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9. 参議諸侯関連会合(朝廷参豫会議、二条城会議、参豫集会等)概容
文久3年11月、将軍後見職一橋慶喜入京後、有力諸侯が慶喜の宿舎等に集まって国事を談じたり、合同で朝幕に意見書を提出するようになった。彼らの主だった者は、同年12月〜翌文久4年1月にかけて、朝議参豫に任命された。参豫諸候は、朝議(朝廷参豫会議)に参加しただけではなく、二条城で幕閣と、また中川宮等とも会合をもち、参豫同士でも集まって国事を談じた。仮に二条城における会議を二条城会議、参豫3名以上が参加した集会を参豫集会とする。参豫諸候が、就任前も含めて、国事を談合した会合を下表に整理した。これには、参豫諸候の集団行動(上書提出等)も含めた。このうち、朝廷参豫会議は黄色で塗りつぶしてハイライトした。また、参考までに、参豫の会合に関連する重要政治事項及び参豫の進退についても記載し、それぞれ、桃色・青緑色をつけて、他と区別した。

表:参豫諸候関連会合の一覧
日付 場所・種類 参加状況(○) 議題/結論
慶喜 春嶽
久光 容堂 容保

文久311/26 将軍後見職慶喜入京。春嶽、慶喜と会談
11/28 後見職邸 X - X 長藩家老井原入京問題:会津藩の建議を容れ、入京不可決定
12/1 後見職邸 - X 長藩家老入京問題
12/5 後見職邸 X - 有力諸侯の朝議参加(薩摩藩提案)、中川宮擁護(在京諸侯連署の上書提出)*久光は体調不良で欠席
12/6 二条右大臣邸 - 将軍家茂の上洛督促・長州処分について朝廷側から諮問。
*所司代稲葉正那、筑前藩世子、肥後藩主弟も参加
12/10 (上書) - 将軍上洛:老中に連署して促す(慶喜は6日に上書提出ずみ)
12/11 御所 X - 長藩家老入京問題の下問。
12/14 後見職邸 - 長藩家老入京問題:帰国を命じることを決定
*久光は風邪で欠席。代理を派遣。所司代稲葉正邦、筑前藩世子黒田慶賛も参加
12/16 朝廷、井原の入京嘆願を退け、帰国の沙汰
12/18 中川宮邸 X X - X 総裁職松平直克叱責(幕府の旧習への回復は非)、久光叙任等
12/19 後見職邸 - X 長藩家老入京問題:伏見へ朝廷の使者派遣・口上聞き取りを評決
*途中で久光の使者参上
12/20 朝廷、伏見へ使者派遣・聞き取りを決定
12/21 中川宮邸 X - X 慶喜らの朝議参加、久光の叙任等
12/22 (二条城) 春嶽、慶喜に迫り、政体一新・二条城の諸候集会に同意を得る。
12/25 二条城 X X - 有力諸侯の朝議参加(宗城・久光欠席で散会)
*宗城・久光は招かれたが欠席。長岡良之助・黒田慶賛も参加。
12/28 容堂、入京
12/29 御所 X X X 前勧修寺門主(→山階宮)の還俗。*宗城は体調不良で欠席。
12/30 慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参豫に任命される
文久4
1/2
後見職邸
(参豫集会)
× 参内頻度(2日間隔)、横浜鎖港(久光、鎖港交渉使節派遣中止・武備充実主張)
*容堂、辞意を春嶽に表明
1/4 御所(二条関白謁見時) - × 前勧修寺門主(→山階宮)の還俗を建言
1/8 将軍徳川家茂、大坂上陸
1/8 御所(朝廷参豫会議1) × - × 前勧修寺門主親王宣下、久光の官位
1/9 春嶽邸(参豫集会) × 容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕議参画を議定 (慶喜の後見職辞職・総督就任も議論される)
1/11 御所(朝廷参豫会議2) - × × 将軍参内日程、久光の官位の下問
1/13 御所(朝廷参豫会議3) - × × 前回の下問に上答。新たな議事なし
1/13 朝廷、久光を朝議参豫に任命
1/15 将軍入京
1/15 久光邸(参豫集会) × × × 政令帰一(急務とする)、長州処分(幕府に委任)
1/17 御所(朝廷参豫会議4) × × 公武一和の方針
1/19 二条城 × × 久光、登城。家茂と初めて閲す
1/21 将軍に宸翰(内諭)。←公武一和、無謀の攘夷を排した国是決定、参豫諸侯との協力。
1/22 二条城 × × × 将軍、21日の宸翰を示して協力依頼
1/23 御所(朝廷参豫会議5) × × 朝議なし。(但し、21日の宸翰公表の質疑応答あり)
1/24 二条城会議1(蘇鉄間) × × 容堂激して先に退出
*この日、春嶽御用部屋入り
1/25 二条城会議2(御用談所) (○) × × 長州処分1/9の参豫集会の結論に幕閣同意)
1/27 将軍に宸翰(詔書)。←長州必罰、攘夷のための幕府・諸藩の武備充実、朝廷と幕府・諸藩の協力による天下一新。
1/28 二条城会議3
(御用談所)
× × 長州処分(容堂と久光の対立)
1/28 後見職邸(参豫集会) × 参豫の御用部屋入り、長州処分
2/2 二条城会議4
(慶喜詰所)
× × 1月27日の宸翰公表、横浜鎖港、長州処分
2/5 二条城会議5
(慶喜詰所)
× × 1月27日の宸翰公表、長州処分(征長軍部署決定)
2/8 二条城会議6
(慶喜詰所)
× × × 長州処分(支藩・家老の大坂召喚と訊問、三条実美ら引渡し、不服従なら征討)
2/8 関白邸 × 長州処分(上記二条城会議の結論で決定)*朝幕の要職参加。
2/11 幕府、関係諸藩に征長部署を通達
2/11 (意見書) X × 慶喜に対し、連署で天下一新を建議
2/13 御所(朝廷参豫会議5') × × × <御前会議>
長州処分について下問
2/14 家茂参内、宸翰(1月27日)の請書提出
2/15 御所(朝廷参豫会議6) × × <御前会議>
横浜鎖港:朝廷、請書の文言に疑念を呈し、急速な横浜鎖港を命じる。慶喜と開国説の春嶽・宗城・久光の意見対立
2/16 幕府、宗城・久光・容堂の御用部屋入許可
2/16 中川宮邸 × × 横浜鎖港:慶喜、激論。「薩摩の奸計、三人は大愚物」と暴言。横浜鎖港の新たな請書提出を言明。
2/18 幕府、横浜鎖港請書提出。(春嶽・宗城・久光、同意する意見書提出)
元治1
2/21
朝廷、容堂の参豫辞任許可
2/24 御所(朝廷参豫会議7) × × 長州処分:長州藩末家・家老・吉川監物の大坂召命を決定
*他の在京諸侯5名(津藩主、筑前藩・芸州藩世子、肥後藩主弟)も参加
2/25 朝幕、長州藩末家・家老・吉川監物の大坂召命通達
2/28 容堂、帰国
2/29 朝廷、長州末家ら大坂召命を一時停止
3/2 御所(朝廷参豫会議8) × - × 長使入京問題(1)結論が出ず、朝廷、各諸侯に意見書提出を命じる
*他の在京諸侯6名(備前・阿波藩主、津藩・筑前藩世子、肥後藩主弟)も参加
3/4 御所(朝廷参豫会議9) × × - × 長使入京問題(2)長使入京可否は万一の事態に関するの幕府の「保証」次第と結論
3/5 二条城(御用部屋) × × × - × 長使入京不可決定
3/5 御所(朝廷参豫会議10) × × × - × 使入京問題(3)末家以下大坂召喚を再決定
3/5 朝廷、長州に末家ら大坂召命を通達
3/9 慶喜、参豫全員の辞表提出
3/12 二条城(御用部屋) X - × 「両都両港」の開港、長州末家等大坂召喚時の警衛、公卿邸への諸藩士立ち入り取締り
3/13
〜14
参豫全員の辞任が許可される
3/17 久光・宗城、御用部屋入りを辞退
3/21 春嶽、幕府に守護職辞表を提出
3/25 朝命により、慶喜の後見職解任、禁裏守衛総督・摂海防御指揮職就任
4/7 幕府、春嶽の守護職解任&容保の京都守護職復職を命じる
4/8 朝廷、春嶽・久光・宗城の帰国を許可
4/10 近衛邸 X - X 議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要
4/11 宗城、退京
4/16 慶喜・幕閣、連署して、庶政委任を含む尊奉18か条を奏聞
4/18 久光、退京
4/19 春嶽、退京
4/20 幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項四条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分・物価安定)に関する勅書

参考文献:リンク先をご参照ください

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