長州藩年表&日誌トップ 長州トップ&事件簿 HPトップ

幕末長州藩年表(7)文久4/元治1年

文久3年(1862)← →慶応1年(1865)

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
長州藩に関る主なできごと
(主要事件概略はこちら
その他の幕末の主なできごと

1

◆文久4年1/9【京】参豫集会:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕議参画等を議定
◆1/10【京】長州処分:因幡藩主池田慶徳、攘夷の貫徹・三条実美らと長州藩主父子への寛典を建議
◆1/15【京】)長州処分:参豫の容堂・宗城・久光、政令帰一を急務とし、長州処分は幕府に委任するようにとの建議をすることを合意/長州藩主毛利敬親、朝幕に下関通過の外国型邦船は藩に通告後に通航すること等を諸藩に布告するよう求める/
◆1/18 桂小五郎、入京
◆1/21【京】将軍家茂参内。宸翰(内諭)を受取る(最近の情勢は天皇に非があること、天皇と家茂との親睦が天下挽回に重要であること(朕汝を愛すること如子、汝朕を親むこと父の如くせよ)、無謀の攘夷は好まず、幕府で議論した結果に基づき一定不抜の国是を定めたいこと、容保・春嶽・宗城・久光との協力を望むこと)(実は草稿は薩摩藩)/長州東上(1)【京】桂小五郎、藩の要路に対し、久坂玄瑞及び奇兵隊士の上京不可の書を差し出す
◆1/22【長】三条実美、水野正名・土方久元・真木和泉・宮部鼎蔵と議する
◆1/24【長州】高杉、藩主・世子の命で進発論の遊撃隊鎮静の親書を来島又兵衛に渡して説得(木島聞き入れず)
1/25)【京】長州処分:幕閣、参豫諸侯の長州征討案に同意【京】将軍家茂、守護職と総裁職に昨秋以来の労をねぎらい、金品を与える
◆1/27【京】将軍家茂、在京諸侯42名の面前で、宸翰(詔書)を受取る (軽率の攘夷及び討幕を企てた三条実実らと長州藩の「暴臣」は必罰だがその責任は天皇にあること;攘夷のために旧典を改め、冗費を省き、幕府・諸藩の武備充実すること;公武一和によって天下一新をすること)(草稿は薩摩藩)。
◆1/28【長】高杉晋作、脱藩(在京の久坂・桂らと木島の進発論対策を話し合うため)
◆1/13【京】朝廷参豫会議4。議事なし/島津久光(薩摩)、朝議参豫を命ぜられる。従四位下に叙される
◆1/15【京】将軍家茂二度目の入京、二条城へ
◆2/1【長州】長州藩主、遊撃隊士に時機を待つよう諭す/亡命を禁じる/
◆2/2【坂】高杉、上坂。久坂・桂・宍戸と会合。3名も進発論に反対。
2/3長】長州東上:藩主敬親父子、家老宍戸備前・福原越後とともに三条実美訪問。
◆2/4【長州】長州東上:三条実美、水野丹後(正名)・真木和泉守・宮部鼎蔵・高木元右衛門と東上を謀議
◆2/5)【京】仏艦隊下関襲撃の噂が京都に届き、これを阻止するため、勝海舟の長崎派遣を決定/
◆2/6【京】朝廷、三条実美らの建白書の受け取り・使者退京を決定/【長】長州藩、武器を他藩に売ることを禁じる
◆2/8【京】朝幕、(1)長州支藩及び家老の大坂召喚及び訊問、(2)三条実美らの京都還送、(3)違背すれば征討を決定/
◆2/11【京】幕府、征長出陣部署を決定し、諸藩に長州処分の内意通達/守護職更迭(2)容保の守護職を更迭し、陸軍総裁職と征長軍副将に任命(&藩論)
◆2/12【周防】長州義勇隊の薩摩藩船焼き討ち事件(上関事件)。
◆2/13【京】朝廷参豫会議(御前会議):長州処分について下問(慶喜・容保・容堂欠席)
◆2/15)長州藩主毛利敬親、藩庁を山口に移す許可を幕府に乞う/長州藩、城代毛利出雲に率兵上京を命じる
2/22【京】会津藩邸会議:長州藩末家の召喚手続きを議論/長州処分:肥後藩主兄弟、朝廷と幕府に対し、朝旨をもって、まず長州藩主毛利敬親を説諭し、幕府が非違を糾弾するよう建議/
◆2/24 【京】長州処分:朝廷による末家・家老の大坂召命を決定【阪】横浜貿易商暗殺
◆2/25(4.1)【京】長州処分:朝幕、訊問のため長州藩支族・家老ら3名の「御用」を理由とした大坂召命を通達/
◆2/26 【坂】長州義勇隊士に焼き打ちされた薩摩藩船船主大谷仲之進が梟首される。傍らに義勇隊水井精一・山本誠一郎の割腹した遺体(久坂玄瑞らの強要)
◆2/27【京】長州処分:因幡藩主、攘夷の速やかな実行・長州処分寛大を幕府に建議/備前藩主、勅使の長州派遣・三条実美らの京都召還・寛典等を建白/京都町奉行小栗政寧、洛内外の「暴徒」捕縛を命令/
◆2/28【京】長使入京問題:筑前藩世子、長州藩支族・家老らの京都召命を建議/備前藩主、長州藩主父子の処分寛大を幕府に建議/
◆2/29【京】長使入京問題:朝廷、長州藩支族・家老等の大坂召命一時見合わせ決定(久光・宗城嘆息)/長崎の勝海舟、長州処分寛大の建議を認めた書を送る
◆2/8【京】孝明天皇、容保に極秘の宸翰を下付。その「誠忠」を称え、「密事」の周旋を依頼する。

◆2/14)京】宸翰請書:家茂参内、宸翰(1月27日)の請書を差し出す(&横浜鎖港に関する朝廷の疑念・幕府の裏事情)
◆2/15【京】宸翰請書:幕府、1月27日の宸翰及び請書を布告/春嶽を守護職に任命&春嶽、参豫の幕政参加による「政体一新」主張/宸翰請書・朝廷参豫会議(御前):朝廷、請書に疑念を示し、急速な横浜鎖港を命じる。慶喜と開国説の春嶽・宗城・久光の意見対立(容保・容堂欠席)。
◆2/16【京】幕府、参豫諸侯の御用部屋入りを命じる/参豫会議解体(2)諸侯(慶喜・久光・春嶽・宗城)、中川宮を訪問、慶喜激論し、横浜鎖港の新たな請書提出を言明・「薩摩の奸計、三人は天下の大愚物」と暴言。(参豫会議は急速に解体へ)/守護職更迭:容保、軍事総裁職を請ける&孝明天皇、容保に再び宸翰(任務後の守護職復帰要請
◆2/18【京】横浜鎖港:幕府、請書提出&春・宗・久、同意の意見書提出/
◆元治元年2/20(3.27)元治と改元。
◆2/21【京】横浜鎖港の成功及び摂海防御を急務とする朝命
◆2/24【京】備前藩主池田茂政(慶喜異母弟)入京【阪】横浜貿易商暗殺
◆2/26【京】幕府、在京諸侯を二条城に召し、国是を諮問/

◆2/28【京】前土佐藩主山内容堂帰国の途に

3

◆3/1【長】三条実美、水野丹後・真木和泉守等を従え、長州藩主父子を訪問/藩主、筑前藩世子・備前藩主の使者引見
◆3/2(4.7)【京】朝廷参豫会議:長使入京問題等議論。結論が出ず、朝廷、各諸侯に意見書提出を命じる/升屋宅に将軍・中川宮・久光・春嶽批判の張り紙/
◆3/4【京】朝廷参豫会議:長使入京可否は万一の事態に関するの幕府の「保証」次第
◆3/5【京】幕府,、長使入京不可決定。朝議、長州藩末家大坂召喚を決定(春嶽のみ参加)。長州藩に通達/
◆3/7【長州】藩主毛利敬親、藩士有福半右衛門に上京を命じる。家老国司信濃・遊撃軍らの上京を京都留守居に知らせる
◆3/10)【京】筑前藩世子、長州は容易に悔悟しない様子だと宗城に伝える
◆3/18長州】藩主毛利敬親、末家ら3名の大坂召命につき、藩士に父子どちらかによる率兵・大挙上京を告げる。また、吉川監物に召命を断らせる。
◆3/19【長州】久坂玄瑞、桂の書状をもち、水戸藩士山口徳之進と帰藩。大挙上京延期
◆3/25【長州】久坂玄瑞に上京命じ、遊撃隊木島又兵衛ら12名を同行させる。藩命を待たずに随従する者、50余人/高杉、山口に入る
◆元治元年3/26(1864.5.1)長州】三条実美ら、従士ら100余人を連れて下関視察に出発
◆3/27(5.2)【天狗党】筑波挙兵/
◆3/28)藩主毛利敬親、家老・末家の入京を朝幕に請う。また、三条実美らの復職・藩主父子いずれかの上京を朝廷に請う。
◆3/29【長州】高杉晋作、脱藩の罪により家禄没収・野山獄に投獄される
◆3/9【京】参豫解体:慶喜、参豫諸侯の朝議参豫辞退を願い出る。(朝廷参豫会議の廃絶へ
◆3/15【京】春嶽の守護職辞任:中根雪江を遣わし、守護職辞退の意を慶喜に伝える(平岡・黒川応対)/中根、中川宮にも伝達。中川宮、薩越退京後の政情(水・因・備の勢力拡大)を危惧/川越藩家老山田太郎左衛門、越邸を訪ね、朝幕の不評判を理由に春嶽の辞任勧告(狛山城対応)/
◆3/16)【京】幕府、朝旨に基づき、在京諸侯に国是を諮問/慶喜の総督・指揮就任:宗城・久光、慶喜の総督内願は「姦計」と歎く
◆3/17【京】参豫の幕政参加:久光・宗城、御用部屋入り辞退を慶喜に申し出る/
◆3/18【京】:宗城、慶喜の「京摂守衛総督」就任に関する疑惑を久光に伝える【京】東山曙亭にて、尾張・水戸・加賀・筑前・備前・因幡・津等の諸藩士、尾張藩附家老成瀬正肥の家士、攘夷を議す
◆3/21【京】春嶽の守護職辞任:春嶽、守護職辞表を幕府に提出。
◆3/22【京慶喜の総督・指揮就任:宗城、近衛家で中川宮・久光と集会。慶喜の任命熟慮を入説。中川宮・近衛前関白、慶喜への懸念から春嶽留任を希望
◆3/23【京】幕府、守護職・町奉行・新選組に市中守衛を命じ、諸藩の警衛を廃止する/
◆3/25【京】朝命により、慶喜の後見職解任、禁裏守衛総督・摂海防御指揮職就任


4
◆4/3(5.8)【京】長州処分:朝廷、慶賛に長州藩の恭順説得の沙汰を下す。
◆4/5【長州藩】敬親、朝幕に外国艦来襲時の先制攻撃を請う。幕府、却下。
◆4/9【京】長使入京問題:慶喜、長州藩主父子に書を送り、朝命に従い使者を東上させるよう勧告
◆4/10【京】近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。近衛邸に春嶽・宗城・久光ら参集。議奏の急速鎖港主張、長州藩の藩主父子の上京願・七卿帰京復職要請を議す
◆4/13【長州藩】毛利敬親、家老らを因幡・津和野・備前に派遣し、攘夷応援を依頼し、1月27日の勅諚に関する藩論を質させる。/敬親、藩士宍戸左馬之介を大坂に派遣。浪士渕上郁太郎、上京。
◆4/15【長州藩】藩士野村靖、吉田稔麿京から帰国。
◆4/17【京】長州藩京都留守居乃美織江、桂小五郎を伴い、議奏正親町三条実愛に謁し、攘夷親征の朝議回復を議す
◆4/18【京】桂小五郎、京都留守居に。浪士、中川宮の諸大夫武田相模守宅を襲撃。母・従士を殺害。
◆4/19【坂】長州東上:長州藩士木島又兵衛・桂小五郎・寺島忠三郎・久坂玄瑞ら大坂藩邸に参集。世子毛利定広の率兵上京を議す
◆4/20 【京】庶政委任:幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項四条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分の幕府一任・物価安定)に関する勅書(別紙)(「無謀之攘夷は不可)。同時に、朝廷尊奉18か条の奏聞への沙汰も【京】容保再任:幕府、容保の守護職辞表を再度却下
◆4/23【長州】赤根武人 奇兵隊全員の士分取り上げにつき、政事堂に願書を提出
4/23【長州】七卿の錦小路頼徳、下関で病死
◆4/3【京】 総督・指揮:慶喜、水戸藩執政武田耕雲斎に上京助力を依頼
◆4/7(5.12)【京】春嶽、守護職解任&容保に京都守護職復職の幕命【天狗党】幕府、関東諸藩に天狗党警戒を命ず。
◆4/9【京】朝廷、令して、非常時の参内の仕方、及び御所九門・六門の警備担当を定める
◆4/11【京】所司代稲葉正邦の老中任命&桑名藩主松平定敬の所司代任命/伊達宗城退京。
◆4/12【京】備前藩主池田茂政退京。
◆4/15【京】肥後藩主・弟、長岡良之助退京
◆4/16【京】庶政委任:慶喜・幕閣、連署して、庶政委任を含む尊奉18か条及び供御15万俵増貢を奏聞(&朝廷の回答)。
◆4/18【京】島津久光退京
◆4/19【京】幕府、禁裏守衛総督・守護職・所司代に市中巡邏・警衛を命じる。/松平春嶽退京
◆4/21【京】中川宮、国事扶助を辞退
◆4/22【京】容保、守護職の請書提出
◆4/23【京】一橋家臣平岡円四郎、中根から市中潜伏の「暴人」決起に対する警備体制を問われると茫然として老中に言上すると述べる
◆4/24【京】幕府、市中警備徹底の町触れを出す
の時勢を談じる【江】幕府、京都見廻役新設を通達。 
◆4/29【京】将軍参内。4月20日の勅書に奉答。慶喜&幕閣、朝廷尊奉18か条を奉承。【天狗争乱】幕府、水戸藩に領内鎮撫を命じる
5
◆5/5(6.8)【京】長州処分:朝廷、長州藩末家入京の許否及び元老中小笠原長行の官位復旧を討議。/【長州】周布 野山獄の高杉を訪問→謹慎へ
◆5/10【京】長州処分:朝廷、長州藩に勅使大坂派遣停止を通達。議奏正親町三条実愛、辞職を請う
◆5/12【江】桑名藩士高野市郎左衛門、会津藩士らとともに在府老中板倉勝静に謁し、常野屯集の浪士と長州藩が結託していると告げ、将軍退京不可を入説。
◆5/19(6.22)長州藩】世子毛利定広、率兵上京の随員の任務を定める
◆◇5/20(6.23)【江】四国艦隊下関攻撃:幕府、蘭国総領事に下関襲撃猶予を求める
◆◇5/21(6.24)【京】四国艦隊下関攻撃:慶喜、長州藩京都留守居乃美織江に対し、不日の外国艦下関襲撃の風聞を告げる【江】四国艦隊下関攻撃:蘭国総領事、幕府に対し、7月1日期限の謝罪・賠償を要求。


◆5/22(6.25)【京】浪士、会津藩士松田鼎を殺害・梟首
◆5/25(6.28)【京】長州処分:朝廷、長州藩に末家・家老の上坂停止・幕命を待つようと命じる
◆5/27(6.30)【京】浪士、中川宮家臣を殺害・梟首。因幡藩主催の親長州諸藩有志会議(宮部鼎蔵ら)。長州復権を議す。【長】久坂・品川、山口着。中岡慎太郎着。三条実美・藩主らに京都の事情を報じる/長州藩、家老国司信濃に上京を命じる
◆5/30(7.3)【長州】家老福原越後に江戸行を命じる
◆5/2(6.5)【京】将軍暇乞の参内。朝廷、慶喜に鎖港決行・滞京を、政事総裁職松平直克に水戸藩主徳川慶篤と協力しての横浜鎖港尽力、老中稲葉正邦・水野忠精に滞京・守衛を命じる
◆5/7【京】将軍退京。大坂城入城。
◆5/8(6.11)【京】朝廷、幕府への庶政委任を諸藩に通達。議奏柳原光愛、辞職を請う
◆5/10(6.13)【江】松平直克、帰府。幕府、京都守衛のために別手組200人を上京させる
◆5/12(6.15)【京】幕府、諸侯の京都発着は禁裏守衛総督・守護職・所司代・町奉行に稟申するよう命じる
◆5/16(6.19)【京】将軍、大坂出港。
◆5/17(6.20)【外国】横浜鎖港交渉使節、フランス政府とパリ約定を調印
◆5/19(6.22)【京】慶喜、帰京。
◆◇5/20(6.23)【江】将軍帰府
◆5/22(6.25)【京】朝廷、水戸藩主に横浜鎖港の断行に尽力を求める。幕府、慶篤に伝達/浪士、会津藩士松田鼎を殺害・梟首
◆5/24(6.27)【京】幕府、軍艦奉行勝海舟を神奈川に派遣。
◆5/26(6.29)【京】見廻組(蒔田組)着京【江】幕府、水戸藩に筑波勢解散を命じ、尊攘激派武田耕雲斎を譴責する。
◆5/27(6.30)【京】浪士、中川宮家臣を殺害・梟首。宮部鼎蔵ら東山料亭で会合。
◆5/30(7.3)【天狗・諸生】天狗党、筑波山転陣
6
◆◇6/1(1864.7.4)【京】宮部鼎蔵の下僕ほか、捕縛される この頃 市中警戒強化&新選組逸脱行為/水戸藩、市川派の市川三左衛門・朝比奈弥太郎・佐藤図書、鎮派の戸田銀次郎を執政に任じる。
◆6/4(7.7)長州藩、世子の上京を藩内布告
◆◇6/5(7.8)【京】池田屋事件(1)
◆◇6/6(7.9)【京】池田屋事件(2
◆◇6/8(7.11)【京】池田屋事件(3)批判の張り紙/近藤、与力上席内示を故郷に報じる 
◆6/9(7.12)【京】池田屋事件(4)長州藩、慶喜に抗議/
◆◇6/10(7.13)【京】池田屋事件(5)明保野亭事件(会津藩士柴司、土佐藩士麻田時次郎を浪士と誤まって刺す)(1) 幕府、池田屋残党追討令。古高らを六角獄へ。
◆6/15(7.18)長州藩、進発開始
◆6/21(7.24)池田屋事件をきいて進発した長州軍着坂。会津藩、見廻組、新選組、彦根藩、大垣藩京都の警戒につく/【長州】高杉、野山獄から出されて自宅謹慎
◆6/24(7.27)【京】薩摩藩、淀への出兵を拒否。長州先発隊家老福原越後と遊撃隊500名余、伏見到着。真木和泉・久坂玄瑞ら諸隊、山崎屯集
◆6/25(7.28)【京】長州藩留守居役乃美の言上。一条家門流38名の建白
◆6/26(7.29)【京】長州浪士、嵯峨屯集
◆6/27(7.30)【京】長州、京都来襲の噂。容保・会津藩兵御所内に。孝明天皇、長州兵入京拒否の勅。
◆6/29(8.1)【京】慶喜に長州処分諸事委任の朝命(慶喜1度めの長州退京勧告)
◆6/1(1864.7.4)水戸藩、市川派の市川三左衛門・朝比奈弥太郎・佐藤図書、鎮派の戸田銀次郎を執政に任じる。
◆6/3(7.6)政事総裁職松平直克、幕閣更迭を将軍に進言
◆6/9(7.12)幕府、川越以下11藩に天狗党追討の出兵を命ず
◆6/16(7.19)一橋用人平岡円四郎暗殺
◆6/17(7.20)総裁職松平直克、水戸藩による筑波天狗党説得鎮撫を主張し、幕兵派遣に反対。
◆6/22(7.25)総裁職松平直克罷免される。

4.18 京都留守居に任ぜられる。
7.24 蛤御門の変後、但馬に潜伏する。

9.25 周布政之助 自殺(42)
12.  高杉晋作ら、下関に挙兵
7
◆7/2(8.3)【京】長州入京:嘆願への対応に関する朝議。
◆7/3(8.4)【京】長州入京:加賀藩世子、藩士を老中稲葉正邦に遣し、長州処分寛大を説かせる
◆7/4(8.5)【京】長州入京:伏見の福原越後に撤兵の朝命(慶喜2度目の長州退京勧告)
/薩摩藩家老小松帯刀・同藩西郷吉之助、書を在藩大久保一蔵(利通)に送り、京師の情勢・公武の事情を再報
◆7/5(8.6)【京】長州入京:長州派五卿、長州の要求を受け入れるようにとの建白書/新選組、西瓜売り変装の不審人物逮捕
◆7/6(8.7)【京】長州入京:朝廷、禁裏守衛総督徳川慶喜に対し、諸藩と協力して長州藩士らの京都近辺からの退去させるよう命じる/
◆7/7(8.7)【京】長州入京:慶喜、諸藩に命じて長州に退京勧告させる(3度目)/因幡藩家老、率兵着京
◆7/8(8.9)【京】長州入京:新選組、四条周辺で長州藩密偵を捕縛
◆7/9(8.10)【京】長州入京:長州中老400名の兵と到着。/西郷吉之助、書を在藩の大久保一蔵に送り、京師情勢の急迫を報じ、長州追討の朝命が下れば進んで追討すべきと説く。
◆7/10(8.11)【京】高辻・錦小路等堂上諸邸に、京都守護職松平容保の鳳輦遷幸を意図する等の罪を鳴らし、廷臣中一人も之を糺弾する者なきを慨する文を投ずる者あり。
◆7/11(8.12)【京】長州入京:慶喜、監察(目付け)永井・戸川に長州退京を説かせる。佐久間象山の暗殺
◆7/12(8.13)【京】長州入京:一条家門56名、長州藩主父子入京を再度建白/薩摩藩兵400余名、京都守衛のため着京。
◆7/13(8.14)【京】長州入京:慶喜、長州藩留守居乃美織江を召し、家老福原越後等の大坂退去を諭す。【長州】世子毛利定広、兵を率いて山口を進発【
◆7/15(8.16)【京】長州入京:長州藩福原・国司の嘆願書提出/有栖川宮幟仁親王・中川宮・二条関白ら、参内して長州処分を評議。慶喜も参内。討伐に決定。。
◆7/16(8.17)【京】長州入京:慶喜、17日限りの長州退京を勧告(5回目)/京都神泉苑町の町屋に、一橋家用人黒川嘉兵衛・同梅沢孫太郎・同原市之進を弾劾する張り紙。
◆◇7/17(8.18)【京】長州入京:新選組・会津藩士、慶喜の宿舎に乱入/朝議(慶喜参加)。議奏・伝奏に、長州藩士等の退去を諭させ、拒否すれば追討、に決る。前大納言中山忠能ら、これをを非として、関白二条斉敬に。/薩藩ら、諸藩に長州討伐を主張。/男山八幡宮で長州軍の会議。進撃論の木島と慎重論の久坂が対立。木島が押し切る。
◆7/18(8.19) 【京】長州入京:長州に撤兵の朝命/慶喜、撤兵を最終勧告/長州、容保の告発書を提出/親長州公卿、急遽参内。7/19(8.20)【京】禁門(蛤御門)の変勃発。木島戦死。久坂・寺島自刃。
◆7/21(8.22)【京】天王山の戦い
◆7/23(8.24)【京】長州追討の朝議
◆7/24(8.25)【京】慶喜に長州追討の勅命。/四国艦隊下関砲撃:艦隊の横浜出発/桂小五郎、出石に向かう
◆7/27(8.28)【京】朝議。長州荷担公卿の処分決定/【長州】三田尻会議
◆7/28(8.29)長州】三田尻会議。外国との講和に決する
◆7/29(8.30)【長州】恭順謝罪を決定
◆7/1(8.2)【京】幕府、米国仮公使館・善福寺焼失に係る損害を賠償し。商船ペンブローク号砲撃に関する賠償金の支払を承諾。
◆7/5(8.6)【天狗・諸生】水戸藩小石川藩邸、激派復活。
◆7/7(8.7)容保、京地形勢の切迫を幕府に陳述し、金五万両の給与及金三万両の貸与を請う。幕府、金三万両を給与し、金二万両を貸与。/因幡藩家老、率兵着京。朝廷に鎖港断行の建白提出。/【天狗・諸生】藤田小四郎ら筑波勢、高道祖原で幕府及水戸藩追討軍と戦い、敗走
◆7/10(8.11)【京】高辻・錦小路等堂上諸邸に、京都守護職松平容保の鳳輦遷幸を意図する等の罪を鳴らし、廷臣中一人も之を糺弾する者なきを慨する文を投ずる者あり
◆7/11(8.12)【京】佐久間象山の暗殺
◆7/16(8.17)【京】京都神泉苑町の町屋に、一橋家用人黒川嘉兵衛・同梅沢孫太郎・同原市之進を弾劾する張り紙。
◆◇7/17(8.18)【京】容保、前尾張藩主徳川慶勝(実兄)に上京を促す
◆7/20(8.21) 【京】六角獄の虐殺
◆7/21(8.22)【京】幕府、罹災者に米金を配給。
◆7/23(8.24)【天狗・諸生】市川派、水戸城評定所に入る
◆7/24(8.25)【【天狗・諸生】筑波勢、水戸城下に迫る/横浜鎖港:パリの廃約
◆7/25(8.26)【京】慶喜、容保に朝命を心得に伝達
◆7/26(8.27)【京】慶喜・容保、各前越前藩主松平春嶽に書を認め、上京を促す/【天狗・諸生】常野追討軍総括田沼意尊、進発
◆7/28(8.29)【京】容保、慶喜とともに慶勝に再度上洛要請【
◆7/29(8.30)【京】十津川郷士の皇居警備追放(賀茂社の警備担当へ)
◆7/30(8.31)幕府、水戸支族宍戸藩主松平頼徳に慶篤名代として水戸に赴くよう命じる。
8

9

10
11
12
(2004/5/26, 7/25, 2011.1.19)

文久3年(1862)← →慶応1年(1865)

主な参考文献:(リンク先も参照してください)
『修訂防長回天史』、『木戸孝允』、『高杉晋作』、『明治維新人名辞典』
『徳川慶喜公伝』、『続再夢紀事』、『維新史』、『維新史料綱要』

年表&日誌トップ 長州トップ&事件簿 HPトップ