MWS珪藻プレパラートMZK-01(池)からのゴンフォネマ(クサビケイソウ)で、上下の殻が分離していない方です。 上から上面、内部、そして、下面になります。顕微鏡の不思議なところで、上から覗いているのに下面は下から覗いているように見えます。そして、それが一番綺麗です。 クサビケイソウの由縁は横から見ると楔形になっているからです。箱形の方に較べると分離しにくいのではないでしょうか。楔形の方もよく見かけます。
昆虫は綺麗好きです。脚を使って体中を掃除しています。 6本ある脚の3,4本で体を支えて残りで身についた埃を払い落します。 脚の後ろ側にはブラシになるようなものがついているので簡単に払えるようです。 ブラシについたものはブラシ同士をこすり合わせて取っています。 画像は狩りバチが後脚2本で翅についた埃を払っているところです。 小さい昆虫では肉眼で見るのは困難ですが、実体顕微鏡で大きくしてみると実に健気でかわいらしいものです。
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。web cameraでの撮影でトリミングなし、3枚の画像を重ねました。 底部が平たく見えてバケツのような形に思えますが、真円の断面をもった球状の放散虫でしょう。殻の厚みは右側の帯状の部分で意外とあるのが分かります。孔の貫通方向はガサガサとした不規則なものですが、表面は丸く整然と並んでいます。内部にも小球があるのが多いようですが、この方は無いようです。そのかわり、襞を持っています。なんの役に立つのでしょうか、ただの飾りだとも思えません。 まあ、いろんな方がいらっしゃるということです。
前回と前々回の放散虫の真の姿はこれでないかと想像します。大、中、小の球が3ケ積み重なっており、小球には大角が、大球には2ケないし3ケの小角が付いているのではないでしょうか。 放散虫は海洋性の動物プランクトンで、たくさんの仮足を持っているらしいです。広々とした海で浮き沈みしながら漂い、近くに来た餌を仮足を伸ばして食べているのでしょう。大変な数がいるらしく餌はそれ以上いるのでしょうから、目に見えないとはいえ大海原は生き物いっぱいの世界なのでしょうね。
前回の放散虫とほとんど変わりませんが別の奴です。細かく見ていくと角が細いし裾の広がり方が大きいようです。 実物を覗いたときはまるで違う奴と思って撮影したのですが、こうやって画像でみるとあんまり変わらないと思いました。狐につままれたような気分です。
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。 対物レンズ10Xでの観察なので広い範囲が見えているのですが、web cameraだとごく狭いところしか撮影できません。これでもトリミングなしなのです。利点は被写界深度が深いことです。ワンカットですが、斜めからの光が効果を発揮して元の姿が忍ばれます。
芥子園画伝の人物屋宇譜からの「山水画の中に描く鳥や獣」の模写です。新藤武弘訳の転載をします。 『これらの点景動物は些細なことではあるが、やはり関係するところは非常に大きい。春を描くには、鳴き鳩や巣ごもりの燕を描けば、まさに春の画となり、秋を描くには、飛ぶ鴻(オオトリ)や宿る雁を描けば秋の画になる。そればかりでなく山や樹木の描き方でも季節の区別はできる。また暁を描くなら、ねぐらの鳥が林から飛びたち、犬が戸口で吠えているところを描けば、暁の画以外の何ものでもない。夕暮れを描くなら、鶏がねぐらにおさまり、小鳥が樹に帰るところを描けば、夕暮れの画でなくて何か。雨が降りそうなときは鸛(コウノトリ)が鳴き、雪が降りそうなときは鴉が群がりさわぐ。牛と馬は風上と風下がわかるといったぐあいに、画が生き生きと生動するのは、すべてこのような点にある。』 山水画は観察眼が鋭く繊細でもないといけないのがよくわかる文章ではないでしょうか。でも、現代の都会暮らしでは経験できないことばかりで若い人は共感できないようにも思います。
前回の珪藻を暗視野でみるとこんな風になります。円形の珪藻でも、これは特別というわけです。 中央が青く輝くのが一番の特徴ですが、外周が薄緑色の細線で囲まれているところや左上の点も目立ちます。 群れの中に孤立しているような位置取りは神秘さを生み出しているようにも感じるのですが、皆様はどう思われましょうか。
MWS珪藻プレパラートCOS-01(海岸)からです。タラシオシラ(ニセコアミケイソウ)というのかもしれません。 胞紋は被殻が薄くて見にくいのですが、画像処理したのでよくわかります。中央が凹んでいるのでピントを変えたものを半分づつにして合わせました。 暗視野でみると青く輝いて綺麗な中心目の珪藻です。この細かい胞紋が青色の元でしょうか。滅多に入っていない貴重品です。
MWSのバルバドス放散虫ニセ散布スライドからですが、なぜニセ散布というのか考えてしまいますよね。思うに、多数で乱雑な配置なので散布スライドと思うは当たり前ですが、実際は大型の放散虫を、アトラスではありませんが四隅に支柱として配置してカバーグラスを支え、内部はかなり並べ替えているらしいのです。 東京は5月末まで緊急事態宣言が延長です。画廊はやっていますが、美術館は休館です。でも、都と国で足並みが乱れました。都は率先して、国はしぶしぶ休館です。
Cities: Skylinesからタンクローリーです。石油特区を作るとたくさん走り出します。牽引車と台車+タンクは本物のように別々に動きます。車輪にはダンパーが効いていて曲がるときや止まるときなど派手なものです。 視点を変えるとどうなるかですが、上段が車の斜め上からでごく普通の絵です。右下はタンクの中です。タンク本体は完全に消えて牽引車と台車、それにタンク上部の部品になります。左下はタンク内部からわずかに出たところで、タンクの外装が一部見えます。 3Dの知識はないのですが、これを見ているとなんとなく作り方が想像できます。形を作って表皮を貼り付けるのでしょうね。表皮の裏は透明です。内部を表現しようとすれば、ここに内部を表皮として貼り付けるのでしょう。そうすればシュールな絵ではなく興味津々な構造図になります。見たいですが、ゲームの内容に無関係でとても面倒そうなことをする人はいないでしょうね。
Cities: Skylinesから雨の明け方です。前回と同様に地下鉄に乗り込んだ人の視線なので地表を見上げています。夜は窓に明かりがともり街灯が街を照らし雨を浮かび上がらせています。芸が細かいです。 地下鉄入り口は四角いタイル張りの床に穴を開けただけの作りですが地中に埋め込まれた壁とタイル面の一部も表示されます。一方、建物の内面は窓枠などを別にして表示されていません。建物によっては内部が透けて見え、調度品もあり人も動いているのがあります。3Dキャドで造形してテクスチャを貼り付けていくのでしょうがリアル感があって凝ったことをするとたいへんな作業量と思いますがせっせと作って公開している人たちがいるのです。すごいですねえ。
Cities: Skylinesの地下鉄出入口を中から見たところです。地表や路面を下部から見ると表示されません。建物も下からだと表示されない部分があります。人や車は足裏や底板が黒く表示されます。空は天候によりますが地下はブルースクリーンになっています。 地下鉄やそれに乗り込む人に視点を設定するとこのような情景になるわけですが、思いもかけず人が空中を歩くシュールな世界が出現するわけです。
東京は25日から緊急事態宣言が発令されます。美術館は休館となり新美術館での国展の案内状を頂いていましたが無駄になりました。搬入や審査も終わり飾りつけ直前での中止です。出品者はさぞ無念の思いでありましょう。コロナの収束はいつになるのか全くの不透明で暗澹たる思いにかられます。今日の画像はそれとは関係ありませんが、破壊されたものが寄り集まっているところです。完全な形は想像しやすいですが左に貼り付けたものでよりわかると思います。MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からのフナガタケイソウで、Navicula pupula Kutzingというみたいです。
春季新作家展出品の「夕暮れて」です。コロナ過の中、案内状は一枚も出していませんが今日から開催です。 精密描写にこだわってきましたが、ここにきて厭になっています。なぜか荒っぽいものに惹かれ、そのつもりで描き進めたのですが、やっぱり精密描写が顔を出してきます。体質の様なものでしょうか相当な努力が必要なんでしょうね。 6年前の銀座三越前での写真が元です。コロナですっかり消えましたが中国人の一団ですね。銀座のはずれにバスを止めて大挙して銀座を闊歩していました。似ていませんが、それらしく見えたら成功です。
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写も飽きずにやっています。家屋だけでなく城壁や城門がでてきました。 このような城壁は日本人には馴染みがありませんが、中国や朝鮮それにヨーロッパでも街を囲む城壁は大事なもののようです。古代ギリシアは都市国家で互いを攻めあっているので絶対に必要な防御装置なのが分かります。 日本は外敵に襲われたのは蒙古ぐらいですが追い払っていますし、戦国時代でも武士は命のやり取りをしても、民は家財や作物を取られたり家を焼かれたりはしているようですが姿を隠して命までは取られなかったようです。滅ぼされた領主と運命を共にするようなことはなく新しい領主になるだけだったのでしょう。城壁が必要な国に比べてのんきな国だったのでしょうね。 しかし、明治以降は外国にまで戦いに行き、局地戦が総力戦に変化し、見境のない空爆が常識となり、全国がB29の猛爆を受け、ついには原爆を二発も落とされてしまいました。 街を囲む城壁のない、のんきな時代に戻れたら戻りたいものです。
一口にハチと言ってもいろいろです。数センチのものから0.何ミリというのもいます。頭、胸、腹からなり胸に六本足と4枚の羽は変わらなくても様々な形をしています。いずれも進化の過程で獲得した意味のあるものなのでしょう。 このハチはアリバチと言うらしいですが、名前のようにハチよりアリにふさわしい体つきです。外骨格も脚も頑丈そうで、手ごわい相手を組み伏せてしまう様な習性ではないかと思える形です。
古い写真です。肝心の顔に靄がかかってお見せするほどのものではありません。とはいえ、小生のものとしては上出来の部類です。いい位置でじっとしてくれるいい奴でした。 今月下旬に所属している会の春季展があり、せっせと絵を描く日々が続いているのが本来の姿なのですが遅々として進みません。コロナは欧米並みの被害はないものの収束するような気もしません。普通に出かけるのにも抵抗がありますし、漠然とした不安の中に放り込まれているせいでしょうか。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からのネイディウム(ハネフネケイソウ)の中心部です。 左上は欠けていますし、風化したような気配も見えます。生命を全うし泥中に埋もれていたものではないかと想像します。上下そろったものは静かな泥中に埋もれたもの。このような壊れたものは水の動きにかき回されたもののような気がします。 石灰岩や大理石は有孔虫の、チャートは放散虫の、そして、珪藻土は珪藻の死骸です。目には見えない小さな生き物が長い時間をかけて降り積もるとそうなるというのですが、こんな欠片でも降り積もって分厚い地層ができる。風化したような珪藻を見るとそんなことを思い浮かべて晴れ晴れとした気分になります。変な感じ方とも思いますが。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)のうちエンキオネマというらしい珪藻の比較をしました。 大きさは20〜30マイクロメータ、幅が9〜11マイクロメータです。10マイクロメータ当たり条線が11〜13個、胞紋が22〜24個です。赤点のあるなしの傾きを色変わりで入れてありますが、赤点を除いたほうがよりよく直線状に乗りますし、条線や胞紋の間隔も一定しています。 個数が少ないのではっきりしたことは言えませんが、大きいほうに偏っているのが不思議です。それと赤まるで囲んだ点の珪藻は左端のものですが、細すぎるので別種のような気もします。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)です。このプレパラートは、いままで気づかなかったのですが上下に分離していない珪藻がかなりあります。なぜわかるかというと、ピントを上から下にずらしていくと下側でも表面の絵面になります。今日の画像はそのようなものの実例です。 上段が珪藻の上にピントがある時、下側が珪藻の下側にピントがある時の画像です。下のは綺麗な表面を観察できますが上のは内部の影響があるので見にくい絵面ですね。 生物顕微鏡は不思議な世界です。覗くたびになぜだろうなぁと思わずにはいられません。
MWS珪藻プレパラートDL_TESTからのキンベラ(クチビルケイソウ)です。右上が全体像で、上端の丸くなっているところの拡大図です。キャップにあたるところが針でつついたような胞紋があります。本家は楽々と解像して「本日の画像」で紹介されています。なぜこのような細かい胞紋なのか想像もつきませんが知りたいところです。 それはともかく、全然解像できなかったのですが、最近成功したのがこの画像です。一見断続した線ですがほんとは綺麗な点です。いつになったら点になるのだろうかと天を仰いでしまいます。
珪藻は胞紋間隔が種によって一定なのだそうです。それで珪藻のデータは縦横の大きさと10マイクロメートル当たりの胞紋数が記載されています。 簡単に調べられないかと工夫して定規を拵えて前回のクチビルケイソウの胞紋間隔を調べました。 長さの基準は0.01mmのマイクロメータです。この場合は対物レンズ40Xでの撮影です。上段の画像のように長さの校正をして0.01mmの矩形を作ってその中に定規を貼り付けました。その定規をクチビルケイソウの画像に貼り付け、色分けした測点を定規の上で動かして間隔を調べるわけです。デジタルならの作業です。 狭いほうで24と25個、広いほうで9と11個になりました。 ほぼ等間隔で並んでいますが、ところどころ乱れているようです。広いほうは中央と縁ではかなり異なるようですので、どの場所で測定するのかが大事なように思います。研究者の間では常識かもしれませんが素人でわからないのが残念です。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)です。0.03ミリメートル程度のごく小さい珪藻で繊細な胞紋がかろうじて判別できています。目視だとよくわからなかったのですがモニターではっきりと確認でき撮影しました。鉱物がたくさんあっても、この程度だと綺麗な画像が簡単に得られます。 右側のは内部の様子で切り取って貼り付けました。下側の縁には凸型の空洞があるように見えます。これだけではなくて他の珪藻でも見られるのがあります。これはいったい何なのか、もしかしたら二重構造ではないかと思っているのですが定かではありません。
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からコッコネイス(コメツブケイソウ)です。え、どこにあるのと言われそうですが右下に青く見えているのがそうです。対物レンズが10Xなので視野が広く周辺のものがたくさん入ってきます。このプレパラートは、MWSとしてはとてもめずらしく鉱物がびっしりとひしめいていて、珪藻はその中から探し出すことになります。この鉱物は粘土でほとんど取り除いたのだそうですが、どうしても残ってしまうのでしょうね。ベタベタとひっついてくる粘土も透明で綺麗なものになっています。これ自体珪藻のようなものですから分離するのはとても難しいのでしょう。でも、鉱物を見る楽しみもあるので、これはこれで楽しいプレパラートです。
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。新藤武弘訳の転載をします。 家屋の組み合わせ 山水のなかに家があるのは、あたかも人に眉目があるようなもので、人に眉目がなければ、のっぺらぼうとみられる。しかし眉目がうつくしくても、その配置がよくなければならない。 また眉目は欠くことはできないが、多過ぎてもよくない。もし身体中に目があれば、それは怪物である。つまり家屋を描くのにも地勢や前後の配置をわきまえずに、むやみに幾重にもかさねたのでは、怪物と異なるところはない。だからおよそ家屋をかくには、かならずその山水の本当の姿を詳細に観察すべきと私は言いたい。自然の中に家屋を配置すべき空所がおのずとあって、数丈の大画面でも一寸四方の小画面でも、人家を配置すべき適切な場所は、ほんの一二箇所しかない。山水に人家があれば風情が生まれるが、人家をごたごたと乱雑に描きこむと、まるで俗世間の気分になる。近ごろの画で、家屋を適切に配置したものはわずかしかない。ほかは山水は巧みでも、画中の家屋はまるでタニシのお化けか子供の泥遊びのようで、構図がまったく出来ていない。かって姚簡叔(允在)が描いた画には、黍粒ほどの小さな家が一二軒だけあったが、前後関係はきちんとしており、家なみの曲折には趣があって、山は家を見やり、家は山を見やる妙味があった。よく古典を学んでいるものといえる。
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。新藤武弘訳の転載をします。 写意をきわめた人物画 ここに示す幾つかの例は、写意 (外形にとらわれずに精神内容を描くこと) の中でも最も写意的なものである。筆づかいは乱舞するごとくきわめて活発大胆で、ちょうど書家の張顛(張旭)の狂草のようである。しかし草書は楷書に較べるとむずかしい。だから古人(張芝)は「怱怱として(忙しくて)草書するひまがない」などと言っている。それと同様、草画(写意)は楷画に較べると大変にむずかしい。それゆえに「写」といい、しかもかならず「意」というのは、意(こころ)なしにむやみに筆を下ろしてはならないという意味である。画中の人物は、目はなくても見つめているように、耳はなくても聴いているように描き、一筆二筆のなかに筆外の意を十分に表現する。無駄な表現を省いて簡略化を徹底すれば、自然の趣が現れ、数百筆をもっても写し出せない味わいが表現できる。この一筆一筆の略筆は、頓悟禅のごとく突然に会得でき、微妙の域に入ることができる。
またしてもMWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。 上段の深度合成した画像ではどう見てもみっちりと詰まっている平べったいもののように見えます。じっさい平べったい種類もあるので悩まなくてもよいのですが、いや違う球体に違いないと想像したのが下段の図です。 内部の太い黒格子のところから上がなくなり、角状のものも片方がなくなったのではないでしょうか。 そして、今までのものとは異なり殻の厚身が相当なものなので隙間が少ないし、内円もあと二つはありそうです。みっちり感満載で頑丈この上ない放散虫君なのでしょう。この丈夫さで荒波を耐えている姿を思い浮かべるといじらしい奴だなぁなどと妄想するのです。
前回に引き続きMWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。放散虫は珪藻よりも知られていなくて研究も進んでいないようです。小生も初めて目にしたのは地質の本でした。チャートに含まれる化石の放散虫を調べるとはっきりしなかった地層の年代が明確になって喧々諤々と論争していたのがあっさり解決などということもあったようです。時代時代で姿かたちが異なっているので判別できるそうですが、ベースになる資料を作り上げるのはさぞ大変だったろうと想像します。たくさんの人の地道な作業が積みあがると大きな成果がもたらされる。ということでしょうか。
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。全体をCombineZMで深度合成すると何が何だかわからないものができます。なので、部分的に合成したものをGIMPで重ねて加工しました。出来栄えはともかくとして結構手間がかかっています。楽しいですけどもね。 検体の割れ欠け方が素晴らしいですね。中を覗いてくれと言わんばかりです。ほんとは中のものも円球なのですが中央がなくなって腰掛のようにも見えます。これはUFOの残骸で操縦席なのでしょう。極微の宇宙人がいると見えます。そんな思いが沸々と湧いてきます。
だいぶ昔の写真ですが8ミリ程度のハチです。コマユバチかヒメバチかも定かではありませんが狩バチには間違いないでしょう。撮影後逃げられて、複眼が緑の金属光沢のはめったにいないのでがっくりきたのを思い出します。 12月でもこんな奴がやって来ていたのですが、このごろはさっぱりです。実体顕微鏡の出番もなくなってゲームにうつつをぬかす始末です。いけないですねえ。
Cities: Skylinesは建物は地区を指定すればどんどん建てられていき、車や人が活動します。これらはアセットというカテゴリーで管理されていてゲームを購入した初期状態をバニラというらしいです。この女性はバニラの人で、工具箱を持つ女性が街中を闊歩するのも変な感じですがたくさん歩いています。 このアセットは3Dキャドが扱えてゲームに取り込む方法を理解すれば制作、公開できる仕組みです。有志の人たちが公開したものがたくさんあり導入すると楽しいことになります。人気がある由縁でしょうか。
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。 点景としての人物ですから簡略化されます。一ページにこれだけの人物が配置されているのは点景でもさらに点景というところに使うのでしょう。こんな略筆でも肝心な細部がよく見えないので虫眼鏡の助けがいりました。 模写してわかるのは背中の曲がり具合とか顔の向きとか何気ないようですがすごいです。とても同じようにはできません。作者の筆は迷い無くサラサラと動いて完成したのでしょうが、こちらは原画をじっと見て慎重に動かすのですが描くそばから違いがでます。なので比べると−ふふん−です。 でも、これだけ見ている分にはなかなかじゃね。になりませんかね。
MWS珪藻プレパラートDL_TESTからのキンベラ(クチビルケイソウ)です。このプレパラートは14個の珪藻からなっています。Jシリーズはたくさんの珪藻が並んで目移りしてしまうのですが、こちらは整然と一列に並んでいるのが心地よく落ち着いて検鏡できました。久しぶりでしたが新鮮な気持ちになりました。 正しく検鏡しているのか疑問もあり、どこまで分解できているのか判断のしようもないのですが、なんとかここまできました。 同じ種なのではないかと思うのですが、本家の画像とかなり違っているのをみると、点と点を結ぶところが解像できていないのでしょう。その結ばれ方が一番見たいところなのですが。
MWS珪藻プレパラートCOS-01(海岸)からのコシノディスカス(コアミケイソウ)です。最近のMWS「本日の画像」は珪藻の電子顕微鏡写真に匹敵する解像度の驚異の画像のオンパレードです。努力していると見えてくるものです。というような言葉もあります。そうはおっしゃいますがの困難な道でいまだにたいしたことはないのですがコアミケイソウのものが出ていましたので挑戦しました。(作例はここの1月4,5日です。)。 肉眼ではまったくわかりません。これではならじとピントを変えてたくさん撮影です。画像処理の力を借りようという算段です。 そして、もう無いとあきらめかけた時に現れたのが、点と見えるか見えないかの微妙なものですが下段の画像です。しかも縁の方しかありません。曲面のところなので見えたのでしょう。本家のは明確な点で、細かくて数も多いのに比べればなんだかぁの世界ですが、見えてよかった嬉しいなの心境です。
年賀状に使う燕文貴の「江山楼観図」の模写も四回目になります。 巻物形式は東洋独特のものでしょうか。日本だと絵と文章が交互に出てきたりするものもありますが、この巻子は河口から源流まで絵だけで延々と描き継がれているわけです。 本来はその移り変わりを楽しむものだと思いますが、こうやって一場面を切り取っても楽しめるのは優れた絵画の特徴だとも思います。 また、本物の素晴らしさを十全に現していなくとも、優れた絵画の模写は何かしらの働きを見る人にするようにも思います。
2021.06.30
MWS珪藻プレパラートMZK-01(池)からのゴンフォネマ(クサビケイソウ)で、上下の殻が分離していない方です。
上から上面、内部、そして、下面になります。顕微鏡の不思議なところで、上から覗いているのに下面は下から覗いているように見えます。そして、それが一番綺麗です。
クサビケイソウの由縁は横から見ると楔形になっているからです。箱形の方に較べると分離しにくいのではないでしょうか。楔形の方もよく見かけます。
2021.06.25
昆虫は綺麗好きです。脚を使って体中を掃除しています。
6本ある脚の3,4本で体を支えて残りで身についた埃を払い落します。
脚の後ろ側にはブラシになるようなものがついているので簡単に払えるようです。
ブラシについたものはブラシ同士をこすり合わせて取っています。
画像は狩りバチが後脚2本で翅についた埃を払っているところです。
小さい昆虫では肉眼で見るのは困難ですが、実体顕微鏡で大きくしてみると実に健気でかわいらしいものです。
2021.06.20
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。web cameraでの撮影でトリミングなし、3枚の画像を重ねました。
底部が平たく見えてバケツのような形に思えますが、真円の断面をもった球状の放散虫でしょう。殻の厚みは右側の帯状の部分で意外とあるのが分かります。孔の貫通方向はガサガサとした不規則なものですが、表面は丸く整然と並んでいます。内部にも小球があるのが多いようですが、この方は無いようです。そのかわり、襞を持っています。なんの役に立つのでしょうか、ただの飾りだとも思えません。
まあ、いろんな方がいらっしゃるということです。
2021.06.15
前回と前々回の放散虫の真の姿はこれでないかと想像します。大、中、小の球が3ケ積み重なっており、小球には大角が、大球には2ケないし3ケの小角が付いているのではないでしょうか。
放散虫は海洋性の動物プランクトンで、たくさんの仮足を持っているらしいです。広々とした海で浮き沈みしながら漂い、近くに来た餌を仮足を伸ばして食べているのでしょう。大変な数がいるらしく餌はそれ以上いるのでしょうから、目に見えないとはいえ大海原は生き物いっぱいの世界なのでしょうね。
2021.06.10
前回の放散虫とほとんど変わりませんが別の奴です。細かく見ていくと角が細いし裾の広がり方が大きいようです。
実物を覗いたときはまるで違う奴と思って撮影したのですが、こうやって画像でみるとあんまり変わらないと思いました。狐につままれたような気分です。
2021.06.05
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。
対物レンズ10Xでの観察なので広い範囲が見えているのですが、web cameraだとごく狭いところしか撮影できません。これでもトリミングなしなのです。利点は被写界深度が深いことです。ワンカットですが、斜めからの光が効果を発揮して元の姿が忍ばれます。
2021.05.30
芥子園画伝の人物屋宇譜からの「山水画の中に描く鳥や獣」の模写です。新藤武弘訳の転載をします。
『これらの点景動物は些細なことではあるが、やはり関係するところは非常に大きい。春を描くには、鳴き鳩や巣ごもりの燕を描けば、まさに春の画となり、秋を描くには、飛ぶ鴻(オオトリ)や宿る雁を描けば秋の画になる。そればかりでなく山や樹木の描き方でも季節の区別はできる。また暁を描くなら、ねぐらの鳥が林から飛びたち、犬が戸口で吠えているところを描けば、暁の画以外の何ものでもない。夕暮れを描くなら、鶏がねぐらにおさまり、小鳥が樹に帰るところを描けば、夕暮れの画でなくて何か。雨が降りそうなときは鸛(コウノトリ)が鳴き、雪が降りそうなときは鴉が群がりさわぐ。牛と馬は風上と風下がわかるといったぐあいに、画が生き生きと生動するのは、すべてこのような点にある。』
山水画は観察眼が鋭く繊細でもないといけないのがよくわかる文章ではないでしょうか。でも、現代の都会暮らしでは経験できないことばかりで若い人は共感できないようにも思います。
2021.05.25
前回の珪藻を暗視野でみるとこんな風になります。円形の珪藻でも、これは特別というわけです。
中央が青く輝くのが一番の特徴ですが、外周が薄緑色の細線で囲まれているところや左上の点も目立ちます。
群れの中に孤立しているような位置取りは神秘さを生み出しているようにも感じるのですが、皆様はどう思われましょうか。
2021.05.20
MWS珪藻プレパラートCOS-01(海岸)からです。タラシオシラ(ニセコアミケイソウ)というのかもしれません。
胞紋は被殻が薄くて見にくいのですが、画像処理したのでよくわかります。中央が凹んでいるのでピントを変えたものを半分づつにして合わせました。
暗視野でみると青く輝いて綺麗な中心目の珪藻です。この細かい胞紋が青色の元でしょうか。滅多に入っていない貴重品です。
2021.05.15
MWSのバルバドス放散虫ニセ散布スライドからですが、なぜニセ散布というのか考えてしまいますよね。思うに、多数で乱雑な配置なので散布スライドと思うは当たり前ですが、実際は大型の放散虫を、アトラスではありませんが四隅に支柱として配置してカバーグラスを支え、内部はかなり並べ替えているらしいのです。
東京は5月末まで緊急事態宣言が延長です。画廊はやっていますが、美術館は休館です。でも、都と国で足並みが乱れました。都は率先して、国はしぶしぶ休館です。
2021.05.10
Cities: Skylinesからタンクローリーです。石油特区を作るとたくさん走り出します。牽引車と台車+タンクは本物のように別々に動きます。車輪にはダンパーが効いていて曲がるときや止まるときなど派手なものです。
視点を変えるとどうなるかですが、上段が車の斜め上からでごく普通の絵です。右下はタンクの中です。タンク本体は完全に消えて牽引車と台車、それにタンク上部の部品になります。左下はタンク内部からわずかに出たところで、タンクの外装が一部見えます。
3Dの知識はないのですが、これを見ているとなんとなく作り方が想像できます。形を作って表皮を貼り付けるのでしょうね。表皮の裏は透明です。内部を表現しようとすれば、ここに内部を表皮として貼り付けるのでしょう。そうすればシュールな絵ではなく興味津々な構造図になります。見たいですが、ゲームの内容に無関係でとても面倒そうなことをする人はいないでしょうね。
2021.05.05
Cities: Skylinesから雨の明け方です。前回と同様に地下鉄に乗り込んだ人の視線なので地表を見上げています。夜は窓に明かりがともり街灯が街を照らし雨を浮かび上がらせています。芸が細かいです。
地下鉄入り口は四角いタイル張りの床に穴を開けただけの作りですが地中に埋め込まれた壁とタイル面の一部も表示されます。一方、建物の内面は窓枠などを別にして表示されていません。建物によっては内部が透けて見え、調度品もあり人も動いているのがあります。3Dキャドで造形してテクスチャを貼り付けていくのでしょうがリアル感があって凝ったことをするとたいへんな作業量と思いますがせっせと作って公開している人たちがいるのです。すごいですねえ。
2021.04.30
Cities: Skylinesの地下鉄出入口を中から見たところです。地表や路面を下部から見ると表示されません。建物も下からだと表示されない部分があります。人や車は足裏や底板が黒く表示されます。空は天候によりますが地下はブルースクリーンになっています。
地下鉄やそれに乗り込む人に視点を設定するとこのような情景になるわけですが、思いもかけず人が空中を歩くシュールな世界が出現するわけです。
2021.04.25
東京は25日から緊急事態宣言が発令されます。美術館は休館となり新美術館での国展の案内状を頂いていましたが無駄になりました。搬入や審査も終わり飾りつけ直前での中止です。出品者はさぞ無念の思いでありましょう。コロナの収束はいつになるのか全くの不透明で暗澹たる思いにかられます。今日の画像はそれとは関係ありませんが、破壊されたものが寄り集まっているところです。完全な形は想像しやすいですが左に貼り付けたものでよりわかると思います。MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からのフナガタケイソウで、Navicula pupula Kutzingというみたいです。
2021.04.20
春季新作家展出品の「夕暮れて」です。コロナ過の中、案内状は一枚も出していませんが今日から開催です。
精密描写にこだわってきましたが、ここにきて厭になっています。なぜか荒っぽいものに惹かれ、そのつもりで描き進めたのですが、やっぱり精密描写が顔を出してきます。体質の様なものでしょうか相当な努力が必要なんでしょうね。
6年前の銀座三越前での写真が元です。コロナですっかり消えましたが中国人の一団ですね。銀座のはずれにバスを止めて大挙して銀座を闊歩していました。似ていませんが、それらしく見えたら成功です。
2021.04.15
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写も飽きずにやっています。家屋だけでなく城壁や城門がでてきました。
このような城壁は日本人には馴染みがありませんが、中国や朝鮮それにヨーロッパでも街を囲む城壁は大事なもののようです。古代ギリシアは都市国家で互いを攻めあっているので絶対に必要な防御装置なのが分かります。
日本は外敵に襲われたのは蒙古ぐらいですが追い払っていますし、戦国時代でも武士は命のやり取りをしても、民は家財や作物を取られたり家を焼かれたりはしているようですが姿を隠して命までは取られなかったようです。滅ぼされた領主と運命を共にするようなことはなく新しい領主になるだけだったのでしょう。城壁が必要な国に比べてのんきな国だったのでしょうね。
しかし、明治以降は外国にまで戦いに行き、局地戦が総力戦に変化し、見境のない空爆が常識となり、全国がB29の猛爆を受け、ついには原爆を二発も落とされてしまいました。
街を囲む城壁のない、のんきな時代に戻れたら戻りたいものです。
2021.04.10
一口にハチと言ってもいろいろです。数センチのものから0.何ミリというのもいます。頭、胸、腹からなり胸に六本足と4枚の羽は変わらなくても様々な形をしています。いずれも進化の過程で獲得した意味のあるものなのでしょう。
このハチはアリバチと言うらしいですが、名前のようにハチよりアリにふさわしい体つきです。外骨格も脚も頑丈そうで、手ごわい相手を組み伏せてしまう様な習性ではないかと思える形です。
2021.04.05
古い写真です。肝心の顔に靄がかかってお見せするほどのものではありません。とはいえ、小生のものとしては上出来の部類です。いい位置でじっとしてくれるいい奴でした。
今月下旬に所属している会の春季展があり、せっせと絵を描く日々が続いているのが本来の姿なのですが遅々として進みません。コロナは欧米並みの被害はないものの収束するような気もしません。普通に出かけるのにも抵抗がありますし、漠然とした不安の中に放り込まれているせいでしょうか。
2021.03.30
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からのネイディウム(ハネフネケイソウ)の中心部です。
左上は欠けていますし、風化したような気配も見えます。生命を全うし泥中に埋もれていたものではないかと想像します。上下そろったものは静かな泥中に埋もれたもの。このような壊れたものは水の動きにかき回されたもののような気がします。
石灰岩や大理石は有孔虫の、チャートは放散虫の、そして、珪藻土は珪藻の死骸です。目には見えない小さな生き物が長い時間をかけて降り積もるとそうなるというのですが、こんな欠片でも降り積もって分厚い地層ができる。風化したような珪藻を見るとそんなことを思い浮かべて晴れ晴れとした気分になります。変な感じ方とも思いますが。
2021.03.25
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)のうちエンキオネマというらしい珪藻の比較をしました。
大きさは20〜30マイクロメータ、幅が9〜11マイクロメータです。10マイクロメータ当たり条線が11〜13個、胞紋が22〜24個です。赤点のあるなしの傾きを色変わりで入れてありますが、赤点を除いたほうがよりよく直線状に乗りますし、条線や胞紋の間隔も一定しています。
個数が少ないのではっきりしたことは言えませんが、大きいほうに偏っているのが不思議です。それと赤まるで囲んだ点の珪藻は左端のものですが、細すぎるので別種のような気もします。
2021.03.20
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)です。
このプレパラートは、いままで気づかなかったのですが上下に分離していない珪藻がかなりあります。なぜわかるかというと、ピントを上から下にずらしていくと下側でも表面の絵面になります。今日の画像はそのようなものの実例です。 上段が珪藻の上にピントがある時、下側が珪藻の下側にピントがある時の画像です。下のは綺麗な表面を観察できますが上のは内部の影響があるので見にくい絵面ですね。
生物顕微鏡は不思議な世界です。覗くたびになぜだろうなぁと思わずにはいられません。
2021.03.15
MWS珪藻プレパラートDL_TESTからのキンベラ(クチビルケイソウ)です。右上が全体像で、上端の丸くなっているところの拡大図です。キャップにあたるところが針でつついたような胞紋があります。本家は楽々と解像して「本日の画像」で紹介されています。なぜこのような細かい胞紋なのか想像もつきませんが知りたいところです。
それはともかく、全然解像できなかったのですが、最近成功したのがこの画像です。一見断続した線ですがほんとは綺麗な点です。いつになったら点になるのだろうかと天を仰いでしまいます。
2021.03.10
珪藻は胞紋間隔が種によって一定なのだそうです。それで珪藻のデータは縦横の大きさと10マイクロメートル当たりの胞紋数が記載されています。
簡単に調べられないかと工夫して定規を拵えて前回のクチビルケイソウの胞紋間隔を調べました。
長さの基準は0.01mmのマイクロメータです。この場合は対物レンズ40Xでの撮影です。上段の画像のように長さの校正をして0.01mmの矩形を作ってその中に定規を貼り付けました。その定規をクチビルケイソウの画像に貼り付け、色分けした測点を定規の上で動かして間隔を調べるわけです。デジタルならの作業です。
狭いほうで24と25個、広いほうで9と11個になりました。
ほぼ等間隔で並んでいますが、ところどころ乱れているようです。広いほうは中央と縁ではかなり異なるようですので、どの場所で測定するのかが大事なように思います。研究者の間では常識かもしれませんが素人でわからないのが残念です。
2021.03.05
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)から対物レンズ40Xで見たキンベラ(クチビルケイソウ)です。0.03ミリメートル程度のごく小さい珪藻で繊細な胞紋がかろうじて判別できています。目視だとよくわからなかったのですがモニターではっきりと確認でき撮影しました。鉱物がたくさんあっても、この程度だと綺麗な画像が簡単に得られます。
右側のは内部の様子で切り取って貼り付けました。下側の縁には凸型の空洞があるように見えます。これだけではなくて他の珪藻でも見られるのがあります。これはいったい何なのか、もしかしたら二重構造ではないかと思っているのですが定かではありません。
2021.03.01
MWS珪藻プレパラートMZK_01(池)からコッコネイス(コメツブケイソウ)です。え、どこにあるのと言われそうですが右下に青く見えているのがそうです。対物レンズが10Xなので視野が広く周辺のものがたくさん入ってきます。このプレパラートは、MWSとしてはとてもめずらしく鉱物がびっしりとひしめいていて、珪藻はその中から探し出すことになります。この鉱物は粘土でほとんど取り除いたのだそうですが、どうしても残ってしまうのでしょうね。ベタベタとひっついてくる粘土も透明で綺麗なものになっています。これ自体珪藻のようなものですから分離するのはとても難しいのでしょう。でも、鉱物を見る楽しみもあるので、これはこれで楽しいプレパラートです。
2021.02.26
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。新藤武弘訳の転載をします。
家屋の組み合わせ
山水のなかに家があるのは、あたかも人に眉目があるようなもので、人に眉目がなければ、のっぺらぼうとみられる。しかし眉目がうつくしくても、その配置がよくなければならない。 また眉目は欠くことはできないが、多過ぎてもよくない。もし身体中に目があれば、それは怪物である。つまり家屋を描くのにも地勢や前後の配置をわきまえずに、むやみに幾重にもかさねたのでは、怪物と異なるところはない。だからおよそ家屋をかくには、かならずその山水の本当の姿を詳細に観察すべきと私は言いたい。自然の中に家屋を配置すべき空所がおのずとあって、数丈の大画面でも一寸四方の小画面でも、人家を配置すべき適切な場所は、ほんの一二箇所しかない。山水に人家があれば風情が生まれるが、人家をごたごたと乱雑に描きこむと、まるで俗世間の気分になる。近ごろの画で、家屋を適切に配置したものはわずかしかない。ほかは山水は巧みでも、画中の家屋はまるでタニシのお化けか子供の泥遊びのようで、構図がまったく出来ていない。かって姚簡叔(允在)が描いた画には、黍粒ほどの小さな家が一二軒だけあったが、前後関係はきちんとしており、家なみの曲折には趣があって、山は家を見やり、家は山を見やる妙味があった。よく古典を学んでいるものといえる。
2021.02.20
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。新藤武弘訳の転載をします。
写意をきわめた人物画
ここに示す幾つかの例は、写意 (外形にとらわれずに精神内容を描くこと) の中でも最も写意的なものである。筆づかいは乱舞するごとくきわめて活発大胆で、ちょうど書家の張顛(張旭)の狂草のようである。しかし草書は楷書に較べるとむずかしい。だから古人(張芝)は「怱怱として(忙しくて)草書するひまがない」などと言っている。それと同様、草画(写意)は楷画に較べると大変にむずかしい。それゆえに「写」といい、しかもかならず「意」というのは、意(こころ)なしにむやみに筆を下ろしてはならないという意味である。画中の人物は、目はなくても見つめているように、耳はなくても聴いているように描き、一筆二筆のなかに筆外の意を十分に表現する。無駄な表現を省いて簡略化を徹底すれば、自然の趣が現れ、数百筆をもっても写し出せない味わいが表現できる。この一筆一筆の略筆は、頓悟禅のごとく突然に会得でき、微妙の域に入ることができる。
2021.02.15
またしてもMWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。
上段の深度合成した画像ではどう見てもみっちりと詰まっている平べったいもののように見えます。じっさい平べったい種類もあるので悩まなくてもよいのですが、いや違う球体に違いないと想像したのが下段の図です。
内部の太い黒格子のところから上がなくなり、角状のものも片方がなくなったのではないでしょうか。
そして、今までのものとは異なり殻の厚身が相当なものなので隙間が少ないし、内円もあと二つはありそうです。みっちり感満載で頑丈この上ない放散虫君なのでしょう。この丈夫さで荒波を耐えている姿を思い浮かべるといじらしい奴だなぁなどと妄想するのです。
2021.02.10
前回に引き続きMWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。放散虫は珪藻よりも知られていなくて研究も進んでいないようです。小生も初めて目にしたのは地質の本でした。チャートに含まれる化石の放散虫を調べるとはっきりしなかった地層の年代が明確になって喧々諤々と論争していたのがあっさり解決などということもあったようです。時代時代で姿かたちが異なっているので判別できるそうですが、ベースになる資料を作り上げるのはさぞ大変だったろうと想像します。たくさんの人の地道な作業が積みあがると大きな成果がもたらされる。ということでしょうか。
2021.02.05
MWS放散虫プレパラートJ482からの放散虫です。全体をCombineZMで深度合成すると何が何だかわからないものができます。なので、部分的に合成したものをGIMPで重ねて加工しました。出来栄えはともかくとして結構手間がかかっています。楽しいですけどもね。
検体の割れ欠け方が素晴らしいですね。中を覗いてくれと言わんばかりです。ほんとは中のものも円球なのですが中央がなくなって腰掛のようにも見えます。これはUFOの残骸で操縦席なのでしょう。極微の宇宙人がいると見えます。そんな思いが沸々と湧いてきます。
2021.01.30
だいぶ昔の写真ですが8ミリ程度のハチです。コマユバチかヒメバチかも定かではありませんが狩バチには間違いないでしょう。撮影後逃げられて、複眼が緑の金属光沢のはめったにいないのでがっくりきたのを思い出します。
12月でもこんな奴がやって来ていたのですが、このごろはさっぱりです。実体顕微鏡の出番もなくなってゲームにうつつをぬかす始末です。いけないですねえ。
2021.01.25
Cities: Skylinesは建物は地区を指定すればどんどん建てられていき、車や人が活動します。これらはアセットというカテゴリーで管理されていてゲームを購入した初期状態をバニラというらしいです。この女性はバニラの人で、工具箱を持つ女性が街中を闊歩するのも変な感じですがたくさん歩いています。
このアセットは3Dキャドが扱えてゲームに取り込む方法を理解すれば制作、公開できる仕組みです。有志の人たちが公開したものがたくさんあり導入すると楽しいことになります。人気がある由縁でしょうか。
2021.01.20
芥子園画伝の人物屋宇譜からの模写です。
点景としての人物ですから簡略化されます。一ページにこれだけの人物が配置されているのは点景でもさらに点景というところに使うのでしょう。こんな略筆でも肝心な細部がよく見えないので虫眼鏡の助けがいりました。
模写してわかるのは背中の曲がり具合とか顔の向きとか何気ないようですがすごいです。とても同じようにはできません。作者の筆は迷い無くサラサラと動いて完成したのでしょうが、こちらは原画をじっと見て慎重に動かすのですが描くそばから違いがでます。なので比べると−ふふん−です。
でも、これだけ見ている分にはなかなかじゃね。になりませんかね。
2021.01.15
MWS珪藻プレパラートDL_TESTからのキンベラ(クチビルケイソウ)です。このプレパラートは14個の珪藻からなっています。Jシリーズはたくさんの珪藻が並んで目移りしてしまうのですが、こちらは整然と一列に並んでいるのが心地よく落ち着いて検鏡できました。久しぶりでしたが新鮮な気持ちになりました。
正しく検鏡しているのか疑問もあり、どこまで分解できているのか判断のしようもないのですが、なんとかここまできました。
同じ種なのではないかと思うのですが、本家の画像とかなり違っているのをみると、点と点を結ぶところが解像できていないのでしょう。その結ばれ方が一番見たいところなのですが。
2021.01.10
MWS珪藻プレパラートCOS-01(海岸)からのコシノディスカス(コアミケイソウ)です。最近のMWS「本日の画像」は珪藻の電子顕微鏡写真に匹敵する解像度の驚異の画像のオンパレードです。努力していると見えてくるものです。というような言葉もあります。そうはおっしゃいますがの困難な道でいまだにたいしたことはないのですがコアミケイソウのものが出ていましたので挑戦しました。(作例はここの1月4,5日です。)。
肉眼ではまったくわかりません。これではならじとピントを変えてたくさん撮影です。画像処理の力を借りようという算段です。
そして、もう無いとあきらめかけた時に現れたのが、点と見えるか見えないかの微妙なものですが下段の画像です。しかも縁の方しかありません。曲面のところなので見えたのでしょう。本家のは明確な点で、細かくて数も多いのに比べればなんだかぁの世界ですが、見えてよかった嬉しいなの心境です。
2021.01.05
年賀状に使う燕文貴の「江山楼観図」の模写も四回目になります。
巻物形式は東洋独特のものでしょうか。日本だと絵と文章が交互に出てきたりするものもありますが、この巻子は河口から源流まで絵だけで延々と描き継がれているわけです。
本来はその移り変わりを楽しむものだと思いますが、こうやって一場面を切り取っても楽しめるのは優れた絵画の特徴だとも思います。
また、本物の素晴らしさを十全に現していなくとも、優れた絵画の模写は何かしらの働きを見る人にするようにも思います。