無断転載・引用・複写、及びやおい作品へのご利用は固くおことわりしますm(__)m。
他HP、同人誌・商業誌(創作も含む)、レポート等の参考にされた場合は
参考資料欄に泡沫のタイトルとアドレスを明記するなど著作権と論文作法を守ってください。
◆=京都守護職・幕末のできごと ◇=御陵衛士(新選組)のできごと
(「今日の幕末」過去ログの再整理なので西暦が先にきています)
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年2月◇1867年3月8日(慶応3年2月2日)−伊東、大宰府到着。真木らに会う◆1867年3月14日(慶応3年2月12日)-会津侯、守護職辞任を書面提出 |
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年4月◆慶応3年4月8日(1867.5.11)−会津藩、容保帰国願いの上書提出◆慶応3年4月12日(1867.5.15)−薩摩藩島津久光・西郷、率兵入京 ◇慶応3年4月15日(1867.5.18) 新選組田中寅三切腹 ◆慶応3年4月15日(1867.5.18)−パークス伏見街道通行を所司代許可。議秦・伝秦四卿の責任問題。 ◆慶応3年4月17日(1867.5.20)−四卿解職、薩摩・因幡・備前に京都市中&伏見・大津警備の勅命 ◆慶応3年4月18日(1867.5.21)−慶喜、定敬、板倉参内。三藩朝命取り消し。(議秦人事をめぐる幕府・雄藩の対立) ◇慶応3年4月19日(1867.5.22)−新選組山崎奨、中山忠能訪問 ◆慶応3年4月23日(1867.526.)−いろは丸沈没。会津候松平容保、参議を拝受 |
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年5月 |
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年6月◇慶応3年6月10日(1867.7.11)−新選組総員幕臣取りたての内示/新選組尊王派横死事件(1)尊王派、幕臣取立てに反発◇慶応3年6月13日(1867.7.14)-新選組尊王派横死事件(2)幕臣取立て反発尊王派、会津侯への上書提出 ◇慶応3年6月14日(1867.7.15)−新選組尊王派横死事件(3)尊王派会津藩邸で横死 |
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年7月◇慶応3年7月3日(1867.8.26) 伊東、中岡慎太郎と会う |
慶応3(1867)年のできごと |
慶応3年8月◇慶応3年8月8日(1867.9.5)御陵衛士、柳原前光・板倉伊賀守に建白◇慶応3年8月21日(1867.9.18)、伊東・新井、大宰府で真木外記に会う |
慶応3年10月 |
◆慶応3年10月3日(1867.10.29)−後藤、老中板倉に大政奉還提出 ◆慶応3年10月4日(1867.10.30)−後藤ら、会津藩と面会。大政奉還建白提出を通知。 ◆慶応3年10月5日(1867.11.1)−大久保、中御門経之に「討幕続行」約束/近藤、大政奉還の写しをみせてくれるよう後藤に頼む。 ◇慶応3年10月6日(1867.11.2) 陸援隊への新選組間者村山謙吉、新選組に誤認逮捕・釈放の擬装工作/大久保・品川、岩倉・中御門と会談(王政復古の詔勅と職制案) ◇慶応3年10月8日(1867.11.3) 新選組、永井尚志の警護につく。/大久保・西郷・小松、三藩会議。芸藩武力討幕に戻る。西郷・大久保、討幕の宣旨降下を請う趣意書を中山忠能・三条実愛・中御門にに提出 ◇慶応3年10月9日(1867.11.4) 近藤、薩摩・十津川挙兵計画を会津藩に報告/長州出兵延期の使者上洛。坂本、入京。陸援隊屯所訪問。 ◆慶応3年10月11日(1867.11.6)−薩摩、即時挙兵の見合わせ。(薩土盟約への回帰) ◆慶応3年10月12日(1867.11.7) 近藤ら、大政奉還は尾張・越前の陰謀と誹謗する ◆◇慶応3年10月13日(1867.11.8) 長州へ官位復旧の宣旨。新選組、中山忠能邸を監視するが失敗/慶喜、二条城に重臣召集。大政奉還の是非を諮問/討幕・会津&桑名討伐の密勅が薩摩藩へ。 ◆◇慶応3年10月14日(1867.11.9) 倒幕の密勅が長州に−大政奉還の秦上。近藤、正親町三条実愛訪問。/この頃、新選組・見廻り組、土佐藩士をつけねらう ◆慶応3年10月15日(1867.11.10) 大政奉還の勅許(岩倉をのぞく倒幕派公卿は満足) ◆慶応3年10月16日(1867.11.11)-慶喜、沙汰の疑義を確認。諸大名に上京の勅命/岩倉、大久保に対して会津・桑名の薩土芸藩攻撃の動きを知らせる ◆慶応3年10月17日(1867.11.12)-慶喜、予備会議開設の建議/江戸城中の大評議/久光の率兵上洛を促すために小松・西郷・大久保、京を発つ/新選組、小松・西郷らを大坂まで後をつける ◆慶応3年10月18日(1867.11.13)-慶喜、徳川への委任権限8か条の伺。/岩倉具視、中岡慎太郎と薩摩藩邸を密訪し、吉井・伊佐治と会談/坂本、望月清平宛書簡。幕吏が狙っているので薩藩邸へと吉井にいわれたが断る。藩邸にはいりたいのでよろしくとの内容。 坂本、月真院を訪問? ◇慶応3年10月19日(1867.11.14)-近藤、正親町三条実愛を再び訪問 ◇慶応3年10月21日(1867.11.16)-土方、新入隊士ら30人とともに江戸を出立する/討幕密勅の中止の沙汰書が中山から薩摩藩吉井幸輔へ。/江戸の幕府、大名・旗本らに総登城を命じて大政奉還を伝える。 ◆慶応3年10月22日(1867.11.17)-朝廷、伺に対して諸大名上京までは日常業務8か条は従来通りと返答/尾張慶勝、容保に守護職引退を勧告 ◆慶応3年10月23日(1867.11.18)-紀州・会津・肥後・津始め10万石以上諸藩士会合して「両三藩」について紛議。 ◆慶応3年10月24日(1867.11.19)-慶喜、将軍職辞表を提出。 ◆慶応3年10月26日(1867.11.21)-外交・内政これまで通りの沙汰 ◆慶応3年11月27日(1867.11.22)-尾張慶勝、率兵せず入京。 ◆慶応3年10月30日(1867.11.25)?-慶喜、仏公使ロッシュに大政奉還を通告する直書を送る。 |