態と沖縄にある初期の復元像と最新のものとを並べていた。あまり変わっているようにも見えないが、顔の細部がより鮮明になり、毛深かさが少なくなっているようだ。アクセサリーを付けているとか、獲物が鳥から魚に変わっているとかも重要なのだろうか。縄文人との関係は分かっていないようだが、新しい復元の方がより今の日本人に近いような気もする。
若い頃、民族学の本を読んだとき、どんな未開の人達でも性器は隠している。男性は棹だけ筒で覆っているのもある。などと読んだのが妙に記憶に残っているが、はたしてすっぽんぽんの復元は正しいのか、首を捻りながら見たのだ。
2018.05.15
国立科学博物館で特別展「人体ー神秘への挑戦ー」が開催中だが、本館日本館では「沖縄の旧石器時代が熱い!」をしている。沖縄は珊瑚礁の島でもあるから骨が残りやすい。初めて日本列島に移住してきた人類の骨が残っている可能性まではないかもしれないが初期の人達のは見つかっているようだ。日本最古の人骨は3万6500万年前の幼児の脚の骨だそうだ。那覇市の市街地に残された石灰岩の丘にある小さな洞穴で1968年に発掘されている。
画像は博物館で撮影してきたものだが、2万7千年前の白保4号の復元頭部だ。骨の方は3号でそのものずばりのものではないが、頭部は同じような感じで全身の骨も合わせて寝かして展示してあった。頭蓋骨が完全な形で残っているわけはないので、破片をつなぎ合わせなくてはならないが、最近はデジタルで計測して、不足部分も対称のものから補ったりして3次元出力を繰り返してより正確な復元が可能になったようである。費用を抑えるため半分のサイズにした途中のものも沢山展示してあった。
人の顔は人生経験と加齢で魅力的にもなり無様にもなるものであるが、この復元は壮年の穏やかな顔つきで、背広にネクタイをさせると垢抜けた人ではないが、ごく普通の人で通りそうだ。それでも旧石器時代に沖縄で暮らしていた人なのだ。
2018.05.10
1970年のコロンビア映画「ワーテルロー」の戦いを待つナポレオンだ。ナポレオンはロッド・スタイガ゙−、ウェリントンはクリストファー・プラマー、ルイ18世に巨体のオーソン・ウェルスがでていた。監督は「戦争と平和」を撮ったセルゲイ・ボンダルチェクである。映画はエルバ島を脱出したナポレオンがワーテルローで敗れるまでを描いているが、ワーテルローの戦いを再現したような戦闘場面ばかりのものだ。巨費をつぎ込んだ大作で小生は興味深く見たが世の中には受け入れられなくて大コケして、スタンリー・キューブリックが準備していた「ナポレオン」が中止になるオマケまでついている。
1819世紀初頭の歩・砲兵と騎兵が入り乱れるヨーロッパの戦いが忠実に再現されているのだろうが、これでもかと言うぐらいな激突で死傷者がおびただしくでるも互いに引かないで戦い続けるが、遅れてきたプロシャ軍の到着でフランス軍は追い詰められていく。最後まで戦い続けた部隊は降伏勧告を受けず全滅するところが出てくるが、この場面を見てフランス革命のエネルギーはここまで戦わないと納まらなかったんだろうなぁという気になったものだ。
それにしてもヨーロッパ人は争いが好きで、工夫をこらして勝利を収めようとする人種だと思う。この時代はまだ戦場での軍隊だけの争いだが、第一次大戦以降は総力戦になって前線の後ろも戦場になってしまったし、ろくでもない奴らだとも思うが、日本人も太平洋戦争を引き起こして同じようになってしまったのは残念ではあるが。
2018.05.05
今描いているエントツドロバチの絵だ。ライトレッドで形を取り色づけを始めたところだ。
F25は横80.5センチ縦65.2センチで手頃な大きさだが、昆虫の頭を画面一杯に入れてあるのを初めて見た人はギョッとするかもしれない。
描いてる本人は実体顕微鏡で馴染んでいるから愛着もあるしかわいらしく感じるのであるが、世の中一般はそうでないだろうなとは想像できる。
歌麿の画本虫撰のように植物にまとわりつく昆虫の絵は日常の体験通りで親しみやすい。小生もそのように描けば人様には受け入れてもらいやすい。とも思うのであるが、どうしても昆虫主体の、しかもなにか奇をてらったようなものになってしまう。困ったものである。
2018.04.30
キノコバエと言うらしいが肉眼でちょっと見たところでは小さい蚊だ。しかし、蚊のように人の肌に刺して血を吸う針はないし、触角も違うし鱗粉もない。似ているのは、頭が小さいし、胸に比べて腹がかなり長い細長い体つきと6本足の根元が寄り集まっているので脚が一か所から出ているように見えるせいだと思う。
昆虫の腹は消化と生殖の場所だから、餌をたっぷり食べたときと卵をたくさん抱えた時はパンパンに膨れる。こいつは雌で卵タッブリの状態だろう。そんなことに気付くようになって後ろめたい気持ちにもなるのであるが、と言って逃がそうという気にはならないのだ。
2018.04.25
ヒメバチかコマユバチかも見分けられないが1センチ未満の小型の狩り蜂だ。小型の狩り蜂は黒々としたものが多くて目だたないものだが、こいつはオレンジとか黄色とかの部分が多くて居るのがすぐ分かる。
下からの画像は珍しいと思うので紹介しよう。この画像を見ると昆虫の6本脚はどう体についているかがよく分かると思うのだ。
2018.04.20
MWSのJシリーズの続きだが小型の円心目でいままでどうやっても見れなかった胞紋が見れるようになった。赤の矢印で引っ張ったものがそうだが、左が対物レンズ10X,Na=0.25暗視野照明、右が40X,Na=0.95輪帯照明で撮影したものだ。暗視野だと胞紋が小さく密集していると青く発色して、見分けるのは難しくない。しかし、ここに並べられている円心目は円の中は真っ黒で穴があるようには思えないが、絶対にあるのが珪藻だ。見えていないのは被殻が薄くてコントラストがついていないせいだろうと見当を付けていたので何とかして見たいわけである。
大きいのはかすかに見えていたので中心が小さい胞紋が密集し縁に向かって大きくなっていくのが分かっていたが、小さいのも中央部の解像が出来てないので確かではないものの似たようなものと思える。安物のウェッブカメラだが肉眼だとよく分からなくともモニターを見ながらごちゃごちゃやっていたらうっすらと現れてきて人様から見ると他愛のないことだろうが「おお!見えた!!」と大感激なのだ。
2018.04.15
MWSのJシリーズでは珪藻がこのように並べられている。小生の持っているものはこんな調子で73点が整然とあるわけだ。
少し前のNHKで制作されているところが放送されたが、実体顕微鏡下でシャープペンシルの先端に眉毛睫毛をつけたもので珪藻をハンドリングされている様子が拝見できた。眉毛睫毛の先で楽々と動かしているのだが、実体顕微鏡を使い慣れている小生でも、高倍率の視野に毛先を持ってくるだけでも簡単でないし、やっと持ってきて毛先をほんの少し動かしたつもりでも大きく動いて肝心の珪藻を視野の外に撥ね飛ばしてしまうことは確実だ。修練を積んで初めて出来ることだと思う。しかし。世の中には修練を積んだ人もいて、「本日の画像」にすべて自作の放散虫の見応えのある投稿画像が紹介されていた。それを見てるとため息をつくばかりなのだが出来る人は出来ると言うことだ。
下の画像はピクセル等倍で切り出したものを載せました。右側の胞紋はなんとか解像しているし、これで左も解像できていれば威張れるのですがね。
2018.04.10
MWSのJシリーズからディディモだ。
ここのところの「あれこれ」で小生の関心はキチンとしたものよりはフリークなものに向いているように思われるだろうが、Jシリーズを覗いているとそんなことはどこかに飛んで行ってしまう。と言うわけで大型の見栄えの良いものを紹介するわけだ。
Jシリーズは夾雑物のないピュァーな空間に整然と珪藻が鎮座しているので、これぐらいの画像は難なく撮れて腕があがったような気分になる。実は錯覚なのですね。本家の画像を見ると一目瞭然なのだが、光り輝いております。ホントにどうしたらあのように撮れるのでしょうか。悩ましいことです。
2018.04.05
喜多川歌麿の「画本虫撰(えほんむしえらみ)」模写の第三弾だ。
けら あだしみはけらてふ虫やいもとせの ゑんのしたやにふかいりをして
はさみむし みし人を思ひきるにもきれかぬる はさみむしてふ名こそ鈍けれ 桂 眉住(かつらまゆずみ)
はさみむしは今でもよく見るが、けらはついぞ見かけなくなった。子供の頃は前脚を挟み込むと強い力で跳ね返してくるので、おまえのちんぽはこれくらいなどとはやしては楽しんだ記憶がある。
この絵をじっと見ていたらタケノコは女体の下半身に見えてきたし大事なものもあるようだ。江戸時代もけらを同じようにして遊んでいたとも思えないが浮世絵の歌麿だけのことはあるなどと妙な感心をしてしまった。
2018.03.30
ツマグロハナカミキリと言うみたいだが例によって怪しいものである。ハナカミキリの1種は間違いないようではあるが。体長1.5センチメートル。枯れ木に産卵するらしいから自然の掃除屋さんだ。
カミキリムシはオオアゴを真下に向けた種類と斜め前に向けたのとがあるが、こいつは斜め前に向けた奴だ。なので、この絵の下側は手前につきだしているように描けないといけないのであるが、まあ無理ですね。
2018.03.25
まだ先のことだが秋の新作家展の下図だ。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池 )からのものだが珪藻はない。鉱物のカケラだけの場面だ。
Aは上面のカケラにピントが合っているが、その下のは大きくぼけている。
BはAよりわずか下のところがピント位置だ。
@はAとBを適宜に重ねたものである。@はAよりも空間の厚みが増すような気がする。そのための合成だが、これが下絵になるわけだ。後は120号のキャンバスにひたすら写すだけである。
珪藻も入っている場面もいくつか試したがいつの間にかカケラだけのものになってしまった。MWSさんには「けしからん選択だ。!」と怒られそうだが、小生の今の気分はこんなふうなもやもやしたものなのだ。
2018.03.20
最近描いている絵の元はこの状態のところを撮影したものだ。右の立体的に見えるところは封入剤が回らなかったところか、あるいは管理が悪くて剥離したところではないかと思う。その部分は例えて言えば野球場が検体の部分だとするとベンチ部分程度のものではあるのだが。
これをじっと見ていると生物顕微鏡で見る封入された検体の正しい姿は頭の中にしか存在しないとつくづく思う。まあ、それだからあの手この手と工夫を凝らして想像をたくましくする楽しみもあるとは言えるのであるが。
2018.03.15
クロマルエンマコガネと言うみたいだが体長0.8センチメートルの真っ黒で半艶のかわいらしいもの。とは言え、獣糞を好むそうだ。採集したのは我が家の車置き場だが、影になったところで犬のうんちをさせたのがいたようで固くなった奴を始末しようとしたら五匹ほど飛び出してきたのを捕まえたわけだ。嬉しいような腹立たしいような妙な気分だったのを思い出す。
2018.03.10
春季新作家展は12日飾り付けで13日から始まる。この絵の状態で出品となる。
馬齢は重ねたが描いた量はたいしたことがない。この頃は有名な画家の名前も出てこなくなって画集を引っ張り出す始末だ。水墨の世界に惹かれて中国の画家の作品を見ても名前はすぐ忘れて覚えられない。心身共に危うくなってきたなと感ずる日々が増えてきた。絵を描くのもめんどくさい限りだが展覧会に間に合うように描けているのは感心と言えば感心だ。
2018.03.05
オオハキリバチの姿はこのようなものだ。この画像を見ると、全体が円筒状で触覚も短いし竹筒などの穴に潜り込んでゆくのにふさわしい体つきと思える。ウィキペデアでは雄の体長20から25ミリメートル、雌は13〜20ミリメートルとなっていて雌雄で随分違うが、生き残るには大きな体が良いが穴に潜り込むのには小さい体がふさわしいなどと頭をめぐらしたみたものの意味不明である。気になるところだ。
2018.03.01
オオハキリバチというらしいが、体長2.6センチメートルもあるので自分としては超大物だ。秋が始まる頃我が家の二階流しの前で転がっていたものだ。迷い込んで脱出できずに水のあるところにたどり着いて力尽きたというところだろうか。体長から言えば雄だし夏が交尾の時期らしいので役目を果たした奴だろう。
竹筒などに花粉団子を詰めて卵を産み、松ヤニで仕切りをするのを繰り返して最後は土で蓋をするそうだ。ドロバチと巣の作り方は似ているが餌が動物と植物で大違いの奴だった。
生態の違いはオオアゴに顕著にでていると思うので頭部をスケッチした。前回のエントツドロバチと大違いなのがご覧いただけるのだ。
しかしこのハチの彫刻は複雑怪奇だった。その違いがはっきり分かるように描ければ威張れるのだがなどと思いながら描いていたのだが。
2018.02.25
エントツドロバチはネットに沢山記事が出ている。巣の入り口に泥筒を煙突みたいに立ち上げるそうだ。条件が良いと一匹だけでなく数匹が集まって巣を固めて作るらしい。しかも、孵化した後も餌を与えているので長い間出入りに便利なように煙突を作っているらしい。スズメバチみたいに集団で子育てをする真社会性ではないものの、その一歩手前まで来ているハチだそうだ。
ところで、前回のハチはお湯で柔らかくして丸まった体を戻したが大あごは交差したままだったのでもう一度お湯につけて柔らかくしたところ広げるのに成功した。今回の画像がそれである。あたかも臼歯が付いているような変わったオオアゴだ。巣作りの泥を捏ねて運ぶことや、獲物のイモムシを無傷で捕まえて運ぶのに適した形だよねと感心してしまったのだ。
(注)触覚の先端は丸まっているのが本当でこの画像はもげているので平になっている。残念だ。
2018.02.20
最近物陰に転がっていたのを見つけた。去年の夏に家の中に迷い込んだエントツドロバチのようだ。上段は見つけたときのもので埃まみれで丸まっていた。干涸らびてこちこちになっているのだがお湯につけて柔らかくして、なんとか形らしくした。駄目かと思いながら試したのだが意外に上手くいった。もっとも翅が取れたり脚がもげたりしてしまったが。
広げてみると案外に大きくて体長2センチメートルもあった。
2018.02.15
昆虫の顔を正面から見る機会はあまりないと思うが興味深いものがある。かわいらしいのもあるが、おどろおどろしいものもある。
左は体長0.5センチメートルのオトシブミ、右は1.6センチメートルのキマワリだ。オトシブミは極小さいコロコロッとしたかわいらしいムシで顔がどうなっているか肉眼では分かりづらいがエイリアンみたいな恐ろしい顔をしている。
キマワリは道ばたをせわしく顔を下に背中を丸めながら横切っているのを見かけるとかわいらしいムシだなどと思ってしまうのだが、これも骸骨みたいな面妖な顔だ。
2018.02.10
MWS放散虫プレパラートJ482から小さめの三種類だ。
CombineZPで素直に深度合成したもの。下側の三分の一以上は壊れて無くなっている個体だと思う。
上下の球状のものは中に薄いが黒い固まりや輪がみえるので、もう一つ球状のものが残っているのと思われる。
ラッパ型は中はなしの四角錐なのだろう表面が綺麗な円の並びになった。
無造作に並べるとこのような整然とした感じにはならないと思う。中段の面は斜めになって印象がまるで変わると思うし、下段の角のつき方はこれ以上ない平面性がある。
珪藻に較べると大きいので取り扱いは楽になるのだろうが、厚みのある形で破損しているのだからどの面を上にするか頭を捻るに違いない。そして、ぴたりと狙った位置で止めなければならない。想像していると頭がおかしくなりそうだ。
2018.02.05
今年初めてのMWS放散虫プレパラートJ482だ。
主要部の半面が残った個体だと思う。これと同じようなのが反対側にあって、上には角上のものがついているような気がする。
形を想像すると、下のスカートは稜線の丸まった6角錐で、それにつのを持った球状のものがついていると思えるが、はたしてどうだろうか。
CombineZPで深度合成したが表面の荒れた感じがでなかったので手作業で修正したのが左の写真だ。
2018.01.30
春の新作家展が3月にあるので作品を描き始めている。まだ始めたばかりなのでライトレッドで描いた下書きの色が大分残っている。
仕上がるとグレーになって別物になってしまうのだが、この状態で色味のあるのも良いものだなどと思いながら、この上にグレーを重ねていくわけだ。
スケレトネマも4枚目になる。円筒型で細かい胞紋がなく荒いタッチが似合っている気がする。細密描写に疲れたというか、荒々しいタッチに惹かれるという気分なのもかもしれない。
「セザンヌの構図」という本があるが、その中でセザンヌとピサロが同じ場所で描いた作品の比較をしてある。ピサロの絵はあたかも写真のような正確な形で描かれている。セザンヌのと2つ並べてみるとピサロの描いたものの一つ一つがセザンヌの絵に確認できるので同じ場所だというのは納得できるが、セザンヌの絵はディフォルメされた形と荒いタッチの絵だ。しかし、実際その場所に立ったとき、セザンヌの絵はその場所そのものだなと感じられるのではないかと思う。
小川国夫の紀行文でプロバンスを旅したときにセザンヌの絵のままの景色だった。というのがあったが実物から受ける感じをしっかり表現し、かつ、セザンヌとすぐ分かる個性をも表現している。そんな絵なのだろう。だからこそ名画として今の世に伝わっているわけだ。
2018.01.25
ハチ(膜翅)目細腰亜目セイボウ上科アリガタバチ科ムカシアリガタバチの1種のようだ。体長0.9センチメートル。
上段は標本化したものを鉛筆スケッチしたもの、下段は小型箱に閉じ込めて撮影したものだ。これは雄で、雌は翅がないそうだ。コメツキの幼虫に卵を産み付けるらしい。
雄は何を食べているか分からなかったので想像してみた。触角が長い、大アゴが鋭い、がっちりした体をしていて写真では何かを狙っているようにも見える。葉上のハムシとかの小昆虫を触覚で探りながら食らいついているのがお似合いだ。
2018.01.20
ハエ(双翅)目短角亜目クロバエ科クロバエ亜科ケブカクロバエというらしい。体長0.9センチメートル。 黒い胸部に藍色の金属光沢で嫌われ者のハエらしいハエである。
クロバエに違いないが、ケブカは怪しいのだが、1センチ未満で小さいのでオオクロバエでなくてケブカではないのかと思うのだ。
この写真は捕まえた翌日に脚を縮こませてひっくり返っていたので、脚を伸ばして深度合成したものだ。動けないが死んではいない。翅は跳ね上がっていないし体の収縮も触覚が始まっているくらいで原型をほぼ保っている。
水を与えていればしばらくは生きているのだが、あっさり動かなくなった。捕まえるときも簡単だったから弱っていたに違いない。
以前にも同様のことがあって、その時は解剖したが線虫に寄生されていて驚かされた。今回もそれでないかと思うのだが綺麗な標本になりそうなので解剖までして確かめてはいない。
それにしても自然界で生き抜くのは大変だ。あらゆるとこに敵はいると覚悟しなくてはならないのだろう。
2018.01.15
前回のハエをスケッチしたものだ。死んだあとなので動かないのをじっくり描けるのは良いのだが、外骨格が薄くて弱いので縮こまってしまうなど生きているときとは大違いになっているところは閉口させられる。
0.3センチ程度のコバエで金属顕微鏡で実体顕微鏡で確認できない細部を見ることができるのも動かないからこそだ。実体で見ていた限りでは描いてある棘毛だけだが実際は背中以外の胸部は微少の棘毛で覆われている。些細なことで何と言うこともないがこんなところが顕微鏡覗きの喜びの時だ。
2018.01.10
久しぶりの昆虫画だ。絵はなかなかしんどい。サボっていると楽なのでいつまでも描かないことになってしまう。年始めでもあるし心を入れ替えて絵筆を取ったわけだ。
このハエは極小さいし、棘毛も少ないし、金属光沢の頭だしでかわいい感じがする。ハモグリバエの仲間ではないかと思うが、そうだとすれば植物に寄生するので死体や糞に産卵するイエバエのようなババッチィものではない。
2018.01.05
今年の年賀状に使ったもの。呉歴の「岑蔚居産芝図」の部分模写をした。
呉歴は清朝初期の画家。伝統的画法を創作の規範としたが時代の寵児として持て囃されたそうである。王時敏(おうじびん)、王鑑(おうかん)、王き(窒フしたに軍)、王原祁(おうげんき)、呉歴(ごれき)、ツ寿平(うんじゅへい)の六人を清朝初期の六大画家、四王呉ツというそうだ。
一方で対照的な画風の人達もいる。石谿(せっけい)、弘仁(こうにん)、八大山人(はちだいさんにん)、石涛(せきとう)、梅清(ばいせい)、きょう(龍のしたに共)賢(きょうけん)などの画家で、自己の意志や感情を表現することを重視したそうだ。
いつの世も保守と革新のせめぎ合いはあるわけだ。そして、今の人達の評価は時代の寵児であった四王呉ツより石谿らが高いのであろう。
模写したのは保守の人なので穏やかなものである。彩色もされ晴れ晴れとした気持ちになればと思い筆を執ったが、集中できなかったか生ぬるい絵になってしまった。