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京都守護職・会津藩の年表(4)

文久4/元治元(1864)年<容保30歳>

文久3年戻る 元治2/慶応元年 (準備中)

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守護職/会津藩に関る主なできごと
(主要事件概略は)
その他の幕末の主なできごと

1

◆1/2(2.9)【京】容保、参豫集会出席:2日間隔の参内を内決/久光、横浜鎖港・同使節中止と武備充実を主張。幕府の方針を[姑息」と批判
◆1/4【京】容保、新年の挨拶に参内(他の在京諸侯も参内)/参豫諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、前勧修寺門主(→山科宮)の還俗を建言
◆1/5【京】容保、朝廷参豫会議に出席
◆1/7【京】 容保、劇症の風邪をひき病床に臥す(家)
◆1/8【京】容保、朝廷参豫会議に出席
◆1/9【京】容保、参豫集会に出席:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕議参画等を議定/
◆1/10【京】老中、会津藩士を召し出し、警衛の労を賞する台命を伝える。(家)
◆1/12【京】関白二条斉敬、総裁職・守護職・老中・参豫諸侯らに対し、家茂を補佐して公武協和に尽力せよと命ずる
◆1/15【京】将軍入京。容保、病で登城できず。家臣小室金吾を登城させる。(家)
◆1/17【京】総裁職松平直克、容保に対し、服制復旧に関して慶喜への取り成しを頼む
◆1/21【京】容保、病を押して将軍家茂参内に随従(家)。将軍、宸翰(内諭)を受取る(無謀の攘夷は好まず、幕府で議論した結果に基づき一定不抜の国是を定めたいこと、容保・春嶽・宗城・久光との協力を望むこと)(実は草稿は薩摩藩)
◆1/22【京】幕府内に、会・越・宇・土・薩摩に対する嫌疑が起こる。
◆1/25 【京】容保、関白・両奏邸訪問し、次に登城。将軍家茂、容保の勉励を賞して金一万両他下賜
◆1/27 【京】容保、将軍参内に随従(家)
◆1/29【京】春嶽、慶喜に容保への褒賞(朝廷参議・天皇からの書付、加増)を提言
◆1/8(2.15)【坂】将軍家茂、大坂上陸/
◆1/11【京】朝廷参豫会議3(容保欠席)/政事総裁職松平直克・老中水野忠精入京/
◆1/13)【京】朝廷参豫会議4。議事なし(容保欠席)/島津久光(薩摩)、朝議参豫を命ぜられる。
◆1/15(2.22)【京】将軍家茂二度目の入京、二条城へ/桑名藩主松平定敬(容保弟)入京
◆1/17【京】朝廷参豫会議5(容保欠席)・公武一和のやり方等下問/
◆1/18(2.25) 【京】服制復旧(3):幕府、復旧を停止
◆1/23(3.1)【京】朝廷参豫会議(議事なし):1月21日宸翰は内諭(容保欠席)
◆1/24【京】春嶽、御用部屋入り
◆1/27【京】将軍家茂、在京諸侯42名の面前で、宸翰(詔書)を受取る (無謀の攘夷及び討幕を企てた三条実実らと長州藩の「暴臣」は必罰だがその責任は天皇にあること;攘夷のために旧典を改め、冗費を省き、幕府・諸藩の武備充実すること;公武一和によって天下一新をすること)(草稿は薩摩藩)。天皇、総裁職直克・老中に参豫諸侯との協力を諭す
◆1/29【京】山陵補修の功により、将軍家茂に従一位推叙の宣下
◆2/1(3.8)【京】慶喜、会津藩賞揚及び容堂抜きの参豫集会に同意。会津藩・新選組批判の高札/
◆2/2(【京】容保、新選組近藤勇を召しだす
◆2/5【京】容保、二条関白と「両敬の約」を結ぶ
◆2/8【京】孝明天皇、容保に極秘の宸翰を下付。その「誠忠」を称え、「密事」の周旋を依頼する
◆2/9【京】幕議、容保の加増、征長副将、守護職更迭と大老転任を決定
◆2/10【京】幕府、容保の大老任命を止め、陸軍総裁職任命を決定/将軍、容保に五万石加増の沙汰(容保は病で神保修理が登城)/京都市中の警衛は幕府の専管
◆2/11【京】幕府、征長出陣部署を決定し、諸藩に長州処分の内意通達/容保の守護職を更迭し、陸軍総裁職と征長軍副将に任命(&藩論)
◆2/12【京】朝廷、容保に参議推任の宣下・容保固辞/朝廷、会津藩の唐・蛤門警備を免じ、堺町門に変更の沙汰
◆2/13)【京】幕府、容保に日々登営・御用部屋入りを命じる
◆2/15【京】春嶽を守護職に任命/小栗政寧を京都町奉行
◆2/16【京】容保、軍事総裁職を請ける/孝明天皇、容保に再び極密の宸翰(任務後の守護職復帰要請)/会津藩士手代木直右衛門・外島機兵衛、容保が軍事総裁職を請けたことを、一橋家における諸候集会で伝える
◆2/17【京】幕府、軍事総裁職に陸海軍奉行・後部所奉行・三番等以下軍職を統括させる
◆2/18【江】老中、連署して容保の軍事総裁職転任に反対/容保、在国の重臣に戒諭の書を送る。(家)会津藩邸での老中ら打ち合わせの書付、宗城に示される。
◆2/19【京】容保、守護職の職になくとも滞京中のときどきの参内・天皇との面会の許可を請う。(家)
◆2/20【京】 容保に参議推任の再沙汰。(家)
2/22【京】会津藩邸で長州藩末家の召喚手続きを議論/【京】容堂、宗城に中川宮からの「薩・南肥・会三藩一和」周旋協力の沙汰伝達
◆2/23【京】 宗城・中川宮密談。中川宮「春岳守護職も不宣」と伝える
◆2/24【京】二条関白、慶喜に対し、容保の守護職復職の沙汰を伝える/前尾張藩主徳川慶勝(容保兄)入京/幕府、容保に軍備拡張及び摂海防備を命令。加茂川東聖護院村37,000坪を購入し、副邸とする。(家)
◆2/25(4.1)【京】会津藩士手代木直右衛門、宗城に朝幕の離間策の風聞を伝える。
◆2/27【京】京都町奉行小栗政寧、洛内外の「暴徒」捕縛を命令 /春嶽、薩・越・宇が鎖国論の会津をていよく退けて春嶽が守護職になって朝廷を説得するつもりだとの前尾張藩主の説を宗城に告げる
◆2/28【京】幕府、監察徳永主税、会藩神保修理・秋月悌次郎・小室金吾に摂海巡視を命令
◆2/29【京】将軍家茂、奥医を容保に遣わす
◆2/2(【京】二条城会議(容堂・容保欠席
◆2/5【京】二条城会議(容保・容堂欠席):久光、宸翰の「有のまま」の布告を主張/
◆2/8【京】二条城会議(容保欠席)長州処分を議す/近衛前関白らとも議し、(1)長州支藩及び家老の大坂召喚及び訊問、(2)三条実美らの京都還送、(3)違背すれば征討を決定/
◆2/11【京】越前藩、幕府に参豫の幕政参加(老中の上に置く)建議を決定/参豫諸侯(春嶽・容堂・宗城・久光)、連署して慶喜に朝旨(二度の宸翰)に基づく天下の耳目の一新を建言
◆2/13【京】朝廷参豫会議(御前会議):長州処分について下問(慶喜・容保・容堂欠席)
◆2/14【京】宸翰請書:家茂参内、宸翰(1月27日)の請書を差し出す(&横浜鎖港に関する朝廷の疑念・幕府の裏事情)
◆2/15【京】宸翰請書:幕府、1月27日の宸翰及び請書を布告/朝廷参豫会議(御前):朝廷、請書に疑念を示し、急速な横浜鎖港を命じる。慶喜と春嶽・宗城・久光の対立(容保・容堂欠席)。
◆2/16【京】幕府、参豫諸侯の御用部屋入りを命じる/参豫諸侯(慶喜・久光・春嶽・宗城)、中川宮を訪問、慶喜激論し、横浜鎖港の新たな請書提出を言明・「薩摩の奸計、三人は天下の大愚物」と暴言。
◆元治元年2/20(3.27)元治と改元。【京】幕府、在京諸侯に1月27日の宸翰の請書の趣旨を示し、意見を求める
◆2/21【京】横浜鎖港の成功及び摂海防御を急務とする朝命
◆2/24 【京】朝廷参豫会議:朝廷による末家・家老の大坂召命を決定【京】備前藩主池田茂政入京【阪】横浜貿易商暗殺
◆2/25(4.1)【京】朝幕、訊問のため長州藩支族・家老ら3名の「御用」を理由とした大坂召命を通達
◆2/26【京】幕府、在京諸侯を二条城に召し、国是を諮問 【坂】長州義勇隊士に焼き打ちされた薩摩藩船船主大谷仲之進が梟首される。
◆2/29【京】朝廷、長州藩支族・家老等の大坂召命一時見合わせ決定(久光・宗城嘆息)/

3

◆3/1(4.6)【京】将軍、容保に軍用金2万両下賜/会津藩士広沢富次郎、長使入京不可を越前藩士中根雪江に論ず。/
◆3/3【京】前尾張藩主徳川慶勝、参豫任命・固辞/新選組、再び容保(軍事総裁職)指揮下へとの幕命
◆3/4【京】保科正之に従三位追贈
◆3/5【京】二条関白・将軍家茂、病床の容保に使者を派遣。この頃、容保死去の風説あり/新選組酒宴
◆3/9【京】慶喜、参豫諸侯の朝議参豫辞退を願い出る。/二条関白、慶喜に、容保の守護職復職が遅れている理由を質す/
◆3/13(【京】越前藩、春嶽の守護職辞任・帰国を内決する。越前藩、幕府に藩兵到着までは従来通りの会津藩による京都警衛を要請/ 一橋家臣平岡円四郎、会津藩士小室金吾に容保の守護職復職の可能性を質問
◆3/14【京】容保の参豫辞任が許可される
◆3/17【京】 容保、家臣を通して伏見街道警衛を新守護職の越前藩にと幕府に稟議。許可される。
◆3/18【京】越藩、春嶽の守護職辞表内願書を慶喜に提出。二条関白・中川宮らにも次第を報告/二条関白、会津藩に守護職復職を速やかに請けるよう促す
◆3/19【京】所司代、会津の警衛箇所の越藩への引渡し見合わせを通達/会津藩、江戸藩邸に対して、容保の守護職復職の動き、藩の疲弊につながる受諾は考え物であること、容保の病を理由に辞退を周旋するが、遁れ得ない可能性があること、などを報知。
◆3/21)【京】春嶽、守護職辞表を幕府に提出。/二条関白、慶喜に春嶽の守護職解免不可を伝える/
◆3/22)【京】川越藩、越前藩に二条関白の春嶽守護職解免反対を伝え、朝廷に入説を勧める/宗城、近衛家で中川宮・久光と集会。慶喜の総督・指揮任命熟慮を入説。中川宮・近衛前関白、慶喜への懸念から春嶽留任を希望&宗城、中川宮に会越両藩に守護職任命は「御手厚にて可然」と回答
◆3/23【京】越藩、二条関白に春嶽の守護職辞職を主張。一橋家平岡、容保の病気快復までの春嶽に辞職猶予を求める/幕府、守護職・町奉行・新選組に市中守衛を命じ、諸藩の警衛を廃止する/
◆3/24【京】将軍参内/会津藩・越前藩両藩を守護職にとの沙汰
◆3/26(.5.1)【京】朝議、会・越両藩に守護職の結論
◆3/28【京】会津藩、幕府に対し、容保の病を理由に守護職再任辞退の願書提出(実は慶喜の総督就任にに対する不安)/徳川茂承、容保を京都に留めるよう幕府に建白。(家)
◆3/29【京】越前藩、議奏正親町三条実愛に辞職入説
◆3/30【京】宗城、慶喜に対し、春嶽の辞職後は非常時上京が適切と主張。慶喜、同意
◆3/1(4.6)【京】春嶽、朝廷尊奉と政体一新を幕府に建議
◆3/4【京】朝廷参豫会議:長使入京可否は万一の事態に関するの幕府の「保証」次第(慶喜・容保・久光欠席)/慶喜の欠席に一同不快感
◆3/5(【京】幕府,、長使入京不可決定。朝議、長州藩末家大坂召喚を決定(春嶽のみ参加)。長州藩に通達/
◆3/7【京】将軍参内。叙任を謝す
◆3/11【京】春嶽、慶喜に幕政一新を説く。慶喜、「冷淡」な対応。
◆3/12【京】春嶽、宗城に書を送り、幕府の越・薩・宇の忌避及び水・因の入説の影響について相談
◆3/13【京】春嶽・宗城の参豫辞任が許可される。/越前藩、春嶽の守護職辞任・帰国を内決
◆3/15【京】中川宮、薩越退京後の政情(水・因・備の勢力拡大)を危惧/川越藩家老山田太郎左衛門、越邸を訪ね、朝幕の不評判を理由に春嶽の辞任勧告
◆3/16【京】幕府、朝旨に基づき、在京諸侯に国是を諮問
◆3/17【京】越藩中根、春嶽の辞表内願書を総裁職に提出【京】四条橋に、1月27日の将軍への宸翰は薩藩高崎猪太郎の草案であり、高崎を斬戮との落書
◆3/18【京】宗城、慶喜の「京摂守衛総督」就任に関する疑惑を久光に伝える
◆3/20(【京】宗城、山階宮に慶喜の「京摂総督」内願の「深意」について注意喚起/【
◆3/25(4.30)【京】朝命により、慶喜の後見職解任、禁裏守衛総督・摂海防御指揮職就任/
◆3/26(.5.1)【京】越前藩、中川宮・近衛前関白らに辞職許容を入説。中川宮、慶喜への懸念を理由に春嶽の留任を求める/
◆3/27【京】幕吏、慶喜の禁裏守衛総督・摂海防御指揮の沙汰に大不平/【天狗党】筑波挙兵/
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◆4/4【京】久光、春嶽の辞任許容+容保の任命(軍事総裁職罷免)の情報得る

◆4/7【京】春嶽、守護職解任&容保に京都守護職復職の幕命/容保、守護職辞表提出(1)/【京】会津藩士広沢安任、宗城に謁し、庶政委任の要を説き、建議を請う/
◆4/9【京】朝廷、令して、非常時の参内の仕方、及び御所九門・六門の警備担当を定める
◆4/11【京】所司代稲葉正邦の老中任命&桑名藩主松平定敬の所司代任命/会津藩家老横山・神保、老中水野に守護職辞表提出(2)
◆4/14【京】幕府、容保の守護職辞表却下。病が快癒すれば出勤するよう命じる/将軍、水戸藩主徳川慶篤弟(余八麿)を会津藩主松平容保の継嗣とする仲介を前尾張藩主徳川慶勝に求める/。
◆4/15【京】将軍、容保に病気見舞いの使者を派遣して親書を与える。手書・脇息等下賜。/所司代松平定敬、朝廷に対し、今後、議奏の人員を増加せぬよう建議
◆4/18【京】容保、守護職辞表提出(2)/幕府、越前藩士中根雪江・酒井十之丞・島田近江及び会津藩士横山主税・野村左兵衛・小野権之丞・小室金吾・手代木直右衛門・外島機兵衛の尽力の功を賞す(綱要)

◆4/19【京】幕府、禁裏守衛総督・守護職・所司代に市中巡邏・警衛を命じる

◆4/20【京】幕府、容保の守護職辞表を再度却下


◆4/22【京】容保、守護職の請書提出

◆4/23【京】一橋家臣平岡円四郎、越前藩中根雪江に市中潜伏の「暴人」決起に対する警備体制を問われると茫然として老中に言上すると述べる
◆4/24【京】幕府、市中警備徹底の町触れを出す
◆4/3(5.8)【京】佐久間象山を海陸御備向掛手付御雇に登用
◆4/4【京】筑前藩世子黒田、退京
◆4/5【長州藩】敬親、朝幕に外国艦来襲時の先制攻撃を請う。幕府、却下。
◆4/8【京】朝廷、春嶽・久光・宗城、池田茂政、長岡良之助の帰国を許可/水戸藩梅沢孫太郎・原市之進、慶喜の用人見習に
◆4/9)【京】慶喜、長州藩主父子に書を送り、朝命に従い使者を東上させるよう勧告
◆4/11【京】伊達宗城退京。/中川宮・久光弾劾の投書
◆4/12【京】備前藩主池田茂政退京。
◆4/13【京】天皇、二条関白らに将軍への庶政委任を諮問。異議なし
◆4/16(5.21)【京】慶喜・幕閣、連署して、庶政委任を含む尊奉18か条及び供御15万俵増貢を奏聞(&朝廷の回答)
◆4/18【京】久光退京/浪士、中川宮の諸大夫武田相模守宅襲撃。母・従士を殺害。
◆4/19【京】春嶽退京【坂】長州藩士木島又兵衛・桂小五郎・寺島忠三郎・久坂玄瑞ら藩邸で世子定広の率兵上京を議す
◆4/20 【京】幕府への庶政委任(政令帰一)の勅書及び重要事項四条(横浜鎖港・海岸防御・長州処分・物価安定)に関する勅書(別紙)(「無謀之攘夷は不可)。同時に、朝廷尊奉18か条の奏聞への沙汰も
◆4/21【京】中川宮、国事扶助を辞退
◆4/25【京】前関白近衛父子、国事用掛を
辞退。

◆4/26【江】幕府、京都見廻役新設を通達
◆4/29【京】将軍参内。4月20日の勅書に奉答。朝廷尊奉18か条を奉承。
5
◆5/1【京】家老横山常徳、京都を発して国許に帰る。(家)
◆5/3【京】新選組近藤、進退うかがいを提出
◆5/5【京】家老神保修理、容保に代わって、東帰する将軍に謁す。将軍、容保の尽力を称し、鞍鐙下賜の旨を伝える。また、将軍、神保・野村・外島・小野・小室・手代木に謁見を許し、昨年来の勤労を賞する(家)(七)。



◆5/7【京】将軍退京。大坂城入城。幕府、会津藩に金一万両貸与。
◆5/8【京阪】将軍に随従して下坂の慶喜、容保に使者を派遣し、留守中の京都守護を一任。(家)(七)
◆5/11【京】容保、療養のため寺町から黒谷に移る。
◆5/12【京】幕府、諸侯の京都発着は禁裏守衛総督・守護職・所司代・町奉行に稟申するよう命じる【江】桑名藩士高野市郎左衛門、会津藩士らとともに在府老中板倉勝静に謁し、常野屯集の浪士と長州藩が結託していると告げ、将軍退京不可を入説。
◆5/14/見廻組、会津藩に新選組の召抱えを打診
◆5/16【京】将軍、大坂出港。側役土岐下野守に容保を見舞わせ、従来通り依頼すると伝達させる(家・七)/新選組、長州人と往来する聖護院雑掌某を捕縛し、町奉行へ。(家)
◆5/18【京】容保の病状悪化。(七)
◆5/20【京】新選組近藤勇、老中に将軍滞留中の鎖港断行・長州処分決定か新選組解散かを迫ったことを、故郷の知人に報知【坂】与力内山彦次郎暗殺される
◆5/27【京】浪士、中川宮家臣を殺害・梟首
◆5/29【京】薩摩藩家老小松帯刀、国許に情勢を報せる(長州の大兵上京、守護職が標的、長州による天皇奪取計画の風説)
◆5/2(6.5)【京】将軍暇乞の参内。朝廷、慶喜に鎖港決行・滞京を、政事総裁職松平直克に水戸藩主徳川慶篤と協力しての横浜鎖港尽力、老中稲葉正邦・水野忠精に滞京・守衛を命じる
◆5/5(【京】朝廷、長州藩末家入京の許否及び元老中小笠原長行の官位復旧を討議(おさらい:長使入京問題)。将軍、守護職松平容保に鞍鐙を下賜
◆5/7【京】将軍退京。大坂城入城。
◆5/8【京】朝廷、幕府への庶政委任を諸藩に通達
◆5/9【坂】慶喜、摂海巡視のため下坂。/【京】朝廷、有栖川宮父子、九条道孝、鷹司輔政に国事御用掛を命じる
◆5/10【京】朝廷、長州藩に勅使大坂派遣停止を通達。【江】松平直克、帰府。幕府、京都守衛に別手組200人を上京させる
◆5/16【坂】将軍、大坂出港。海路江戸へ
◆5/17【外国】横浜鎖港交渉使節、フランス政府とパリ約定を調印
◆5/19【京】慶喜、帰京
◆5/20【江】将軍帰府
◆5/25【京】朝廷、長州藩に末家・家老の上坂停止・幕命を待つようと命じる
◆5/26(【京】見廻組(蒔田組)着京
◆5/27【京】因幡藩主催の親長州諸藩有志会議。長州援兵を議す
◆5/29【京】桂小五郎、大坂藩邸に京都の情勢(草莽の計画を含む)を報じる【長州東上】長州藩、進発を決定し、家老国司信濃に上京を命じる(5/27説あり)
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◆6/1【京】宮部鼎蔵の下僕ほか、捕縛される この頃 市中警戒強化&新選組逸脱行為

◆6/5【京】池田屋事件(1)
◆6/6【京】池田屋事件(2)浪士の捕縛が続く【坂】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の情勢を報知(長州による変事発生の憂慮、薩摩藩の評判回復)。



◆6/10【京】明保野亭事件(会津藩士柴司、土佐藩士麻田時太郎を浪士と誤まって刺す)
6/11【京】明保野亭事件(土佐藩麻田時太郎、自刃)
◆6/15【京】京都町奉行、諸藩士及浪士の止宿禁止を改めて通達


◆6/21(7.24)【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件後の情勢(平岡暗殺、慶喜の威権低下の見通し、会津と土佐の反目等)を報知


◆6/22【京】小松帯刀、京都の情勢、会津からの度重なる面談要請等を国許の大久保利通に報ず

◆6/24【京】朝議。中川宮・会津・桑名即時討伐主張。慶喜の説諭論で決まる/

◆6/25【京】西郷、大久保に長州の伏見到着とこの「戦争」を「長会の私闘」ととらえ、静観・朝廷守衛に専念する方針をを報知

◆6/27【京】長州兵、京都来襲の噂。守護職松平容保・会津藩兵御所内に宿陣。九門閉鎖。長州入京に関する朝議。容保即時討伐、正親町三条実愛、藩主父子召命、一橋慶喜撤兵勧告を主張。慶喜の論で決着
◆6/29(8.1)【京】慶喜に(長州処分)諸事委任の朝命/長州入京不可と会津藩主松平容保擁護の宸翰/【京】反会津公卿による容保処分の上書
◆6/3【江】政事総裁職松平直克、将軍に鎖港に消極的な幕閣更迭を進言。
◆6/4【長】長州藩、世子の上京を藩内布告
◆6/6【坂】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の情勢を報知(長州による変事発生の憂慮、薩摩藩の評判回復

◆6/8【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件を報知。慶喜の黒幕説、薩摩は中立を伝える。
◆6/9【京】長州藩、慶喜に抗議
◆6/14【京】/西郷、国許の大久保に池田屋事件後の情勢(慶喜の黒幕説)報知&中立を守る方針【長州】藩主毛利慶親、池田屋事件の報により、家老益田右衛門介に上京を命じる
◆6/16【京】一橋用人平岡円四郎暗殺
◆6/21【坂】真木和泉・久坂玄瑞等着坂。
◆6/22【江】鎖港推進派&天狗党征討への幕府出兵に反対する総裁職松平直克、罷免されるおさらい、鎖港をめぐる水戸藩主&幕閣との軋轢)。
◆6/24【京】福原越後と遊撃隊伏見到着。【山崎】真木和泉・久坂玄瑞ら諸隊、山崎屯集。老中稲葉正邦に嘆願書。/【京】薩摩藩留守居役、朝廷守衛を理由に淀出兵の幕命を拒否/
◆6/25【山崎】真木・久坂・入江等、在京諸藩に入京斡旋を依頼
◆6/26【嵯峨】長州勢、天龍寺に屯集
◆6/27京】西郷、大久保に、長州征討もやむなしと報じる(公卿の過半数が長州支持)/小松帯刀、在藩家老に京都出兵を要請
◆6/29(8.1【伏見】長州家老福原越後に諸隊を説得させる。諸隊、「偽の朝命」として拒否
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◆7/3(8.4)【江】会津藩士大野英馬、老中水野忠精らに謁し、関白二条斉敬の横浜鎖港断行の内命・前政事総裁職松平直克・前老中板倉勝静の復職を説く
◆7/4【
江】、会津藩江戸家老上田一学等、書を在京家老神保内蔵助等に送り、藩主松平容保(京都守護職)による直克等復職の建議を求める。
◆7/5【京】新選組、西瓜売り変装の不審人物逮捕
◆7/7【京】京都守護職松平容保、京地形勢の切迫を幕府に陳述し、金五万両の給与及金三万両の貸与を請う。(幕府、金三万両を給与し、金二万両を貸与)。
◆7/8【京】新選組、四条周辺で長州藩密偵を捕縛




◆7/9【京】西郷隆盛、書を在藩の大久保利通に送り、一橋慶喜の「不断」、慶喜の手柄になる長州撤兵説得の拒否、追討の勅命を奉じた上での長州「駆尽」の決意、今は「会津一手」で戦うべき等の考えを報じる
◆7/10【京】高辻・錦小路等堂上諸邸に、会津藩の天皇遷幸企図、佐久間象山の関与を糾弾する投書






◆7/14【京】容保を九門外に出すようにとの建議/【伏見】長州藩家老福原越後、大坂退去を拒否。国司信濃とともに、天皇遷幸説の出処(※会津藩想定)糾明を求める新たな嘆願書提出/








◆7/17【京】容保、兄徳川慶勝に慶喜批判&上京を促す書簡/会津藩士&新選組、征討慎重派慶喜の宿舎に乱入【男山】長州軍、容保討伐を名義にした進軍を決定 【京】朝議(慶喜参加)。長州撤兵を命じ、拒否すれば追討、に決る
◆7/18【京】昼前、長州に同日限りの撤兵の朝命/禁裏守衛総督一橋慶喜、長州藩留守居に撤兵を最終勧告/有栖川宮・親長州公卿、急遽参内。容保追放を主張/召により、二条関白、中川宮・山階宮ら幕府協調派参内/洛外の長州勢進発開始。長州藩、容保弾劾・天誅の上書を諸藩・所司代に送致。
◆7/19【京】長州勢討伐の勅/禁門(蛤御門)の変勃発/慶喜、容保の御所追放を度々却下/長州勢敗走/どんどん焼け
◆7/20【京】洛中・外の長州残党追討・焼き払い/一会桑、十津川郷士潜伏の密報により御所内を捜索。【坂】勝海舟の会津・薩摩批判
◆7/23【京】長州藩追討の朝命/慶喜、会津藩に朝命と慶喜総督・春嶽副将・諸藩部署を示した書付を伝達/容保、江戸の老中に書を送り、将軍の急遽上洛・指揮・閣内融和等を説く、慶喜の「尽力」にも触れる
◆7/25【京】慶喜、容保に6月29日の朝命を心得に伝達/
◆7/26【京】慶喜・容保、前越前藩主松平春嶽に書を認め、征長副将要請・上京を促す
◆7/29【越前】目付戸川鉾三郎・会津藩公用人手代木直右衛門福井着。春嶽の上京を促す。(このころ、薩藩海江田福井着。
◆7/1(8.2)【京】長州入京:家老福原越後、朝幕に藩主父子・三条実美らの入京嘆願/【京】薩摩藩小松帯刀、禁裏守衛総督一橋慶喜の要請による出兵を断り、朝命なら出兵すると回答/
◆7/2【長】藩主毛利慶親、世子定広東上期日を藩内に布告
◆7/3【京】長州撤兵の朝命/慶喜、大目付永井尚志らを伏見に派遣
◆7/4【伏見】大目付永井尚志、長州家老福原越後に撤兵の朝命を伝える(2度目の撤兵勧告/【京】薩摩藩藩西郷隆盛、書を在藩大久保利通に送り、京師の情勢・公武の事情を再報)

◆7/5【京】長州入京:長州派五卿、長州の要求を受け入れるようにとの建白書
◆7/9【京】長州藩留守居役乃美織江、幕府に、大坂退去の朝命実行の難しさを届け出 【山崎】長州藩家老国司信濃、山崎に布陣。福原越後と連名で、諸隊の願意の聴許なしの撤兵は難しいと上書/
◆7/11【京】慶喜、大小監察永井・戸川に長州撤兵を説かせる。佐久間象山の暗殺
◆7/12【京】一条家門、長州藩主父子入京を再度建白/薩摩藩兵四百余人著京
◆7/13【京】慶喜、長州藩留守居乃美織江を召し、長州勢の大坂退去を諭
◆7/15【京】朝議、叡慮により、勅使派遣による説諭を決定【京】薩摩藩吉井幸輔、土佐藩乾市郎平、久留米藩大塚敬介朝廷要路を訪ね、従来の朝命維持を訴える。【京】薩摩藩西郷隆盛、(ようやく)在京諸藩の会合に出席。強硬論を主張
◆7/16【京】慶喜、17日限りの長州退京を勧告のため、大小監察を、四度、伏見に派遣 【京】薩藩、諸藩会合主宰。長州征討で一致【京】薩摩・土佐・久留米藩士、中川宮を訪ね、「速かな勇断」を求める
◆7/17【京】薩・土・越藩等、速やかな長州「討伐」を決議。朝幕要路に討伐の勅命を周旋。薩土久留米藩士、「断然の処置」を速かに求める上書

◆7/20【京】薩藩西郷、大久保に「薩兵あらずんば危き次第」と報じる

◆7/21【長州藩】世子毛利定広、東上中止。帰国の途


◆7/22【京】京都町奉行、避難民の帰住及び長州残党の通報を促す制札を掲示

◆7/24(8.25)【京】慶喜、西国諸藩に長州藩追討の出兵準備を命じる。【江】将軍家茂、徳川慶勝に使者と親書を送り、上京を命じる/横浜鎖港:パリの廃約を四国代表に通知

◆7/27【京】朝議。長州荷担公卿の処分決定/【長州】三田尻会議/【横浜】四国艦隊:仏蘭艦隊の横浜出発
◆7/28(8.29)【京】小松&西郷、越前藩中根雪江・酒井十之丞に書簡を送り、春嶽上京を促す
◆7/29(8.30)【長州】恭順謝罪を決定
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◆8/1【江】会津藩(東下中の公用人外島機兵衛)、再び加増地「二万五千石」を幕府に申請
◆8/2【江】将軍徳川家茂、諸侯・有司を召見して、長州征討の朝命を示し、に自ら進発する旨を表明/容保、野村左兵衛・同広沢富次郎に、阿部老中に同行した東下・将軍上洛周旋を命じる
◆8/3【京】一橋慶喜、感状を薩摩・越前・会津・桑名・彦根・大垣・浅尾諸藩に与え、禁門の変以来の戦功を賞す。
◆8/4【坂】会津藩公用人野村左兵衛・広沢富次郎、将軍上洛周旋のため、阿部老中とともに、海路東下の途に//幕府、京都守護職松平容保に金千両を下賜。池田屋事件の功を賞し、藩士及新撰組に頒する
/(8日説あり)
◆8/11【坂】大坂城代、守護職・所司代・老中に下関開戦を知らせる

◆8/14【京】禁裏守衛総督一慶喜の家士及薩摩・会津・久留米諸藩の京都藩邸の砲術練習日を定め、これを布達す【江】在府会津藩家老上田一学、書を在京同藩家老神保内蔵助等に寄せて、備中松山藩主板倉勝静の老中再任の事を議る
◆8/15【京】二条関白、中川宮に、容保の守護職辞任願いを却下したと話す/
◆8/16【京】会津藩家老神保内蔵之助、中川宮に藩主松平容保の守護職辞任と黒谷本陣への引き取りを相談
◆8/17【京】薩摩・肥後・越前・会津・土佐・久留米・桑名の諸藩士、京都三本木の旗亭に会し、外国艦を長州領より退去させた後、長州処分を行うよう、会津藩から慶喜に建議することを決定/【京】容保の黒谷本陣引き取りが許可される/
◆8/18【京】非常諸令を解き、禁裏守衛総督一橋慶喜・京都守護職松平容保・所司代松平定敬等の御所宿衛を免ず。/容保批判の高札
◆8/19【京】一会桑、将軍の進発・外国艦隊の長州撤退説得を促すため、それぞれ使者を海路東下させる/慶喜、会津藩に(江戸の定めた征長部署)を通達 【会津】会津藩庁吏、書を在京及在府の同藩邸吏に致し、萩藩士は特に本藩を敵視するに依り、本藩兵の萩藩征討軍に参加すべからざるを説く
◆8/23【京】朝廷、守護護職松平容保に暫く凝華洞に宿衛を命じる/【神戸】坂本龍馬、京都の事情を勝海舟に伝える(会津藩・新選組の不評)
◆8/25【京】将軍に急速上坂の朝命(30日説あり)【京】会津藩・桑名藩・肥後藩、徳川慶勝に征長総督の早期就任、固辞の場合は一橋慶喜の後任指名で一致、会津・桑名家士を名古屋に派遣
◆8/28【尾張】徳川慶勝、会津藩・桑名藩の入説により、総督の後任に一橋慶喜を推す直書を老中宛に認める。【江】守護職使者柴秀治、幕府の内情(慶喜への疑念、会津藩を疎外)及将軍徳川家茂上洛遅延の事情を、在京藩士に報ず
◆8/30【京】朝廷、征長総督決定の督促・慶勝の就任遷延の際は、副将以下諸藩を進撃させるよう命じる/ 【京】松平容保・松平定敬・稲葉正邦、連署して、江戸老中に朝命を伝え、征長の速やかな実行を促す/会津藩、公借米金を役料等と相殺せんことを幕府に請ふ。聴さず
◆8/2【江】将軍徳川家茂、諸侯・有司を召見して、長州征討の朝命を示し、に自ら進発する旨を表明/
◆8/5(9.5)【長州】四国艦隊、下関を砲撃/【江】幕府、四国代表に、長州征討令の布告を報じ、下関に向かった艦隊の帰航を求める
◆8/6【坂】老中阿部正外、大坂より海路帰府。/若年寄稲葉正巳(兵部少輔・館山藩主)、黒龍丸で大坂出立?
◆8/7【江】幕府、前尾張藩主徳川慶勝に総督を命じる
◆8/11【京】朝廷、征長に先立つ外艦の下関退去交渉を命じる。/
◆8/12【京】内大臣近衛忠房、久光父子に書を送り、帰国する小松帯刀への朝廷・慶喜の「厚依頼」、帯刀の早期再上京を促す/
◆8/13【江】幕府、征長総督徳川慶勝・副将松平茂昭に、長州征討部署を示して当月中の出陣を命ず
◆8/14【京】前関白鷹司輔煕・大納言鷹司輔政の参朝停止を解く/長州】長州藩、四国と講和条約を結ぶ。
◆8/17 【京】薩摩藩士西郷吉之助(隆盛)、国許の大久保一蔵(利通)への書簡の中で、外国艦下関来襲の黒幕は幕府との意見を述べる/
◆8/22【江】老中、諸藩に対し、京都の達しより江戸の達しを優先させるよう命じる。/幕府、長州藩主毛利慶親・世子定広の官位、将軍の偏諱称号をはく奪。/
◆8/23【京】将軍の使者本多忠民参内/中川宮、本多に将軍上坂周旋を要請
◆8/24【江】幕府、9月中旬の征長軍行軍上覧を発表。老中本荘宗秀・若年寄格土岐頼之に将軍進発の随行を、老中阿部正外に上京を命ず。
◆8/26【坂】英・仏・米・蘭四国連合艦隊十一隻、大坂天保山沖に入る。

◆8/27【坂】四国艦隊、横浜に向けて退帆。
◆8/30【江】老中阿部正外、品川を出港し、海路上京へ

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◆9/1【京】会津藩公用人手代木直右衛門、中川宮に対し、土佐藩に将軍上坂周旋要請を依頼/【江】参勤交代・大名妻子の在府復旧の令勤交代の復旧/。
◆9/4【江】会津藩江戸家老上田一学、老中阿部正外東下の事情等を京都に報じ、開国やむなしを進言/東下中の京都公用人野村左兵衛等、京都への書簡で、開国やむなしの事情・諸侯会議による閉鎖決定を進言/
◆9/8【京】中山忠能、会津の圧政による農民蜂起の噂を日記に記す
◆9/9【江】東下中の会津藩公用人野村左兵衛ら、老中に閲す。征長総督に一橋慶喜を提案し、顰蹙を買う【江】(衛士前史)近藤・永倉ら、将軍進発御供衆の奮発鼓舞&隊士募集のため、江戸到着

◆9/11【京】肥後藩留守居役上田久兵衛、会津藩公用人手代木直右衛門から、前尾張藩主徳川慶勝の14日発途をきく【江】大目付、会津藩重役を呼出し、京都からの使者の手続きを踏んだ周旋を指示
◆9/12【京】老中阿部正外、著京
◆9/13【江】会津藩江戸家老上田一学、守護職使者の将軍進発等の周旋が困難である事情を京都に報じる
◆9/14幕府、京都守護職松平容保の在職中、毎月金一万両・米二千俵を給す。
◆9/15【京】御所九門が開かれれる。

◆9/17【京】京都守護職松平容保・征長副将松平茂昭、各書を幕府に上り、将軍徳川家茂の進発を促す。
◆9/23(10.23)【江】会津藩士、将軍の進発が進まぬ事情を京都に報じる(守p114)
◆9/1【京】一橋慶喜、征長副将以下出陣の朝命につき、齟齬が起きぬよう取り計らいは江戸に任せるよう陳情/【江】参勤交代・大名妻子の在府復旧の令勤交代の復旧/。
◆9/4【江】幕府、将軍進発随従者に、公借金の返納を猶予。【神戸】仏国船一艘、兵庫に入津し、用水を需め、上陸及物貨購入を請ふ。給水の外は許さず。依て仏艦、即日退帆す。
◆9/6【京】越前藩主(征長副将)率兵入京【江】幕府、四国代表とに会し下関事件の償金及同港開港の事を議し、償金は幕府之を支弁し、開港諾否は、老中阿部正外の帰府後決定すべきを決す。/【横/江】四国公使が条約破棄に関する警告の書状を送る(4〜6日)/将軍徳川家茂、布衣以上勤仕並寄合・部屋住等の武芸を上覧。
◆9/7【京】西郷吉之助、大久保一蔵に書を認め、「狡猾」な長州への厳しい処分の必要性、江戸幕閣による慶喜の疎外等の近情、越前藩主松平茂昭を利用した幕府への建議、総督未定の場合の征長副将以下出陣の周旋等の方針を知らせる
◆9/8【京】在京越前藩重臣等、将軍上洛建議を決す/西郷吉之助、大久保一蔵に書を認め、9月1日に京を発った有馬新助・海江田信義に将軍上洛周旋を指示していたことなどを知らせる。
◆9/11【坂】勝海舟、老中阿部正外から長州処分に係る薩摩藩の強硬意見を聞く【坂】薩摩藩士西郷隆盛・吉井幸輔、越前藩士青山小三郎・堤五一郎、勝を訪ねて、将軍上洛周旋を依頼するが、断られる。勝、兵庫開港問題に関し、幕府を外した有力諸侯による国是決定(「共和政治」)を論じる/【坂】勝海舟、肥後藩士長谷仁右衛門に、有力諸侯の急速上京による征長協議、列藩連印によ兵庫開港交渉を論じる
◆9/16【江】幕府、唐津藩世子小笠原長行「図書・後壱岐守」を赦免し、其官位を復す。
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( 2011.4.5)

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主な参考文献:(リンク先も参照してください)
『会津藩庁記録』、『七年史』、『会津松平家譜』、
『続再夢紀事』、『伊達宗城在京日記』、『維新史』、『徳川慶喜公伝』、『維新史料綱要』


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