・12/29「文久4」 ◆1/14(2.21)【京】将軍再上洛へ(28)将軍家茂大坂を出立・伏見入城(付「剛」から「鼻公」へ)
・12/28「文久4」◆1/13(2.20)【京】参与(9)第3回朝廷参与会議。新たな議事なし/島津久光(薩摩)、朝議参与を命ぜられる。従四位下に叙され、左近衛権少将に任ぜられる。
・12/25「文久4」◆1/12(2.19)【京】将軍再上洛へ(27)関白二条斉敬、総裁職・守護職・老中・参与諸侯らに対し、家茂を補佐して公武協和に尽力せよと命ずる
・12/24「文久4」◆1/11(2.18)【京】参与(8)/長州処分:参与諸侯ら、征長戦参加大名を議定。/第2回朝廷参与会議/政事総裁職松平直克・老中水野忠精入京/
・12/21「テーマ別幕末日誌」のトップから各項目に直接飛べるようリンクを張りました。
・12/19「文久4」1/9(2.16)【京】参与(7)参与諸侯会合:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕政参画等を議定、慶喜の禁裏守衛総督就任が議論される/【京】朝廷、前勧修寺門主の伏見宮家復帰・還俗を許す勅、大原重徳を許す特旨
・12/18「文久4」1/8(2.15)【坂】将軍再上洛へ(26)将軍家茂、大坂上陸/【京】参与(6)第1回朝廷参与会議:春嶽・宗城・容保参内-前観修寺門主の親王宣下、久光の官位問題について下問(口答)・12/17「文久4」 1/7(2.14)【京】参与の動き(5)容堂、参与辞任が聞き入れられず/久光、朝廷に対して、将軍家茂に「至誠の綸言」と天皇の非を認める「宸翰」を下すことを建言。宸翰草稿も提出(実際に下された宸翰とほぼ同文)←薩摩藩の根回しだったのです!
・12/16「文久4」1/5(2.12)【京】参与(4)参与諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、朝議のため参内。書付の下問のみ。
・12/15「文久4」1/4(2.11)【京】在京諸侯参内/参与(3)参与諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、前勧修寺門主(→山科宮)の還俗を建言【長】直目付桂小五郎の職を免じ、京阪に潜伏させる■「今日」の始点の月(文久2年4月)の各記事に「前へ」「次へ」と人物アイコンを追加(こちら)(順次つけていきます)・12/14「文久4」1/3(2.10) 【京】参与(2)島津久光、伊達宗城に山内容堂の辞意について高崎猪太郎に対応させたいと提案する
・12/12文久4.1.2に 久光、横浜鎖港・同使節中止・武備充実を主張。幕府の方針を[姑息」と批判追加
・12/11「今日」再開。文久4.1.2(2.9)【京】参与(1)後見職慶喜宿舎にて2日間隔の参内を内決/容堂、参与の辞意を春嶽に伝える・12/10 「今日」文久4年1月2日〜21日の項目UP(「今日」の再開準備です).◆文久3.12.30(2.7)【京】参与会議へ(19)慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参与に任命される追加修正
・12/9「豆知識」「幕末人物、主要事件時の年齢対比表」に若干追加 「開国開城」「25:政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」の朝廷・幕府主要人物に年齢追加。(他章にも随時追加予定)
・12/7 「志士詩歌」「外国人襲撃事件(1)」に東禅寺事件で戦死した有賀半弥の詩歌をUP(手持ちの詩歌集どれにも載っていませんでした。管理人が探していることを知った方が貴重な情報を寄せてくださいましたm(..)m)
・5/18 (衛士館ですが)鈴木家所蔵の赤報隊関連史料解読文UP(こちら)。ブラウザーの「戻る」で戻ってください。 |